材料になっているとも気づかずに…映画『大統領のケーキ』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:イラク・アメリカ・カタール(2025年)
日本公開日:2026年7月10日
監督:ハサン・ハーディ
児童虐待描写
だいとうりょうのけーき

『大統領のケーキ』物語 簡単紹介
『大統領のケーキ』感想(ネタバレなし)
そんな可愛い映画ではない
最近ものすっごく久しぶりにショートケーキを食べました。前に食べたのは10年以上昔じゃないかな…。まあ、でもケーキの上に乗っかってるイチゴは、丸ごとひとつではなく半分にスライスしたやつで、すごくコストカットを感じさせるケーキでしたけどね。ほぼクリームを食べていたようなものだった…。
ケーキを買おうと思えば、私の住んでいるすぐ近くにもケーキ専門の店があるのに、なぜ買わないのかと言えば、そもそも食べたいと思っていないのもありますが、私の中では「ケーキは祝いの場の品」というイメージが強いからなのでしょう。祝いには無縁の人生なのでね…。
今回紹介する映画はそんなケーキが物語の中心にある作品です。
それが本作『大統領のケーキ』。
ケーキが物語の中心にあると言っても、パティシエが主人公とかではなく、本作の主人公は平凡な9歳の小学生。そんな子どもがケーキを手作りするべく材料を町に買いに行くお話です。
それだけ聞くと、「あら、可愛らしい」という反応が返ってきそうですし、なんか日本の配給も宣伝で「実話から生まれた感動作」とか書いているのですが、別に『はじめてのおつかい』みたいな雰囲気の作品では微塵もありません。繰り返しますが、そういう感じは一切ないです。健気な子どもの頑張りに感動させるトーンはないと思うのですけども…。
まずこの『大統領のケーキ』はイラク映画で、イラクを舞台にしています。時代は1990年代で、サダム・フセインが大統領をしていた時期です。本作の主人公は、このサダム・フセイン大統領の誕生日記念の学校イベントで、「ケーキを作る係」の担当になり、だからケーキを作るために奔走するんですね。
「大統領のためにケーキを作る係」なんてものがイラクの学校にはあるのか!?とびっくりですけど、『大統領のケーキ』が長編映画監督デビュー作となった“ハサン・ハーディ”も学校でそういう経験をしたのだとか。
ただ、“ハサン・ハーディ”監督は「花を用意する係」だったらしく、「ケーキを作る係」は免れたそうです。貧しい家庭が多いゆえに、「ケーキを作る係」は負担が大きく、みんな内心ではやりたがらないのだとか。実際は教員に賄賂まで渡してその係に選ばれないように小細工する人もいるとのことで、なかなかに闇深いです。
ということで『大統領のケーキ』はそういうイラクの学校の日常で確かにみられた光景を基に、“ハサン・ハーディ”監督流の寓話的なテイストを交えています。ハッキリ言って、かなり痛烈な権力批判の要素が濃いです。子どもの目線からの政治社会風刺の映画ですね。
実際にイラクで撮影され、出演した人たちは主人公の子どもも含めて、ほぼ演技未経験の人たちを集めている挑戦的な一作ですが、長編映画監督デビューとは思えないクオリティの高さです。
エグゼクティブ・プロデューサーには、『ある女流作家の罪と罰』の“マリエル・ヘラー”や、『キラーズ・オブ・ザ・フラワー・ムーン』の“エリック・ロス”らが名を連ねています。
本作にて2025年のカンヌ国際映画祭で新人監督賞(カメラ・ドール)を受賞したので、これは“ハサン・ハーディ”監督はカンヌ常連になっていきそうです。
『大統領のケーキ』を観た後にケーキを食べたくなるかはわかりませんが(私はむしろ「ケーキなんて糞くらえ」という感情に至った)、子どもたちが普通にただ自分が食べたいからという理由でケーキを食べれるような社会になってほしいと願いたくはなります。
『大統領のケーキ』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
| 基本 | 児童誘拐未遂を描くシーンがあります。 |
| キッズ | 児童が危険に晒される場面もあるので、保護者のサポートが必要かもしれません。 |
『大統領のケーキ』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
