その力が失われないかぎり…映画『アラビアンナイト 三千年の願い』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:オーストラリア・アメリカ(2022年)
日本公開日:2023年2月23日
監督:ジョージ・ミラー
性描写 恋愛描写
アラビアンナイト 三千年の願い
あらびあんないと さんぜんねんのねがい
『アラビアンナイト 三千年の願い』あらすじ
『アラビアンナイト 三千年の願い』感想(ネタバレなし)
ジョージ・ミラー監督の千夜一夜物語
イスラムの各所の民話が編纂されて生まれたと言われる「千夜一夜物語」。「アラビアンナイト」の名称でも知られるこの物語ですが、なにぶんその製作の過程ゆえに著者は不明です。しかし、この物語内には明確な語り手がいます。それが「シェヘラザード」です。
「千夜一夜物語」において、シェヘラザードはサーサーン朝のシャフリヤール王の王妃であり、この王がなんとも厄介で、女と結婚しては翌朝には殺すという面倒極まりない奴でした。そこでシェヘラザードはこの愚行を止めるべく、自ら王と結婚し、毎晩魅惑的な物語を少しずつ語ることにします。続きはまた次の夜に…という具合に焦らしながら王に期待を持たせることで、シェヘラザードは見事に殺されずに王と過ごし続けることを達成し、正妻となったのでした。
世にはいろいろなストーリーテラーがいますが、こんな命懸けの語り手はそうそういないでしょう。「千夜一夜物語」って実は「つまんない話をしたら即殺される」というハードなデスゲームだったんですね。
今回紹介する映画はそんな「千夜一夜物語」を映画化…ではなく、「千夜一夜物語」からインスピレーションを受けながら独自の物語を練り上げている作品です。
それが本作『アラビアンナイト 三千年の願い』。
邦題がいかにも「千夜一夜物語」を映画化しました!みたいな感じになっちゃってるのですが、前述したとおり、そういう内容ではないです。原題は「Three Thousand Years of Longing」。
一応、原作があってイギリスの小説家である“A・S・バイアット”の短編集「The Djinn in the Nightingale’s Eye」なのですが、本作は映画独自の色が濃いです。
なにせ『アラビアンナイト 三千年の願い』の監督はあの“ジョージ・ミラー”なのですから。“ジョージ・ミラー”監督と言えば、2015年に『マッドマックス 怒りのデス・ロード』で映画ファンを熱狂させた巨匠です。“ジョージ・ミラー”監督の特徴は「物語」への敬愛が深いということ。この監督は「物語」の力を非常に大事にしており、誰かが何かを成せばそれは物語になり、また物語は誰かが何かを成すパワーを与える…そんな信念を感じさせます。“ジョージ・ミラー”監督の手にかかれば、ブタであろうが、ペンギンであろうが、物語の主人公として偉業を果たせるのです。
その“ジョージ・ミラー”監督の久しぶりの長編映画となった『アラビアンナイト 三千年の願い』ですが、今回はまさにそんな「物語」の力を自己批評するようなメタな構造を持つ作品となっており、77歳になっても「物語」への敬愛は衰えるどころか、知的探求心は高まるばかりのようです。
さすがに『マッドマックス 怒りのデス・ロード』級の大作映画ではないのですが、小規模作品かというとそうでもなく、結構凝った作りになっているので、そこも面白いんじゃないでしょうか。
主人公は物語を専門とする学者で、“ティルダ・スウィントン”が演じています。その主人公が講演先のイスタンブールで不思議な小瓶を購入し、偶然にもそこに魔人が封じ込められており、「3つの願いを叶えよう」と持ちかけてきます。すっごくベタな展開ですが、しかし相手は学者。「ちょっと待って、それって大丈夫?」といかにも学術的知識ゆえのツッコミをしてくる…という話。
寓話的な作品ですが、実はかなりハッキリとラブストーリーにもなっていて、ジャンルとしてはファンタジーロマンスだと思ってもらっていいです。
願いを叶える魔人と言うと、実写版『アラジン』では“ウィル・スミス”がコミカルに熱演していたのも記憶に新しいですが、今回の『アラビアンナイト 三千年の願い』では魔人になるのは“イドリス・エルバ”です。“イドリス・エルバ”なら魔法じゃなくて素手で人を殺す方が得意そうなんですが…。
本作では“ティルダ・スウィントン”と“イドリス・エルバ”がずっと喋りっぱなしです。
なお、『アラビアンナイト 三千年の願い』の脚本に“ジョージ・ミラー”と並んでクレジットされている“オーガスタ・ゴア”は“ジョージ・ミラー”の娘だそうです。
