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『ヨーロッパ新世紀(R.M.N.)』感想(ネタバレ)…最後に何を見たのか

ヨーロッパ新世紀

そして何を意味するのか…映画『ヨーロッパ新世紀』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:R.M.N.
製作国:ルーマニア・フランス・ベルギー(2022年)
日本公開日:2023年10月14日
監督:クリスティアン・ムンジウ
動物虐待描写(家畜屠殺) 自死・自傷描写 人種差別描写 性描写

ヨーロッパ新世紀

よーろっぱしんせいき
ヨーロッパ新世紀

『ヨーロッパ新世紀』あらすじ

出稼ぎ先のドイツでいざこざを起こし、ルーマニアのトランシルヴァニア地方の小さな村に帰って来たマティアス。しかし、妻との関係は冷えきっており、森で起きた事件をきっかけに口がきけなくなった息子や衰弱した父との関係も上手くいかない。そんな中、元恋人シーラが責任者を務める地元の工場がスリランカからの外国人労働者を雇ったことをきっかけに、よそ者を異端視する村人との間に不穏な空気が流れ始める。
この記事は「シネマンドレイク」執筆による『ヨーロッパ新世紀』の感想です。

『ヨーロッパ新世紀』感想(ネタバレなし)

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ゼノフォビア in ルーマニアの村

2023年10月、神奈川県の川崎市で在日コリアン3世の女性が、ブログ投稿で苦痛を受けたとして、筆者の男性に損害賠償を求めた訴訟の判決で、横浜地裁川崎支部はヘイトスピーチ解消法に反する差別的投稿だと認定し、男性に194万円の賠償を命じました読売新聞。このブログには女性を名指しして「日本国に仇なす敵国人め。さっさと祖国へ帰れ」と書き込まれており、「帰れ」という排除の言葉の違法性が問われていましたが東京新聞、それが認められたかたちです。

外国人排斥…いわゆる「ゼノフォビア」は世界中で問題視されていますが、利害関係者は違えど、その構造はどこでも通じるものがあります。他所からやってくる者に対する過剰なまでの恐怖心です。人は自分の居心地がいい場所を定めるとそこに帰属性を感じ、その中に自分の知らない他者が入り込もうとすると恐怖を感じます。

でも恐怖を感じていると素直に表明はしません。それは己の弱さを示すことになってしまうからです。だから相手を“怪物”化し、自身の排斥の主張を正当化します。追い出す口実として…。

映画もゼノフォビアを題材にすることはよくあります。

日本でもちょうど2023年に『福田村事件』という映画が公開され、関東大震災直後の混乱の中で日本の小さな村で村人が朝鮮人を虐殺した実話の事件が描かれました。これも背景には多民族への排斥感情がありました。

そして、今回紹介する映画は、日本ではなくルーマニアです。でも似たり寄ったりです。ルーマニアの小さな村で起きたゼノフォビアの悲劇。その実話に基づく作品です。

それが本作『ヨーロッパ新世紀』

別にまだ21世紀も始まって20年ちょっとしか経ってないのに「新世紀」とは気の早い邦題ですけど、原題も「R.M.N.」とかなり意味不明なものになっています。これは「核磁気共鳴(nuclear magnetic resonance)」の頭文字からとったそうで、たぶん作り手もチンプンカンプンなタイトルをあえてつけて観客に興味を持たせようとしたのかな。ならこの邦題もこれでありか…。ただ、「それは退化か、進化か、それとも破壊の予兆か」「世紀の問題作」みたいなキャッチコピーはさすがにダサすぎると思う…。

映画の本題の話に移ると、本作は先ほども書いたようにルーマニアの小さな村で実際に起きた事件を基にしています。具体的には、2020年にルーマニアのトランシルヴァニア州ハルギタ郡にあるディトラウという地です。村にスリランカ人労働者が数人来たことで、それがとてつもなく村民たちの反感を買い、パニックのように騒乱が拡大した…という出来事でした。

