そして私たちのアイデンティティ…映画『KNEECAP ニーキャップ』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:イギリス・アイルランド(2024年)
日本公開日:2025年8月1日
監督:リッチ・ペピアット
性描写
にーきゃっぷ
『KNEECAP ニーキャップ』物語 簡単紹介
『KNEECAP ニーキャップ』感想(ネタバレなし)
このグループの音楽はいつも政治的
「アーティストは政治的発言をしないで…」なんて戯言はこの音楽グループには通用しません。
誰のことか? 今回の主役は「ニーキャップ(Kneecap)」です。この北アイルランドのヒップホップトリオは、今やイギリスとアイルランドの二国間における政治論争の中心に立っています。いや、もう二国に収まらないかもだけど…。
この音楽グループを知るには俗に言う「北アイルランド問題」を当然のように理解していないといけないのですが、イチから説明するとすっごく長くなるので、以前の『ベルファスト』の感想記事に簡単に整理されているので、そちらを参考にしてください。
要するに、「ユニオニスト」(北アイルランドがブリテンと連合【ユニオン】している状態こそ理想だとする)と、「ナショナリスト」(アイルランドのアイデンティティを何よりも重視してアイルランド全島で一つの国家【ネイション】となることを目指す)との間の軋轢です。
無論、これは「どっちもどっち」の問題ではなく、植民地主義に起因する不均衡な支配の問題ですので、イギリスという国家自体が歴史的に植民地主義と切っても切り離せない存在であることを証明しています。
少し前までは「ナショナリスト」の思想に基づいた「アイルランド共和軍暫定派(IRA暫定派;PIRA)」がテロ活動をしていたりしたのですが、2005年に武装解除しました。
それで終焉した…かに思えますけども、実際のところ、さらに分派などが出現し、今も暴力的な活動は散発的に起きています。過去の話ではありません。
そして何もその「ナショナリスト」の活動は暴力だけでない…ということで「ニーキャップ」の存在に行きつくわけです。
この音楽グループは「音楽(ヒップホップ)」という表現媒体で「アイリッシュ・リパブリカニズム」を訴えており、その何よりも武器となるのが「アイルランド語」なんですね。
アイルランド語は英語と全く異なるルーツがあり、独自の文化を象徴していますが、一方でどこか嘲笑の対象になりやすく、それはアイルランド人も薄々体感していたことでした。そんな現状に対して「いや、アイルランド語、カッコいいだろ! 堂々と使おうぜ!」とラップで駆使するこの「ニーキャップ」によるパフォーマンスはまさに言語のイメージを変える挑戦です。
そんな音楽グループを主題とした映画が本作『KNEECAP ニーキャップ』。
ただ、この映画、昨今も作られまくっているミュージシャンの伝記映画と同様のカテゴリに入れるには、ちょっと異色というか、特異すぎる一作です。
というのも伝記映画の体裁をとっていますが、かなり大幅にフィクションなんですね。一般的なミュージシャンの伝記映画も史実と異なるフィクションが多少なりとも入っているものですが、この『KNEECAP ニーキャップ』は相当にフィクションです。「半自伝的」という言い方も不適切なような…。伝記“風”のフィクション映画という言い方がぴったりかもしれません。
『こいつで、今夜もイート・イット アル・ヤンコビック物語』ほどデタラメに振り切ってはいませんが、『KNEECAP ニーキャップ』も別方向で負けていません。
なにせ『KNEECAP ニーキャップ』は本人が本人役で主演に立っています。なので堂々とセルフパロディしているようなものです。となると素人臭いチープなクオリティなのかなと思ってしまいますけど、こう言っては失礼ですが、想像以上によくできていてびっくりもします。ちゃんと真面目に文化的アイデンティティに向き合っているのが真摯に伝わります。
本作『KNEECAP ニーキャップ』を監督したのは、北アイルランド出身の“リッチ・ペピアット”。もともとジャーナリストだったそうで、差別的なタブロイド紙にうんざりして業界を辞め、その自身の経歴を基に『One Rogue Reporter』というコメディショーとドキュメンタリーを手がけました。今回の『KNEECAP ニーキャップ』は初の長編劇映画監督作となります。
