ほんと、知らんけど…映画『ナミビアの砂漠』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:日本(2024年)
日本公開日:2024年9月6日
監督:山中瑶子
性描写 恋愛描写
なみびあのさばく
『ナミビアの砂漠』物語 簡単紹介
『ナミビアの砂漠』感想(ネタバレなし)
2024年の新鋭は山中瑶子監督
自分が本格的に制作した初めての映画が世界の賞に輝くというのは、監督を目指す人にとってはぜひ味わってみたい経験なのでしょうけども、それを実際に通過できる人はごくわずか。
そんな栄光に2024年に輝いた日本の監督が“山中瑶子”でした。
“山中瑶子”監督は1997年生まれで、大学中退後の2017年に映画『あみこ』を自主製作して、この業界で才能を表現し始めます。そして配給がしっかりついた商業映画としての長編映画第1作となったのが『ナミビアの砂漠』です。
この『ナミビアの砂漠』は第77回カンヌ国際映画祭の監督週間に出品され、それだけでもじゅうぶんに凄いのですが、国際映画批評家連盟賞を受賞しました。
ただ、日本でもその実績はよく報道されたのですけども、説明不足すぎて誤解を招く感じにもなっていて…。
カンヌ国際映画祭と言えば、パルム・ドールなどの賞が有名ですが、それはコンペティション部門に出品された映画を対象にしています。この映画祭には他にもいくつか部門があって(「ある視点」部門など)、「監督週間」はフランスの監督協会によって立ち上げられた独立した部門です。
そして国際映画批評家連盟賞というのは「FIPRESCI(国際映画批評家連盟)」というまたカンヌ国際映画祭とは全然関係ない組織が選定している賞で、さらにややこしいのはこの国際映画批評家連盟賞は3種類あって「In Competition」「Un Certain Regard」「Parallel Section」となっています。
それぞれのカンヌ国際映画祭内における部門ごとに割り当てられた賞であり、「Parallel Section」はその中でも一番知名度が低く、要するに初監督作に贈られる賞です。
“山中瑶子”監督の『ナミビアの砂漠』はこの「Parallel Section」を受賞しました。ちなみに前年の2023年は“リラ・ハラ”監督の『Power Alley』が、2022年は“エマニュエル・ニコット”監督の『小さなレディ(Love According to Dalva)』がこの「Parallel Section」を受賞しています。
日本のニュースなんかではこの国際映画批評家連盟賞が3種類あることを意識せず、ごちゃごちゃにして伝えているので混乱しやすいです。
ともあれ国際映画批評家連盟賞の「Parallel Section」を受賞をしたのは素晴らしいことですし、少なくとも“山中瑶子”監督のキャリアが羽ばたく最高のスタートになったでしょうね。
その話題を獲得した『ナミビアの砂漠』、どういう物語かというと、日本の都会在住の21歳の女性が主人公で、その主人公が恋人の男性関係や、職場関係など、あちこちで織りなす人間模様を軸に、現代日本社会で生きる姿をときに痛々しく描いています。
生温かく笑ってにこやかに見守れる内容というよりは、痛烈で風刺性に富み、ブラックユーモアのようなシュールさもある、非常にシニカルな一作です。
海外の批評なんかをみると、今の日本における「Zoomer」(Z世代が自分たちのことをやや自嘲気味に指す言葉)を独特に映し出す才能として“山中瑶子”監督を評価する意見もありました。“山中瑶子”監督も20代ですから、その立ち位置も含めてのことなのでしょう。
『ナミビアの砂漠』で主演するのは“河合優実”。映画では2021年の『サマーフィルムにのって』や『由宇子の天秤』で注目を集め、『少女は卒業しない』(2023年)や『あんのこと』(2024年)など主演作も重ね、すっかり引っ張りだこの若手俳優となりました。今作『ナミビアの砂漠』も間違いなく“河合優実”の代表作として刻まれましたね。
共演は、『52ヘルツのクジラたち』の“金子大地”、『シサㇺ』の“寛一郎”、ドラマ『極悪女王』の“唐田えりか”、『悪は存在しない』の“渋谷采郁”、『ケイコ 目を澄ませて』の“渡辺真起子”など。
なかなか癖の強すぎる『ナミビアの砂漠』。好き嫌いが分かれそうですが、それはきっとこの主人公もそう思っているでしょう。他人の好き嫌いなんて気にせずにただ思うがままに触れてみるのもいいのかもしれません。
『ナミビアの砂漠』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
