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『マイスモールランド』感想(ネタバレ)…川和田恵真監督が描く日本の中のクルド

マイスモールランド

川和田恵真監督が描く日本の中のクルド…映画『マイスモールランド』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:マイスモールランド
製作国:日本・フランス(2022年)
日本公開日:2022年5月6日
監督:川和田恵真
性暴力描写 人種差別描写

マイスモールランド

まいすもーるらんど
マイスモールランド

『マイスモールランド』あらすじ

クルド人の家族とともに故郷を逃れ、幼い頃から日本の地で育った17歳のサーリャ。現在は埼玉県の高校に通い、同世代の日本人の生徒と変わらない生活を送っている。大学進学資金を貯めるためアルバイトを始めたサーリャは、東京の高校に通う聡太と出会い、自身の素性を明かすなど親交を深めていく。そんなある日、難民申請が不認定となり、一家が在留資格を失ったことでサーリャの日常は追い込まれていく。

『マイスモールランド』感想(ネタバレなし)

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日本の難民事情を知っているか

プーチンによるウクライナ侵攻が多くの犠牲者を生み出している中、2022年4月初め、ウクライナから避難してきた20人を乗せた日本の政府専用機が羽田空港に到着したというニュースが流れました。たったの20人か…と思わなくもないですが、これは日本では異例中の異例の対応。なぜなら日本はほとんど難民を受け入れない国だからです。

日本の難民事情は話題になりにくく、身近に感じている日本人も少ないでしょう。そもそも難民とはどのような手続きを踏んで日本に来て生活するのでしょうか。

そもそも難民とは国際的には「難民条約」で規定されているのですが、その根拠となる条約内の定義は曖昧なので各国に判断が委ねられてしまいます。それでも多くの国々は周辺国と議論しつつ、おおよその納得がいく共通定義で難民を認定しているのですが、日本ではかなり独自の解釈で難民を認定しているという事情があります。そのひとつが「個別把握論」とも呼ばれ、政府から個人的に把握されて狙われていなければ難民ではないという考え方です。当然、政府から個人的に攻撃されているという立証は難しく、だいたい迫害というのは漫然と当事者の人生に侵蝕してくるものでしょうし、現実的な難民の実情と乖離しています。

難民として日本に来た人は、難民申請をすることになりますが、その結果は平均4年以上、長い場合で10年近くかかるとのこと。難民申請後8ヶ月すると就労が許可されますが、生活は相当に厳しいです。後は申請の結果しだい。そして在留資格の無い難民申請者は「不法(非正規)滞在者」とみなされてしまいます。

「難民支援協会」によれば日本の2019年における難民申請者は10375人に対して認定は44人でした。難民認定率は海外と比べると極端に低く、カナダは約55.2%、ドイツは約41.7%、アメリカは約25.7%、一方の日本の難民認定率はわずか約0.5%です。

なので上記のウクライナからの20人の受け入れというのは(あくまで日本では)思い切った事例であり、わざわざ「難民」ではなく「避難民」といって誤魔化すほどの既存の慣習から逸脱した出来事なのでした。

今回紹介する映画はそんな日本の難民について少しでも身近に感じる体験を与えてくれる作品だと思います。それが本作『マイスモールランド』

『マイスモールランド』は日本で暮らすクルド人の家族、そのうちのひとりである女子高校生を主人公に描いたもので、難民としての実態が淡々と映し出されます。「クルドって何だっけ?」という人もその疑問を含めてこの映画で知っていけばいいのではないでしょうか。当事者がどんな想いをしながらこの日本で生きているのか、そしてどんな目に遭っているのか…本作は全てを網羅しているわけではありませんが、その生々しい苦悩はじゅうぶん伝わるでしょう。

