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『二つの季節しかない村』感想(ネタバレ)…自己憐憫をまだ演じるのか?

二つの季節しかない村

自己憐憫をまだ演じるのか?…映画『二つの季節しかない村』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:Kuru Otlar Ustune(About Dry Grasses)
製作国:トルコ・フランス・ドイツ(2023年)
日本公開日:2024年10月11日
監督:ヌリ・ビルゲ・ジェイラン
恋愛描写
二つの季節しかない村

ふたつのきせつしかないむら
『二つの季節しかない村』のポスター。

『二つの季節しかない村』物語 簡単紹介

冬の雪に一面が覆われたトルコ東部の村。この田舎に来てからもう4年になる美術教師のサメットという男は、内心ではとにかくこんな辺境から去りたいと思っていた。それでも村での生活はそれなりに平穏にこなしている。学校では女子生徒のセヴィムという子を慕っており、セヴィムはよく無邪気な姿をみせてくれる。ところがある日、サメットは同僚ケナンとともに、セヴィムから問題行為を告発されてしまう。
この記事は「シネマンドレイク」執筆による『二つの季節しかない村』の感想です。

『二つの季節しかない村』感想(ネタバレなし)

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ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督との耐久勝負

1995年の『繭(Koza)』という短編映画は、2人の男女の軌跡を地方の風景と死生を切り取って、会話を排して、じっくりとエモーショナルに表現した作品でした。短編ながらすでに長めにドラマを絵で語る手際が垣間見えます。

トルコの“ヌリ・ビルゲ・ジェイラン”監督はこの第48回カンヌ国際映画祭の短編部門で上映された短編作によって映画の世界に足を踏み入れ、自己表現を探求し出しました。

その作家性は「田舎の心情」によって語られることも多いです。田舎と言っても「のんびり穏やかで落ち着くね~」みたいな居心地のいい風情の場ではありません。“ヌリ・ビルゲ・ジェイラン”監督作の田舎はたいていは陰鬱で閉鎖的で人を無言にさせたくなる趣があるものばかり。中には露骨に田舎嫌悪を表明する登場人物さえでてきたり…。

初期監督作の『カサバ – 町』(1997年)、『5月の雲』(1999年)、『冬の街』(2002年)は、「地方三部作」と呼ばれました。

“ヌリ・ビルゲ・ジェイラン”監督作の他の特徴と言えば、独善で欺瞞的な登場人物が描かれることが目立ちます。

2008年の『スリー・モンキーズ』では不祥事に向き合わない卑劣な政治家がでてきますし、2011年の『昔々、アナトリアで』では道徳的に堕落していく捜査官、2014年の『雪の轍』では教養はあるが己の搾取的振る舞いには無自覚な芸能人、2018年の『読まれなかった小説』では自己中心的で高慢な作家志望の若者…。

監督はこういう人間的に欠陥を抱えた存在を通して人生を描くのが好きなのでしょうね。アントン・チェーホフフョードル・ドストエフスキーを愛好していることを公言し、兵役中にその本を読んで創作意欲に目覚めたと語る“ヌリ・ビルゲ・ジェイラン”監督にとって、これはもはや揺るぎない自分のクリエイティブの柱になっているのだと思います。

その“ヌリ・ビルゲ・ジェイラン”監督の2023年の最新作も相変わらずいつもどおりでした。

それが本作『二つの季節しかない村』です。

舞台は雪深いトルコ東部の村で、ひとりの教師の男が主人公です。そしてこの男がまた“ヌリ・ビルゲ・ジェイラン”監督作らしくダメな人間で…。

本作はこの主人公の不快な言動に3時間以上付き合わされることになるのですが、“ヌリ・ビルゲ・ジェイラン”監督作を見慣れた人には「3時間はいつものこと」と平気かもしれませんけど、いかんせん何度も言うように主人公が、まあ、あれですからね…。

邦題は『二つの季節しかない村』となっていますが、英題は「About Dry Grasses」で、「乾いた草について」という意味となっており、これまた“ヌリ・ビルゲ・ジェイラン”監督らしい雰囲気です。

今作は“ヌリ・ビルゲ・ジェイラン”監督の妻の“エブル・ジェイラン”との共同脚本。2006年の『うつろいの季節』で主演してもらっていたりと、もうすっかり創作でもパートナーとして沁みついています。

ただ、アイディアとしては同じ共同脚本にクレジットされている“アキン・アクス”が3年間教師をしていた記録を日記にしたものを着想元にしているそうです。

2002年の『冬の街』と2011年の『昔々、アナトリアで』でカンヌ国際映画祭にてグランプリを、2008年の『スリー・モンキーズ』でカンヌ国際映画祭にて監督賞を、2014年の『雪の轍』でカンヌ国際映画祭にてパルム・ドールを受賞し、評価は最高点に到達していた“ヌリ・ビルゲ・ジェイラン”監督。今作『二つの季節しかない村』ではカンヌ国際映画祭で女優賞を受賞しました。

