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ドラマ『アンオーソドックス』感想(ネタバレ)…新たな離散ユダヤ人の未来を描く傑作

アンオーソドックス

新たな離散ユダヤ人の未来を描く傑作…ドラマシリーズ『アンオーソドックス』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Unorthodox
製作国:アメリカ・ドイツ(2020年)
シーズン1:2020年にNetflixで配信
監督:マリア・シュラーダー
性描写

アンオーソドックス

あんおーそどっくす
アンオーソドックス

『アンオーソドックス』あらすじ

厳格なユダヤ教超正統派の世界でずっと暮らしていた女性エスティは、ニューヨークで見合い結婚した夫から逃れるように脱出し、ベルリンに移住する。そこは全くの知らない世界。新しい生活を始めたエスティだったが、彼女を追いかける存在が迫ってくる。エスティは子どもの頃は音楽に興味があり、ベルリンでも演奏家たちと親しくなるが…。

『アンオーソドックス』感想(ネタバレなし)

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第2のナタリー・ポートマン?

世界各地で猛威を振るう新型コロナウイルスのパンデミック。これを「人間に対する神への天罰だ」と考える信仰者もいるらしいですが、残念なことに熱心に宗教を信仰して規律を守る人ほど感染のリスクは増してしまっている実情もあるようです。皮肉なものですが…。

例えば、ユダヤ教の中でもとくに厳格な規律を遵守することで有名な「超正統派」と呼ばれるコミュニティでは、感染症の拡大が深刻化しています。なぜなら宗教規律を頑なに守ろうとするあまり、人が密集する礼拝を強行してしまったりして、感染防止策を水の泡にしているからです。宗教の決まりは守れるほどの統率性があるんだから、感染防止ルールも同じく守ればいいのに…と思うわけですけど、当事者はそうはいかないようで…。

そんなユダヤ教の「超正統派」という、外部からはその内側の様子がほとんど見えない極めて閉鎖的なコミュニティ。別に批判したいわけでもないですが、そこではどんな実態があるのか、それを知りたいと思うのも当然の需要でしょう。その不可視な世界を覗かせる映像作品もどんどん登場しており、理解するためのひとつの材料になってきています。

最近であれば、超正統派の地元から逃げだして引き裂かれたレズビアンカップルを描いた『ロニートとエスティ 彼女たちの選択』(2017年)という映画がありました。こちらを見ると、そのコミュニティの絶望的なまでの息苦しさがグサグサと突き刺さってきます。

そして今回紹介するドラマシリーズはさらに超正統派の生々しい素性を暴露する一作として衝撃を与えてくれます。それが本作『アンオーソドックス』です。

ドラマシリーズと言いましたが、4話(1話あたり約50分ほど)しかなく、リミテッドシリーズ(ミニシリーズ)と呼ばれるような短さなので、事実上は長めの一本の映画くらいに思っていいかもしれません。

物語はあるひとりのニューヨークで暮らす若い女性が主人公として軸になって進行します。彼女は超正統派のコミュニティに属していましたが、ある日、まるで亡命でもするように国外に逃げだします。そんな逃避行を描きつつ、そのコミュニティ内でどんな人生を送っていたのか、それが鮮烈に描かれます。

とにかくショッキングな内容であり、もし超正統派なんて存在をこれまで1ミリも知らない人が本作を観たら衝撃で言葉を失うでしょう。でもこれはフィクションではなく、実際にある宗教の実態です。

実はこの『アンオーソドックス』は、デボラ・フェルドマンが2012年に執筆した自叙伝「Unorthodox: The Scandalous Rejection of My Hasidic Roots」が基になっています。ということで大まかにはこの原作者デボラ・フェルドマンの半生をベースに映像化されているので、相当にリアルな作りです。ちなみにタイトルは超正統派を英語で「ultra-Orthodox Judaism」と呼ぶことに由来しています。

『アンオーソドックス』はNetflixで2020年3月に配信されたのですが、その評価は非常に高く、エミー賞のリミテッドシリーズ部門の作品賞・主演女優賞・脚本賞・監督賞にノミネートされるなど、絶賛が相次いでいます。