『マイスモールランド』を監督したのは本作が商業映画デビューとなる“川和田恵真”。“川和田恵真”監督は映像制作集団「分福」に所属するひとり。最近も映画監督の女優への性加害が相次いで告発されるなど業界内でのハラスメントが表面化したことを受け、「映画監督有志の会」が「日本映画製作者連盟」に防止策を講じるよう求める提言書を提出していましたが、その中心で活動している“是枝裕和”“西川美和”といった世界レベルの日本監督が生み出したのが「分福」です。若手監督育成の場になっており、近年は『エンディングノート』『夢と狂気の王国』の“砂田麻美”監督、『夜明け』の“広瀬奈々子”監督などが、キャリアのスタートを切っています。

“川和田恵真”監督はイギリス人の父親と日本人の母親を持ち、“是枝裕和”監督の作品などで監督助手を務めつつ、ついに『マイスモールランド』で大きな一歩を踏んだわけですが、題材としてはかなり挑戦だったはず。なにせ日本では難民を主題にした映画なんて滅多にない状況です。リサーチや俳優を揃えるのも含めて撮るのは大変そうです。

無論、『マイスモールランド』では難民の人たちが主役なのでマイノリティな人種の俳優を起用することになります。そんな本作で主演を飾ったのは、モデルで活動中の“嵐莉菜”。日本、ドイツ、イラン、イラク、ロシアのマルチなルーツを持っており、白羽の矢が立ったのでしょうけど、映画初出演ながらその佇まいは堂々としており、こういう作品での才能も感じます。“嵐莉菜”はクルド系ではありませんので当事者起用ではないのですが、“川和田恵真”監督も「当初は日本に住むクルド人の方に出ていただくことを考えていたが、難民申請中の方が映画に出演することによって背負うリスクを考え、今回はキャスティングすることは避けました」と答えており、確かにそうだろうなとは思います(作中でも在日クルド人が労働していることが発覚してしまい大変なことになるし…)。

なお、“嵐莉菜”演じる主人公の家族を演じているのは“嵐莉菜”本人の家族であり、とても素の家族の姿が表現されており、この家族描写の上手さはさすが「分福」だなと感じるところ。

共演は、『MOTHER マザー』でなかなかに衝撃の俳優デビューとなった“奥平大兼”、他には“池脇千鶴”、“板橋駿谷”、“韓英恵”、“平泉成”など。

『マイスモールランド』は『アイヌモシリ』のようにマイノリティな人種・民族を扱いつつ、ジャンルは青春映画にもなっているので観やすい部類だと思います(差別描写などはしっかりありますけどね)。2022年の見逃せない日本映画のひとつとしてぜひ。

オススメ度のチェック

ひとり 4.5:2022年の必見作
友人 4.0:関心ある者同士で
恋人 4.0:わずかにロマンスの空気あり
キッズ 4.0:社会問題を知るためにも
↓ここからネタバレが含まれます↓

『マイスモールランド』感想(ネタバレあり)

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あらすじ(前半):私たちはここで生きている

日本の埼玉県の某所。在日クルド人が集まり、外で結婚の祝いをしていました。それに参加していた17歳のサーリャは「次はあなたの番ね」と声をかけられ、何とも言えない表情を浮かべます。

朝。その祝いの場でつけた手の平の赤い丸を洗い落そうと必死になるサーリャ。でも消えません。

学校に行き、仲良しの女子高校生友達とテストについて語り合います。ある男子に憧れる友人のひとりは、サーリャのいかにも外国人らしい整った顔つきを褒め、「まつげをわけてほしい」と無邪気に口にします。実はサーリャは学校ではドイツ人ということにしていました。

その後はコンビニでバイトです。店長はサーリャの手の赤い丸を気にしますが、「美術の授業でつけちゃって」とサーリャは誤魔化します。すると一緒にバイトしていた同年代の崎山聡太が助け船をだしてくれました。

バイト終わり、サーリャは「なんでいつもシフトが終わってからも働いているの?」と聡太に聞きます。どうやら店長が叔父だそうです。一緒に並んで帰ると、聡太は「ほんと、なんで手が赤いの?」と遠慮がちに聞いてきます。「これはトマト食べすぎたから」とサーリャが答えると「嘘下手だなぁ」と気楽そうに聡太は口にします。

