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『SKIN スキン』感想(ネタバレ)…肌に刻んだ差別主義は除去できるのか

SKIN スキン

肌に刻んだ差別主義は除去できるのか…映画『SKIN スキン』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:Skin
製作国:アメリカ(2018年)
日本公開日:2020年6月26日
監督:ガイ・ナティーブ
人種差別描写

SKIN スキン

すきん
SKIN スキン

『SKIN スキン』あらすじ

白人至上主義者に育てられ、スキンヘッドに差別主義の象徴ともいえる無数のタトゥーを入れたブライオン。同じような仲間とともに己の主張を叫び、暴力すらも抵抗なく行う日々。しかし、シングルマザーのジュリーと出会ったことで、これまでの憎悪と破壊に満ちた自身の悪行の数々を悔い、新たな人生を始めようと決意する。ところが、かつての同志たちはそれを許さない。

『SKIN スキン』感想(ネタバレなし)

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差別主義者の実態とは…

2020年5月31日、警察の過剰な拘束によって黒人のジョージ・フロイドが死亡したことに端を発する大規模な「Black Lives Matter」抗議活動。デモの大半は平和的でしたが、“あの人”はこのデモを暴力的であると主張しました。そしてこうTwitterでコメントし、世間をざわつかせます。

「アメリカ合衆国はANTIFAをテロ組織として認定するだろう」

このコメントを発信したのはアメリカの大統領ドナルド・トランプです。

しかし、「ANTIFA(アンティファ)」って何?…そう思った人も多いはず。おそらくトランプ大統領も詳細を理解なんてしておらず、なんとなく今回のデモの裏には「ANTIFA」ってやつがいるんだ!と焚きつけて支持者にリップサービスしておこうと考えているだけなのでしょうが…。

「ANTIFA」というのは組織の名称っぽいですが、実は「Anti-fascism」の略で、ファシズムに反対する運動や思想を総称しているだけです。要するにたいていの人は常識的に反ファシズムなので、ファシズム万歳!と思っていなければあなたも「ANTIFA」だとも言えます。日本だってとくに言及せずともみんな犯罪や暴力団に反対するでしょう。それと同じです。それをテロ扱いする大統領って…という話ですが…。

現在ではファシズムと言えば、ネオナチ、白人至上主義、人種差別主義、あとは反フェミニズムなど、これらを包括した概念として「オルト・ライト(alt-right)」という呼び方もされます。残念ながらこの勢力は力をつけており、社会を分断しています。ネット上で気軽にそうしたファシズムに同調してコメントする人も多く、そういう人は日本では「ネトウヨ」などとスラングで呼ばれたりします。

けれども実際に組織を作り上げ、ネット上だけでなくリアルでも活動を展開する人も世界各地にいて、そうしたヘイト団体の数は数千にも及ぶとされています(もちろん日本にも存在する)。

一方でそれらヘイト団体と直接は無関係に暮らしている多くの人々にとって、その組織がどういう実態を持ってどんな人たちがどんな人間模様で関わっているのか、イマイチ理解しづらいです。

そんなとき、本作『SKIN スキン』は知られざる世界を覗く入り口になるかもしれません。

本作は実話ベースの映画であり、実在のレイシスト集団に所属していたブライオン・ワイドナーの伝記モノです。彼は後に反省し、この団体を抜け出すことになるのですが、その過程をリアルに描いています。つまり、ただの犯罪集団ギャング映画ではない、その悪しき思想に染まった人間が更生できるのかという心理的葛藤のドラマだというのはわかってもらえると思います。

このセンセーショナルで現代社会に深々と突き立てる刃物のような映画を監督したのが“ガイ・ナティーブ”というイスラエル出身のユダヤ人。もともとこのブライオン・ワイドナーを題材にしたTVドキュメンタリー『Erasing Hate』(2011)に衝撃を受けて、映画化しようと思ったとのこと。そこで題材は違えど人種差別をテーマにした短編『SKIN』(2018)を製作(わかりづらいですが同名タイトルでも関連はありません)。これがアカデミー賞で短編映画賞を受賞し、一気に本作『SKIN スキン』の製作につながったそうです。

