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『ソニ SONI』感想(ネタバレ)…Netflix;苦悩する女性警官を描くインド映画

ソニ SONI

苦悩する女性警官を描くインド映画…Netflix映画『ソニ』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

英題:Soni
製作国:インド(2018年)
日本では劇場未公開:2019年にNetflixで配信
監督:アイヴァン・アイル
性暴力描写

ソニ SONI

そに
ソニ SONI

『ソニ SONI』あらすじ

大都会デリーでは毎晩のように男たちが不届きな行為で治安を脅かしている。そんな犯罪と戦い続ける短気な女性警官と冷静な女上司。組織内部、そして社会全体に根付く深い性差別にも負けず、正義を貫こうとする2人だったが…。

『ソニ SONI』感想(ネタバレなし)

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日本とインド、共通する性犯罪と社会

2019年2月も始まるや否や、俳優として映画でも幅広く活躍する新井浩文が強制性交容疑で逮捕された事件が日本の芸能界を震撼させました。世界の映画業界情勢に敏感な方ならわかるように、今、世界では映画界に巣くう性犯罪に対して非常に厳しい目線が向けられています。当然、日本も例外ではなく、今回の一件は日本の芸能界・映画界における性犯罪問題に関して議論するひとつの出発点になってもおかしくない…はずでした。ところがそうはなっていません。

世間のマスコミも一般も、話題にするのは「逮捕された俳優の出演作品はどうなるのか?」という話ばかり。加害者側の仕事事情にしか興味ないようです。「出演作品の自粛や延期&中止」はやめるべき、まだ犯人とは決まっていないから…と言う声も目立ち、なかには完全に加害者擁護に傾倒する業界人さえ現れる始末。被害者の視点に立った意見は非常に乏しいです。

私は「出演作品の公開延期&中止」が嫌なら、俳優を代替して再撮影で間に合わせるだけの実力を業界が発揮すればいいだけだと思いますし、実際にそれをやってみせた事例もあるのだから、言い訳はできないとも思います。

そもそも「性犯罪を起こさない」ことが最重要です。性犯罪なんてなければ、不幸な作品も生まれないのですから。まだ犯人とは決まったわけではないという意見もわかりますが、なにより社会というのは弱者の側に立つべきだと私は考えます。もしあなたが被害者だったら、裁判が終了するまでには相当に時間がかかるその間、平然と何事もなかったかのように容疑者を扱う社会を見てどう思うでしょうか。

ともかくこの一件は、性犯罪に関する日本の社会意識の希薄さ、そして「加害者ばかりに視点が集まり、被害者は無視される」という根深い闇をあらためて突きつけました。

そんな中、近い時期に奇しくも今回の一件にピッタリと重なるような題材の映画が、Netflixで配信されていました。それが本作『ソニ SONI』です。

本作はなんとインド映画。皆さんはインド映画と聞くとどうしても「歌って踊る」賑やかなイメージがあると思いますが、本作にはそんなものは一切なしのシリアス・ドラマです。

実はインドも今、映画界で蔓延するセクハラや性犯罪が問題になっています。ただ、日本と違うのは、それを業界で働く女性が中心になって問題提起して映画祭などで積極的に議論しようとする動きがあることです。それだけでも日本とは雲泥の差だなと羨ましく思ったりするわけですが、でもやはりインドの性犯罪は深刻なようで…。

『ソニ SONI』はフィクションですが、2012年にインドのデリーで発生した集団レイプ事件に触発されて作られた映画だそうです。この事件は、若い女性が6人の男性に性暴行され死亡したもので、この事件を引き金にインドでは性暴力をめぐる厳罰化などを求める国民の抗議が活発化したとか。

ただそれでもインドは性を理由に相手を踏みにじることが日常化しており、本作はそれをテーマに女性警察官の視点で「加害者ばかりに視点が集まり、被害者は無視される」という根深い闇を描きだしています。本作はヴェネツィア国際映画祭にて上映され、高く評価されました。

残念なことに性犯罪社会に国境はないようです。本作のような映画を観て、被害者の視点に立つことを忘れないようにしたいものです。

↓ここからネタバレが含まれます↓

『ソニ SONI』感想(ネタバレあり)

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鉄拳制裁型おとり捜査の果てに

冒頭、夜の街中の道路を自転車で疾走する女性。その後ろを口笛で気をひくようにつきまとって同じく自転車で追走している男性。「セクシーだね」「君のその歩き方、そそるね」とお調子者な感じでナンパしてきますが、女性は立ち止まると「なぜついてくるの」と強い口調で跳ね返します。それでも下がらない男性は「君から誘ったんだろう」といけしゃあしゃあと反論。女性は「下がらないと殴り倒すよ」と警告…しかし、男はどうせ強がりだと思ったのか、余裕の態度。ところがこの女性、本当に殴り倒し、そのまま地面にうずくまる男に拳を叩きこむのでした。

そこへ駆けつける大勢の警官。そう、これはおとり捜査だったのです。

このナンパ男をぶちのめした若い女性こそが本作の主人公で警官のソニ

個人的なことを言わしてもらえれば、ナンパ男くらい相手ならあれくらいの反発しても良いと思いますよ。そういえば以前に親から「昔は露出狂が近所に出たら、みんなでバットを持って追いかけまわした」という昔話を聞いたなぁ…。

でも本作のソニは警官。立場上、それはできません。上司の女性カルパナと車に二人きりになったソニは「凶器も持っていないのに、あれは過剰防衛だ」「キレただけでしょう」と厳しく叱責され、何も言えずじまい。

