体感できる極限の“どん底”…映画『暁に祈れ』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。
製作国:イギリス・フランス(2017年)
日本公開日:2018年12月8日
監督:ジャン=ステファーヌ・ソヴェール
暁に祈れ
あかつきにいのれ
『暁に祈れ』あらすじ
タイで自堕落な生活から麻薬中毒者となってしまったイギリス人ボクサーのビリー・ムーアは、タイでも悪名の高い刑務所に収監される。地獄のような刑務所で、ビリーは最悪を味わうが、ムエタイ・クラブとの出会いによって、ビリーの中にある何かが大きく変わっていく。
『暁に祈れ』感想(ネタバレなし)
刑務所映画はなぜ共感できるのか
朝起きて決められた時間に赴き、設定されたスケジュールに従って、指導する人からの言うことを聞き、教育を受けたり、作業をしたり、ときに季節的な行事も行いつつ、集団行動をする場所。
上記の文章は「刑務所」について説明するつもりで書いたものです。でも、なかには何も知らずに上記の文章を読んだ時、「学校」のことを言及している文だと思った人もいるのではないでしょうか。
そうです。刑務所と学校って似ていませんか? むしろ、違うところのほうが少ないような。どれだけ自由が認められるかの程度の差に思えます。もちろん実際に刑務所に服役していたり、そこで働いていたりする人に言わせれば、「全然違うよ」となるかもしれません。でも、私としてはその違いは、個々人がそこでどう生きるかも大きいと思うのです。「学校が嫌いだった」という人もいれば、「学校が好きだった」という人もいます。それはまさに学校が「収容されて処遇を受けるだけの刑務所的な場所」だったのか、はたまた「自分らしさを見つけられた場所」だったのかで分かれるのではないでしょうか。
なんでこんな話を言い出したのかと言うと、映画です。刑務所を描いた映画はたくさんあって、それらは普通(刑務所を体感していない大多数の人)であればどこかイレギュラーな場所を描いた作品のはずなのに、なぜか意外なくらい感情移入できることが多いこともあります。それはきっと、刑務所映画を学園青春映画のように変換できるからなのかな…そんな風に思ったのでした。
そう考えると、本作『暁に祈れ』はさらに面白くなると思います。
この映画は、ビリー・ムーアというイギリス人ボクサーが2014年に発表した自伝「A Prayer Before Dawn: My Nightmare in Thailand’s Prisons」を原作としており、つまり実話モノです。
主人公はワケあって、異国のタイで刑務所生活をおくることになります。そこは非常に劣悪な環境で、とにかく酷い目にあうのですが、そこで出会ったムエタイのチームに感化され、生きる希望を取り戻していくお話です。
つまり、刑務所映画を学園青春映画に変換するならば、本作は少年が異国の地の学校に転校してくるも、虐められて辛い日々を過ごしながら、ある部活に入ったことで人生を変えていく…そんな解釈もできます。超王道の部活モノ学園映画じゃないですか。
当然、「収容されて処遇を受けるだけの刑務所的な場所」から「自分らしさを見つけられた場所」に切り替わる瞬間という一番アツいシーンが用意されており、刑務所映画や格闘技映画にそれほど興味がなくても入りやすい作品です。
ただ、迂闊に本作に入り込むには注意が必要。なぜなら、本作の刑務所描写はかなりエグイです。なにせ監督が『ジョニー・マッド・ドッグ』でアフリカの内戦における少年兵たちを容赦なく描いた“ジャン=ステファーヌ・ソヴェール”です。『暁に祈れ』も相当なインパクトを観客に与えてきます。単に残酷というよりは本物感が凄まじいです。
結果、そのフレッシュさもあって、本作は刑務所映画や格闘技映画としては、破格の高評価で批評家から絶賛されており、作品の魅力にもなっています。
極限の“どん底”と、そこからの再起…圧倒される映画を観たい方はぜひどうぞ。
『暁に祈れ』感想(ネタバレあり)
マジの本物です
格闘技映画、とくにボクシング映画は人気で、『ロッキー』に代表されるように非常にエンタメとしてのわかりやすさもあって親しみを感じるのが簡単なジャンルでもあります。苦労して、負の感情をため込んで、それらを格闘技にぶつけて、最後は勝つ。この王道パターンは誰だってカタルシスを得られます。
しかし、『暁に祈れ』は、エンタメとしてわかりやすい「エモさ」がないんですね。その代わり、徹底した没入感を見せることに特化しています。
まず、ジャンルにありがちな主人公がどん底に落ちる展開が最初に用意されるのですが、主人公のビリー・ムーアはすでにボクサーとしての道を踏み外し、今ではタイという異国の地で、ドラッグに溺れながら、闇社会の格闘試合で自身を浪費するだけの人生をおくっています。ところが、この最底辺の状態にいるビリーがさらにその下の地獄に突き落とされるわけです。
その地獄である刑務所描写が、前述したとおり、エグイ。言葉にすると、汚職とか、腐敗とか、暴力とか、殺人とか、レイプとか、まあ、あっさり済むのです。バイオレンスな映画ではいっぱい見る光景です。けれども、本作の場合はその描写がとにかく生々しいのが本当に観ているだけで恐ろしい。
それもそのはず、映画に登場する受刑者は、本当にタイの刑務所にいた元囚人だとか。モブたちのあの存在感はマジだったんですね。しかも、モブだけじゃない。例えば、あのビリーが収監される極悪囚人部屋のリーダーとしてとてつもない異彩を放つゲンというキャラクター。明らかにこの世のものとは思えない顔面タトゥーで絶対にはリアルで会いたくないですけど、なんと彼を演じた俳優の“パンヤ・イムアンパイ”という方、8年間の強盗刑で服役したガチな人だそうです(タトゥーも服役中に入れたとか)。実在するのか!と戦慄しか感じないのですが、今ではSNSでスターになるほど人気だそうで…。
