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ドラマ『チェルノブイリ』感想(ネタバレ)…これを見ずして何を見るのか

チェルノブイリ

これを見ずして何を見るのか…ドラマシリーズ『チェルノブイリ』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Chernobyl
製作国:アメリカ・イギリス(2019年)
シーズン1:2019年にスターチャンネルで放映・配信 ※以降HBO系サービスで配信
監督:ヨハン・レンク

チェルノブイリ

ちぇるのぶいり
チェルノブイリ

『チェルノブイリ』あらすじ

1986年4月26日。ウクライナ・ソビエト社会主義共和国のキエフ州プリピャチ。そこにあるチェルノブイリ原子力発電所で事故は起こった。後に世界最悪の原子力事故と評されることになる、この恐怖の始まりを理解している人は誰もいなかった。この日を境に、あらゆる人間の生活が、科学の在り方が、国家の価値が激震していく。

『チェルノブイリ』感想(ネタバレなし)

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重たい、でも観るべき一作

2019年、日本では原子力発電に関する大きな報道がいくつかありました。

ひとつは、2011年3月の福島第一原発事故をめぐり、東京電力旧経営陣3人(会長1人・副社長2人)が業務上過失致死傷罪で強制起訴された裁判で、東京地裁はいずれも無罪の判決を言い渡したこと。

もうひとつは、関西電力の役員らが、原子力発電所がある町の元助役から数億円規模の多額の金品を長年に渡って受け取るという癒着した関係性が暴露されたこと。

日本は東日本大震災にともなう福島第一原発事故という史上最悪規模の原発災害を経験しました。あれからまだ10年も経っていません。でもこの2つの報道を見ていると、そんな事故は忘れ去られているようだと痛感します。教訓なんてものもなく、反省なんてものもなく、ただ漫然と同じ体質が続いている。私は被災者ではないのですが、このような一件を見ると、ひたすらに力不足と虚しさを感じます。生活を全て奪われた人、人生の可能性を絶たれた人…犠牲者の存在が過去の遺物として片づけられていくようで…。

一方でこんなことを書いている私自身も記憶が薄れているのを実感し、社会の不義を問う以前に、自分の無知と日和見な生き方に自己嫌悪に陥ったりも…。

じゃあ、そういうときどうすればいいのか。事故の日に毎回黙祷しているだけではただの恒例行事で終わってしまいます。同じ過ちを繰り返さないために、私たちにあの事故の衝撃をどう再起させるのか。

その代役となってくれる存在が「映像化作品」です。題材が重ければ重いほどその製作難易度は跳ね上がりますが、でも作る価値がある、いや作るべき義務がある…そう思います。

そんな中、映像作品化という役目を見事に果たした圧倒的な作品が生まれ、業界を震撼させました。それが本作『チェルノブイリ』です。その名のとおり、誰もが名前は聞いたことがあるであろう「チェルノブイリ原子力発電所事故」を題材にしています。

本作はドラマシリーズであり、でも全5話(計5時間もない)という短めのリミテッドシリーズです。そして何よりもその評価の高さが各所で語られています。

ドラマを対象にしたエミー賞では作品賞・脚本賞・監督賞など全部で10部門を受賞(いずれもリミテッドシリーズの枠)。批評家の絶賛も鳴りやまず、各レビューサイトでは軒並み高評価の連発で、IMDbでは過去最高得点を叩き出したと大々的に報じられました(ただIMDbは点数のブレ幅が激しいのでアレですが…)。

でも私は最初、この評判を聞いた時、「題材の知名度と衝撃度ありきの評価なんじゃないか」とちょっと偉そうに疑って掛かるような見方をしていました。なにせチェルノブイリ原子力発電所事故ですからね。それを描いただけで100点!みたいな感じになりかねないだろう、と。

けれどもそれは私の愚鈍な思考でした。『チェルノブイリ』はそんな浅はかなウケを狙う作品では微塵もありませんでした。それどころか、同類の題材(自然災害・人為的な事故)を扱ううえでのひとつの完成形のような到達点にすら思える…そんな大袈裟なことも言いたくなる誠実で真摯な映像作品化でした。間違いなく業界史に語られ続けるでしょう。日本でも福島原発事故を映画化する動きは過去にも将来にも起こっていますが、絶対に『チェルノブイリ』と比較せざるを得ません。それくらい作り手が“考えに考え抜いてベストバランスを決めつつ、社会に突きつける鋭利さも極めた”…とてつもない作品だと思います。