『ヨーロッパ新世紀』はその事件がわりと史実どおり淡々と描かれます。

一方で、本作は単なる史実を伝える映画というだけでなく、かなり寓話的なトリッキーな演出も盛り込んでおり、物語が巧みです。そのぶん背景を知る必要性もあって、結構読み解くのが大変なんですが…。

『ヨーロッパ新世紀』を監督したのは、2007年に『4ヶ月、3週と2日』でカンヌ国際映画祭においてパルム・ドールを受賞したことで有名なルーマニアの“クリスティアン・ムンジウ”『汚れなき祈り』(2012年)、『エリザのために』(2016年)など、人間社会の暗部をしっかり捉えてきた“クリスティアン・ムンジウ”監督ですが、この『ヨーロッパ新世紀』はルーマニアの村を通して社会に巣くうゼノフォビアの正体を直視させてきます。

2022年のカンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品され、とくに何か受賞することは無かったですが、『ヨーロッパ新世紀』の批評性はじゅうぶん鋭利です。

その眼差しはもちろん日本社会だって見つめています。

ゼノフォビアに関心がある人は必見の映画でしょう。

後半の感想では、ルーマニアと周辺国の政治背景と、本作と”ある動物”の繋がりに紐づく政治事情についても、軽く説明していますので、よろしければどうぞ。

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『ヨーロッパ新世紀』を観る前のQ&A

✔『ヨーロッパ新世紀』の見どころ
★ゼノフォビアの構造を寓話的に語るプロット。
✔『ヨーロッパ新世紀』の欠点
☆背景を知らないとわかりにくいところもある。

オススメ度のチェック

ひとり 4.5:題材に関心あれば
友人 3.5:語り合える人と
恋人 2.5:恋愛気分ではない
キッズ 2.5:やや地味な語り口
↓ここからネタバレが含まれます↓

『ヨーロッパ新世紀』感想(ネタバレあり)

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あらすじ(前半):ただパン工場で働いていただけなのに

東欧に位置するルーマニアのトランシルヴァニア地方の小さな村。周辺を取り囲む木々は葉を落としており、殺風景です。そんな枯れ葉でいっぱいの森を、リュックを背負ってズカズカと歩くひとりの少年。周囲に人はなく、たまにガサっと音がします。それは枝の落ちる音か、それとも獣や鳥の気配なのか…。

そのとき、ある方向に顔を向けた少年はその場で歩みを止め、何かを見たのか、すぐさま引き返して走っていきます。振り返らずに…。

ところかわってドイツ。たくさんの羊が押し込められた施設で電気がつき、赤い服の作業員は、流れ作業で次々とぶら下げられた羊の頭や足を切り落とし、肉塊へと変えていくいつもの仕事に取りかかります。

ここで出稼ぎで働くルーマニア人のマティアスは外で電話をかけようとしますが、同僚に話しかけられ、イラついて頭突きをし、怪我を負わせてしまいます。すぐにその場を去り、居場所を失い、あてもなく彷徨うことに。警察の目を避け、なるべく目立たないようにヒッチハイクをします。

無事に車を乗り継いでマティアスは地元のルーマニアの村に戻ってきます。真っ暗な村を迷いなく歩き、真っ直ぐ家に到着。玄関を開けた妻アナは冷たい反応。息子ルディが顔を出しますが、喋りません。なんでも森でのある事をきっかけに口がきけなくなったらしいです。

そこで翌日からマティアスは登校の息子に同行して見送ることにします。ルディはひとりでは行けないのです。森の中に人がいたので追い払ってやります。これが怖かったのか…。

ここで仕事を見つけたいマティアスは豚を屠殺する作業に参加することになりました。みんなでブタ1頭にてんやわんやです。

この村はかつて採鉱業で栄えていたのですが炭鉱が閉山し、残る林業も衰退しつつあります。大半の人は村をでていきます。

しかし、この村にはパン工場があり、それを経営するのがマティアスの元恋人でもあるシーラでした。人手が足りないのでパン工場の従業員を募集しますが、給与の低さから住民の応募がありません。しかたなく2人のスリランカ人を雇い、彼らは町の一角に住み始めます。

