妊娠中の人には鑑賞をオススメできない?…Netflix映画『私というパズル』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:カナダ・ハンガリー(2020年)
日本では劇場未公開:2020年にNetflixで配信
監督:コルネル・ムンドルッツォ
私というパズル
わたしというぱずる
『私というパズル』あらすじ
これまで経験したことのないような苦しい自宅出産の先に待っていたのは、予想もしなかった大きな悲しみ。それはそう簡単に受け止められるものではなかった。失意の中、パートナーや家族にも心を閉ざす女性は、やり場のない感情に飲み込まれていく。それでもあの痛みだけは覚えている。あのとき、私にできることはあったのだろうか…。
『私というパズル』感想(ネタバレなし)
この監督は普通の見せ方はしない
「出産ってどれくらい痛いの?」
このざっくりした質問は非常にありがちな疑問ですが、それ自体がかなり愚問でしょう。無論、経験した人にしかわからないものです。ただ、経験したからと言って全員が一様に同じ痛みを体験するわけでもありません。母子の健康状態はもちろん、出産環境、方法、さらには心理状態、家庭環境、妊娠した理由などいろいろな要素が母親にはズシッと圧し掛かっています。それはみんなバラバラで、なおかつ見えないもの。
なので「うちのときはこんな感じだったから大丈夫だよ!」という言葉は安心させるつもりであっても、ときに相手を思いがけず傷つけることもあります。難しい問題ですが、大事なのは個人の経験を尊重することなのかな…。
ただやっぱりいくら尊重すると綺麗事を言っても、根本的に出産をよくわかっていなかったら話になりません。なるべく情報を仕入れておくにこしたことはありません。出産経験のある人でも他人のエピソードを知ると「へぇ~こんなことも!」と新しい面を認識できることもあり得ます。出産なんてそう何百回と経験することではありませんからね。だいたいみんな素人もしくは初心者と言えるかも。
今回紹介する映画も「出産」という事象の生々しさを真正面から観客に届ける、なかなかにインパクト大な映画です。それが本作『私というパズル』。
本作は出産を間近に控えたひとりの女性が主人公です。しかし、その女性に人生最大の苦難が降りかかり…というのが出だし。かなりシリアスで息苦しい窒息しそうなドラマが終始展開されます。
この『私というパズル』の最大の特徴は、なんといっても映像演出。なにせ監督があの『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲』(2014年)や『ジュピターズ・ムーン』(2017年)の“コルネル・ムンドルッツォ”です。前者は無数の野犬に支配された街を舞台に「動物の解放」を鮮烈に描き出し、後者は突如空中浮遊できるようになった移民を通して社会問題を浮き上がらせました。とにかく“コルネル・ムンドルッツォ”監督はいつもちょっと思いつかないようなアクロバティックなアプローチで社会に切り込む映画を生み出してきた人物です。そんな“コルネル・ムンドルッツォ”監督最新作ですから今回の『私というパズル』も“普通”で終わるわけがありません。
あまり詳細を語るのもネタバレになって面白くないので控えますが、序盤からいきなり“コルネル・ムンドルッツォ”監督作風を炸裂させています。目が離せない魔力がありますね。
俳優陣の演技も素晴らしく、とくに主演の“ヴァネッサ・カービー”は本作でヴェネツィア国際映画祭にて女優賞を受賞しました。“ヴァネッサ・カービー”と言えば、何かと世間を騒がせるドラマ『ザ・クラウン』でエリザベス女王の妹マーガレット王女を演じて注目され、『ミッション:インポッシブル フォールアウト』や『ワイルド・スピード スーパーコンボ』といったアクション映画大作でも見事な存在感を発揮し、役幅の広い俳優です。この『私というパズル』にてついに主演作としての看板をゲットした感じでしょうか。
他にも、相次ぐ不祥事スキャンダルでキャリアを失墜させるも最近になって『ザ・ピーナッツバター・ファルコン』や『ハニーボーイ』で復活を果たした…と思ったらまた過去の性的暴行の告発で窮地に陥っているジェットコースター乱高下の激しい俳優…“シャイア・ラブーフ”も夫役で出演。彼の場合、映画の中の役よりも現実の方が危なっかしいので、こっちはこっちでなんとかしないとなのですけど…。
さらに『レクイエム・フォー・ドリーム』の“エレン・バースティン”や、『1922』の“モリー・パーカー”、『ウィンチェスターハウス アメリカで最も呪われた屋敷』の“サラ・スヌーク”など。
妊娠している友人とかには絶対にお勧めできませんし、そんなことをしたら悪意のある嫌がらせだと思われても無理ないですけど、印象に刻まれる映画を観るならこれは期待に応えるでしょう。
『私というパズル』はNetflixオリジナル映画として2021年1月7日より配信中です。
オススメ度のチェック
ひとり | ◯(監督・俳優ファンはぜひ) |
