本当のピノキオかは知らないけど私は好きです…映画『ほんとうのピノッキオ』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:イタリア(2019年)
日本公開日:2021年11月5日
監督:マッテオ・ガローネ
ほんとうのピノッキオ
ほんとうのぴのっきお
『ほんとうのピノッキオ』あらすじ
貧しい生活を送る木工職人のジェペット爺さんは、とある丸太から人形を作る。それは命を吹き込まれたように喋り始め、ジェペットはピノッキオと名付けることにする。好奇心旺盛なピノッキオは、ジェペットのもとを飛び出し、導かれるように森の奥深くへと分け入っていく。「人間になりたい」と願う純粋無垢なピノッキオは、道中で出会ったさまざな者たちと触れ合い、いろいろな経験をしていくが…。
『ほんとうのピノッキオ』感想(ネタバレなし)
イタリアでピノキオを実写映画化
イタリアの有名な児童文学作家のひとりと言えば、“カルロ・コッローディ”の名が挙げられます。
しかし、“カルロ・コッローディ”は生前はそこまで名が知られていたわけではありませんでした。雑誌への寄稿などで地道に執筆や批評業を積み重ねていただけ。
けれども大成功を収めている人からしてみれば「なんだそのちっぽけな仕事は!」と小馬鹿にされそうなことでも、ちゃんと努力が実り、光があたる日が来ました。
そう、“カルロ・コッローディ”の代表作「ピノッキオの冒険(Le avventure di Pinocchio)」が死後に脚光を浴びたのです。
「ピノッキオの冒険」は1881から週刊雑誌に掲載されていたものを改題して1883年に最初の本が出版された児童文学作品。木で作られた人形が意思を持って動き出すようになり、あれやこれやと出会いを重ねて、経験を積んでいく…という物語。一応は児童向けとなっていますが、とても社会政治への風刺が濃い内容で、それは原作者である“カルロ・コッローディ”の人生経験や思想が強く反映されているからだと思われます。
その「ピノッキオの冒険」が広く一般でも知られるきっかけになったのが、ディズニーによるアニメーション映画化。1940年のこの『ピノキオ』は世界中で愛され、物語としてはこっちの方が有名です。ちなみにディズニー版は原作よりも物語がやや子どもウケしやすいようにマイルドになっています(それでもダークな部分はかなりあるのですが)。日本だと「Pinocchio」は初期の頃は「ピノチヨ」や「ピノチオ」と表記されることもあったのですが、このディズニー映画『ピノキオ』の普及もあって「ピノキオ」という表記の方がしっくりくる人も増えたのではないでしょうか。
そんな「ピノッキオの冒険」が本国イタリアで2019年に実写映画化されました。それが本作『ほんとうのピノッキオ』です。
「ピノッキオの冒険」が実写映画化されるのは初めてではないのですが、今作では完全に原作準拠になっており、オリジナルのダークさがそのまま残っていますし、社会風刺もしっかりあります。ただ、宣伝では「美しくも残酷なダークファンタジー」と書かれていますが、別に極端に残酷ということはないですからね。いわゆるバイオレンス描写があるわけではないですし、人間の手足が吹き飛んで内臓が飛び出るとかそんなこともありませんし…。あくまで物語の味わいとして残酷さもあるくらいに思ってください。子どもで観れます。
ではこの『ほんとうのピノッキオ』の魅力は何かと言えば、それは映像表現です。CGを使わずに特殊メイクなどの現場での視覚効果だけで再現された摩訶不思議なキャラクターたち。これだけでも芸術鑑賞としての一級品の満足さが保証できます。メイキングが見たくなるようなクオリティですね。
ここまでCG抜きでアーティスティックな映画を撮れるのはやはりこの人しかいません。イタリアの映像魔術師である“マッテオ・ガローネ”監督です。『ゴモラ』(2008年)、『リアリティー』(2012年)でカンヌ国際映画祭で高く評価され、2015年の『五日物語 3つの王国と3人の女』ではファンタジックで暴力に満ちた幻想的物語を見事に映像化。