正直に書きますが、とんでもなく重たい作品です。私も観ていてどれだけ気持ちが沈んだことか。毎話ごとに鑑賞すると、そのたびに精神力がごっそり削られます。でも観て良かったと心の底から思える一作でもありました。

監督は人気ドラマシリーズ『ウォーキング・デッド』や『ブレイキング・バッド』を手掛けた“ヨハン・レンク”。製作は『ゲーム・オブ・スローンズ』といったエンタメから硬派なドラマまで良質作を次々生み出しているHBOです。

キャスト陣は多いのですが、主要なところだと“ジャレッド・ハリス”“ステラン・スカルスガルド”“エミリー・ワトソン”“ポール・リッター”“アダム・ナガイティス”“バリー・コーガン”など。キャラの会話は基本、ロシア語ではなく、英語で話されています。

話があっちこっちへと移り、登場人物の多さから誰が誰なのか判断が最初はつきにくいと思いますが、以下の主要人物だけ把握しておけば大丈夫です。

    • ヴァレリー・レガソフ

四角いメガネの核物理学者。シチェルビナ副議長とともに事故対応にあたるために現場へ。実在の人物。

    • ボリス・シチェルビナ

ソ連閣僚会議の副議長。エネルギー部門の責任者として事故の対応を任せられる、現場で一番偉い人。実在の人物。

    • ウラナ・ホミュック

女性の核物理学者。現場にも行きながら、原発事故の原因究明に奔走する。この人のみ、架空の人物。

    • アナトリー・ディアトロフ

口髭のある、チェルノブイリ原発の副技師長。事故当日、原子炉の運転実験を指揮している人。実在の人物。

    • ヴィクター・ブリュハーノフ

天パな髪型の、チェルノブイリ原子力発電所の所長。実在の人物。

    • ミハイル・ゴルバチョフ

ソビエト連邦共産党書記長にして、政府の最高権力者。つるっとした頭にある痣が目につきます。言うまでもなく実在の人物。

    • ワシリー・イグナテンコ

消防士で、原発事故発生直後の現場にて消火活動に参加。実在の人物。

    • リュドミラ・イグナテンコ

ワシリーの妻で、夫の心配を常にしていますが…。実在の人物。

鑑賞には覚悟がいるかもしれませんが、事故当事者の苦悶を考えれば、ドラマ視聴程度で弱音は言えませんね。「観るべき一作」という言葉はあまり使いたくないのですが(ファンの押し売りみたいで)、でもこの『チェルノブイリ』にはふさわしい気がします。

日本ではスターチャンネルで放送しているほか、「Amazon ビデオ」でも有料で視聴できます。

オススメ度のチェック

ひとり ◎(誰であろうと観るべき一作)
友人 ◎(誰であろうと観るべき一作)
恋人 ◎(誰であろうと観るべき一作)
キッズ ◯(子どもには長すぎるか)
↓ここからネタバレが含まれます↓

『チェルノブイリ』感想(ネタバレあり)

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第1話「1時23分45秒」…誰も知らない、落ちる1羽の鳥

1988年4月26日。モスクワ。音声テープを聞いているメガネ男が、誰かに向けて何かを託すかのごとく、録音しながらしゃべりだし、そのテープを外の見つからないところに隠します。そして、家に戻り、ネコにえさをやり、時間を気にする中、1時23分45秒になったと判断した後、自ら人生に終止符をうちました。この男は、本作を鑑賞した方ならおわかりのように、ヴァレリー・レガソフです。

その「2年と1分前」という文字。場面は変わり、ソ連ウクライナ共和国プリピャチ。イグナテンコ夫妻の民家の窓。夜、光とドンという地響きが物語の幕開けを告げます。

この第1話。何が恐ろしいって、観客と登場人物たちの状況の理解度のギャップです。当然、それなりの教育を受けている人ならばこのドラマで描かれるチェルノブイリ原発事故を理解しています(詳細は別にして)。日本人なら福島原発事故を経験したばかりですし、放射線の恐ろしさも記憶に新しいです。