かなり覚悟がいるであろうレイシストの主人公になりきったのは、『リトル・ダンサー』(2000年)で鮮烈な映画デビューをした“ジェイミー・ベル”。まさかあの子が十数年後にここまで強烈なレイシスト役をやるとは…。

他の俳優陣は、『パティ・ケイク$』『ダンプリン』の“ダニエル・マクドナルド”、『死霊館』シリーズでおなじみの“ヴェラ・ファーミガ”、舞台や映画で幅広く活躍する“ビル・キャンプ”、ドラマ『Marvel ルーク・ケイジ』で主演を務めた“マイク・コルター”など。こういう映画に出演すること自体、マイナスイメージがつきかねないので躊躇することも多い中、しっかり挑んでくれた俳優の皆さんは本当に凄いですね。

アメリカの配給は安心と信頼の「A24」です。ほんと、こういう作品を見逃さないなぁ、この会社…。

もはや全世界が避けては通れない差別主義との戦い。もしかしたらあなたの家族、友人、同僚、さらに自分自身さえも差別主義にいつの間にか染まっているかもしれません。差別主義は気づかないうちに全身に広がり、そう簡単には消せないことを痛烈に示す一作です。

オススメ度のチェック

ひとり ◎(ユニークな作品を見るなら)
友人 ◯(映画好き同士で小規模作を)
恋人 ◯(状況が特殊な愛のドラマだが)
キッズ △(暴力的な描写が多め)
↓ここからネタバレが含まれます↓

『SKIN スキン』感想(ネタバレあり)

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全身のタトゥーが示す自分自身

2009年、アメリカのオハイオ州、コロンバス。

夜。松明を持って行進している物々しい集団がいます。ナチスマークや差別的言葉を掲げて、ほぼ全員が黒づくめの格好で、スキンヘッド&タトゥーの威嚇的姿で練り歩く一団。彼らは白人至上主義者グループです。

それなりの人数が橋を進軍。やがてその彼らに抗議の声を上げる反差別主義のデモ運動をする集団と鉢合わせになり、一触即発に。白人至上主義者グループの男が反差別デモの黒人相手に唾を吐きかけ、その黒人の男が反撃して殴ったことで、一気に周囲は乱闘騒ぎに発展。あたりを警戒していた警察も加わっての大混乱になってしまいます。

そんな中、その場を逃げたひとりの黒人青年を追いかける白人至上主義者グループの二人。ひと気のいない場所で二人はその黒人青年をボコボコに暴行し、立ち去っていきました。

ブライオン・“バブス”・ワイドナーはその場しのぎな感じのタトゥー屋で働いていますが、安寧の両親や家庭がいるわけではありません。しかし、彼にはホームと呼べる場所がありました。それは白人至上主義者グループです。ブライオンは10代の頃に偶然この白人至上主義者グループをまとめあげるフレッド・クレーガーとそのパートナーであるシャリーンに拾われ、二人を親同然に思いながら過ごしてきたのでした。

そんな人生だったのでブライオンは当たり前のように差別主義的思考が身についています。いつのまにやらその差別主義は頭の中だけでなく、全身の見た目からも丸わかりなほどになり、スキンヘッドはもちろん体中に掘ったタトゥーの数は凄まじいです。今やフレッドとシャリーンの寵愛を受け、グループの幹部となったブライオンは筋金入りの差別主義者として君臨していました。

ある日、外の公園でいつもどおり集会をしていたブライオンを含むグループメンバーたち。しかし、その仲間のひとりがステージで歌う子どもたちに物を投げつけるという失礼な態度をとり、すっかり怯える子どもとその母親の女性。ブライオンはすかさずその無礼な仲間の男を殴りつけて首を絞め、謝罪させました。母親のジュリーは「ありがとう」とお礼を言い、少し会話しました。

