グリーン・ボーダーの無限地獄…映画『人間の境界』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:ポーランド・フランス・チェコ・ベルギー(2023年)
日本公開日:2024年5月3日
監督:アグニエシュカ・ホランド
人種差別描写
にんげんのきょうかい
『人間の境界』物語 簡単紹介
『人間の境界』感想(ネタバレなし)
ヨーロッパの難民の今を直視する
ヨーロッパでは「押し寄せる移民・難民」(難民は英語で「refugee」ですが、難民として他国に保護を申請している人は「asylum seeker」と呼ばれます)が大きな政治的問題として膨れ上がってしばらく経ちます。
その問題が激しく表面化したのが「2015年欧州難民危機」です。2015年、中東やアフリカなどからヨーロッパに渡る難民の数が前年の2倍を超えて100万人以上となりました。
これはヨーロッパ全土を揺るがします。論点はこの「移民・難民にどう対処するか」です。
そもそも「難民の地位に関する条約」という国際条約があり、ヨーロッパ諸国や日本を含む多くの国々が加入しています。これは難民に対する人道支援や社会保障を定めており、生命や自由が脅かされかねない難民を追放したり送還したりすることを禁止しています(ノン・ルフールマン原則)。
といっても、実際の難民対応は各国の匙加減に委ねられているのが現状です。日本のように表向きは「難民を受け入れていますよ?」という顔をしながら全然難民を受け入れていない国もありますし、露骨に難民を拒絶している国もあります。
ヨーロッパ各国も難民への対応は統一されておらず、EUですらまとまっていません。もちろん行動はとっています。2015年11月に「バレッタ・サミット」で議論したのに始まり、難民保護規定である「ダブリン規約」を改め、「CEAS」という難民保護システムを整理し、海上で命の危険にある難民を救助する「トリトン作戦」を実施したり、専用の基金を作ってEU加盟国間の負担を低減したり、「欧州連合庇護機関(EUAA)」を2022年に設置したり…。
にもかかわらず、EU内では難民への否定的反応も増大し、二極化してしまいました。難民を追い出したい勢力に支持された右翼ポピュリズムが力を強めます。難民が加害者として犯罪をもたらして治安を悪化させているというデマ(実際はそのようなことはなく、むしろ難民は被害者になりやすい)がまかりとおり、「もともと住んでいた白人が難民に置き換えられてしまう!」という「Great Replacement」陰謀論も叫ばれ…。
そんな混迷を極めるヨーロッパに来る難民の実態を今一度突きつける重みのある映画が今回紹介する作品です。
それが本作『人間の境界』。
本作は、ベラルーシからポーランドに徒歩で渡ろうとするシリア難民を主題にしており、時期は2021年です。しかし、そこで起きることは今もさほど変わりません。
難民を描く映画はすでにいくつもあります。ベルギーの『トリとロキタ』など土地も違えば、『スイマーズ 希望を託して』など境遇も違うし、ホラーの『獣の棲む家』などジャンルを変えたり、『FLEE フリー』や『海は燃えている イタリア最南端の小さな島』のようなドキュメンタリーも揃っています。
『人間の境界』はリアリズムで、かつジャーナリズムであり、そのうえアクティビズムな多面的な顔を持つ映画です。
監督は、大ベテランであるポーランド人の“アグニエシュカ・ホランド”。『ヨーロッパ、ヨーロッパ~僕を愛したふたつの国~』(1990年)、『オリヴィエ、オリヴィエ』(1992年)、『秘密の花園』(1993年)、『太陽と月に背いて』(1995年)、『ソハの地下水道』(2012年)、『ポコット 動物たちの復讐』(2017年)、『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』(2019年)など、評価の高い作品を世に送り届けてきました。
“アグニエシュカ・ホランド”監督はもともとこのポーランド国境における難民の扱いの問題を取材していて、その経験と集積した資料を基に、今回の映画化に踏み切ったそうです。
それはポーランド政府に真っ向から挑むようなクリエイティブ姿勢であり、現にポーランド政府関係者や保守系メディアはこの映画を痛烈に貶しました。ポーランド国境警備隊の労働組合にいたっては「この映画を観るのはブタだけ」「不法移民という病的現象を美化したスキャンダラスな反ポーランド映画であり、プロパガンダ作品だ」と罵詈雑言が止まらず…(Onet)。この酷い罵りかたの時点ですでに一部の当事者の倫理観が滲み出ているような…。
本作で第80回ヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門にて審査員特別賞を受賞した“アグニエシュカ・ホランド”監督ですが、ここまでの国内の激しい攻撃が返ってくることで、本作の重要性がより伝わりますね。