しかし、作中の登場人物は事故直後、誰もその自分たちに降りかかっている前代未聞の惨劇の怖さを欠片も理解できていません。原発内では「炉が爆発するはずない」という前提のもと対応を命じるディアトロフ副技師長と、その命令に従うしかない所員たち。普通の爆発事故による火災として通常装備で消火活動にあたる消防員たち。遠くの橋から風に舞う粉のようなものを「綺麗ね」と言いながら見物する住民たち(ちなみにこれはさすがに脚色だそうです。実際はみんな寝てた)。翌朝も何事もなかったように登校する子どもたち。

そんな光景を私たちは見せられたら頭の中では「今すぐ逃げてくれー!」と絶叫したい気分になるのも必然。でもそんなのは知る由もなく、消防員が「これ、なんだろう?」という具合に見慣れぬ黒いブロックを見つめたり、なすすべもなく倒れる原発所員が出てきたり、事態は不可逆的な崩壊を始めて…。

加えて、状況が理解できないなら「調べる」や「備える」という選択肢をとればいいのにそれすらもしないわけです。放射能漏れを危惧した看護師が「ヨウ素はありますか?」と聞いても「あるわけないだろう」で片づけられたり、3.6レントゲンまでしか測れない線量計など道具すらも貧弱だったり。極めつけはプリピャチ市執行委員会の会議のシーン。地域の長年の実力者風情の老人がおもむろに立ち、「この発電所の本当の名前はウラジミール・I・レーニン。社会主義を信じなさい。政府を信じなさい。国の問題は国に任せるべきだ」と豪語。その言葉に全員が立ち上がって拍手喝采…。

第1話で見せつけられるのは、放射線の怖さではなく、「わからない」ことを恥として認めない、見て見ぬふりをする社会の全体主義の怖さでした。

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第2話「現場検証」…科学は暗闇を照らせない

第1話では誰も状況を理解しておらず、観客だけが心臓が止まる思いでただ映像を眺めるという拷問を受けていましたが、第2話ではウラナ・ホミュックとヴァレリー・レガソフという2人の“状況の深刻さを理解している”人物が登場して、物語が動き出します。

じゃあこれで安心だ、ふ~…っと一息つけないのが『チェルノブイリ』の怖いところ。

科学者であり核物理学に精通しているホミュックとレガソフですが、その意見を政府の上層部はろくに相手にはしてくれません。専門家の意見なのにこの扱いなら、どうすればいいんだという話ですが、本当に無下にするだけ。

そんな政府の代表としてレガソフと一緒に現場へ向かうことになったのはソ連閣僚会議の副議長のボリス・シチェルビナ。このレガソフとシチェルビナ、二人の関係性の変化が肝です。

レガソフとホミュックの科学者組は非常に優秀であり、事態を察知するやいなや、すぐさま事態が進行することで起こる最悪の悲劇を予測し、行動するように促します。でも政府代表シチェルビナは“何もそんなに大袈裟な…”みたいな感じでまだ本気で飲みこめていません。しかし、そばにいるレガソフのあまりの深刻な言動、そして目の前で起こる出来事に、政府要人としての仮面すらも崩れていきます。

最初、空からヘリで近づくように指示するシチェルビナと、それを「7日以内に死にますよ」と必死に防ぐレガソフの対比が印象的です。

しかし、科学者はスーパーヒーローではないわけです。事態を一瞬で解決できません。やっとまともな線量計で計測した結果、「3.6じゃない1万5000です」「広島の原爆の約2倍です」と判明。ホウ素と砂で対応する案を実行し、ヘリでさっそくやってみるも、1号機建屋に接近しすぎたヘリが墜落。スペクタクルな墜落ではなく音もなくというのがまた…。

「専門外のことは口にするな」と言われ、避難の訴えを聞き入れてももらえないレガソフ。第2話で描かれる科学者はただただ無力です。

結局、外国の方が事態を深刻に受け止めて避難行動をしていることを知り、やっと避難を始める市民たち(ただここでも状況は知らされていない)。

科学者は都合のいい救世主でもないし、死刑宣告の解説しかできないことを知った政府。満水の貯水槽による水蒸気爆発という最悪を防ぐために出された結論。それは「3名の命を奪う許可」。それを「勝利に犠牲はつきものだ」という言葉で良しとする政府。