そんな称賛を浴びた主演を務めたのが“シラ・ハース”という女優。まだ25歳のイスラエル出身の若手なのですが、私は恥ずかしながら全然知らなかったのですけど、なかなかにキャリア初期から注目されていた逸材だったようです。もともと演劇業界で実力をつけていき、2014年に『Princess』という映画で批評家から大きな話題を集めます。そして2015年にはナタリー・ポートマンの監督デビュー作『A Tale of Love and Darkness』でハリウッドに進出。そうしてイスラエル映画界の天才女優が満を持してクリティカルヒットを叩きだしたのがこの『アンオーソドックス』…ということに。

間違いなく“シラ・ハース”は今後も大注目の若手になるでしょうし、「第2のナタリー・ポートマン」みたいに騒がれていくでしょうね(二人ともイスラエル出身)。

監督はドイツ映画界ではすでに著名な“マリア・シュラーダー”

なので映画&ドラマファンはぜひともこの『アンオーソドックス』、見て損はない一作です!と太鼓判を押せます。まあ、かなり閉塞感のある作品ではあるので精神的に削られるものはありますが…(でもちょっとユーモアもあります)。

宗教を知るという意味でもとても興味深い一作です。

オススメ度のチェック

ひとり ◎(観て損はない注目の話題作)
友人 ◯(友達と自由に過ごせるって…)
恋人 ◯(自由恋愛の大切さを学べる)
キッズ △(大人のドラマです)
↓ここからネタバレが含まれます↓

『アンオーソドックス』感想(ネタバレあり)

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ユダヤの世界からの脱出

窓を見つめるひとりの若い女性。彼女はなにやら意を決したように準備しだします。少ない荷物を包み、部屋の外へ。建物の入り口玄関まで進むと、なんだか人だかりができていました。「外出できないわよ、結界(エルブ)のワイヤが強風で切れたのよ」「安息日だから修理は明日」と言われてしまいます。

ちなみにこの「結界(エルブ)」というのはただの電線みたいなワイヤーですが、ユダヤ教にとってとても大事なもの。ユダヤ教には「安息日」という、この日だけは外出してはいけないという掟があります。といっても完全に外出不能だと生活に支障がでます。なのでこの掟に背かずに活動できる領域をこのエルブで示しているのだそうです。場合によっては何キロにもわたってこのエルブが張り巡らされる場所もあるとか。傍から見るとずいぶんとお粗末な境界線ですが、ユダヤ教ではこのエルブが絶対ルール。

とりあえず作品に話を戻すと、外に出ようとした女性はしょうがないのでやむを得ず部屋に戻り、手に持つモノを置いて再度また外へ。道を歩いていると「エスティ」と呼び掛けられますが、「いい安息日を」と言ってさっさと通り過ぎます。駆け足になるエスティ。

彼女はある建物へ向かい、そこで女性から航空券パスポートをもらい、車に乗車。顔を手で隠しながら、まるで誰にも見つからないように。そしてエスティはここニューヨークを離れて、飛行機でドイツのベルリンへと飛んだのでした。たいして荷物もなく、単身で…。

一方でエスティの夫ヤンキーは家に帰ってくると妻がいないことに気づきます。ヤンキーはすぐに家族会議の中で妻の行方不明の件を説明。「きっと捨てたんだ、僕を」と自信喪失するヤンキーに対して、彼の母は怒って「あの子は、結婚して1年、ダメだと思った」と非難します。結局、危険な前例になりうるので、連れ帰るべしと命令され、ヤンキーはいとこのモイシェとともに妻を探すことに。

ベルリンに到着したエスティはある建物の前につきますが、どうやら留守のようで引き返すことに。実はエスティの実の母リアはベルリンに住んでおり、事実上、家を追い出されていたのでした。昔、自分が結婚する前、母はエスティにドイツ国籍を取得する書類を渡し、「逃げたくなったら」と言っていました。そんな母にあの時、「大きなお世話よ」と突き放したエスティ。会いづらいです。

ベンチに座って異国の地で途方に暮れるエスティ。そのとき、母を見かけ、思わず駆け寄ろうとしますが、その母が別の女性とキスしているのを見てギョッとしてしまい、踵を返して立ち去ります。

エスティがスタバみたいなコーヒー店でメニューの頼み方もわからずオドオドしていると、ある男性が助けてくれて、その男のコーヒー運びを手伝うことに。着いたのは音楽院。演奏家や歌手の卵たちでいっぱいの場所であり、エスティは席にこそっと座って演奏練習を聴き、感動で涙します。

