“モノス”から”ヒト”へと変わるとき…映画『MONOS 猿と呼ばれし者たち』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:コロンビア・アルゼンチン・オランダ・ドイツ・スウェーデン・ウルグアイ・スイス・デンマーク(2019年)
日本公開日:2021年10月30日
監督:アレハンドロ・ランデス
MONOS 猿と呼ばれし者たち
ものす さるとよばれしものたち
『MONOS 猿と呼ばれし者たち』あらすじ
南米の山岳地帯で暮らす8人の少年少女。ゲリラ組織の一員であるこの子どもたちは「モノス(猿)」と呼ばれ、人質のアメリカ人女性を監視している。厳しい訓練で心身を鍛える一方で、10代らしく無邪気に戯れる日々を送るが、ある問題を引き起こしてしまったことをきっかけにまとまっていたはずの規律は乱れて亀裂が生じてしまう。そんな中、敵から襲撃を受けた彼らは、ジャングルの奥地へと身を隠すが…。
『MONOS 猿と呼ばれし者たち』感想(ネタバレなし)
コロンビアの少年兵を描く衝撃作
子どもを戦争に兵士として参加させることは国際的に禁じられています。
例えば、1977年に採択された「ジュネーブ諸条約第一追加議定書」では国際的武力紛争における15歳未満の児童の徴募及び敵対行為への参加を控えるよう要請され、「ジュネーブ諸条約第二追加議定書」では非国際的武力紛争における15歳未満の児童の徴募及び敵対行為への参加を禁止。1989年に採択された「児童の権利に関する条約」では15歳未満の児童の軍隊への採用を禁止しています。
にもかかわらず、現在も子どもの兵士、いわゆる「少年兵」は世界各地に数十万人は存在するとされており、深刻な問題です。そもそも戦争や紛争自体が無くなるべきではあるのですが、子どもが兵士として酷使されている現状は残酷極まりなく、それを看過しないのは大人の責任でしょう。
今回紹介する映画もそんな少年兵の実態を映し出す作品です。それが本作『MONOS 猿と呼ばれし者たち』。
少年兵を描く映画と言えば、『ヒトラーの忘れもの』『最初に父が殺された』『ビースト・オブ・ノー・ネーション』『ジョニー・マッド・ドッグ』などいくつもあるのですが、どれも内容が内容だけにズシンとくるヘビーな映画ばかりで傑作として評価も高いです。
本作『MONOS 猿と呼ばれし者たち』も非常に重く突き刺すような作品なのですが、ドキュメンタリーチックな説明的構成になっておらず、どちらかと言えばアート映画のような空気感を持っています。最も連想するのはフランシス・フォード・コッポラ監督の『地獄の黙示録』ですね。その少年兵バージョンだと思ってもらえればいいでしょう。
一応は南米のコロンビアの内戦を下敷きにしており、実際のゲリラ組織「コロンビア革命軍(FARC)」を題材にしているようです。コロンビアでは独裁軍事政権の崩壊後、1964年あたりからゲリラ活動が活発化し始め、左翼ゲリラ勢力との戦いが激しくなります。1985年にはコロンビア革命軍は合法的な政党として再編されたのですが、それでも暴力的ないざこざは絶えず、なんどか和平が試みられるも、過去の対立の火種はくすぶっており、今なおもコロンビアの政治情勢は不安定です。
しかし、作中ではその背景の詳細な説明はありません。観客はその少年兵たちの生活環境に放り込まれ、何やらわからないままにとにかく生存することを強いられる。凄まじい暴力性を内包していながら、同時に主題が子どもゆえに青春映画でも観ているような気分にもさせられる。なんとも不思議な感覚の映画です。目の前に映し出されることは肯定しようがないほどにアンモラルなんですけどね。
『MONOS 猿と呼ばれし者たち』の舞台は山岳地帯やジャングルであり、登場する少年兵たちはほぼ自給自足で自分たちで暮らしています。その姿はまるで野生動物であり、まさしくタイトルどおり「Monos(猿)」なのです(スペイン語です)。
この少年兵たちを演じた男女の子どもたちが凄い名演なのですが、ほとんどが無名だそうで、かろうじて『キングス・オブ・サマー』などに出演していた“モイセス・アリアス”だけが多少のキャリアがあるのかな。山中でキャンプさせたり、軍事訓練を受けさせたり、演技とは言え、本当に少年兵を選抜でもしているかのようなキャスティングだったようです。どおりでリアリティがあるわけですよ。
この衝撃的な『MONOS 猿と呼ばれし者たち』を監督したのは、ブラジル生まれで、エクアドル人の父とコロンビア人の母をもつ“アレハンドロ・ランデス”。ボリビアの労働者のリーダーであるエボ・モラレスが、草の根運動で同国初の先住民族の大統領になるまでを描いた2007年のドキュメンタリー『Cocalero』で監督デビューし、2011年には『Porfirio』という映画で警察の流れ弾に当たって半身不随になった男性が飛行機をハイジャックするに至った理由を探る実話を描いています。