基本 | 恋人間の暴力や威圧の描写が一部に含まれます。 |
キッズ | 間接的な性描写のシーンがあります。 |
『ナミビアの砂漠』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
都会の雑多な人込みの中を歩くカナはカフェに入り、何か深刻そうな顔の友人イチカの前に座ります。その友人は言いづらそうにこう切り出しました。
「チアキ、死んじゃった…」
しかし、目の前でそれを聞いたカナはその人物が誰なのかピンと来ず、平然とアイスコーヒーを飲んでいます。同じクラスの子で自殺らしいです。カナはその死に方に抑揚なくコメント。イチカのほうはその人から死ぬ前の日にビデオ電話が急にかかってきたことで動揺しているようです。
溜め込んでいたのかとにかく喋り続けるイチカに対して、カナは無表情で相づちをうって話に頷きます。それしかしません。
その後、店を出て別れ際に「帰りたくない」と駄々をこねるイチカを抱きしめ、カナはさらに付き合いを続け、遊びに誘います。しかし、カナはイチカをホスト店に放り出し、帰っていくのでした。
夜の街で見知らぬ男にLINEを交換しようとナンパされますが、罵倒して追い払います。男側も酷い言葉で罵ってきますが、カナは物怖じしません。
そのとき、ハヤシという男を見つけて駆け寄ります。そのハヤシは花束を渡してくれ、親身で常に優しいです。真っ暗な公園で2人は静かにくつろぎ、キスしながら帰路につきます。
ハヤシは先にタクシーを降り、カナはひとりになります。すぐにタクシーの窓から嘔吐します。
手狭な家に帰ると長髪の男が出迎えてくれます。恋人のホンダです。トイレで吐き、だらしなく寝そべるカナを甲斐甲斐しく介抱してくれます。
翌日、職場の美容サロンで働くカナ。初めて脱毛に来たらしくキャッキャと賑やかな10代の3人組相手でも淡々と接客し、感情は見えてきません。
家に帰るといつものようにホンダが料理をしてくれ、カナは少し手伝いながら、揶揄うような会話をし、ホンダは慣れたように答えます。
その作業中に電話が来て、カナはイチカからだったと説明し、どうやら泣くほどに辛いようだと言い、カナはホンダに勧められて家を出ます。
しかし、辿り着いたのはあのハヤシのもとでした。また2人ではしゃぎ、散々ふざけ、布団で会話。ハヤシはホンダと別れてほしいと考えを述べ、カナは「わかった」と一言だけ呟きます。
そして何事もなく帰宅し、また何でもしてくれるホンダに面倒をみられながら、ぐちゃぐちゃの睡眠スペースで眠りにつくカナ。
これがカナの毎日。自分ができる全てのこと。そして行きたいように駆けていくのですが…。
「なんかよくわからなかったです」

ここから『ナミビアの砂漠』のネタバレありの感想本文です。
監督初期作を観るのは実に楽しいもので、その監督の作家性とか何もわからないままに触れるので新鮮でワクワクします。“山中瑶子”監督作も私は初めて観るのでドキドキで『ナミビアの砂漠』を体験できました。
今作は独自性を放つ女性像、女男男の絡み合った独特な関係性、場面転換時に主人公が軽快に走っていく姿を捉えるなど、随所にヨーロッパのアートハウス映画の影響を感じさせます。たぶん“山中瑶子”監督はそっち方面がかなり好きなんでしょう。終盤にかなり意表をつく演出も盛り込まれますしね。
一方で、現代の日本社会における何に対しても(自身も含めて)自嘲的な若者の立ち位置というのも強烈に意識的に風刺していて、西洋かぶれな雰囲気のマネには終わらない、独特な才能を放っていたのも印象的です。
主人公のカナという人物が何よりも観ていて飽きません。
カナは冒頭から何とも言えない感じの悪さをだしています。別にあからさまに軽蔑的でも、暴力的でもないですし、それなりの人付き合いはするのですが、どこかこう虚無感が常に漂っている感じ。
冒頭の友人からの自殺に関する話題もまるで興味なさそうで感情を動かされた様子がゼロ。社交辞令的な感情の共有もしません。まだAIと喋るほうが温かく同調してくれるかもしれません。でもあの友人もそんなカナでもいいんですね。聞いてさえくれれば。そこの関係性も皮肉です。
同居する恋人のホンダや浮気相手のハヤシに対してもそうですが、衝動的に一緒にはなるも興味は持続せず、ましてや献身しようとかいう気持ちはないんですね。平気で嘘もつきますがそれもカナの中では些細なことです。職場内の人間関係はもっと冷めています。