そして仲良くなった音楽院の若者たちと一緒に湖に行くことに。観光客でにぎわう湖。「泳いだら?」と言われ、おもむろに靴を脱ぎ、エスティは水へ。そしてかつらをとると、それを捨てるように水に浮かべ、全身を浸かり、水面に身を委ねます。プカプカと…。

そんなエスティを知ることもなく、ヤンキーとモイシェはエスティがドイツに行ったことを把握。信じられないとコミュニティは驚愕する中、状況を収束させるべく二人もドイツへと飛び立ちます。厳しい超正統派のコミュニティのしきたりがある以上、手段は選べません。

何もかも初めてな世界でエスティは第2の人生が見つかるのか…。

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生殖のために生かされる女性

『アンオーソドックス』、まず何よりもギョッとさせられるのは超正統派のコミュニティにおける厳格な戒律に基づいた日常生活の実態。超正統派はとにかく排他的で、信者の基本的人権すらも容赦なく制限されます。図書館もインターネットも禁止なので得られる情報は限定され、事実上の検閲状態です。

忘れそうになりますが、本作でエスティが暮らしていた場所はアメリカ・ニューヨークのど真ん中、ウィリアムズバーグであり、都会も都会。多様性の世界のはずです。にもかかわらずあの時代錯誤も甚だしい閉鎖的ライフスタイルを構築できるとは…。まるでジャングルの奥深くで潜んで生きてきた原住民のように、超正統派の中で生きる人たち、特にその中でも弱者である女性や若者はものを知らないです。

それが象徴的にアイテムとして示されるのが、ベルリンにろくな荷物もなく単身で逃げてきたエスティが大事そうに取り出す「コンパス」。これさえあればとりあえず道には迷わないと思ったのでしょうか…。

そして本編の半分を占める回想シーンで描かれる中でも、一番に強烈なのが「子作り」に関わるシーンですね。まだ10代のエスティは結婚を控えて年上の女性から夫との“夜の営み”について教わります。まあ、要するに性教育なのですが、その内容は教育とは呼べないほど雑で情報不足なもの。妻になる方法を学ぶと称して、まずはセックスの方法を概説。女性には穴は2つあると言われ、「え、ないでしょ?」と半信半疑のまま、トイレで確認してきてと指示され、マジか!みたいな顔で衝撃を受けるエスティ。

これほどまでに性知識が疎い状態でスタートするのですが、超正統派の世界では自由恋愛もなければ、自由セックスもない。ほぼ大袈裟抜きで「繁殖行為」と表現していい性行為が戒律で決められています。夫と寝られるタイミングは1か月のうち半月もなく、必ず妊娠するように重圧がかかります。避妊という選択肢はそもそもありません。「男はいつでもベッドの上では王だと思わせてあげて」「夫の体を満足させれば欲しいものが手に入る」…これらのアドバイスから伝わるのは、超正統派の女性たちの位置づけは(本人がどう思おうとも)繁殖要員。ほんと、あの『マッドマックス 怒りのデスロード』と全く同じですよ。

生殖は「トーラー」(ユダヤ教の教え)に書かれた義務とされ、それでもなんだかおかしくないかと内心は不満を溜め込み、エスティは夫ヤンキーにある日、怒りをぶちまけます。それでもヤケクソで横になる姿は痛々しいです。

髪を剃られる場面は女性の尊厳すらも刈り取られるようで、建前上の嬉しさと本心の悔しさが入り混じった表情とともに“シラ・ハース”の演技力も合わさって本当にキツイ…。

その女性に与えられた繁殖という使命に対して、ホロコーストで犠牲になった民族を再び繁栄させるためなんだ!と主張されていくのがなんともただただ悲しい…。

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男性の方がメイクは大変

『アンオーソドックス』は超正統派(ハシディック)のコミュニティの姿をとてもディテールにこだわって再現された一作であり、それは映像作品の中でも突出したクオリティになっているそうで、これだけでも相当な価値があります。

本作の製作舞台裏を映した『アンオーソドックス 制作の舞台裏』を見るとわかりますが、コミュニティを知る人の指導で考証が精査され、現地調査もしつつ、撮影はベルリンでセットで行われたんですね(まあ、あんな厳しい超正統派が本場で撮影を許すわけないですからね…)。