そしてブライオンはアルコールとドラッグでぶっ倒れている日常を過ごしていると、突然警察が突入。連行されてしまいます。尋問を受け、殴られた黒人の若者の痛々しい写真を見せられ、女性警官は厳しい言葉で関与を追求。しかし、ブライオンはおもむろに立ち上がりズボンを下ろし始め、警官を挑発。結局、その場は解放されます。警察署を出ると、外で黒人女性に「モンスター」と怒鳴られますが、気にしません。

夜。3人の娘を育てるシングルマザーのジュリーのもとへ行き、タバコをふかしながら語り合う時間を過ごします。二人は親密になっていき、キスをし、そこには確かな愛が生まれていました。3人の娘ともなんとか仲良くなろうとプレゼントを渡したり、一緒に遊んだりと精一杯の努力をするブライオン。

しかし、ホームの白人至上主義者グループに戻れば絶対的なボスであるフレッドの指示のもと、排除対象の人種や異教徒に攻撃をしないといけません。しだいにブライオンの心には迷いが生じ、行動に躊躇いが…。

今、ブライオンは自分の新しいホームを見つけたことで、人生の大きな決断を考えていました。ところがそれは気持ちの変化だけで押し通せるものでもなく…。

人は変われるのか…。そして、変わった人は受け入れられるのか…。

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選択肢があるか、ないか

『SKIN スキン』はいわゆるギャング映画ではありません。犯罪行為をカタルシスたっぷりに描いたりなんてことはしません。まあ、それは当然のことです。

本作を観ていて気になるのは「なぜブライオンはそもそも白人至上主義者になったのか」ということ。

作中ではブライオンの過去はそこまで詳細に明示されません。その代わり、物語内で放浪している10代の若者をフレッドが拾うシーンがあり、それを通してきっとブライオンもこんな経緯でこの白人至上主義に参加したのだろうなと推察できるようになっています。

そう考えると自分で望んだ選択肢ではなく、そうしないといけない状況だった、結果の着地だったとも言えます。養子と同じです。ただ、通常の養子と違うのは親側の精査はないということ。つまり、悪い親に当たっただけとも受け取れるでしょう。

また、これは別に親に捨てられた境遇の子どもだけの問題ではない、全ての人間に当てはまるはずです。誰しもが生まれる親や世界を選べない。生まれたらそこで妥協して生きるしかない。そういうものです。

そして次に気になる点は「なぜブライオンは白人至上主義者をやめたのか」ということ。

これも先の論点と対応しています。それは自分で選択できるだけの人間になったからです。当然、自分の選択力を手にしても差別主義に身を投じる道を選ぶ奴はいるでしょう。それこそフレッドはまさにそういう人間です。でもブライオンはその道を選びません。

それはおそらくブライオンにとって最初のホームよりも最良の新しいホームを見つけられたからです。ジュリーの家庭はブライオンに愛を与えてくれました。誰かを傷つける犠牲を払わなくても愛は手に入るのか…そのことを知ったブライオン。

これらを考えると、ブライオンが変われたのは自分の力というよりは他者の力の方が大きいのかもしれません。

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「変われる」という映像の説得力

しかし、『SKIN スキン』は、変われました!めでたしめでたし…とはすぐにはなりません。

変わることの苦痛というものを、本作では計25回の16カ月に及ぶタトゥー除去手術というビジュアルでまずわかりやすく視覚化してきます。これは非常に明確ですよね。もちろん実際の痛みも相当なものだというのもありますが、そこにはブライオンの心理的な痛みも投影されているわけですから。

見た目は典型的なホワイトパワー・スキンヘッドだったブライオンが、ラストにジュリーの前に現れた時の姿に転身した光景を見ると、「変われるわけがない」となんとなく感じていた我々観客にもこれ以上ない説得力で「変われる」と提示する。静かな納得のある仕掛けだと思います。