家庭に居場所を感じることができないマティアスはこのシーラと再びよりを戻せないかと下心をだして行動し出しますが、シーラはそれどころではない事態に直面し…。

この『ヨーロッパ新世紀』のあらすじは「シネマンドレイク」によってオリジナルで書かれました。内容は2024/02/05に更新されています。
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社会背景:ルーマニアとハンガリーと欧州

ここから『ヨーロッパ新世紀』のネタバレありの感想本文です。

『ヨーロッパ新世紀』の舞台はルーマニアです。ルーマニアと言えば『コレクティブ 国家の嘘』で映し出されるように以前は汚職が酷い国でしたが、EUへの参加によって近年は見違えるように経済を発展させました。でも格差は深刻で、『ありがとう、トニ・エルドマン』でも描かれていましたが、都市部と田舎の差は歴然です。ルーマニアの地方の人はEUの他国へと出稼ぎにいくのもまだまだ普通です(作中のマティアスはまさにそうしている)。

本作の舞台となる村は、典型的な山間の田舎ですが、少し特殊な事情があります。というのも地理的にはルーマニアなのですが、このトランシルヴァニア地方は歴史的にハンガリー人が多く暮らしているのです。なので本作の村もハンガリー人が多く、ルーマニア人と均衡を保つという、ある種の民族的緊張感を既に保持しています(例えば、作中のマティアスはルーマニア人、シーラはハンガリー人)。

そしてハンガリー人が優勢ということもあって、この村はハンガリーの影響を強く受けています。なのでハンガリーの政治的背景が重要になってきます。

ハンガリーで長らく政権を保持してきたオルバン・ヴィクトル首相は、非常に保守的な政治姿勢で知られており、演説で「混血の国になることを望まない」と発言するなど、外国人排斥の思想を隠していませんBBC

だから作中の村もハンガリー人の多さゆえにハンガリーのメディアから外国人排斥的な情報を日常的に得ています。加えて、この地にはロマ族への差別の歴史があり、他民族への敵意の源流があります。

これらがあのスリランカ人労働者への敵視を生み出す土台となったと予想されます。

あのスリランカ人は本当に何も悪くありません。パン工場で働いていただけです。なのに「パンに触れているなんて気持ち悪い」とか「病気を広めている」とか「イスラム教徒だからここをモスクで占領する気だ」とか、めちゃくちゃな難癖をつけられます。

当然、この嫌悪感情の裏には人種差別にプラスして宗教差別もあり、カトリック教を中心とする保守的な村の体質が見えてきます。

一方で、ルーマニア人は一歩この国からでれば、逆に「差別される側」になります。作中でもマティアスはドイツで蔑視的な言葉をぶつけられ、それでトラブルを起こして逃げ帰ります。労働というシステムを通して搾取される側が誰になるのかという変化です。

「ルーマニアの中のスリランカ人」「ルーマニアの中のハンガリー人」「欧州の中のルーマニア人」…スケールが変われば立場も変わる。いろいろ見せてくれる器用な映画でしたね。

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ルーマニアとクマの政治的な関係性

『ヨーロッパ新世紀』のラストは衝撃です。終始みっともないマティアスは、家庭という最小の居場所を失って路頭に迷い、息子に男らしさを教えるというみみっちいことしかできない中、シーラに若干のストーカー的なことをしつつ、最後は闇夜の森でクマの集団を目にします。

この映画ではクマが何度か印象的に使われていますが、実はルーマニアとクマには政治的に深い関係性があります

舞台となったトランシルヴァニア地方はカルパティア山脈に接しており、この地域一帯はヨーロッパでも最大のヒグマの生息地です。ルーマニアはヨーロッパでもヒグマの個体数が最多だと言われています。

そしてこのヒグマをめぐってルーマニアは世論も政治も二分されているのです。

ヒグマは基本的に絶滅の危機が低い種と考えられていますが、IUCUではヨーロッパのヒグマにつては「絶滅の危機に瀕している小規模で孤立した部分集団が多数存在する」とみなしていますBear Watching in Romania。つまり、保護対象です。当然ルーマニアはヒグマ保護において重大な地域となってきます。