この『MONOS 猿と呼ばれし者たち』は長編劇映画2作目ですが、すでに国際的に高評価。“アレハンドロ・ランデス”監督は今後も南米映画の存在感を強めていく話題のフィルムメーカーとなり続けるでしょう。私も今作で初めて“アレハンドロ・ランデス”監督作品を観たのですが、作家性が本当に強烈で、これは評価も当然だなと実感しました。
日本でも2021年に劇場公開されたので『MONOS 猿と呼ばれし者たち』を通して“アレハンドロ・ランデス”監督の創作ワールドに浸る最初のチャンスです。
オススメ度のチェック
ひとり | :変わった映画を観るなら |
友人 | :シネフィル同士で |
恋人 | :ロマンス気分ではない |
キッズ | :子どもへの暴力描写あり |
『MONOS 猿と呼ばれし者たち』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):ここが彼らの住処
コロンビアのどこか。雲海を臨む山の頂上の静けさの中、熱気を感じさせる一団がいました。その姿はたくましいものの子どもです。男女混合のこの子どもたち、ウォルフ、ビッグフット、ランボー、レディ、スウェード、スマーフ、ドッグ、ブーム・ブームというニックネームで呼ばれていますが、この子たちはあるゲリラに所属する少年兵の部隊「モノス」でした。
今はこの山岳地帯でキャンプを構えて集団生活をしています。たまにメッセンジャーと呼んでいる上官がキャンプ地にやってきて、自分たちを訓練したり、仕事を与えたりします。今日もそのメッセンジャーの指導のもと、多くが上半身裸になり、独特の掛け声で気合を高め、鍛錬を積んでいきます。
8人が整列。号令で直立し、銃を携え、一糸乱れぬ動きを見せます。リーダーのウォルフは、メッセンジャーから発言の許可をもらい、レディと付き合いたいという自分の意向を述べます。「ウォルフのパートナーになりたいのか」とメッセンジャーはレディに訊ね、「はい」と答えるレディ。許可はでました。
帰ることになったメッセンジャーは、ゲリラの上層部から借り受けたという牛のミルクをしぼり、大切にしろと言い渡します。
実はこのキャンプには牛以外にも重要な管理すべき存在がいました。戦争捕虜のアメリカ人女性です。名前はサラといい、もうここで監禁されて日にちも経ちます。
メッセンジャーが消えたことで、子どもたちの気は緩み、霧の中でじゃれ合い、誕生日を迎えたランボーを全員が交替にベルトで叩くなどふざけまくり。サラにもやれと指示し、仕方なくランボーをベルトで強く鞭打つサラ。
夜、少年兵たちはキャンプファイヤーを囲んで、思うがままに吠えたり、上に向かって銃を乱射したり、気分は異様に高揚。
翌朝、疲れが残る中、銃をぶっ放す子どもたち。そのうちのひとりであるドッグがリズミカルに全方位に撃ちまくっていると、状況は一瞬で深刻化。流れ弾によってあの大切にしろと命じられた牛が死んでしまったのです。凍り付く空気。
リーダー格のウォルフは怒りちらし、ドッグを責め立て、あげくにドッグに穴を掘らせ、人がひとり立てる程度の竪穴の中に罰として彼を閉じ込めました。
仲間の連帯はすっかり崩壊。死んだ牛はもったいないので肉にすることに話し合って決め、みんなで解体。
ところがウォルフは自分の責任になると絶望し、そのまま自ら命を絶ってしまいます。
夜、焚火を囲み、肉を食いながら、今後を検討します。ウォルフが牛を殺したことにしてひとまず非難を回避することにしますが、リーダーの消失によってこの少人数のコミュニティは確実にバランスを崩していました。
そこへ追い打ちをかけるように、夜間に突然の攻撃を受けることに。炎が暗闇を照らし、少年兵はどこへいくのか…。
牛で調和は乱れる
『MONOS 猿と呼ばれし者たち』は何とも奇妙なコミュニティを描いています。
少年兵の実態がこのとおりなのかはわかりませんが、たった8人の子どもたちの共同生活は奇異です。誕生日祝いのシーンを見る限り、あの子たちの年齢は15歳前後なのでしょうか。おそらく子どもの頃に少年兵として招集・拉致され、このライフスタイルが染みついたのでしょう。自動小銃を手にしていることを除けば、それ以外はいたって子どもらしく無邪気です。
面白いのはその子どもたちを管轄する保護者の存在であり、作中ではメッセンジャー(伝令)と呼ばれていますが、背が低いせいか、あまり子どもを従えている絵面は感じられません。別の世界の住人が子どもたちの世界を訪問して限定的な接触をしているような、そんな印象。恋愛関係さえも認可制なのは歪でシュールにも見えます。