『アラビアンナイト 三千年の願い』を観て、雄弁なストーリーテラーである“ジョージ・ミラー”監督の話術という魔法にまたも浸ってみませんか。
『アラビアンナイト 三千年の願い』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :変わった作品が好きなら |
友人 | :寓話が好きな人同士で |
恋人 | :不思議な恋愛物語です |
キッズ | :やや物語は抽象的 |
『アラビアンナイト 三千年の願い』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):おとぎ話のように語りましょう
飛行機に乗っていたアリシア・ビニー。物語(ナラトロジー)を専門とする学者であり、今は講演のためにイスタンブールへと単身で向かっていました。
現地の空港に到着すると、不思議な小さい人に荷物を触られて話しかけられた気がします。でも迎えに来たイスタンブールの教授に呼びかけられて目を離した隙に、その怪しい人は消えていました。
その奇妙な話を移動中の車内ですると「精霊だったのでは?」と気楽に返されます。
ホテルへ着くと、アガサ・クリスティーが泊まっていたこともある部屋に案内され、すぐに講演会場へ向かいます。神話からコミックまで古今東西の物語の魅力について語るセッションです。
しかし、講演中もアリシアは落ち着きません。客席に変わった人がいるような…。ふと我に返り、トークを続けようとしますが、まだ見えます。自分にしか見えないのか…。
するとアリシアは突然倒れてしまい、支えられてステージから立ち去ります。何があったのかと聞かれるも答えようもないです。
気分を変えてイスタンブールのグランバザールで骨董品を眺めていると、その中から美しいガラスの小瓶を手にとります。青と白の渦巻き模様のある不思議な瓶です。店主いわく出所もよくわからないようで、アリシアは面白い物語がありそうだと気に入り、購入します。
部屋で朝食のルームサービスを頼みつつ、洗面台で買ってきた瓶をごしごしと洗っていると、いきなり瓶から異様な煙が立ち込め、何かが現れます。
恐る恐る近づくと、それは信じられない光景。目をつぶっても消えません。部屋いっぱいに存在する巨人。「英語はわかる?」と聞くと「ギリシャ語ならわかるか?」と向こうも聞いてきます。
“それ”は「3つの願いを叶えよう。でも永遠の命は無理だ」といかにも定番の魔人(ジン)の物語の始まりのようなことを言ってきます。
魔人は部屋にあったテレビに興味を持ち、箱の中に人がいるのが不思議のようです。「これは科学よ」とアリシアは説明。テレビから力を得たのか、英語を話せるようになる魔人。テレビから人物を取り出したりしてみせたりもします。
「願いはなんだ?」とあらためて聞かれ、言葉を慎重に選ぶアリシア。そのときルームサービスが来て、なんとかドアの付近で受け取って対応。部屋に戻ると魔人は人間サイズになっていました。
「なぜボトルにいたの?」と質問すると、これは3回目の幽閉だったそうで、魔人はその過去を長々と語りだします。それは苦々しく切ない物語…。
最初に小瓶に封じられた魔人はそのまま紅海に沈み、2500年もの年月が経過したそうです。
アリシアもかつては夫がいたが別れたと自分の短い年月の物語を少し語ります。
そして「私はこれ以上望むことはない」「願い事の物語はハッピーエンドにならない」と、学者として研究してきた実績も踏まえて消極的な態度をとります。
それでも魔人はそれだと困るようで、魔人の過去の話を続けてもらいますが…。
願いの物語は悲恋で終わるのか
『アラビアンナイト 三千年の願い』は、シェヘラザードみたいな有能な語り手はいませんが、代わりに魔人が自身の過去を語るストーリーテラーとして、アリシアは聞き手に徹します。一方でこの映画自体はアリシアの物語であり、アリシアが物語の中心で、私たち観客が聞き手になります。つまり、二重構成となっており、そこは複雑です。
魔人が語る、合わせて3000年(と言ってもほとんどは瓶に封じられているのだけど)の過去の物語。ここはしっかり映像化されているのですが、プロダクションデザインも豪華絢爛でかなり凝った作り込みです。
起用されている主要人物のキャスティングもちゃんとアフリカや中東、東欧などの俳優が揃えられており、本格的な顔触れになっています。『クレオパトラ』みたいな白人にやらせて異国情緒を演出しているだけのエセ叙事詩モノではないです(昔はそういう映画がハリウッドでは主流でした)。
コロナ禍だったのでオーストラリアで撮影したらしいですが、よくこの俳優陣で撮れたな、と。