実際、ヨーロッパではヒグマは保護され、原則的に一般の狩猟は禁止なのですが、一方でルーマニアの田舎の住民はヒグマによる被害に困っており、捕獲を求める声があがっています。そして狩猟団体はトロフィーハンティング(一般の娯楽目的の狩猟)の解禁を訴えています。

結果、政治の争点になってもきているわけです。トランシルヴァニア地方で活動する「ハンガリー人民主同盟」という政党はヒグマの捕獲緩和を掲げていますPOLITICO。一方で、現在ルーマニアで最も政治の主導権を握る「社会民主党」は、EU諸国と歩調を合わせる意味でもヒグマの捕獲緩和に慎重です。このハンガリー人民主同盟は社会民主党と連立政権を組んでいましたが、2021年に離れました。現状、右翼の「ルーマニア統一同盟」が支持率で2番手となる勢いがあり、ヒグマの問題で政権の力場が変わる可能性すらあります。

『ヨーロッパ新世紀』でもクマの個体数を調査しに来ている人が登場しますが、この個体数も争点です。捕獲緩和を目指す人たちは「クマの数は多い」と言いますし、保護を中心に考えたい人は「そんなに多くない」と言います。約6000頭Bear Watching in Romaniaとも推定されるルーマニアのヒグマの個体数も、それ自体が政治を左右します。

興味深いのは、この外国人排斥とクマの排斥という2つの感情が重なること。しかし、この2つには決定的な違いがあって、クマはもともとこの地に住んでいる生き物なのです。

つまり「この地にいないから排除したいんだ」というのは表向きの大義名分にすぎず、本音はその人のもっと内面的な嫌悪感や政治的動機があるということを、この『ヨーロッパ新世紀』は看破しているかのような構成です。

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曖昧なラスト

国や民族だけでなく野生動物まで範疇に加えて、このゼノフォビアの構造を寓話におさめてしまう『ヨーロッパ新世紀』。

その映画の最後はとても曖昧です。

そもそもあのエンディングのマティアスが見たクマは本物でしょうか。この村では祭りでもクマの被り物を使っていて(本物のクマの毛皮で作るそうです)、それを被った人たちだったのでしょうか。

冒頭でルディが見たのも何だったのでしょうか。あの祖父の首吊り死体を見たようにも思えますが、どうやらそれは反応からして違うようです。ルディもクマを見たのか…。

寓話的に解釈するならば、この2人が見たものは「恐怖」そのものなのかもしれません。人が何に恐怖を感じるかは人それぞれ異なります。ある者は外国人がパンをこねているだけでも恐怖を感じるのです。

ルーマニアとクマの政治的関係を伝える「POLITICO」の記事の中で、トランシルヴァニア大学の野生動物管理学の教授がこう述べています。

「私たちは均衡を保つように行動しなければなりません」

残念ながらその「バランスを考えて行動する」のを妨げてしまうのが、人間の恐怖心と敵対心です。

自分はどの立場から何に恐怖を感じ、その恐怖にどう向き合っているのか…常に考えていきたいですね。

『ヨーロッパ新世紀』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 96% Audience 99%
IMDb
7.3 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
8.0
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関連作品紹介

第75回カンヌ国際映画祭の受賞作の感想記事です。

・『逆転のトライアングル』(パルム・ドール)

・『CLOSE/クロース』(グランプリ)

・『別れる決心』(監督賞)

・『聖地には蜘蛛が巣を張る』(女優賞)

・『ベイビー・ブローカー』(男優賞)

・『EO イーオー』(審査員賞)

作品ポスター・画像 (C)Mobra Films-Why Not Productions-FilmGate Films-Film I Vest-France 3 Cinema 2022 RMN

以上、『ヨーロッパ新世紀』の感想でした。

R.M.N. (2022) [Japanese Review] 『ヨーロッパ新世紀』考察・評価レビュー