背景の政治社会問題は複雑ですが、映画としての『KNEECAP ニーキャップ』はシンプルなコミカル音楽エンターテインメントにもなっていますので、肩の力を抜いてラップにノってみてください。
『KNEECAP ニーキャップ』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
基本 | — |
キッズ | 直接的な性行為の描写があるほか、暴力描写もあります。 |
『KNEECAP ニーキャップ』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
西ベルファストで生まれ育ったリーアムとニーシャは幼馴染で、2人は子どもの頃から仲良く、悪いことをしまくっていました。今はドラッグディーラーをやっており、自分でもハイになりながらいろいろな人に薬物を渡す毎日です。
当然、警察に追われることになり、逃げまくるのもいつもの日課。
今回は麻薬取引で警察に捕まってしまったリーアム。しかし、取調室でもなおも黙秘を貫き、英語を話そうとせず、「アイルランド語しか話せない」と主張します。
実はリーアムとニーシャは、ニーシャの父であるアーロからアイルランド語を幼い頃から学んでいました。アーロはアイルランド独立運動に関わっていた経歴の持ち主で、荒っぽいことをしていたのでイギリス当局に目をつけられ、わざわざ自分の死を偽装までして逃げました。現在は隠遁しながら暮らしています。妻のドロレスはそのアーロの傍にいながら、アーロの反骨精神が息子とその友人に受け継がれているのを見守っていました。
捕まったリーアムが一切話さないので、やむを得ず警察はアイルランド語を話せる人物を呼び寄せます。そこで引っ張り込まれたのが、学校で音楽教師をしているJJでした。JJはアイルランド語を話せますが、その文化的価値などを現代の若者に伝えるのに苦労していました。アイルランド語はどうしてもダサくみえてしまいます。
疲れて寝ていたところ、JJは夜中の呼び出しに半ばうんざりしつつ、署に出向きます。
リーアムと対面し、アイルランド語でぎこちなくやりとりするも、微妙な空気で終わるだけ。明らかにリーアムは罪を隠したがっており、とりあえず話をやや合わせつつ、リーアムの手帳だけ持ち帰ります。
一旦家に帰り、JJはリーアムの手帳に綴られていたアイルランド語の歌詞を発見。ただの調子に乗った若者だと思っていましたが、かなり良いセンスです。それをラップの歌詞として音楽にすることをJJは思いつきます。
そしてリーアムとニーシャに、若い世代に訴えるためにアイルランド語のヒップホップグループを結成しないかと持ちかけることに…。
アイルランド語は自由のための弾丸

ここから『KNEECAP ニーキャップ』のネタバレありの感想本文です。
『KNEECAP ニーキャップ』、清々しいくらいに直球な反権力・反体制の映画でした。ミュージシャン映画で言えば、『ストレイト・アウタ・コンプトン』と肩を並べる感じなのかな(とくにドラッグ界隈の層による反“警察”の側面が一致するあたり)。
北アイルランド紛争はもう終わった…些細な争いだった…あんなのすでに“問題”なんかじゃない…。そんな昨今の世間に漂う空気に対して、「いやいや、待て待て!」と割って入る。
もちろん緑とオレンジの分断を煽りたいわけではない。そうじゃなくて、無関心はヤバいよな!…それに同化する気はないからな!…という訴えですね。
こういう政治姿勢を若い世代が発信することのパワーがとにかく炸裂していました。
日本もそうですけど、歴史というのはどうしたって風化しますし、若い世代ほど関心が薄れます。日本でも非政治的な態度をとることが「スマート」だと思っている、そういう若年層は少なくないですし、それが適応だと思い込んでしまっています。社会で生きているとそういう習慣がついてしまうんですね。実はそれこそいつの間にか「同化」されていることになるし、権力への「迎合」だたったりするのですが…。
それに対してあの「ニーキャップ」は「アイルランド語は自由のための弾丸だ」という教えのとおり、言語を武器にして闘います。陳腐なレトリックじゃなくて、研磨されたリリックが炸裂していく展開はとても気持ちがいいです。
一方でユーモアも良い塩梅で面白く場を和ませます。
リーアムが恋愛関係となるジョージア(演じるのは“ジェシカ・レイノルズ”)との、あのどうしようもないセックス・プレイでのSM感のあるスタイルで表現される馬鹿々々しさとか。