最初の物語は、シバの女王とソロモンの話。シバの女王は母がジンだったという背景があります。ここで“イドリス・エルバ”演じるジンは強大な力を持つ魔術師のソロモンによってボトルに閉じ込められてしまったのでした。この時点で横恋慕なストーリーで、ジンはどちらかというと愛を奪われた側です。
次の物語は、オスマン帝国の第10代皇帝のスレイマン1世を父に持つムスタファ王子に恋をした少女の話。魔人の魔法で宮殿の側室になることに成功しますが、それは政治的謀略の世界に首を突っ込むことにもなり、悲劇が待っていました。このストーリーは、愛を叶えるもバッドエンドな内容です。
続いての物語は、石床の下に放置された魔人の小瓶が1620年に後にオスマン帝国の第17代皇帝となるムラト4世の少年時代に発見されかけるもスルーされ、ようやくイブラヒムの肥満の妾のボディプレスで床が壊れて発見されるも、すぐに封印されるという顛末。イブラヒムのエピソードは非常に珍妙に思えますけど、実際に巨体の女性をハレムで愛でていたという淫乱な噂に絶えない人物だったそうです。
最後はトルコの商人の妻であるゼフィールの話。とても聡明で知的な女性でしたが、これまたジンの愛が虚しい結末を呼んでしまいます。
全体をあらためて振り返ると、ジンが辛すぎますね…。“イドリス・エルバ”はいつも悲劇を背負っている役か、悪役か、そのどっちかだなぁ…。
フィクトセクシュアルな解釈も
とは言え、この『アラビアンナイト 三千年の願い』は既存の定番を覆してハッピーエンドで終わります。ラストはアリシアとジンがロンドンで仲睦まじく結ばれる幸せな風景です。
この本作の物語をそのままスタンダードなロマンスと受け取ってもいいのですが、そもそもあのジンは本当に実在するのでしょうか。冒頭でもこれはおとぎ話として語ると言っているとおり、何が真実で何が嘘なのか曖昧です。
よく見れば、アリシアは序盤から空港や講演中に自分にしか見えない存在に遭遇しています。あれらもおそらくジンの類です。つまり、あの“イドリス・エルバ”演じるジンもアリシアの脳内妄想として捉えることもできます。
また、アリシアは子ども時代にエンツォというイマジナリーフレンドがいたことを吐露しています。そして男性と一時期結婚するも、関係は長く続かず、それを自分の性質のせいなのかとやや後ろめたさを抱えているようでもあります。
感情が他者の規範の期待どおりのものを発揮できない…非常にクィアな悩みだとも思います。
そんなアリシアにとって物語こそがいわば研究対象であり、そして恋愛対象です。本作は『バーバラと心の巨人』みたいなファンダムに愛を捧げた人間を描いているとも言えなくもないでしょう。世間では孤独と言われるような存在であっても、実は物語に愛を捧げて幸せなんだよという話。
アリシアにとってのジンへの想いはフィクトセクシュアルなものかもしれません。それでも最後はそれを自分で受け入れている。お隣さんに紹介するのはその証なのかな。
エンディングでは2人並んで歩いていて、ジンはサッカーボールを蹴ったりして他者と干渉していますけど、あの映像もとてもフィクショナルなものになっているので、現実味が薄いです。でも幸せならそれでいいのです。
“ジョージ・ミラー”監督っぽいなと思うのはここに映画史の話も交えているところで、物語とは魔法であり、それは現代では科学、つまるところテクノロジーなんだと示しています。まあ、終盤でジンが過密な情報社会の電波のせいで体調不良を起こすのは一周回って陰謀論じみて見えるのでご時勢的にアレなシーンに思えなくもないのですが、作中ではテクノロジーを全否定しているわけではないです。
今は科学が物語を生み出しているし、それ自体は素晴らしいという事実。それはこの映画そのものが体現していますよね。
“ジョージ・ミラー”監督はきっとこれからも最高の物語で私たちに幸福を与えてくれるでしょう。3つの願いと言わず、欲張りにいくつでも作り続けてほしいです。
とりあえず監督の次の新作は『マッドマックス 怒りのデス・ロード』前日譚となる『Furiosa』。こちらも物語のパワーが迸ってることでしょうね。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 71% Audience 73%
IMDb
6.7 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)2022 KENNEDY MILLER MITCHELL TTYOL PTY LTD.
以上、『アラビアンナイト 三千年の願い』の感想でした。
Three Thousand Years of Longing (2022) [Japanese Review] 『アラビアンナイト 三千年の願い』考察・評価レビュー