さらに2018年の『ドッグマン』では、弱肉強食を突きつける強烈な社会風刺を効かせた寓話的ストーリーテリングで観客を虜にしました。
この“マッテオ・ガローネ”監督が「ピノッキオの冒険」を実写映画化するのですから、それはもう面白いに決まっています。少なくとも私は完全に趣味のど真ん中です。
俳優陣は、『ライフ・イズ・ビューティフル』の“ロベルト・ベニーニ”、『南部のささやかな商売』の“ロッコ・パパレオ”、『踊れトスカーナ!』の“マッシモ・チェッケリーニ”、『2重螺旋の恋人』の“マリーヌ・ヴァクト”など。
好きな人は夢中になれる要素のオンパレードですので、ビジュアルに惹かれたら迷わず鑑賞してください。
オススメ度のチェック
ひとり | :古風なファンタジー好きなら |
友人 | :童話が好みの人と |
恋人 | :ロマンス要素なし |
キッズ | :子どもで見られる |
『ほんとうのピノッキオ』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):命が芽生える
木工職人のジェペットは、ろくな仕事もなく、貧しいゆえに満足な食料もない状態でした。なんとか強引にでも仕事を得ようと、壊れていそうな木材家具を見つけるべく「この椅子は? このドアは?」と奮闘し、他の住民に呆れられる始末。食事を恵んでもらい、なんとか腹を満たすような日々です。
ある日、町に人形劇の一団がやってきて、それを見てジェペットは思いつきます。自分も人形を作ってみよう。技術はあるのだからきっとできるはず。
ところかわって木材を扱うとある男は、自分の腰より少し高いくらいの丸太を取り出し、立てます。すると丸太がガタガタと揺れて自分の方に動いてきます。驚いて後ろに倒れて木粉まみれになる男。
そこに陽気なジェペットがやってきて、良い木材を求めます。男はあの動いた気がする丸太を渡します。不気味なのでさっさと他人に渡した方がいいという判断でした。それも知らず、こんな立派なものを!と興奮のジェペット。
さっそく家に持ち帰り、夜に丸太から人形を彫っていくことに。顔ができると何か違和感を感じます。鼓動を感じるような…。そのまま作業を続行。目も完成し、顔がしっかりできました。ジェペットはこの人形の子どもを「ピノッキオ」と名付け、自分は父親だと語りかけます。すると「パパ」と喋ってきました。
驚愕して外へ飛び出すジェペット。「息子ができたんだ!」と住人に説明。みんな意味がわかりません。
ジェペットは自分のベッドのボロボロの赤いシーツを破り、服を用意。赤い帽子もあります。
朝。そのピノッキオは鏡を見て、自分の姿をまじまじと確認。次にピノッキオに歩き方を教えようとするジェペット。しかし、ピノッキオは猛ダッシュで外へ飛び出してしまいました。外を探し歩いていくジェペット。
一方のピノッキオは家で不思議な屋根裏の住人と遭遇。お喋りなコオロギを乱暴に扱うピノッキオ。見た目は子どもでも常識は何も知りません。ピノッキオは眠っている間に足が暖炉で燃えてしまい、困惑していました。急いで駆け付けたジェペットは、生活の初歩を教えていこうと決心します。
子どもだから学校へ行かないと。ピノッキオを学校へと送り出すジェペット。ところが好奇心旺盛なピノッキオは興味のままに近くの人形劇のテントへ。おカネがないので入れないのですが、その場にいた人におカネを恵んでもらい、中に。
観劇していると、思わず流れのままにステージにあがってしまい、ショーは滅茶苦茶に。そんなヘマをしたせいで、劇団のキャラバンに捕まってしまいます。
そんなトラブルも乗り越えて、家に帰ろうとしていたら、今度は怪しい2人組と遭遇。世間を理解していないピノッキオはそんな2人の金貨がどんどん増えるという奇跡の野原に関する美味しい話に乗っかってしまいます。騙されたあげくに木に吊るされ、どうしようもできない状態で困惑していると、ターコイズ色の髪の妖精に助けられました。
その妖精の少女の家に招かれると、そこでピノッキオは生きていくうえで大切なことを学びます。嘘をつけば鼻は伸びる。人間は正しさを忘れてはいけない。
ピノッキオは人間の子になれるのでしょうか。
あれもこれもCGじゃない!