この世界の隔絶さを象徴するのがあの序盤のロケーション。チンガサ国立自然公園で撮影したそうですが、圧倒的な大自然にポツンと佇む人間の小ささ。これがまた少年兵だからという以前に、この戦争自体の矮小さも表現しているようでした。ここで起きているのはちっぽけな人間の起こしたちっぽけな争いなんだ、と。
そしてその「It’s a Small World」の調和を乱すきっかけになるのが「牛」という…。牛でコミュニティが脆くも崩れる映画は『ジャッリカットゥ 牛の怒り』でも観たばかりなのですけど、牛には罪はない…。
この乳牛の扱いがとにかく雑で一周まわって笑ってしまうくらいなのですが、あの子どもたちが大はしゃぎでハメを外しているときは蛍光ライトで装飾されていたり、大切にしろと言われているわりには放し飼いだったり、そりゃあ死ぬのも無理ないよという感じ。
この牛誤射事件以降もとりあえず牛を食べていたりとか、随所に子どもクオリティがあって、この子たちを憐れむのも忘れてこっちは困惑するという、やっぱり変なバランスの映画ですね。
猿からヒトになれるのか
『MONOS 猿と呼ばれし者たち』の前半は青春のシュールさと残酷さが合わさったワイルドな子どもドラマなのですが、その世界が転機を迎えるのがあの攻撃。
暗闇の中での大爆発による炎の不気味さ。あの映像だけで不穏感を煽ります。
そこからはまさに『地獄の黙示録』。というよりもその元になったウィリアム・ゴールディングの「蠅の王」やジョゼフ・コンラッドの「闇の奥」に近い、ある種の異世界への深みに入っていくような感覚。
ジャングル生活になってもあの子どもたちはそんなに変わっていません。相変わらず雑です。だからサラに逃げられるのですが…。
あの子どもたちの姿を観察していると完全に野生動物的というか、チンパンジーとかの生態にそっくりなんですね。チンパンジーも小規模な群れを作り、その中にリーダー格がいて、ときおりその地位をめぐって争い合います。チンパンジーは他の群れを襲って殺してその縄張りを奪うなど、一種のゲリラ戦をすることでも知られています。
あの少年兵たちは人間のコミュニティとしては穴だらけで組織立っているほどではないゆえに、チンパンジーに結果的に類似してしまっている。まさしく「Monos」なんですね。
ビッグフットの反逆によって、親元であるはずのゲリラ組織からも独立してしまい、もはや何を目的としているのかも不明になりつつ、集団は兵士としてより不気味に一体化。
その猿同然に生きる(もちろんそれはあの子たちの本意ではないのでしょうけど)少年兵がまたひとりまたひとりと暴力性の餌食になっていく中で、最終的にそこから運よく脱することができたのはランボーという子です。ちなみにこの子は設定上は性別がわからないようにしているらしく、そのあたりも含めてジェンダー的なステレオタイプ抜きであの子の象徴性を考えてほしかったのかなと思います。「ランボー」という名からして示唆的ではありますけどね。あの子が猿からヒトになれるのか、それはわからない…。
ともあれよくこんな現地の自然を舞台にダイナミックな映画を作り上げることができたなと感心してしまいました。あのジャングルだって少し前までは本当に内戦の戦場だったんですからね。『ジャングル・クルーズ』なんかよりも何十倍も本物のジャングルの異様さが映し出されていました。
『MONOS 猿と呼ばれし者たち』はコロンビア、オランダ、アルゼンチン、ドイツ、スウェーデンなどかなり多くの国が製作に携わり、出資しているようですが(そうでもしないと作れないのも無理はない)、それだけの価値はある、とんでもない映画でした。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 92% Audience 85%
IMDb
6.9 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
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少年兵を描く作品の感想記事です。
・『ヒトラーの忘れもの』
・『最初に父が殺された』
作品ポスター・画像 (C)Stela Cine, Campo, Lemming Film, Pandora, SnowGlobe, Film iVäst, Pando & MutanteCine
以上、『MONOS 猿と呼ばれし者たち』の感想でした。
Monos (2019) [Japanese Review] 『MONOS 猿と呼ばれし者たち』考察・評価レビュー