1990年代のイラク。その南部にあるメソポタミア湿地にて、9歳のラミアは祖母(ビビ)と一緒に水の配給に並び、ポリタンクを手に帰宅します。家は小舟で進んだ先にあります。この地域では植物を編んで作った小さな家が水辺の近くに転々とあるのが普通です。遠くで炎上する他の家が見えます。
ラミアの家には他には雄鶏のヒンディがいるだけです。あとは祖母と2人暮らし。
鞄を背負って、小舟を自分で漕ぎ、ラミアはひとりで学校へ。空には戦闘機が轟音で飛び、大統領を讃える言葉を子どもたちは一斉に唱えます。
その日、ラミアは学校からサダム・フセイン大統領の誕生日を祝うケーキを焼く担当として選ばれました。教室で行ったくじ引きの結果でした。しかし、ラミアの家は貧しく、そもそもそんなケーキの材料を買うことすら厳しいです。
そうした事情を学校側に伝えても、先生は言われたとおりにケーキを焼かなければ罰が待っているだけだと突きつけます。通報されると学校の子どもみんなが困ることになります。ラミアは小さく縮こまりながら、どうしたものかと途方に暮れます。
困り果てて雄鶏に悩みをこぼしますが、状況は変わりません。ケーキを何としてでも用意しないといけません。
とりあえずラミアは祖母に事情を告げ、ケーキを作るのに必要な小麦粉、卵、砂糖、ベーキングパウダーといった材料を教えてもらい、買い物リストとして紙に整理。
父の形見の時計を持って、祖母と雄鶏と町へ向かうことにします。道中で親切なタクシーに人に助けてもらい、町に到着しました。ここは賑やかで、湿地とは全然違います。人が多く、市場の出店がたくさんです。
しかし、ラミアはケーキの材料を買うものだと思っていましたが、実は祖母には全く別の目的がありました。なぜかラミアの目の前には、見知らぬ女性が現れて、勝手に話が進んでいきます。どうやらラミアはこの人の養子にだされようとしているらしく…。

ここから『大統領のケーキ』のネタバレありの感想本文です。
ケーキは愛国主義の味がする
『大統領のケーキ』、まずこの映画の主役であるラミアの生活環境が目に入ってきますが、私たちが知っている「イラクの人々」の印象とはだいぶ違うと思います。
あそこはメソポタミア湿地で(北海道の面積の半分より少し少ないくらいの広さ)、昔からこの水辺に適応して生活する人々がおり、「湿原のアラブ人(マアダーン)」と呼ばれていました。
ここで重要なのは、サダム・フセイン大統領政権下ではこの湿地を開発利用したいがゆえに、湿原のアラブ人を排除しようと画策していた歴史です。1950年代にはあの湿地帯には推定50万人が暮らしていたそうですが、政治的迫害と環境悪化で約2万人にまで減少してしまいます。つまり、あの湿原のアラブ人にとってサダム・フセインは対立関係にあります。
にもかかわらず(だからこそ?)、学校では愛国主義教育が徹底されており、子どもたちはサダム・フセイン大統領を崇めるように日々教え込まれています。
そして、大統領の誕生日イベントのためにケーキを作るわけです。ちなみに日本人感覚だとケーキは西洋の印象ですが、中東でも昔からケーキはありました。
でも実際に大統領が食べるわけではないし、作るケーキもタワーケーキなわけもなく、巨大なホールケーキでもない。本当に小さいケーキです。イラクにはケーキをそのまま売っている店はないのか、たぶん少なくともラミアが行けるような場所にはそんな店はないのでしょうけど、ゼロから材料を集めてわざわざケーキを作るなんて、あまりに非効率的で面倒なだけです。ケーキなんてあってもなくても変わらないだろうと思うレベルです。
しかし、このケーキは要するに「忠誠心を試す」ための品なんですね。「国に、そのトップの権力者に、敬意を示せ」という圧力に他なりません。
それこそ日本だったら学校の行事で国歌を歌わせられるとか、そういうのと同じ。それをしなければ「お前は愛国心がないな?」と疑われ、どういうレッテルを貼られても文句も言えなくなる。ましてやそれが行事というかたちで集団行動として強制されると同調圧力が強く生じる。
『大統領のケーキ』を観ていて、舞台はイラクですけど、私は日本人として既視感がありましたよ。このラミアの気持ち、なんか味わったことがあるな、と。全部個人の努力に丸投げされて、失敗すると連帯責任になるあたりとか、日本の学校の風景とそう変わらないじゃないですか。