志願者のアナネンコ、ベルパロフ、バラノフが地下の水を進むと、じりじりじりじじじじじ…というガイガーカウンターの音とともに、ライト消え、暗闇に包まれ、けたたましい線量計の音だけが鳴り響く。どんなホラー映画よりも怖い…。

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第3話「KGB」…被曝は国ごと組織破壊する

地球全てに影響を与えかねない水蒸気爆発の危険性を回避したのも束の間、第3話ではいよいよ「放射線」の恐ろしさが映像とともに突きつけられます。

この第3話、本当に作り手は嫌な構成をさせてくるなと思うのですが、まず最初に放射線に被爆した際の基本知識をレガソフがシチェルビナに説明するというかたちで観客にも教えてくれるんですね。「潜伏期がある」「回復したように見える」「次に組織損傷が起こる」「激痛、そして3日から3週間で死ぬ」…と。

で、その傍らでは地下水汚染を止めるべく、大量の人材を求めて炭鉱労働者が雇われます。ここでの石炭相と頭領のやりとりはここだけ切り取るとすごく良いシーンなのですが、先を考えれば彼らはただの使い捨ての駒です。被爆することは目に見えています。

そして、事故当日に現場で消火活動に従事したワシリー・イグナテンコを探す妻リュドミラ。やっとの思いで、モスクワの病院で夫を発見。「30分だけよ、絶対に触れないで」と注意されるも、いざ会ってみると病室で仲良く仲間と談笑する夫の姿。“なんだ、意外に元気そう…”そんな気持ちにさせられます。一瞬ためらうもハグする二人は微笑ましいシーンです。

でも“そんなお涙頂戴な場面はない”と容赦なく現実を教え込む第3話。この後に映る、リュドミラの前に横たわるワシリー、そしてホミュックが面談していく原発所員たち。彼らの惨状は…これは絶句するしかないというか、いや、やっぱり何も言えない…。透明な幕に囲まれたベッドで最期の瞬間を待つだけの、全身もはや皮膚のみの夫に、妊娠したと報告するリュドミラ。本来であれば最高に幸せなシーンなのに、観客には絶対に聞きたくなかった「妊娠」の言葉が追い打ちをかける…。

そのシーンの後に全裸で作業する炭鉱夫たちを映しますからね。この製作陣、鬼畜ですよ。

国をひとりの人間の体に例えると、社会の底辺で必死に働く原発所員や消防員、炭鉱夫はまさにひとつひとつの細胞。彼らが死ぬということは、それ自体が被曝による「国」という体の組織破壊に他ならないのですが…。

隠蔽に動き出すKGBと、死した者を眠る棺がコンクリートで埋められる光景。同じ隠すという行為でも、その意味やもたらすものは全く異なってくるのが、またゾッとさせられることです。

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第4話「掃討作戦」…命を犠牲に除染する

被曝の怖さを散々映像で見せつけられた後の第4話は、それが国中に拡大しないための「除染」作業に移ります。

除染というのは放射性物質あるいは放射性物質が付着した物を除去することです。でもこれは私たちが普段やっている部屋の掃除とは全く違うものです。何が違うのか。それは命の犠牲を伴うということ。

第4話ではいろいろな除染の姿が描かれます。もちろん実際はもっと大勢のさまざまなシチュエーションでの従事者がいたわけですが(「リクビダートル」と呼ばれ、60万人以上が従事した)、作中ではいくつかに絞って描かれています。

ひとつは、汚染された動物の駆除(アニマルコントロール)をやる者たち。殺しに手慣れた軍人たちと一緒にパベルは、銃すらも扱ったことのない中で、命を奪う仕事をします。人懐っこい犬であろうが、子犬であろうが、情けなしで撃ち、集めた死骸は地面にコンクリートで埋める…。

