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『コンクリート・カウボーイ 本当の僕は』感想(ネタバレ)…Netflix;黒人カウボーイの歴史を感じて

コンクリート・カウボーイ 本当の僕は

黒人カウボーイの歴史を今に受け継ぐ…Netflix映画『コンクリート・カウボーイ: 本当の僕は』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:Concrete Cowboy
製作国:アメリカ(2021年)
日本では劇場未公開:2021年にNetflixで配信
監督:リッキー・スタウブ

コンクリート・カウボーイ 本当の僕は

こんくりーとかうぼーい ほんとうのぼくは
コンクリート・カウボーイ 本当の僕は

『コンクリート・カウボーイ 本当の僕は』あらすじ

デトロイトの学校に通っていた15歳のコールは、素行不良のためについには退学処分を受けてしまい、さらには母もお手上げとなり、フィラデルフィアの父親のもとに送られることになった。コールは長らく疎遠だった父と一緒に暮らしたくなかったが、育ての親が匙を投げたことで行き場は他になかった。父は馬の世話をしており、やむを得ずコールも馬と一緒に過ごすことになる。そして、馬との交流が心を動かす。

『コンクリート・カウボーイ 本当の僕は』感想(ネタバレなし)

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黒人のカウボーイは実在します

2016年の映画『マグニフィセント・セブン』は1960年の西部劇『荒野の七人』をリメイクしたものでしたが、7人の男たちが登場して活躍するのは共通です。しかし、そのうちひとりがデンゼル・ワシントン演じるカウボーイ風の執行官で、こちらの新たな映画は人種構成が多様になっているのが特徴でした。

そんな映画のアレンジに対して「黒人のカウボーイなんて現実的におかしい!」と異議を唱える声もチラホラありました。いつもの「ポリコレのせいで改変された」という主張です。

しかし、それは間違っています。なんとなく「カウボーイ=白人」というイメージですが、それは映画などのフィクションが作り上げた偶像にすぎず、実際は黒人のカウボーイも歴史的に昔から存在していました。なんでも約4人に1人のカウボーイが黒人だったそうで、白人の牧場主が南北戦争で出征した際にアフリカ系の奴隷たちは牧場運営に必要なスキルを身につけ、結果、カウボーイとなっていったようです。働くのであればカウボーイになるのは必然だったのでしょう。

なので黒人のカウボーイに違和感を持つことの方がおかしいのです。黒人のカウボーイは昔から今まで脈々と歴史を受け継いでいるのですから。

そんな黒人のカウボーイの歴史に焦点をあてて、当事者の「今」を教えてくれる映画が登場しました。それが本作『コンクリート・カウボーイ 本当の僕は』です。

本作は、賞にも輝いているくらいに評価が高いグレッグ・ネリーという作家が2011年に上梓した小説「Ghetto Cowboy」を原作としています。題材になっているのはまさに黒人のカウボーイたち。とある不良の少年が、カウボーイである父に預けられることになり、そのコミュニティと生き方の誇りを知っていく…というお話。

『コンクリート・カウボーイ 本当の僕は』を観れば、「黒人のカウボーイなんて現実的におかしい!」とは二度と口にできないでしょうし、ちゃんと伝統があるということがよくわかります。

その大切なアフリカ系アメリカ人の文化を伝えてくれる本作を彩る俳優陣。

まず主演はベテラン俳優である“イドリス・エルバ”です。『ダークタワー』だったり、『ザ・マウンテン 決死のサバイバル21日間』だったり、『ワイルド・スピード スーパーコンボ』だったり、『キャッツ』だったり、最近は何かと賑やかで刺激の多い作品によく出ていますが、今回は静かな世界に佇んでいます。私はこういう穏やかな“イドリス・エルバ”も好きですよ。

共演は、大人気ドラマシリーズ『ストレンジャー・シングス 未知の世界』でも活躍した“ケイレブ・マクラフリン”で、今回で映画主演デビュー。

他には“ロレイン・トゥーサント”、ラッパーの“メソッド・マン”など。

監督は“リッキー・スタウブ”という人で、今作で長編監督デビューとなるそうです。なかなかに丁寧な作品を生み出してくれているので、今後もいろいろ楽しみになってくる才能でしょうか。

製作は主演の“イドリス・エルバ”のほかに、『プレシャス』(2009年)で高い評価を受けた“リー・ダニエルズ”の名前もあります。確かにその社会の片隅でひっそりとたくましく暮らす人々に焦点をあてる感じが『プレシャス』に通じるものがありますね。

ぜひ本作を機に黒人のカウボーイの歴史に触れてみてください。馬と人との交流モノが好きな方も楽しめると思います。

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『コンクリート・カウボーイ 本当の僕は』を観る前のQ&A

Q:『コンクリート・カウボーイ 本当の僕は』はいつどこで配信されていますか?
A:Netflixでオリジナル映画として2021年4月2日から配信中です。

オススメ度のチェック

ひとり 4.0:時間があるときにぜひ
友人 3.5:興味ある者同士で
恋人 3.5:恋愛要素は薄め
キッズ 3.5:馬が好きなら
↓ここからネタバレが含まれます↓