友人 | ◯(映画好き同士で) |
恋人 | ◯(恋愛どころでもないけど) |
キッズ | △(大人のドラマです) |
『私というパズル』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半);共振する苦痛
橋の建設現場。現場で罵声を飛ばす男・ショーンは、仕事が遅い奴には容赦なく叱責します。「俺の娘を一番にこの橋を渡らせる」と豪語し、今日はそそくさと車に乗って帰りました。
一方、そのショーンの妻であるマーサ・ワイスは、お腹の膨らんだ状態で動きづらくしつつ、夫とともに車を購入する手続きをしていました。買ったのはミニバンで、ショーンはやや物足りなげ。でも新しい家族が加わる予定の自分たちにとってはこれが身の丈にあった車です。2人は今か今かとその瞬間を楽しみにしていました。
帰宅。その晩、マーサは頻繁な陣痛に苦しみます。不安な空気が漂います。苛立ちを隠せない妻を、夫は冗談で和ませます。
すると破水したのかポタポタと垂れ始め、かなりその時が近づいてきたのかと焦ります。来る予定だった助産師のバーバラは無理らしく、急遽エヴァという初対面の助産師が駆けつける手はずになっていました。それもまたマーサには不安の種ですが、今はもう一刻の猶予もなく、文句を言っている状況でもありません。
息を深く吸って落ち着こうとするマーサ。ショーンはなんとかリラックスさせようとしつつ、自分自身は平静を装いながら対応しています。
そのとき玄関が鳴り、やっと助産師のエヴァが来ました。すぐにマーサの状態を見るなり、吐き気があって当然だからと優しく諭してくれます。なんとか辛さに耐えるマーサ。
エヴァはお腹の赤ん坊の心音を聞き、その場にいた3人とも元気な音に安堵。次に入浴しましょうと浴室へ誘導します。夫婦は浴室に行き、エヴァはその間に寝室で準備。マーサとショーンは見つめあい、互いの愛を確認します。
それが終わるとベッドへ。もう赤ちゃんの頭に触れられるほどらしく、マーサは必死に力を振り絞ります。
もう一度心音を確認するエヴァ。大勢を変えましょうとマーサの体を横にし、再度りきむことに。何やら心拍がしっかり確認できないらしいですが、「想定の範囲内だから大丈夫」「これが続くなら病院に行く」とエヴァは発言。ショーンが大丈夫かと念押しするも「大丈夫」と答えました。
マーサは懸命です。それでも赤ん坊は出ません。エヴァは「救急車を」とショーンに指示。慌てる夫はスマホで電話。
そうこうしているうちに絶叫しながら力を出し切ったマーサ。赤ん坊がやっと出てきました。でも泣きません。エヴァが体をさすると泣きだし、一同はホッとします。
赤ん坊を抱きかかえてキスするマーサ。夫は夢中で写真を撮ります。エヴァは仕事を終え、息をつきます。
しかし、すぐに呼吸がおかしいと気づくエヴァ。呼吸を促しますが、反応はありません。夫は外に駆け出し、ちょうど救急車が到着し…。
それから数週間後。マーサは職場に復帰しました。しかし、同僚は沈黙で見つめるだけ。
夫婦は医者に赤ん坊の死因の説明を求めますが、あらゆる検査をしたもののよくわからないようです。憤慨する夫は問い詰めますが、答えはありません。
夫婦はあのエヴァという助産師を訴えていました。裁判は始まっており、世間では「助産をめぐる魔女狩りが過熱」という報道もあるほど。なかなか結果の出ない刑事裁判。民事訴訟を検討しようと夫はマーサに持ちかけます。
マーサの母は助産師に責任をとらせることに必死。しかし、マーサは心ここにあらず。赤ん坊の遺体を埋める墓石にも興味を失せ、献体に出すとまで言い出します。
出産時とはまた違う苦痛だけが残り続け…。
本当に出産しているかのような…
『私というパズル』、誰しもが本作のベストシーンとして言及するであろう序盤の自宅出産の場面。なんと実に約25分もの長回しでその現場を生々しく表現。下手したら出産に密着した番組なんかよりもはるかにリアルタイム感があって、現実味が強いです。
“ヴァネッサ・カービー”の迫真の名演も素晴らしいのはもちろん、カメラの流れるような映し方も見事。さすが“コルネル・ムンドルッツォ”監督、撮影で巧妙に観客を釘付けにします。出かかった赤ん坊の頭とかまで映し出すので、こっちもハラハラです。映画なのを忘れて、本当に“ヴァネッサ・カービー”が出産しているんじゃないかと思いますよね。
ちなみに“ヴァネッサ・カービー”は出産経験がないので、自分なりに映像とかを見ていろいろ研究したそうです。それであそこまでの再現ができるんですから、役者としては最高のパフォーマンスですよ。
あのシーンだけで撮影には2日かかったらしいですけどね。緊張感のある撮影現場だったんだろうなぁ…。
とにかく見ていて気が気ではないシーンです。しかし、この苦しみのトンネルの出口には輝かしい喜びがある…元気な産声が祝福の鐘を鳴らす…そう誰もが思っているからこそ耐えられるものです。だいたい多くの出産にまつわるイメージはそんなもの。辛さと引き換えに最高の幸せが得られる。その暗黙の共通認識だけが出産という概念をパブリックではコーティングしています。作中でも夫婦がいい感じに見つめあうシーンで、これまたいい感じにBGMが流れたりして、いかにもそのハッピーエンドを期待させます。