“ハサン・ハーディ”監督は何よりもこの「ケーキ」に着眼して、権力と庶民の関係(搾取と奉仕)を的確に寓話化するアイテムにしている、そのアイディアが秀逸でした。
品になり、非人間化されていく
『大統領のケーキ』はラミアはケーキの材料集めに町を奔走することがメインストーリーになっていますが、実際はケーキだけが「品」ではありません。
序盤からいきなりラミアは養子にだされそうになり、自分自身が「品」になっているというショッキングな事実に直面します。
そこからは逃げ出すラミアですが、以降はこの何が誰の「品」になっているかという、ある種の社会の理というものをあらゆるかたちで身をもって経験していくことになります。それは同時に、誰しもが権力の「品」となり、「材料」となって、搾取されているのだという現実を突きつけるものです。残念ながら多くの人はその事実を見て見ぬふりをするか考えないことにして、現実逃避してしまうのですが…。
最初は労働の対価に材料を譲ってもらう、もしくはこっそり盗むなど、その「品」を得るのに悪戦苦闘。ラミアよりもはるかに町慣れしているクラスメイトのサイードの手助けもあって、子どもだけでもなんとか材料集めを進めていく姿は、確かにこちらも無邪気な眼差しで応援したくもなります。
「品」のやりとりは経済の原理原則なわけですし、それ自体は私たちの普段から見ているものです。しかし、そこにあからさまな権力構造の不均衡を前提にしたものを目撃してしまうと、途端に背筋が凍るものがあって…。
そこでプロットして効果的に使われるのが「鶏」。ラミアの傍にいつも一緒にいる雄鶏のヒンディ。ラミアの前で吊るされてぶらんぶらんしているヒンディはなんだかユーモラスだし、やたらいいタイミングで鳴くし、いいアクションもする…本作の癒し枠なのかと思ったら、そうではありませんでした。
ヒンディは盗まれてしまうわけですが、ラミアが祈っている合間に…というあたりがまた暗示的ですね。ここのシーンの撮りかたも良くて、“ハサン・ハーディ”監督はこんなふうに随所にハっとするショットを挟み込んでくれます。撮影の“トゥードル・ブラディミール・パンドゥル”は『ヨーロッパ新世紀』でも撮影を手がけた人ですね。さすがです。
で、その雄鶏のヒンディは肉屋にいて、まさしく命の「品」です。この鶏をとおして、非人間化という最悪の結末が起きうることを示唆します。
続いてラミアが材料に誘われて連れて行かれそうになるのが、おそらくアダルトな作品を密かに観れる映画館。ここは直接的に明示されませんが、ラミアが性的な人身売買の「品」になりかけていることを匂わせます。
そこからラミアは警察へ連行され、そこで多くのモノ言わない逮捕されたであろう人間たちの中に混じることに。ここもまた非人間化の行きつく先です。公権力の手先である警官たちのあの困っている弱者への冷酷な態度は、非人間化の根源でもあります。もちろんその前にすれ違うあの熱狂的なサダム・フセインの支持者の存在感も合わせて…。
そして本作は最後にひとりの死を観客に突きつけることで、この「品」の物語は、一応の終わりを迎えます。誰の何の「品」になろうとも、いずれ最後はその地に還るという点でも、寓話的なオチとしてはじゅうぶんな後味です。ラストの空襲はさらなる追い打ちではあるのですが、これは1990年代のイラクのその後の未来の示唆でもあるのかな…。
当然、サダム・フセインだけを非難するような映画ではなく、アメリカも日本も、どこの国でもあるシステムの歪みを抉る鋭さを持っていたと思います。それをここまでテンポよく視覚的にも物語的にもエモーショナルな寓話として完成できる“ハサン・ハーディ”監督の渾身のケーキに胃袋を掴まされました。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
以上、『大統領のケーキ』の感想でした。
作品ポスター・画像 (C)2025 TPC FILM LLC. All Rights Reserved. ザ・プレジデンツ・ケーキ
The President’s Cake (2025) [Japanese Review] 『大統領のケーキ』考察・評価レビュー
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