はたまた、DJプロヴィを名乗るJJのあのハジケ具合とか。彼は教職の人間なので、誰よりも人一倍に言語文化の誇りを噛みしめながら、でも職業倫理との間で葛藤するのですけども、その姿が傍からみると滑稽なのでずっと面白いという…。
しかし、ただ笑い者では終わりません。ちゃんと大盛況となってその活動が知られていくにつれ、「アイルランド語、カッコいいじゃん…!」と世間の評価が変わっていく空気の変容もしっかり作中で捉えていきます。そのカタルシスですね。無関心だった人たちが関心を持ってくれる…これほど嬉しいことはありません。
そしてそれがそのまま同化に対する抵抗のエネルギーになります。バカ騒ぎしたいわけじゃない…芯にあるのは社会正義に基づく社会運動(プロテスト)。この姿勢が揺るがないからこそ、この映画『KNEECAP ニーキャップ』は、近年のおカネ儲けのブランドPRのためのミュージシャン映画の濫造とは全く違う存在感を放っていたのではないでしょうか。
反植民地主義を第一に
『KNEECAP ニーキャップ』は「ナショナリスト vs ユニオニスト」の二項対立ありきではなく、この社会の複雑な図式も浮かび上がらせていくのも風刺として印象的でした。
例えば、作中でニーキャップは「Radical Republicans Against Drugs(RRAD)」なる麻薬に反対するアイルランド共和主義者の自警団に目をつけられ、妨害を受けます。これは現実に実在した「Republican Action Against Drugs(RAAD)」という組織をパロディにしており(実在組織のほうは今は他と合併して「New IRA」になったそうです)、ニーキャップの活動は従来のナショナリストからも煙たがられているのがわかります。
やっぱりドラッグをやりまくってパーティー三昧な連中と一緒にはされたくないのでしょうか。
結果、ニーキャップは新世代のナショナリストとしてやはり異彩を放つことに…。
そしてその世代更新を象徴するのが、ニーシャの父であるアーロとの衝突と受容です。結構ベタと言えばベタな展開なのですけども、アーロに“マイケル・ファスベンダー”を起用するというキャスティング時点でギャグとしても決まっていますし…。
そのニーキャップの活動ありきでとどまらず、ケイトリンの「アイルランド語法」制定に向けた活動を取り上げたり(北アイルランド人の約10.65%はアイルランド語をある程度理解しており、約0.2%は母語としてアイルランド語を話す程度で、その文化の消失を防ぐための法律)、やっぱりちゃんと歴史に向き合っているのも誠実で良かったです。
最後はドロレスのパブで厳かに歌うシーンで締めるのも味わいがあります。
本作『KNEECAP ニーキャップ』を観て、ちょうど日本で話題になっている某政党の「日本人ファースト」とやっていることは同じだと誤解する人がいたらあれなので忠告しておきますけど、このニーキャップの活動はそういう振る舞いとはまるで異なるものです。
そもそもニーキャップの政治姿勢は反植民地主義です。日本に当てはめるなら「沖縄から米軍は出ていけ!」という政治運動のほうが断然近いでしょう。
本作は本国では2024年公開でしたが、彼らは2025年も話題の渦中にいます。なぜならイスラエルを徹底して批判し、パレスチナへの連帯の姿勢を示したからです。モ・カラの名で活動するリーアムが昨年のコンサートでヒズボラの旗を掲げたとしてテロ行為の罪で起訴されたりと大騒ぎの中、イギリスによるイスラエルへの武器売却を槍玉にキア・スターマー首相に罵詈雑言を浴びせたばかり(BBC)。
反植民地主義はクールです。植民地主義の大国に媚びるなんて論外なのです。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
作品ポスター・画像 (C)Kneecap Films Limited, Screen Market Research Limited t/a Wildcard and The British Film Institute 2024
以上、『KNEECAP ニーキャップ』の感想でした。
Kneecap (2024) [Japanese Review] 『KNEECAP ニーキャップ』考察・評価レビュー
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