しかし、ソニの問題行動は別の日にも。またもや夜に飲酒運転の疑いで停車させた車の運転手の男は「私は海軍だ」と偉そうに言い放ち、ソニをくちといてばかりで全く反省の色なし。警察を舐め切っています。案の定、ブチ切れたソニは男を車から引きずり出して押し倒す暴挙に。

このソニ、どうやらかなりアグレッシブでカッとなりやすいタイプの人間のようです。ブルース・ウィリスとかがよくやるやつですね(まあ、ブルース・ウィリスだったら相手は死んでいるでしょうけど)。

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踊りも歌えもしない者たち

じゃあ、上司であるカルパナはこのソニを警官にふさわしくないと低評価に思っているのか。

それもまた違うようで…。

度重なる不祥事でペナルティを受けたソニを警官として評価し続け、庇うこともするカルパナ。なぜ彼女がそこまでしてソニの側につくのか。

それはきっとソニの怒りを内心では“よくわかっている”からに他ならないのでしょう。あんな人としてどうかしている男なら、手を出したくなる気持ちも理解できる…でもそれは職務としては許されない…そのジレンマ

さらにカルパナとソニは仕事外での家庭では問題を抱えているのも共通しています。カルパナは仕事で家にいることはあまりできず、夫婦関係もすれ違ってばかりだと怒られる状況。一方のソニは夫とは軋轢を抱えており、夫側は関係を修復したいようですが、事実上は別居離婚の冷めきった状況。

家庭でも仕事でも社会でも常に女性ゆえにフラストレーションを抱えている二人。もちろんこの二人の苦悩はインド社会の女性を代弁するものでもあります。

一方の男性は、権力や社会的立場を武器に、ときに罪を隠蔽し、ときに罪を許してもらおうとし、ときに罪をでっちあげて利益を得ようとする。無論、男性が全員加害者だという極論を言いたいわけではないです。

でも、とくに性犯罪というのは“権力”を盾にして行われるというのはこの犯罪特有の問題であり、解決を困難にしている理由でもあります。“権力”というのは、富、キャリア、コネ、人種、宗教、そして性別とさまざまなかたちに姿を変えます(大学でのレイプ問題を扱ったドキュメンタリー『ハンティング・グラウンド』も参照)。

男性自身も気づいていない「ジェンダーを理由に実は下駄を履かされている」という男ならではの“見えざる問題構造”が、本作からは見え隠れしていましたし、それこそがソニとカルパナを苦しめる正体でもあります。

本作では終盤に「ローリー祭り」(インドの北部で行われる冬至を祝う祭りっぽいですね)で街の人が焚火をあちこちで囲んで静かに踊り歌っているシーンが映ります。その中で、ソニとカルパナはそれぞれでそのお祭りムードとは真逆と冷たく暗い面持ちでただ黙って通過していく…この一連の場面は、何もできない正義の虚しさを、サイレントな演出で伝える映画的な切れ味のあるものでした。

従来の歌って踊るインド映画の偶像に対する強烈なアンチテーゼでもありました。

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私たちが本当にすべきこと

前述したように、最近でも起こる性犯罪事件にまつわる社会の反応をそのまま風刺するかのようなシーンもあって、印象的でした。

序盤、ソニの働く警察署で、地主の男が押し入って乱暴してきたんだと訴える女性とその男が言い争いをしている場面。騒ぐ当事者をソニは一喝し、女性のでっちあげだと判断、周りの男性警察官も同調するような雰囲気になりますが、後にカルパナはそんなソニたち警官を「ここは裁判所じゃない」と叱りつけます。

どうしてもこの手の事件が起こると罪の有無を議論したり、「冤罪だ」「推定無罪だ」とかなり飛躍した主張を展開する人がワラワラと出てくるものです。でもそれは警官ですらそんな論議をすべきことではないとこの映画は一蹴するようです。作中でも「俺にも権利がある」「証拠を見せろ」とのたまう男に対して「法廷で見せます」の一瞥で相手するカルパナがいましたが、そのとおり。それは裁判の役割です。

では私は何をすべきなのか。

映画で提示されるその答えはとてもシンプルなことでした。

それは「被害者の声を聞くこと」。罪を裁定するのは特別な資格を持った人の特権ですが、声を聞くのは資格などいらない誰でもできることなのです。

作中では、声を上げられない被害者の姿が確かに映っています。警察署で無言で怯える女性。女子トイレをコカインを吸う場所として男に占拠され、外でジッと待って耐える親子。それはこのままでは社会に黙殺されることは間違いない“弱き者”の苦しさ。その苦しさを発見して、すくいとり、正しい手続きを踏んで、裁判へとつなげる…それが警察の仕事だと。

終盤に13歳の姪ニシュが学校で性的ないじめに遭い、苦しみ、加害者への憎悪をつのらせている姿を見たカルパナ。「私の言葉で状況は変わらなかった」「でもあの子の気は楽になった」…警察の力が及ばない範囲でもなんとか救えないかと彷徨う正義の心を持った女性たち。彼女のような人間の努力が無駄に終わらず、救いになると信じるしかないのでしょうか。

ラスト、緊急通信センターに異動になったソニが通報に応答する場面。そこには「被害者の声を聞く人」が確かにいました。

今、まさに被害に苦しんでいる人がこの文章を読んでいるなら伝えたい。たとえ全世界が悪意に満ちた敵だらけだったとしても、あなたの声を聞いてくれる人はいます。必ず。

『ソニ SONI』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 83% Audience –%
IMDb
7.3 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★

(C)Netflix

以上、『ソニ SONI』の感想でした。

Soni (2018) [Japanese Review] 『ソニ SONI』考察・評価レビュー