おわり。…映画『ルノワール』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:日本・フランス・シンガポール・フィリピン(2025年)
日本公開日:2025年6月20日
監督:早川千絵
性暴力描写
るのわーる

『ルノワール』物語 簡単紹介
『ルノワール』感想(ネタバレなし)
早くもカンヌ・コンペの早川千絵監督
日本では1980年代から1990年代初めにかけて「超能力」ブームがあって、テレビ番組で盛んに超能力者を自称する人が出演し、エンタメとして囃し立てながらあれこれと実演していました。しかし、オウム真理教に象徴される重大な事件が起きたことで、テレビ業界は自分たちのやったことの深刻さを自覚しだしたのか、徐々にブームは冷めていきました。
それでもエンタメの中には超能力への無邪気な憧れみたいなものは残り続けましたよね。1996年発売の「ポケットモンスター(ポケモン)」のゲーム内にて「エスパー」というタイプが最強格な存在感を発揮していたりとか…。
まあ、私はこの80年代の超能力ブームを人生で経験していないので、その名残を感じ取るしかできないのですが…。
今回紹介する映画は、そんな1980年代の超能力ブームの最中の日本に暮らす多感な11歳の子どもを主人公にした作品です。
それが本作『ルノワール』。
本作はやはり監督の名から紹介したほうがいいかなと思いますが、その人とは“早川千絵”。今やここ最近の短い期間で最も国際的な注目の舞台にまで上り詰めた日本人と言っても過言ではありません。
2022年に『PLAN 75』に長編映画監督デビューをしたときに、カンヌ国際映画祭「ある視点」部門に出品され、初長編作品に与えられるカメラドールのスペシャルメンション(次点)に選ばれたというロケットスタート。
そして長編2作目である今作『ルノワール』でカンヌ国際映画祭でコンペティション部門に選出ですよ。あっという間だった…。これも“是枝裕和”バフなのか…。30代半ばで映画作りを学び始めてこの急上昇…凄いもんです。
今作『ルノワール』は高齢者を主軸にしていた前作とガラっと変わって「子ども」を主体した作品になっています。いわゆる「子どもの目線から大人や社会を観察する」系の映画です。
でもそんな「可愛い子どものほんわかな作品」ではおさまらないのが“早川千絵”監督の作家性なのか。ときに痛烈で、ときにブラックユーモアのようなシュールさもあるシニカルな子ども映画という感じ。最近だと『ナミビアの砂漠』の子ども版みたいな感じとも言えなくもない…かもしれなくもない…(どっち?)
なんでも本作『ルノワール』は“早川千絵”監督の人生の記憶も元にしているとのことで、自伝的な作品ではないにせよ、プライベートな断片を盛り込んだ一作にもなっているようです。
『ルノワール』で主演に抜擢されたのは、オーディションで選ばれた“鈴木唯”。早々にカンヌの光を浴びることになって、経験値の量が大変そうだ…。
共演は、『366日』の“石田ひかり”、『ファーストキス 1ST KISS』の“リリー・フランキー”、『敵』の“中島歩”、『悪い夏』の”河合優実”、『雪の花 -ともに在りて-』の“坂東龍汰”、歌手の“Hana Hope”など。
表面的には癖も強いので好き嫌いが分かれそうな映画ですが、先ほども触れた1980年代の日本を意識しながら観ると『ルノワール』の印象も変わってくるかもしれません。
『ルノワール』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
| 基本 | 児童への性的加害を示唆するシーンが一部にあります。また、闘病のシーンがあります。 |
| キッズ | 低年齢の子どもにはわかりづらいかもしれません。 |
『ルノワール』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
11歳の沖田フキは団地の家で、独りでビデオテープをテレビで再生します。そこにはいろいろな外国と思われる子どもたちが泣きじゃってくる姿ばかりが映っていました。それを見終えた後、ビデオテープの入った袋を団地のゴミ捨て場に置きます。
その暗い場所にひとりの大人がやってきて「何年生?」と聞いてきますが、フキは反応せず、警戒しながら黙ってそそくさと立ち去ります。
その後、「小学5年生の沖田フキが殺された事件」が報じられました。ベッドで何者かに首を絞められて殺害され、その犯人は捕まっていません。葬儀が執り行われ、参列した同級生の子どもたちがみんな泣き悲しみ、両親は悲痛な沈黙で座っていて…。
…という夢についての自分の作文を教室のみんなの前で平然と発表するフキ。