帰宅。サーリャの父のマズルムは「遅くなるな、夕食は家族と一緒だ」とクルドの言葉で語り、それがわからない妹のアーリンは「また私に聞かれたくない話?」と不満げ。父はまだ幼いサーリャの弟のロビンにクルドの言葉を教えていました。サーリャの他のクルド人のために日本語のサポートをしたりもしています。

久しぶりに小学校に行くと当時の先生が温かく迎えてくれます。「昔は日本語がわからなくて大変だったよね」「最近はどうなの? 来年受験でしょ」と今も優しいです。

父と一緒にロビンの担任の先生と面談。ロビンは学校ではクラスメイトと喋らないそうで、自分を宇宙人だと言ったとのこと。

帰りに「どうしてそんなことを言ったの?」と訊ねると「“何”人って聞くから言っただけ」と答えるロビン。父は「胸を張ってクルドと言えばいい。俺たちの国はここにあるんだよ」と心臓を指差します。

そんな生活の最中、家族は行政から「難民申請は不認定となりました」と突然の説明を受けます。父は「 私は難民です。何が足りないんですか」と言いますが、担当者は「私にはわかりかねます」と弱々しく説明に徹するのみ。「家が軍に焼かれました。刑務所にいれられて…」と拷問の傷を見せる父ですが、「これでも難民じゃないんですか!」という大声も届きません。

「本日よりこの在留カードは無効になります」と目の前で穴を開けられ、仮放免の説明に移り、条件付きで外での生活が認められるものの、県外への勝手な移動や働くことは禁止だと宣告されます

その帰りに弁護士に「私たちはどうしたらいいですか」と助けを求めますが、現状でできることは乏しく、「とにかく仮放免のルールは守ってください。健康には気を付けてください」とだけ言われます。

しかし、そうは言っても働かないと生きてはいけず…。

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在日クルド人の現実

『マイスモールランド』内でサーリャの父親のチョーラク・マズルムが崎山聡太に説明していましたが、たいていの日本人は「クルド」をよく知りません。聞いたことすらない人も多いでしょう。

クルド人は山岳民族であり、トルコ、イラク、イラン、シリア、他にも中東の各国に広くまたがるように分布しており、人口は3000万~4800万人と推定されています。もともとはそれら地域一帯を支配していたオスマン帝国という他民族国家があり、クルド人もその中で暮らしていました。しかし、第一次世界大戦によってオスマン帝国は崩壊。現在の国境が生まれ、民族対立が激化し、クルド人の居場所は無くなってしまいます。

クルド人の姿は『風が吹くまま』(1999年)や『バハールの涙』(2018年)などで描かれており、映画でも見ることができます。

こうして世界中で難民となってしまったクルド人。日本には約2000人の在日クルド人がおり、外国人労働者が働きやすい工場が多い埼玉県に住んでいる在日クルド人が多いそうです。1.28億人の人口を有する日本ですからその割合は約0.001%と微々たるもの。でも在日クルド人は確かにそこにいる。

ドキュメンタリーでは『東京クルド』などでその姿が映し出されていましたが、劇映画で向き合う体験ができるのは『マイスモールランド』の貴重な意義です。

作中ではサーリャたちが受ける、いわゆるマイクロアグレッション的な無自覚な差別や偏見がたくさん描写されます。例えば「“何”人か?」という当然のような問い。ロビンは宇宙人とやけくそで答えるしかできず、サーリャはドイツ人という答えにとりあえず避難する。また、「あなたお人形さんみたいね。とっても言葉がお上手よ、外人さんと思えない。いつかお国に帰るんでしょ」という表面上は親身に思える言葉の棘。そして「日本からでていけ」という直球の言葉の暴力も…。

常に「お前は日本人ではない」「良い外国人になれ」とジャッジされ続ける日々。それが行政サポートの打ち切り、入国管理局への収容というかたちで切り捨てられる。

迫害から逃げるために難民として日本に来て、その日本でまた迫害を受ける。ではそうしたらどこに逃げればいいのか? 『マイスモールランド』はその問いをマジョリティな日本人に投げかけます。