皆さんも本作を観て、ブタ呼ばわりされてください。
『人間の境界』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :見て損は無し |
友人 | :題材に関心あれば |
恋人 | :かなり暗い |
キッズ | :残酷な描写多め |
『人間の境界』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
2021年10月、マスクをしながら飛行機に乗っているとあるシリアからの家族。幼い子もいます。旅行ではありません。祖国にいられなくなり、安全なヨーロッパで保護してもらうべく、移動を試みたのです。なんでもベラルーシからポーランドへ国境を徒歩で渡れるとか…。
飛行機は着陸し、家族はベラルーシに降り立ちました。そして促されるままに車に乗り込みます。
辿り着いたのはベラルーシの森の中。国境沿いで銃声も聞こえます。すぐに急かされるように有刺鉄線を這って潜り抜け、走ることになります。ダウンジャケットの一部が破れ、そのうえ手も怪我する子もいましたが、今はとにかくその場を離れます。
しばらく走った後、祖父は疲れて木にもたれます。レイラはスマホで位置を確認。ポーランドにいると実感し、喜ぶ一同。
しかし、夜になると森の中は当然のように街灯はないので真っ暗。落葉の上で並んで眠りにつくしかありません。
翌朝、祖父の足先や足裏はかなり負傷しており、歩くのも辛そうですが、祈るのは欠かさないです。激しく雨が降り出し、急いで木の下で密集し、衣類で雨除けにします。
雨が止むと体を乾かしますが、スマホの電池は切れてしまいました。どちらに行くべきか、なんとか見当をつけ、歩みを再開します。木の葉に残った雨水で渇きをしのぐのも限界です。暗い森はぬかるみも多く、前に進むのはやっと…。道中でレイラは子どもに英語を教えます。
農地に辿り着き、たまたまそこにいた農作業中の人物から、レイラはたどたどしい英語で水をねだります。その人はペットボトルの水をそのままくれ、「食べ物はありますか?」と言うと果実を無償でくれます。しかし、レイラが去った後、その男はどこかに電話。レイラはその姿を見て、慌てて森に逃げ込みます。
その直後、車が通りかかり、その場でみんな拘束され、無抵抗で従います。「Straz Graniczna」と書かれた服装で、国境警備隊でした。比較的温和に扱ってくれますが、別の車が到着し、荷台に乗せられます。同じような境遇だと思われる人たちも乗っています。
ある場所で停車し、歩かされ、そこは有刺鉄線のある国境でした。またも急かされるように強引に潜り抜けさせられ、スマホも破壊され、犬も噛んできます。ベラルーシに戻ってしまいました…。
レイラはベラルーシ兵に水をねだるも、高額を請求され、しかも目の前で水を捨てられ、祖父も子どもも警棒で殴られます。
この苦しみはまだ序の口で…。
緑の国境で起きている現実
ここから『人間の境界』のネタバレありの感想本文です。
私はもちろんヨーロッパの難民危機は知っていましたが、ポーランドとベラルーシの国境沿いで起きているこの難民の具体的な実態は詳しく理解していなかったので、この『人間の境界』を観てあらためて衝撃を受けましたね。
一般的に難民の移動を描くと聞いて思い浮かぶのは、「A」から「B」へと地点が移動していく展開です。しかし、本作はそんな単純にいきません。
まず基礎知識として背景を簡単に整理しておくと、ポーランドは難民問題が増大したことで国境に厳しい制限をかけるようになりました。通常の通関地点がポーランド-ベラルーシ国境にはいくつかあったものの、自動車での国境越えは大幅に制限。なので難民は普通に車や飛行機ではポーランドに入れません。
一方、ポーランドと違って欧州連合(EU)に加盟していない隣国のベラルーシは同じ東ヨーロッパでありながら、ロシア寄りであり、1994年からアレクサンドル・ルカシェンコによる独裁政権が継続しています。当然、反EU的な政治姿勢です。
ルカシェンコ政権は選挙不正の疑いがあり、2020年の大統領選挙でもEUから批判と制裁を受けました。そのことに恨みを抱いたルカシェンコ政権は隣のEUを挑発する狙いで、「ほら、あんたら移民を受け入れるんだって? じゃあ、移民を送り込んでやるよ」と、わざわざあえて大量の難民を送り込む戦略に2021年から出たのです。これはいわゆる「ハイブリッド戦争」と呼ばれる形態で、もっとわかりやすく庶民的な言葉で簡単に言うとイジメ的な嫌がらせです。
ベラルーシ当局は、ベラルーシがヨーロッパへの便利な玄関口であるという印象(大嘘)をメディアを使って奨励し、積極的に難民を誘導しだしました。作中でもベラルーシ軍が有刺鉄線を壊して通りやすくして難民を続々と送り込んでいましたね。