なんなんですかね。私の知らないところで、囚人のSNSグループでもあって、ブームにでもなっていたのですか…。
とにかく映画に出ている人たちがリアルすぎて、私はこの撮影現場に招待されても絶対に行きたくないと思ったのでした。
ちなみに所長役を演じた“ヴィタヤ・パンスリンガム”(この人は普通の俳優です;その説明もどうかと思うけど)。ニコラス・ウィンディング・レフン監督の『オンリー・ゴッド』の凶悪キャラのイメージが強いせいか、もっと暴れてほしかったですが、さすがにそうなってくるとジャンル変わっちゃいますからね…。
通じないけど通じ合える
『暁に祈れ』の没入感の際立たせる理由のひとつに「言葉が通じない」という要素があります。
ビリーも最初に刑務所に来た時は、わけもわからず、ただ周囲の見よう見まねで流れるように行動するしかできません。そのため、会話もほぼなく、ひたすら異常な世界に突き落とされた状態で、観客も一緒に困惑するだけという。まさに体感型の地獄。こうなってくると、字幕さえも、没入体験の邪魔に思えてきます。
重なるように横並びで寝て、水に群がる姿は、まるで野生動物。あなぐらのような狭い独居房で犬同然の扱いを受けたかといえば、囚人は性欲をむき出しにして弱者を襲い、使い捨てる。
ボクシング映画とかでは主人公が“どん底”に落ちるのは定番ですが、ここまでのものはそうそうないです。
しかし、「言葉が通じない」という要素が、主人公が負から正へと転換する道しるべにもなっていきます。そもそも主人公はすでにいろいろと失敗を重ねて失墜している状態。今さら言葉でどうにか救われるなんてことはありません。
そんなとき、ムエタイに出会うわけですが、それと同時に、仏教という異国の宗教に刺激を受けて、その精神を学んできます。このアジア的マインド思考を取り入れて主人公が強くなっていくというのは『ベスト・キッド』にもありますが、本作はさりげなく組み込む手際がいいですね。
邦題の「暁に祈れ」も素晴らしいですが、原題の「A Prayer Before Dawn」もぴったりのネーミングで、「Player」と「Down」がそれぞれ裏ワードとしてダブルミーニングになっているように、宗教と格闘技のミックスが見事です。
他にも、ビリーが出会うフェイムという「レディーボーイ(男性から女性に性転換した人を指す、タイ国で使われる俗語らしいです)」との、通じないけど通じ合える感じといい、「言葉じゃない、拳と心で感じろ」的なスタイルが、本作をベタなエモいスポコンに落ち着かせない面白さにつながっていると思いました。
未来の自分と出会う
そして、『暁に祈れ』は終盤がとくに気に入っています。
一般的なセオリーだと、勝負に勝って終わり、もしくは刑務所から脱して終わりにするもの。ところが本作はそうではありません。
試合はしますし、苦戦の末、勝利をもぎとり、喝采を浴びます。でも、しょせんは刑務所の中の話。チャンピオンになったわけでもなく、オフィシャルな栄光なんてゼロ。その勝利にキャリア上の意味はないです。
また、試合後に倒れたビリーはそのまま病院へ搬送され、そこでは比較的警備が薄いので、外に逃げることができましたが、脱獄はせずに、また刑務所に自ら戻ってきます。
要するに「収容されて処遇を受けるだけの刑務所的な場所」から「自分らしさを見つけられた場所」になったこの刑務所こそが、他者から見れば最低辺であってもこのビリーにとっては理想の地なんでしょう。自分の求めていた場所はこんな底の底にあったのか…やっと見つけられたビリーの心情。ここでそれまでビリーと一緒に没入感を感じていた観客の中にはフッと引き離された人もいるでしょう。私としてはこの終盤の選択はビリーだからこそのものだと思うので、そこで大衆の感情移入を引きはがすのもひとつの映画的手法としてアリだと思います。
極めつけは、最後のシーン。この場面は表面上はビリーの父が面会に来たという、実話に即した希望的エンディングですが、その父を演じるのがビリー・ムーア本人なので、メタ的に考えれば、更生した「未来の自分」を見たとも解釈できます。このオチは完全にビリーだけの世界ですからね。ここでも宗教的な要素を入れ込むのが捻ったオチで、結構好きです。
体感できる極限の“どん底”映画は、未来の自分との邂逅で卒業を迎えるんですね。
本作はビリー・ムーアの半生を描くのでも良かったはずです。彼は子どもの時から不良で、リバプールの公営住宅でアルコール依存症の父親から虐待され、ヘロインとコカインにまみれて16歳で犯罪に手を染め、17歳の時に初めて刑務所に入り、その後も、強盗や麻薬犯罪を繰り返したことで22か所の刑務所で人生の15年間を過ごしたという、なかなかに壮絶な人生をタイに来る前からおくっています。でも、あえてそこは描かず、タイのあの刑務所だけにフォーカスしたのは、“ジャン=ステファーヌ・ソヴェール”監督の自信とセンスのなせる技だったでしょう。
とりあえず、刑務所でも学校でもそれ以外でも辛い日々をおくっているなら、やりたいことを突き詰めればなんとかなる…そのビリー・ムーアのメッセージを受け取りました。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 92% Audience 77%
IMDb
6.9 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★
(C)2017 – Meridian Entertainment – Senorita Films SAS
以上、『暁に祈れ』の感想でした。
A Prayer Before Dawn (2017) [Japanese Review] 『暁に祈れ』考察・評価レビュー