フキは、両親と3人で郊外に暮らしています。ある日、帰ってくると家で父が苦しそうに風呂場で血を吐いていました。母はその介抱をしながら、救急車を呼んだからと言っています。フキは一切動じず、いつものことのように荷物の準備を手伝います。そして救急車に搬送される父を外から見下ろします。
フキの父は癌を患っていて、入退院を繰り返していました。これは日常茶飯事なのでもう家族は慣れています。慌てもしません。
別の日、母は学校に呼び出され、フキが作文で「みなしごになってみたい」と書いたという理由で先生が心配しているようです。その先生との話が終わり、待っていたフキを連れて、なんてこともないかのように気楽に母は振る舞います。
母と父の見舞いへ。父は何も言わず黙々と食事をとっていました。
フキは超能力の番組に夢中で、そのテレビの中では外国人の男がトランプを透視で的中させていました。フキもやってみたくなり、病室の父にトランプ透視をさせますが、父はつまらなさそうです。
一方、働いている母は職場で上司から部下への指導が不適切だったので研修プログラムを受けるように指示されてしまいます。
また、フキは通っている英会話教室でちひろという子と知り合います。そのちひろの家に招かれるようにもなり、超能力ごっこの遊び相手になってくれました。家族と違ってちひろは嫌そうな顔をせずにフキの超能力のお試しに付き合ってくれます。
そんな他愛もない日々が過ぎていきますが…。

ここから『ルノワール』のネタバレありの感想本文です。
1980年代の日本社会の不穏さ
前作『PLAN 75』では日本社会のリアルな近未来ディストピアを描いてみせた“早川千絵”監督ですが、私は今作『ルノワール』も同質なのだと思いました。近未来ではなく、過去…1980年代のディストピアを浮き彫りにさせている感じで…。
ただ、「75歳以上の高齢者が自ら死を選ぶ制度」をとおして日本社会の歪みを直視させた『PLAN 75』と比べると、本作『ルノワール』は何を映しているのか説明的ではないのでわかりにくいです。わざとらしいくらいに観客に想像してくださいと煽っている雰囲気もあります。
私は本作を観たとき「これ、日本を知らない海外の人たちは社会背景とかわからないんじゃないか?」と思ったのですが、海外のレビューを読み漁ってみると、確かにあまりそのことに言及する批評は無かったです(それゆえなのかアートハウスな美学的形式だと思っている一様な批評が多かった気がする)。
本作は散発的でそれぞれ関係のないパートが繋ぎ合わされているようにみえますが、共通しているのは「カルト」…その言葉は直接的すぎるかもですが、もう少し抽象化するなら「不確かで危ういもの」が全編を通して描かれていたように思います。
象徴的なのが1980年代の日本社会での超能力ブームであり、これは前述したとおり後に凄惨な事件へと突き進みます。本作は1987年が舞台らしいので、まさにその直前というあたりですね。
軽々しくオカルトが消費され、誰もそこに危うさを感じていない…。ただのお遊び程度、もしくは「何やってるんだか」で流せる話題だと思っている。歴史を振り返られる現代の観客(日本のあの事件を知っている人)にはその怖さはわかるのですが…。
サマーキャンプでキャンプファイヤーにてみんなわけもわからず踊らされるのも、どことなくカルト感はあるし…。
一方で、フキの母は、職場からの指示で「研修」に参加することになりますが(その理由もパワハラというのは建前で単にキャリアウーマンとして存在感を発揮する女性を都合よく排除したかっただけの職場内差別を暗示するような…)、そこで行われているのは「アメリカで開発されたものヒューマンスキルを磨く」だとかなんとか言っていましたが、要は自己啓発っぽいよくわからないことをさせられるだけ…。
そのうえ、講師と不倫関係になる以上に、怪しげな商品を買わされ、これもまたどこかカルトの入り口にいつの間にか立っていることになります。
また、フキの父も、迫りくる死に孤独に焦り、癌を治せるという触れ込みで多額のおカネを騙し取られる…。こういう詐欺とカルトの複合体はこの時代に日本であちこちで蠢いていました。
本作はとにかく死などの不穏さが常にまとわりつく物語ですが、それこそ最も理解できないものであり、それを前にすると誰しも不確かなものにすがるようになります。
『ルノワール』は1980年代のカルトに知らぬ間に飲まれていった日本社会を実は生々しく映し出していたと思いますが、それは現在の日本との近似性を意識しないわけにはいきません。この2025年の日本もさほど風景は変わらないでしょう。本作は現代への警鐘というほどの露骨ではないかたちですし、社会問題を告発するようなものではないですが、やはり『PLAN 75』と同じで「何かがおかしくなっている日本社会」を描いていたのではないでしょうか、
フキの将来はどうなる?