『コンクリート・カウボーイ 本当の僕は』感想(ネタバレあり)

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あらすじ(前半):馬と父との共同生活

コールはデトロイトの学校でまたも喧嘩騒ぎを引き起こし、ついに退学を薦められてしまいました。学校側ももう手に負えないという判断をしたようです。

そんな報告を留守電から知った母のアマーレは急いで学校にかけつけます。学校を追い出されたコールは口数少なく状況に流されるだけ。ただ、「何もしていない、悪くない」と自己弁護の言葉がこぼれています。

黙って車を運転する母はその息子に対して、優しい抱擁を見せるでもなく、温かく受け入れるわけでもなく、ただ車の運転に集中しています。

「どこへいくの?」とコールが尋ねると「父のところに行って」と一言。

すぐさまコールは口汚く拒否反応を見せます。父とはすっかり疎遠であり、コールも父に何一つ良い印象を持っていませんでした。いきなりそんな人間のもとに預けられるのは勘弁してほしいと声をあげます。

しかし、母も不満をまくしたてます。「できることはすべてやった」と。母もまた限界のようででした。仕事に専念したいのに子どもの世話まですべてを任せられ、居ても立っても居られない状態です。

夜。父のいるはずのフィラデルフィアのアパートに家に到着。けれども今はいないようです。母はコールをその場に置いていき、車で立ち去りました。コールの悲痛な訴えも虚しく…。

立ち尽くすコール。近所の女性に話しかけられます。「大きくなったね、ハープの息子だね」

どうやら自分を知っているようです。そして父は馬小屋にいるらしいとのこと。

近くまで行ってみるとカウボーイハットの男たちが外でたむろしています。父は自分に気づき、仲間と別れ、コールを家に招きます。

入ると驚きの光景が。中には1頭の馬がいるのです。家なのに。

泊る気はないコール。でも今はここにいるしかありません。朝には帰るつもりだと宣言し、父との会話もほぼなく、父は別の部屋へ。コールは馬にビビりつつ、部屋を物色。散らかっていて、普段の生活を気にしている感じはありません。

翌朝、コールは街行く人に電話を貸してほしいと声をかけますが、無駄でした。そんなとき、ある男が語りかけてきます。それはスムーシという幼い子ども時代の知り合い。「最後に会ったのは10年前か?」

スムーシの車の中で昔話に夢中になる2人。「母親に置き去りにされたってな」とスムーシは同情し、とりあえず2人ではしゃぐことに。一晩中、走り回り、「俺と姉の家に来いよ」と誘ってくれます。

とりあえずまた父の家に到着。しかし、「ヤツといるなら家に入るな」と父は荷物を投げつけてきました。

居場所を失い、夜道をふらふらと歩いているわけにもいかないので、スムーシの姉のエレナのもとへ。しかし、断られます。完全に路頭に迷い、困窮することになったコール。

やむを得ず馬小屋に強引に侵入。驚く馬をなだめつつ、顔を近づける馬に手で触れます。見つめ合うような時間。そこで一晩を過ごしました。

朝、のそっと目覚めるコール。自分と一夜を過ごしたその馬は「ブー」という名だそうで、ベテランも手懐けることができない気性の粗さなのだとか。普通だったら蹴られて大怪我していてもおかしくないほどに。でも自分といたときは静かでした。

もう一度、父のアパートへ足を運ぶコール。覚悟を決めよう。「スムーシと手を切って馬にでも何でも乗るよ」…こうしてコールは馬と父との生活が始まることに…。

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街中にカウボーイ?

『コンクリート・カウボーイ 本当の僕は』をまず観て思うのは、知らない人からすれば真っ先に感じると思うのですけど、「こんな街中にカウボーイ? 馬がいるの?」ってことだと思います。

実際、アメリカのカウボーイと言えば田舎を想像します。平地が広がる自然豊かな場所で、馬と雄大に暮らしているような…そんな風景がすぐに頭に浮かびます。『ザ・ライダー』とかはまさにそういう舞台を描く映画でした。

それは『コンクリート・カウボーイ 本当の僕は』の主人公であるコールも同じことを思っていたらしく、馬と共同で生きる人たちがこんなにも街にいることに驚いていました。まあ、家の中にまで馬がいるとなればギョッとするのも当然です。あのシーンからはハープは相当な馬溺愛者であり、自分の居住スペースすらも馬に明け渡すほどだと推察できます。

とにかく、街中にも馬はいるのです。なぜか。それは馬が欠かせない交通手段だったからです。自家用車が普及していなかった時代。馬車が交通の要。馬は大切な存在です。当然、その馬を育てる人間が必要であり、カウボーイたちは馬とともに街に住み着いていました。

この「アーバン・カウボーイ」は最近だと「Disney+」配信の『ブラック・ビューティー』などの映画でも描かれていました。

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アフリカ系カウボーイの屈辱

そしてもうひとつの『コンクリート・カウボーイ 本当の僕は』の要素が再三言っているように黒人のカウボーイの歴史です。

本作の舞台であるフィラデルフィアには、1914年から1950年までアメリカ南部の田舎からの、いわゆる「アフリカ系アメリカ人の大移動」によって、黒人の人口が急増した歴史があります。奴隷解放だけにあらず、とにかく自由と職と住処を求めて新天地にやってきた黒人たち。当然、そうなってくると軋轢も発生します。1919年には白人の一部が移り住んできた黒人への敵意を露わにし、暴動へと発展したこともありました。