衣装も細かいです。女性よりも男性の方がメイクに時間がかかると言われていましたが、これはもう超正統派ならではですね。男性独自の服装がかなり多く、基本は「キッパ」と呼ばれる帽子をかぶり、「シュトライメル(shtreimel)」というモコっとした毛皮の帽子を既婚男性のみが頭に乗せます。この撮影では毛皮は高価なのでファイクファーで作ったと解説されていましたね。そして「タッリート」という礼拝時に男性が着用する布製の肩掛けもあったり。さらに印象的なのが男性はずっと伸ばし続けないといけない“もみあげ”(撮影では“つけ”もみあげだったようです)。

観ていて暑そうだなと思ったのですけど、実際に撮影現場でも暑そうにしていました。

また、作中で主に使用された言語として「イディシュ語(イディッシュ語)」がここまで駆使されたのも異例だったようです。これは中欧・東欧のユダヤ人が使っていた言葉です。

『アンオーソドックス』と同じような舞台で、実際の超正統派のコミュニティに迫ったドキュメンタリー『ワン・オブ・アス』も合わせて鑑賞してみると、さらにリアルに知れるのでオススメです。

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新たな離散ユダヤ人の未来

『アンオーソドックス』は第1話冒頭でエスティがコミュニティから逃げだす緊迫のサスペンスから幕を開けます。ほぼ亡命のようなものです。そしてこれは考えようによってはとても皮肉な構図。

なぜなら本来あのニューヨークのエスティが所属するサトマール派のコミュニティは、ドイツ・ナチスのホロコーストによる迫害から逃げてきた人たちなのですから。しかし、今度は逆にエスティがこのコミュニティから逃げだすためにドイツへ向かう。この逆転現象。

でもこういう「新たな離散ユダヤ人」というのは特異な話ではなく、今まさに起こっていることだそうで、若者たちがユダヤコミュニティから続々と脱出しているのだとか。つまり、今の時代はまた新しい彷徨えるユダヤ人が各地で出現しているんですね。

若きユダヤ人を迫害するのは古きユダヤ人…というのも切ない現実ですが…。

第1話の終盤でエスティは湖に友人たちと行き、そこで水に浸かります。「シーテル(sheitel)」という超正統派の女性がつけるかつらを脱ぎ去り、完全に自由になります。このシーンは、正式にユダヤ教になるために行う(女性は月経が終わった後にもしないといけないらしい)「ミクヴェ(ミクワー)」の儀式と対になるような演出で本作を象徴するものです。

ではこれでハッピーエンドかというとそうもいかない。エスティは新天地ドイツでどう暮らすのか壁にぶちあたります。ほぼ難民みたいなものだけど、難民扱いされない(ニューヨークから来た人を普通は難民とは思わない)ゆえの孤立。ネット検索さえできないほど、テクノロジーからも完全に置いていかれている。確かにそこには多様な若者たちが迎えてくれるけど、境遇が違い過ぎるためにすれ違うこともある。

おそらくあのモイシェはコミュニティから逃げだすことに失敗した過去があり、だからこそあんな態度をとるんでしょうね。

それに対してヤンキーの立ち位置というのが本作の鍵を握るものになっています。ヤンキーは明らかにあの超正統派の世界では“男らしくない男”として下に見られています。あの世界ではもっと家父長的に女をコントロールできる男が“優れている”とみなされるのでしょう。でもそのヤンキーの性質は一歩外の世界に出れば、むしろ良いものと評価される一面でもあって…。エスティの気持ちを考えてあげたいと考えるヤンキーが最後にとった行動…自分のもみあげを切る…というのは、他人以上によそよそしい夫婦関係だった二人がまさに互いの平等を示す勇気ある変化を遂げる瞬間。あそこに本当に一筋の希望が見えてホッとします。

そんな中で、本作はユダヤの文化をおぞましいとか過激だとかで一刀両断にせず、最後は素晴らしい文化のパワーを見せる。あの熱唱にこそユダヤ人の誇りが詰まっている。強引な生殖とかではなくて、あの歌こそが本当のユダヤ人が継承すべきものでもある。

『アンオーソドックス』はユダヤの光と闇を両方とも描きだす見事なバランスで作られた一作であり、ユダヤ作品の歴史に残るものになったのではないでしょうか。

『アンオーソドックス』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 95% Audience 81%
IMDb
8.0 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 8/10 ★★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)Studio Airlift, Netflix

以上、『アンオーソドックス』の感想でした。

Unorthodox (2020) [Japanese Review] 『アンオーソドックス』考察・評価レビュー