しかし、ポーランド政府は国境警備隊を使ってその難民はベラルーシへ押し返します(プッシュバック)。こうして難民たちはベラルーシとポーランドの間を行ったり来たりするハメに…。政治の思惑でキャッチボールにされるようです。絶望の無限ループ地獄ですよ。
ポーランドとベラルーシの国境の一部は原生林が広がっており、この森を通って非合法に国境越えすることになるので「緑の国境」と呼ばれてきました。危険な沼地もあるなど過酷な環境です。本作のタイトルである「Green Border」はまさにそこからきています。
非人間化のゲームは全てを苦しめる
『人間の境界』は、難民たちがいかに「非人間化」されているか、その惨状が突きつけられます。
ベラルーシ側は、EUへの嫌がらせの道具として利用します。ポーランド側は、作中でも言われていたように「ルカシェンコの生きた銃弾」として憎悪対象とみなし、排除します。
この「非人間化」の応酬がゲーム的に白熱していく中、難民の当事者はますます疲弊し、危険に晒され、人道的支援とはほど遠い状況に置かれ続けます。最悪の悪循環です。
ほぼ全編がモノクロで映し出されるので、まるで第一次世界大戦とか第二次世界大戦の時代のようにも思えてしまうのですけども、これは紛れもなく現代に起きていることで…。
ポーランド政府関係者は本作を偽りのプロパガンダだと苦情を言ってますが、本作で描かれていることはこれでもわりとマイルドな方なんだと思います。これだけ原生林環境で野ざらしで難民の人たちはサバイバルすることになるなら、その生死も含めて実態は本当に掴みづらいでしょうからね。報道が国家統制下にあるような状況だと実態把握は困難を極めるし…。
支援活動家も現地に入り込みますが、ポーランドが緊急事態宣言をだして一帯の立ち入りを制限しているので、迂闊に行動できません。本作では、そうした「非人間化」がしだいに人権活動家へと向けられて波及していくさまも描いていました。「弱者当事者を蔑む」という段階の次は「活動家を蔑む」…これは日本でもよくみられる光景ですが…。
一方、本作は支援活動家の目線でこの難民危機を俯瞰しつつ、国境警備隊の目線も加えることで、結構バランスをとっていたのも印象的です。その代表となるのがヤンという若い国境警備隊員。彼が残虐非道な仕事に精神を麻痺させていき、心が追い詰められていく姿は、たぶん実際に起きていることでしょう(“アグニエシュカ・ホランド”監督は匿名の国境警備隊員も取材しているそうです。匿名にならざるを得ないところにこの界隈の怖さを感じますが)。
最終的にヤンは車内に身を潜めて国境地帯を抜けようとする難民家族を目視するも、何も言わずに見逃します。人間には良心があるはずだという、どんな絶望下でも希望を見い出したいという“アグニエシュカ・ホランド”監督の思いがありました。
加害者側の描き方について、日本での公開を控える『関心領域』とも似たような味わいが、『人間の境界』にも部分的にあるのですが、最近はこういう差別や暴力の加害者を単純な本質的な意味での「悪」ではなく、「社会構造上で加害に加担してしまっている者たち」としてより分析的に描く傾向にあるように感じます。
それだけ私たちは国家などのイデオロギーやアイデンティティに依存せず、搾取や加害という問題を捉えなければいけないというフェーズにあるんだと思います。
“アグニエシュカ・ホランド”監督がこれほどのスピード感を持ってこのポーランド-ベラルーシ間で起きている難民問題を描いてくれたことは重大でした。映画は無力ではないです。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 88% Audience –%
IMDb
6.4 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
関連作品紹介
第80回ヴェネツィア国際映画祭の受賞作の感想記事です。
・『哀れなるものたち』(金獅子賞)
・『伯爵』(脚本賞)
作品ポスター・画像 (C)2023 Metro Lato Sp. z o.o., Blick Productions SAS, Marlene Film Production s.r.o., Beluga Tree SA, Canal+ Polska S.A., dFlights Sp. z o.o., Ceska televize, Mazovia Institute of Culture グリーンボーダー
以上、『人間の境界』の感想でした。
Green Border (2023) [Japanese Review] 『人間の境界』考察・評価レビュー
#ポーランド映画 #移民難民