女優賞に輝いた“メルベ・ディズダル”が演じるのは、“デニズ・ジェリオウル”演じる主人公とややこしい関係になる別の教師です。

『二つの季節しかない村』を鑑賞して、トルコの寒々しい田舎よりも心が冷たい主人公の言動と耐久勝負してみてください。

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『二つの季節しかない村』を観る前のQ&A

✔『二つの季節しかない村』の見どころ
★人間の小ささと退屈さの中にある気づきを得る。
✔『二つの季節しかない村』の欠点
☆映画時間は198分とかなり長く、地味な展開が多い。

オススメ度のチェック

ひとり 3.5:監督作が好きなら
友人 3.0:作風に関心あれば
恋人 2.5:エンタメ要素は薄い
キッズ 2.5:子どもには退屈
↓ここからネタバレが含まれます↓

『二つの季節しかない村』感想/考察(ネタバレあり)

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あらすじ(前半)

真っ白な大地。ここはトルコの東アナトリア地方の辺鄙な村。冬が長く、最高気温も氷点下の日々が続きます。

これだけ聞くと特殊な気候のように思えますが、気象データとしては北海道の山間とそんなに変わらないです。風景も北海道の田舎とかなり似ています。

そんな地に車から降りて片手の荷物を持ち、トボトボと雪道をひたすら歩くひとりの男。建物はほとんどなく、遠景は雪風で霞んで見えません。吹きすさぶ冷たい風は防寒着でなんとかしのいでいますが、積雪をかきわけてしばらく進むと家に着きます。

この男、サメットはかつてイスタンブールに住んでいましたが、今はこの東アナトリア地方の村に赴任している教師でした。もう4年目です。研修として半ば強制的に配属されてしまうので、この地を自分で選んだわけではありません。サメットはこの田舎が嫌でした。ここよりも都会で仕事がしたいと願っていました。やっと最後の年ということで、もっと都会的な場所に移ることを検討しています。

家には同僚でルームメイトのケナンがいて、一緒に暮らしています。家は温かいですが、ずっとこんな暮らしはサメットは望んでいません。

職場の学校もかなり離れており、毎回寒々しい空気に晒されて移動しないといけません。

学校では子どもたちが雪玉を投げ合ったりと元気に遊んでいます。地元の子たちはこんな場所でも気にしていないようです。

サメットは教員の集まる部屋に顔を出し、挨拶をします。彼よりもずっと長くここで働いている教師陣が座って談笑しています。サメットはそこまで若いというほどでもなく、新人ではないので、あまり気にせずに馴染んでいます。

子どもたちにもサメットは親しまれていました。とくにセヴィムという12歳の女の子だけは特別に贔屓していました。こっそり廊下でプレゼントをあげたり、授業中にも優遇しています。他の児童や生徒にはそこまでの態度はとりません。

セヴィムが何か生意気な態度をとろうとも、部屋で一緒に笑い合って過ごします。セヴィム本人も子どもらしく無邪気でクスクスと笑ってくれます。

しかし、そんな日常に事件が起こります。持ち物検査があり、子どもたちが教室の壁沿いに立たされる中、セヴィムの持ち物が問題視されました。それはセヴィムがこっそりとサメットに書いていた手紙のようです。サメットがあげたプレゼントも発見されます。

サメットは取り上げられたその持ち物を理由を作って回収しますが、セヴィムが部屋にやってきて手紙を返してほしいと涙を見せて訴えても、それをもう捨てたと嘘をついて取り合いません。

その後、サメットはケナンと合わせて子どもへの不適切な接触があったと告発されてしまいます。どうやらそれを報告したのはあのセヴィムのようです。

サメットは大人たちの間で事情説明し、男たちが部屋で集まって紛糾する中、とりあえず大きな処分などは何もなく、また教師の仕事に戻ります。

そんな中、別の教師であるヌライと知り合い、その彼女がケナンに気があるとわかり、サメットはある行動にでることに…。

この『二つの季節しかない村』のあらすじは「シネマンドレイク」によってオリジナルで書かれました。内容は2024/10/16に更新されています。
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子どもで優越感に浸る大人

ここから『二つの季節しかない村』のネタバレありの感想本文です。

『二つの季節しかない村』の主人公であるサメットは、“ヌリ・ビルゲ・ジェイラン”監督作では珍しくもない、やはりこいつも独善的な人間です。それもいかにも悪ですという感じではなく、どこにでもいそうなちっさい道義的欠落を抱えているのがまたリアルですね。

サメットは一見すると上手くこの地方の村に溶け込んでいるように思えますし、確かに最低限の人付き合いはこなせます。しかし、あからさまにこの田舎を嫌悪しており、自分は不幸だという自己憐憫と、自分には釣り合っていないという自己過大評価を、この地を言い訳にしながら延々と冷笑的に露呈させています

別にサメットが特段不幸な境遇にある感じではないんですけどね。現にケナンやヌライはこんな刺激の乏しい地であっても、自分なりにできることを見つけ、何かを変えようと努力をしています。サメットは何も試みず愚痴をひたすら呟いているだけです。