完全に私の趣味に答える映画だった…。『ほんとうのピノッキオ』は繰り返しますけど映像表現です。“マッテオ・ガローネ”監督はCGに頼らず、特殊メイクや小道具、特撮などで映像を見せることにこだわりがあります。というか、それを極めることにクリエイティブな誇りを持っているタイプのフィルムメーカーです。
ただでさえ本作は原作があの「ピノッキオの冒険」ですからね。何でもないモノに命が吹き込まれる物語。それを映像化する以上、作り手もモノに命を吹き込むことで答えるのは当然。
今作もその創造力が輝いており、映画全体にわたってクリエイティブな芸術が溢れています。
まずやはり主人公のピノッキオ。演じている“フェデリコ・エラピ”という子役に特殊メイクで木目っぽい素材を表現した顔に作り替えていく。あの職人芸がもう素晴らしくて、あの顔で生き生きと動いているだけで本当に奇跡を目撃してしまったような気分にさせられます。
もちろん本作の魔法のような映像はピノッキオだけではありません。人形劇では他にも生き生きと動く人形たちが登場しますし、お喋りなコオロギのあのあえての人間顔も強烈なインパクト。そしてみんなの印象に残ったであろう、ターコイズ色の髪の妖精の家にいるカタツムリおばさん。あのカタツムリおばさんの巨大な体は全身が着ぐるみみたいになっているわけですが、あの異様さだけでも見ごたえあります(絶対にあの屋敷では移動しにくいだろうに…)。
そこでのこの物語の象徴的なシーンである鼻が伸びる場面。あそこもワンシーンワンシーンで伸びた鼻を再現して映像を繋げており、丁寧な表現に見惚れます。
今度は海の怪物(ディズニーでは鯨でしたけど原作は鮫)に飲まれるという、これまた象徴的なシーンが登場。ここも特撮を使った怪獣映画風のスタイルで、私の好みにドンピシャ。
そして登場する人間顔のマグロ。これも人間の役者の顔部分に魚を取り付けて、人間の体部分は水面下にあるというなんともアナログな撮り方をしているのですが、絶対にこの人間化をこだわりぬく“マッテオ・ガローネ”監督のアーティストとしての意地もあって、この『ほんとうのピノッキオ』は独創的な世界観を確固たるものにしていました。明らかに原作よりも寓話性が強まり、幻想への誘因力が高まっています。人間顔のマグロですよ。もうマグロ、食べづらくなるじゃないですか。
『ほんとうのピノッキオ』の映像では絶対にディズニーはやらないでしょうね(逆によくあのアニメーション映画ではあそこまでアレンジできたなと感心もするけど)。
正しさを失っている今の時代だからこそ
映像表現にうっとりしたくなる『ほんとうのピノッキオ』ですが、物語としての社会風刺も忘れてはいけません。
貧困というものが生活の基盤さえも奪う中でジェペットが生み出したピノッキオというのはまさに人間性。自分が失いたくない尊厳そのもの。だからこそあんなに大切にしようとします。
しかし、そんなピノッキオに降りかかるのは社会の悪しき側面。消費、搾取、差別、暴力…あらゆる人間社会の歪みを実感しながら、ピノッキオは「人間とは何か」を学んでいきます。
あらためてこの100年以上前に作られた寓話が今の時代に響くのは、現在の社会がまさにこういう初歩的な正しささえも見失っているからでしょう。昨今で目につくのは「正しさを素直に認めない捻くれた心」ばかりですからね。正しさを冷笑する人たちさえもいる。嘘をつけば鼻が伸びるのだとした今頃きっと100kmくらいの長さの鼻になっているであろう人間が普通に政治の中枢にいたりする。そういう世の中です。
だからこそ私たちはこの『ほんとうのピノッキオ』の物語を襟を正して鑑賞したくなるもの。ピノッキオがあんなに過ちを犯しつつも最後は真っ直ぐに正しくあろうと道を選んだのだから、最初から人間としてこの世に生を受けた私たちもしっかりしないと。
映像の愛らしさが詰まっている
そんな社会風刺についても考えさせつつ、この『ほんとうのピノッキオ』、児童文学らしくギャグに関しては子どもっぽさを全開に振り切っているところもあって、そこは気が抜けます。
序盤でピノッキオに歩き方を教えるジェペットですが、それも無視していきなり全速力でダッシュするピノッキオとか。普通は命が吹き込まれる系の話はまず基本動作がおぼつかないということをやりがちですが(最近だと『アリータ バトル・エンジェル』とか)、この『ほんとうのピノッキオ』はそれをあえて跳ね飛ばすという潔さ。
カタツムリおばさんのヌルヌルでみんないちいち滑っていたり、早送り魔法で遊んだり、露骨なまでに子どもじみたことをわざとする感じもまた“マッテオ・ガローネ”監督らしい悪趣味でしょうか。
でもそのギャグに見える動作が意外にカタルシスに繋がる演出になっていたりもします。あれだけダッシュしまくっていたピノッキオがラストに人間の子になれた後、ジェペットに向かって駆け寄るところで何度も転ぶとか、そういう愛らしさ。挙動の愛嬌。これぞ絵本にはできない、映像作品ならではの見せ方です。
『ほんとうのピノッキオ』、堪能しまくってお腹いっぱいなのですけど、なんとこの原作の映像化は今後も別の形で待っています。ディズニーがアニメーション映画を実写化する予定ですし、あのギレルモ・デル・トロ監督がストップモーションアニメ化するという話もあります。もうしばらくはいろいろなピノッキオが観れそうですね。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 83% Audience 40%
IMDb
6.2 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)2019 ARCHIMEDE SRL – LE PACTE SASLE PACTE SAS
以上、『ほんとうのピノッキオ』の感想でした。
Pinocchio (2019) [Japanese Review] 『ほんとうのピノッキオ』考察・評価レビュー