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クルド人というだけでなく

『マイスモールランド』は難民の側面だけでなく、家父長制や若い女性の貧困など、今の日本の目を背けることはできない現実を巧みに混ぜ合わせて描いているのも印象的でした。

例を挙げるなら、サーリャは父が捕まって不法就労で収容されてしまって以降、ひとりで家族を支えないといけない状況に陥ります。受験も諦め、稼いだ資金も全て生活費に回し、それでも足りない。そんな中でパパ活として中高年男性とカラオケに行って稼いでいる友人に誘われるという展開があり、サーリャだけでなく多くの女子高生が貧困にあることが推察できます。あのルームシェアを3人で夢見るくだりも、背景にあるのは経済苦境と若い女性がひとりで生きることのリスクです。

そんな中でサーリャはパパ活の男に強引にキスを求められ、性被害を受けます。ここには、昨今も問題構造が浮き彫りになっている「女子高校生を性的に消費する」文化、そこに「外国人女性を性的なアイコンとして捉える」というものも加わり、日本の恥ずべき現状がハッキリ突きつけられます。

一方でサーリャは家父長的な「女性の幸せは結婚にある」という価値観にもさらされる。そこはクルドと日本と残念な共通点であり…。

本作はサーリャと崎山聡太が交友を深め、なんとなく恋愛的な惹かれあいになるのかなと思わせる雰囲気もありますが、そこまで踏み込みません。でもそれで良かったなと思います。下手をすればクルド人女子高校生は“良き日本男子”と付き合えばそれでいいだろうという安直な解決になってしまうし、本作がそこで一定のストッパーをかけてフワっとした幸せ論に逃げない着地で安心はしました。

『マイスモールランド』はしっかり「クルド人」と「女性」の交差性を捉えている映画でした。

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困惑する日本人・無視する日本人の視点

『マイスモールランド』はクルド人がメインですが、その周辺にいる典型的な日本人の姿も描かれています。

もちろん加害行為を平然としている日本人もいます。クルド人なんて知るか、勝手にしやがれ…そんな感じで無関心という名の暴力をぶちこむ輩なんて普通にいるし…。

一方で、とくに印象深いのは崎山聡太やその母親がサーリャたちの現状を知ったときの態度。それぞれが申し訳なさそうな顔をして、いたたまれない心情を見せつつも、何をすればいいのかわからず困惑をしているだけという…。これはものすっごくベタな日本人的反応であり、既視感がありすぎる…。

もしこれがアメリカの血気盛んなZ世代の10代だったら全然違いましたよ。きっと「そんな酷い目に遭っているの?! よし、なら抗議してやろう!」とハッシュタグ・アクティビズム全開で連帯を開始して入国管理局前でデモを始めたでしょう。でも日本にはそんなカウンターはそこまで根付いていない…。

従うしかできない、抗うことは許されない…そういう日本社会の体質が本作には随所で滲み出ていて…。

こうやって振り返ると、日本人は全体的に社会に蹂躙されすぎていて迫害を迫害と捉えずに生きている、難民になろうとしない(なることさえできない)困窮民族なのかもしれないなと思ったりも…。

『マイスモールランド』は、日本社会に息づく日本語ではない言葉を可視化し、その当事者の人生さえも顕在化させて、映画に変えています。本作自体は素晴らしいですが、これくらいしか今の日本にできないというのは寂しくもあり、悔しくもあり、虚しくもある。

「小学校の先生になりたい」という夢を叶えるのに人種も民族も壁にならない国にしたいものです。

『マイスモールランド』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer –% Audience –%
IMDb
?.? / 10
シネマンドレイクの個人的評価
8.0

作品ポスター・画像 (C)2022「マイスモールランド」製作委員会

以上、『マイスモールランド』の感想でした。

『マイスモールランド』考察・評価レビュー