そんなサメットが唯一自分を頂点における空間が存在します。学校の教室です。この超限定空間のみ、サメットは教師という立場を利用し、子どもたちから無条件に尊敬を集められると調子づいています(実際はそれも勘違いなのですが…)。

そこにふとパンチが飛んでくるのが「不適切な接触」というセヴィムらからの告発。これの詳細はわかりません。日本の本作宣伝では「虚偽」と断言していますけど、背景に何があるのが全容が作中で描かれることもないです。

ただ、サメットのセヴィムに対しての接し方は明らかに問題行為です。“ヌリ・ビルゲ・ジェイラン”監督もインタビューで、「教師は支配的な立場にあり、それが屈辱を助長し、内なる暴力と残酷さのレベルを高めます。この残酷さは私たち全員の中に潜在していると思います」と心理的虐待に触れていますがCineuropa、サメットのやっていることは典型的なグルーミングです。

サメットという人間の言動でまた不愉快なのは、このセヴィムを下等にみなしており、まさかこんな小娘が自分に逆らうはずはないと思っているであろう点。サメットは別にセヴィムに恋愛感情などないと思いますけど、これくらいの自分より小さい存在をコントロールすることで優越感に浸るのが日課になっていたのでしょう。この田舎でできるせめてもの捌け口のように…。

告発後に教室であろうことか10代前半の子ども相手に「お前たちは芸術家になんてなれない!」となんとも惨めに当たり散らすさまは、どっちが子どもかわからないほどに未熟さがこぼれ出ていました。目下の者をどう扱うかでその人の人間性がわかるとよく言いますけど、こういうことですね。

終盤でもなおもセヴィムに謝罪を要求するふてぶてしさをみせます。しかし、心なしか、この場面でのセヴィムはもうサメットにコントロールされるほどの弱さを抱えておらず、もうサメットの手が届かないところまで成長しているような気配さえ感じます。取り残されたサメットが余計に小さい大人に見えます。

ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』を“ヌリ・ビルゲ・ジェイラン”監督流に塗り替えたような、何とも言えない3時間の間で起こる「大人と子ども」の人間関係の変移が印象的です。

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ナルシストな男よ、田舎で頭を冷やせ

『二つの季節しかない村』のサメットの醜態はこのセヴィム相手だけに終わらないのですから、また面倒です。これっきりにしてくれよという感じですが、あの男は微塵も反省しません。

続いては、ヌライという女性を間にしたケナンとの三角関係が生じます。と言ってもサメットはそんなにヌライに惚れているわけでもなく、むしろヌライとケナンの間に相思相愛があります。

ただ、この捻くれているサメットはこの田舎で幸せになりかけている2人が許せないらしく、わざわざ関係性をギスギスにさせようと、ヌライに接近し、関係を持ちます。そこまでやるか?という話ですけど、サメットは小さいスケールでの他人への支配に関しては並々ならぬ行動意欲をみせます。

このヌライの家での長い対話からのベッドシーンに入るまでの間、映画的な大仕掛けが飛び出します。まさかのサメットが映画の撮影セットの裏側まで歩いていき、流し台で手を洗って自分を奮い立たせるような…そんな演出です。このシーンが挿入されることで、サメットが自分で自分を演じているような効果が生まれており、サメットの異様さが際立って面白いです。

サメットというキャラクターを構成するのは、徹底したナルシシズムです。

偶然ですけど、日本では同日に公開された『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』に類似した主人公の特性でした。

ただし、本作が決定的に違うのは、映画自体が主人公に安易に同情せず、それこそあの田舎の風景の自然のようにただ人物を見下ろすだけということ。それによって人のちっぽけな存在が相対化されます。ワイドショット、長回し、最小限のカメラワークなど“ヌリ・ビルゲ・ジェイラン”監督っぽい撮り方がさらにそれを強調します。

人生での最大の決断はたいていは最大の退屈の直後に下されるという境地にサメットは辿り着いたのか、それを問うには彼の中は見えないラストでした。

本作を観て「何でも不適切と騒ぎ立てる過剰な世の中を風刺している」なんて感想があるのをみると「お前、サメットなのか?」と思わず言いたくなりますけど、正直、日本でもこういうサメットみたいなオッサンはわらわらと溢れかえっている中、そういう人たちは一回ド田舎で自分と対話したほうがいいような気がしますよ。

『二つの季節しかない村』
シネマンドレイクの個人的評価
6.0
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
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関連作品紹介

第76回カンヌ国際映画祭の受賞作の感想記事です。

・『落下の解剖学』(パルム・ドール)

・『関心領域』(グランプリ)

・『PERFECT DAYS』(男優賞)

作品ポスター・画像 (C)2023 NBC FILM/ MEMENTO PRODUCTION/ KOMPLIZEN FILM/ SECOND LAND / FILM I VAST / ARTE FRANCE CINEMA/ BAYERISCHER RUNDFUNK / TRT SİNEMA / PLAYTIME

以上、『二つの季節しかない村』の感想でした。

About Dry Grasses (2023) [Japanese Review] 『二つの季節しかない村』考察・評価レビュー
#トルコ映画 #教師