こうした歴史は作中では明確に語られません。それでもあのフレッチャー通りのアフリカ系カウボーイたちはその歴史の上に立っており、当人もそのことをよく自覚しています。

それと同時に彼ら彼女らが焚火を囲んで口にするように、カウボーイという存在自体が白人に奪われたことへの屈辱も感じているわけです。ホワイトウォッシュだと言っていましたが、それはまさに事実。若いコールは名前すら知りませんでしたが、あの「ローン・レンジャー」なんてカウボーイ・キャラクターをフィクションのパワーによって白人像に塗り替えるのに大きく貢献した存在でした(あの作品自体がすごく差別的なのですが)。

ハリウッドに抹消されたと愚痴るしかできないのが悲しいところです。

でもそれを“イドリス・エルバ”のいる場所で語るっていうのもまた攻めた皮肉ですけどね。

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消される文化と生活

この歴史を下敷きにしつつ、『コンクリート・カウボーイ 本当の僕は』はアフリカ系アメリカ人のカウボーイの「今」を映します。

ひとつは「ジェントリフィケーション」『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』でもテーマになっていた、あれです。そこに長らくアフリカ系の文化が根付いた街並みがあったのに、都市開発によって追い出されていく、文化もろとも消えてしまう現象。

フレッチャー通りのアフリカ系カウボーイたちも同様の事態に直面しています。馬小屋ですから臭いなどの苦情は当然のようにあって自治体も動き出します。動物管理局によって馬をとられ、住み慣れた生活すらも奪われ、途方に暮れるハープたち。

これに加えて、他の多くの映画でも題材になっているように、アフリカ系アメリカ人を取り巻くドラッグと暴力の影が本作でもこびりつきます。

車椅子のパリスはその陰惨な代償を感じさせる存在であり、そちらに傾きそうになっているコールへの警鐘の役割を果たしています。しかし、コールは明らかにアンダーグラウンドな世界に手を出しているスムーシとの付き合いをやめられずに、最終的には…。馬とのほのぼの交流モノだと思っていたら当然の銃声にドキッとさせられますね。

これら2つの現実はただでさえ歴史的に蹂躙されてきたアフリカ系カウボーイたちをさらに追い込むことに。

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馬で人間関係を修復する

そんな中でコールは馬の「ブー」との交流で自分の落ち着きを取り戻します。この不安定な若者が馬によって平穏を得るというのはベタな構図です。

ただ、本作はその撮り方が自然で過度に感動を煽るものではないのが良かったです。最初に暗がりで馬と見つめ合うというシーンも味わいがありました。クレイジーな馬と少年。心を通わせる瞬間です。

“ケイレブ・マクラフリン”の素朴な演技も光っていました。出世作『ストレンジャー・シングス 未知の世界』はちょっと賑やかすぎる作品でしたからね。こうやって落ち着いた演技を見せてくれると、俳優としての魅力もまた違って見えてきますね。

“イドリス・エルバ”については言うことなしです。

本作は基本的に父子の物語なので、母親の存在は大部分で後ろに隠れています。むしろ今回は母親にフェードアウトしてもらう点で意味があるのかもしれません。何かと子育ての責任を背負わされる母というプレッシャーからの解放なのですから。やっぱり日本でもそうなのですが、母は役割を担いすぎな面が強いですから、こうやってストーリーから降りることの方がときには大事なのかもしれません。母を責めないという部分もしっかり押さえているあたりは安心。

ちょっと“イドリス・エルバ”演じる父が達観しすぎな感じもあるのはやや本作の欠点かもしれないですけど。さすがに“イドリス・エルバ”なのでカリスマ性が出ちゃっていますよね。

ラストではまたも再訪してきた母に馬を紹介するコールが映っていました。あれで家族は仲直りというわけではないと思いますけど、馬を繋ぎ目として関係性を再構築していくというのは、現実的にも全然ありなことだと思いますし。アニマルセラピー的な領域でもあります。

家族の問題は家族当事者で、人種の問題は人種当事者で、そうやって解決できればいいのですが、現実はそう上手くいかないもの。かといって行政も頼りない。そういうときは私たちは昔ながらの動物との共生に立ち返るのもいいのではないでしょうか。

『コンクリート・カウボーイ 本当の僕は』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 79% Audience 80%
IMDb
5.4 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
7.0
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関連作品紹介

イドリス・エルバが出演している映画の感想記事の一覧です。

・『ダークタワー』

・『ワイルド・スピード スーパーコンボ』

作品ポスター・画像 (C)Netflix

以上、『コンクリート・カウボーイ 本当の僕は』の感想でした。

Concrete Cowboy (2021) [Japanese Review] 『コンクリート・カウボーイ 本当の僕は』考察・評価レビュー