ところがこの『私というパズル』ではその当然のように期待していた喜びは訪れません。ここで一旦元気な赤ん坊の声を聴かせた後に、最悪の状態を展開するという、上げて落とす演出がまたエグイです。
そこからは法廷闘争になっている夫婦の絶望的な生活が淡々と描かれ…。つまり、苦痛がなおも続いていくというエンドレスな苦しみ。
上手いなと思うのはあのエヴァという助産師の描き方で、あの序盤で彼女もまたどこか確信的ではない対応を滲ませているため、観客もエヴァをどこまで信じ切ればいいのかわからなくさせていること(エヴァを演じた俳優も相当にお見事でした)。観客に情報を与えずに不安にさせるテクニックもいつもながらの腕前です。
また、作中で何度も日付の経過とともに、建設している橋の映像が映し出され、それが徐々に両側から完成に近づいていく…といった映像演出など、随所に登場人物の心理などを暗示するものが散りばめられており、そこも静かに効果的でした。
正しい描写ではないので…
そんな感じで序盤のシーンを筆頭に演出力は申し分ないです。ただ、『私というパズル』は全体的には割とインパクトありきで終わってしまった感じもあるかなとも思いました。
やっぱり“コルネル・ムンドルッツォ”監督は毎回社会問題に切り込む姿勢はいいのですけど、描き方が過剰に煽り気味ですよね。今回の件も「乳幼児突然死症候群」を描くにしたって実社会での求められる映画の役割を果たせているのかと言えば微妙です。
確かに乳幼児突然死症候群を経験した当事者の苦悩が非当事者にも伝わってはきますし、それを全否定はできません。こういうふうに出産というものをエンタメ的な味付けで描くのもありです。『クワイエット・プレイス』や『タリーと私の秘密の時間』のような多様な見せ方がこれまでありましたし…。
一方で、その映像重視の中で現実的な事情はおざなりになっている側面もあります。
例えば、乳幼児突然死症候群は原因が不明なものです。にもかかわらず本作は助産師を訴えるというセンセーショナルな切り口で描いているので、これだとどうしたって助産師などの周囲の行動が悪かったのかと鑑賞者に印象を与えますよね。最悪、自宅出産が悪いかのような印象も。
もちろんその乳幼児突然死症候群で子どもを亡くした親の苦痛は計り知れないもの。なので専門機関ではカウンセリングや支援団体の援助を推奨しています。しかし、この映画ではそういうものは描かれません。物語上、都合が悪いという理由で「無かったこと」にされてしまっています。別にそういうサポートが一切ない国ならこういう描写もいいのですが、あそこはアメリカですからサポート団体はいるでしょう(実在するし…)。ましてやあんな風に裁判が話題になっていたら支援団体は確実に声をかけるはずです。
それとこれもサポートの不在と関係することですが、基本的に本作は女性たちの関係性が妙に陰湿に描かれています。マーサは助産師とは対立しますし、「あの女と対峙しなきゃ乗り越えられない」と急かす母とは折り合いが悪く、いとこのスザンヌは夫との関係を軸に描かれるし、道先では女性が余計な一言をかけるし…。
かろうじてラストに“和解”的な終幕が描かれますけど、あそこまで裁判をしてしまったらもう後の祭りではないですか。あのエヴァも和解してもすでにキャリアも絶望的に崩壊しましたよ。全然女性の解放でもなんでもないエンドです。
もうちょっとシンプルに連帯に頼る物語じゃダメだったのかなと思うところ。
あと、前半で子どもを失ったマーサが店先で小さな女の子に出会い、乳汁がシャツに滲むというシーンがありますけど、ああいうのはなんかわざとらしいかなとも思ったり。
個人的には献体をあそこまでおぞましさを匂わせて映し出すのは、この真面目なジャンルの映画の中ならやめてほしかったなとも思います。別に献体自体は変なことではないですし、科学として倫理的に扱っている業界ですからね。不当に怪しく描かれるのは関係者もうんざりでしょうから。
そういう諸々が気になってくるあたりも、いつもの“コルネル・ムンドルッツォ”監督の平常なのかな。映像演出だけは抜群だったのでそこは評価するけども。
乳幼児突然死症候群に関しては各クリニックなどが情報を整理していますから、そこで正しい知識を得てください。あまり本作は気にせずに。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 76% Audience –%
IMDb
6.8 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 6/10 ★★★★★★
作品ポスター・画像 (C)Bron Studios
以上、『私というパズル』の感想でした。
Pieces of a Woman (2020) [Japanese Review] 『私というパズル』考察・評価レビュー