一方で変われない人たちとして、もしくは変わることを否定する人たちとして、あの白人至上主義グループがあります。彼らの頑なに変化を拒絶する姿もまた印象的であり、それ自体が仲間同士の暴力という自滅を招いているのにそれも自覚しない。彼らを見ているとあの集団は別に特定の人種や宗教が嫌いなのではなく、自分の世界を乱す他の“正しさ”が気に食わないだけなのだろうとも思えてきます。だからこそ“正しさ”に感化されたブライオンを攻撃する。裏切り者として、激しく攻める。

人の強さは他者を受け入れられるかどうか…そういう視点も浮かんでくる物語でした。

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本作の落とし穴

挑戦心のある素晴らしい一作だったこの『SKIN スキン』ですが、一方で映画ならではの落とし穴もあるとも思いました。

というのも、本作では基本はブライオンにだけフォーカスしています。なのでついついブライオンを白人至上主義者の代表的サンプルみたいに扱ってしまいがちですが、それではいけないと思うのです。

「なぜブライオンはそもそも白人至上主義者になったのか」「なぜブライオンは白人至上主義者をやめたのか」は本作を観て語れます。分析もできます。でも、それが他の全ての白人至上主義者に該当するわけではないです。

また、本作を観て「差別主義者にも人の心があるんだ」と言ってしまうのはあまりにも安直な感想だとも思います。いや、別に人の心がないと言いたいわけではないですが、要するに「人の心」なんていう“お気持ち”議論で片づけてしまうのはとても危険だろうということです。

最近ネット上で「ユダヤ人の少女を愛でるヒトラー」の写真がバズり、「ヒトラーにも人の心があるんだよ」と嬉々として語る人も見かけたので余計にそう思ったり。差別問題議論を「心」で終始するのはそれこそ差別を招く恐ろしい行為です。

かといって『ブラジルから来た少年』(1978年)みたいに、全ては生物学的な遺伝子要因で決定するみたいな議論もナンセンスですけどね。

『SKIN スキン』のブライオンの変化の理由は自分を取り巻く社会構造にあるでしょうし、忘れてはならないのは転向したからと言って懺悔で全てが無かったことになるわけもないということ。

本作はそのあたりを割と不問にしているところも多く、ジュリーや反ヘイト団体を運営するダリル・L・ジェンキンスのような“受け止める側”が結構優しい存在になりすぎているなとも感じました。

『SKIN スキン』が投げかける題材のより現実的に直面する問題について考えるならば、ドキュメンタリー『チャナード・セゲディを生きる』が参考になるでしょう。これはネオナチだった男が自身もユダヤ系だったと判明し、ネオナチ団体を脱退してユダヤ教に入信しようとする姿を追いかけたものです。「変わろうとする側」「それを受け入れる側」のそれぞれの心理的な葛藤が生々しく伝わるのでオススメです(が、以前はNetflixで配信されていたけど今の時点では見れないので視聴は難しいかも)。

世界中にブライオンみたいな人はたくさんいて、個人個人で彼ら彼女らが求めているモノは違い、差別主義の底なし沼から救う手段も異なってきます。「差別主義から脱すること」「罪を償うこと」はまた別物です。むしろ後者の方が前者よりも何十倍も大変でしょう。さらに個人の変化を達成できても根本的な差別構造が残ったままならイタチごっこで意味がありません。その差別構造をどうやって打破するか、それは史上最大の難問です(それは『ダリル・デイヴィス KKKと友情を築いた黒人ミュージシャン』を観るとよくわかりますね)。

これは差別主義だけでなく、ドラッグ、パワハラ、性暴力などすべての問題に通じる話ではないでしょうか。

『SKIN スキン』が提示する希望めいたものは、問題全体のほんの一部を照らすだけ。しかし、それを放り投げるような余裕は今の私たちにはないでしょう。

『SKIN スキン』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 76% Audience 84%
IMDb
7.0 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)2019 SF Film, LLC. All Rights Reserved.

以上、『SKIN スキン』の感想でした。

Skin (2018) [Japanese Review] 『SKIN スキン』考察・評価レビュー