そんな「何かがおかしくなっている1980年代の日本社会」を、そこで生きる11歳の子どもの目線で描くのが本作『ルノワール』。
『ミツバチのささやき』や『ヤンヤン 夏の想い出』などと同じようなアプローチですが、“早川千絵”監督の社会を覗くレンズとしての子どもの描き方は独特でした。ノスタルジーはほぼ感じさせない、優れたジャーナリストでありつつ、手を突っ込みすぎる危なっかしさも持ち合わせる、最も不確かな存在…それが「子ども」。
まずこのフキは、どうやら他人のものを漁る手癖があるらしく、冒頭でもビデオテープをゴミ捨て場から家に持ち帰ってその中身を確認し、また戻す…みたいなことをしていることが描かれます(ただし、これも空想かもしれません)。ちょっとその仕草は窃盗症(クレプトマニア)っぽいところもあります。
そして超能力にドハマりしており、親もうんざりするぐらいに超能力を試したがります。テレビの影響で…というところでメディアの(ときに危険な)力が示唆されますけど、このメディアをとおして他者の関心を刺激する…というのが何よりも一番超能力っぽかったりするんですけどね。
そんなフキの習性が合わさって作中で最も一線を越えるのは、上の階に住む若い女性に催眠術をかけ、独白させている間に部屋を物色するシーン。これももしかしたら空想かもですけど、実際にやっているとすれば、かなりアウトな行為です。子どもでもギリギリの許容ライン越えで、不謹慎すぎて一周回って笑いそうになりますが、もう詐欺師の卵ですよ。
そう、このフキはこのまま成長して一歩間違えれば、それこそどこぞのカルトの教祖とかになっていそうです。学校の友人はいないようですが、英会話教室でちひろという根っから慕って一緒に超能力をやってくれる「信者」を獲得してみせていますし…。才能はじゅうぶんあるんじゃないか…。
その将来の不穏さは、後半の伝言ダイヤルの大学生男の家に誘われてしまう一件からも暗示されているように感じます。1980年代は伝言ダイヤルがいわゆる出会い系サービスのようなツールとして人気を博していました。フキの身に降りかかるあの出来事は、それだけでもゾっとする性暴力&誘拐なのですが、それは単なる子どもを狙った犯罪以上に、フキが自ら危険な領域に取り込まれることの警告のような…。
思えば、あの冒頭の「夢」だというフキが絞殺される事件も、未来予知的です。もちろんあのとおりのことが実際に起きるという意味ではなく、あれくらいの凄惨な事件がこれからの日本社会で起きますよ…という意味で…。
本作は全体的にコミュニケーション不全が蔓延しています。フキはネグレクトを受けているわけではないですが、かぎっ子として放置され、ギクシャクする両親の狭間で、倫理観を学べません。
本作で唯一まともなコミュニケーションをとってくれるのは、英会話教室の先生です。異文化に健全なかたちで触れることで、他者との付き合いを学べ、それが視野を広げさせ感情の豊かさに繋がっていく。そういう視点を最後に提示するのは、やはり国際的に成功した“早川千絵”監督ならではなのでしょうか。
フキのような子でも、土足で他者に踏み込む図太さが、クリエイティブとか、いろいろな明るい将来に繋がることもありますしね。馬の鳴きマネだけでない、才能の発達を最後は信じさせてくれる映画でした。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
以上、『ルノワール』の感想でした。
作品ポスター・画像 (C)2025「RENOIR」製作委員会+International Partners ルノワル
Renoir (2025) [Japanese Review] 『ルノワール』考察・評価レビュー
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