とくに趣味もないようですが、作中で唯一じっと集中しているのは「アフリカの砂漠のライブ映像をスマホで眺める」ということです。タイトルの由来になっているこの行為に何を感じているのか不明ですが、カナにとっては周囲のあらゆる存在がライブ映像と同一で眺めたいときに眺め、止めたいときには視聴を止める…そんな扱いなのでしょうか。
こう書くとだいぶ嫌な奴ですが(実際嫌な奴なのでしょうけど)、絶妙に嫌いになりきれない魅力も兼ね備えているのが面白いです。
作中でよく名言(迷言)も飛び出します。一度は別れるも再び現れて道路で泣き崩れるホンダに対して「変な人…」と呟いたり、ハヤシに対して「私、働かなくていいかな」と言ったかと思えば「具体的に人のためになるべきことしたら? 自分で考えろよ、クリエイターだろ」と言い放ったり、俗にいう「お前が言うな」状態の連発で…。
職場をクビになった後、「日本は少子化と貧困で終わっていくので今後の目標は生存です」とやたら悲観的になって黄昏ているのですが、カナの図太さならどうとでも生きていけそうではあります。
全く掴めないカナですが、作中ではところどころで人生の背景が垣間見えます。母親関係で中国系のルーツがあるらしいこと、父親と何かあったこと…。でもそれは本作の物語の対象ではありません。
後半にはカナはこれも不意に思い立ってなのか、心療内科か精神科に診察を受けたようで、そこで双極性障害の可能性も指摘されます(あの遠隔診療の男性医師の発言もなかなかに酷い)。そして女性医師と面会しながらの診察を何度か受けますが、とりとめのないやりとりが繰り返されるだけです。
無関心な性格なのか、社会や他人に幻滅して虚無主義に陥っているのか、それもわからない…。自分も他者もわからないけどなんとなく生きている。そんな人間の日常がありありと映し出されている映画でした。
生きるために群れている。ただそれだけ
『ナミビアの砂漠』は主人公のカナも面白いキャラクターですが、周りにいるホンダとハヤシという2人の男性も癖が強くて、こちらもこちらで同類のような感じになっていました。
ホンダは家政夫として雇われているのかというくらいにとにかく家事全般とカナのもろもろのケアをやってくれますが、妙に脆いです。仕事先で風俗に行ってしまったと座って謝ってくる姿といい(「でも勃たなかった」と弁明するのも意味不明でシュール)、家を出た後でも未練があるようで追いかけてくる姿といい、こっちもこっちで何がしたいのかよくわかりません。
ハヤシは最初はカナと甘い時間を作れる男という感じですけど、カナを子ども扱いしてなだめようとする癖があり、どこか女性蔑視的。一方でハヤシ自身も子どものような性格をみせ、2人が揉みあいでボコボコとマウントをとってやり合う姿は、家庭内暴力というよりはガキ同士の喧嘩です。「コミュニケーション不足だった」とか急に大人ぶって整頓しようとするのがまたこちらもおかしさがあります。
2人の男性に共通するのはなぜカナと付き合うのがその理由が見えてこないこと。カナもこの2人の男性と付き合う理由が曖昧です。感情的に深い繋がりがあるようにも思えません。
しかし、結局のところ、人間というのはとりあえず「誰かを巻き込んでおく」ということで自分の生存の糧とする戦略をとるのかもしれません。それは「相互で支え合う愛」とか、そんなたいそうなものではありません。
それはちょっと野生動物の群れの感覚に近い気もします。いくつかの種の草食動物は群れを作りますがそんな深い信頼関係があるわけではなく、基本は赤の他人(他動物)です。でもそれでも群れるのはそのほうが自分が捕食者に狙われるリスクが減るからです。群れの他がやられている隙に逃げれます。1匹でいるのは単に無駄にリスクが大きくなるだけ。とても打算的な生存方法です。
カナもホンダもハヤシもそんな群れの生存方法の延長線上にあるようにみえます。日本の都会にもそんな人間の群れがいくつも形成されているのです。日本の中に点在する小さな水たまりにやってきたヒトという動物たち。たまたまそこに居合わせた二本足の動物たちです。
生き生きとしているが生き生きとはしていない。不思議な私たちの生態がこのネイチャー・ドキュメンタリーには映っていました。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
作品ポスター・画像 (C)2024「ナミビアの砂漠」製作委員会
以上、『ナミビアの砂漠』の感想でした。
Desert of Namibia (2024) [Japanese Review] 『ナミビアの砂漠』考察・評価レビュー
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