また原発建屋の屋根では最もハイレベルな除染が進行中。屋根に散らばる黒鉛(グラファイト)のせいで、数分ともたず死ぬ放射線量となっている危険地帯。ロボットに頼るべく、西ドイツからの最新ロボット「ジョーカー」が到着するも、地球規模の核災害は起きていないという立場の連邦政府はドイツに建て前の数値を伝えたため、使いものにならず。そこで決断されたのは「生体ロボットを使いましょう、人です」という冷酷な回答。「作業時間は90秒、塊を投げ落とせ」と短く指示され、人海戦術で屋根の黒鉛をスコップで除去する作業員。この時間が長く感じる…。

『チェルノブイリ』は全体的にアンチ・ヒロイズムが一貫しているなと思います。よくありがちな物語だと、未曽有の試練の中でも懸命に従事した労働者こそ英雄です!という感じで英雄化することは多々あります。でも本作はそうしないんですね。あの第2話の終わりに登場した水を抜いた選抜3名も、実は予想に反して生き永らえたのですが、それを基に、彼らを主人公にして英雄譚を作ってもよかったはずです。

それをしないのは、つまりそのヒロイズム思考こそが原発事故を生み、悪化させた根源じゃないですかという本作の追求そのものであり、ついヒーローを求める私たちに対する警鐘でもある気がします。

産んだ子は4時間で死に、ベッドに茫然と座るしかないリュドミラ。犠牲はここにも…。

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第5話「真実」…起き得ぬことを悩む必要はない

第5話はこれまでの話数とはトーンが変わります。法廷劇がメインとなり、事故が起こるまでの過程が映像に描かれるお話です。しかし、いわゆる種明かし的なミステリードラマにありがちな爽快感はゼロです。
原発事故の原因は本作に限らず各所で詳細に語られているのでいいでしょう。実験を急ぐあまりに技師を初めて4か月の人間を含むチームに高度なミッションを任せたこと、線で消された不完全な指示書、そしてRBMK炉(黒鉛減速沸騰軽水圧力管型原子炉)というソ連が独自に開発した原子炉の欠陥とその隠蔽。それを知らずに押されたAZ5ボタン。

『チェルノブイリ』に対して他の原発事故と重ねて語るのは良くないと指摘する人もいるかもしれません。確かに被害状況や事故原因などは別モノであり、同じ原発事故とはいえ、一様に語れません。でも忘れてはいけないことがひとつ。このチェルノブイリ事故発生時、そうやって原発を運営する西欧諸国(日本含む)は「あれはチェルノブイリだけの問題、我が国は別」と言い続けた結果、アメリカや日本ではしばらく後に甚大な原発事故を起こしたということを。

その直接的原因はバラバラかもしれない。でも根本にあるのは同じではないか。そう、本作は訴えているように思います。

レガノフが言い放つ言葉と同じ。「本当の原因はウソだ」と。

本作は第1話の冒頭でこう語られます。

「ウソの代償とは? 真実を見誤ることではない。本当に危険なのはウソを聞きすぎて真実を完全に見失うこと。その時どうするか。真実を知ることを諦め、物語で妥協するしかない。人々の関心は“誰が英雄か”ではなく”誰が悪いのか”だけ。A・ディアトロフはその役に適任だった」

どんなに卓越した科学でも、どんなに洗練された技術でも、どんなに強固な社会でも、嘘の積み重ねで爆発する。嘘のツケは払うことになる。まずは弱者が、最後は国そのものが。利益に走り、責任から逃れ、権威に溺れる。そんなことは原発に限らずあらゆる業界で起きていること。だから人間は脆いんだ。本作は最終的にはこの真実を突きつけるための物語でした。

救いがあるとすれば、ひとつです。人は物語(自己満足な英雄譚や国家主義)でダメになるが、一方で別の物語(自己批判や歴史の反省)で良くもできるかも。『チェルノブイリ』という真摯なドラマが作られたことは物語の“正の力”を信じたくなるものです(この物語の二面性を描く観点はいろいろな作品にありますね)。都合の悪い科学や歴史を否定するポスト真実時代だからこそ、その否定に抗う真実の物語が必要だとあらためて思いました。

最後に、ニ度と子どもを産めないと言われたリュドミラは息子と暮らしているという事実が語られることで、科学では計り知れない生命の神秘を見せる。私たち人間は所詮は人間。どんなに高度な技術を手にしても、世界の真理に手は届かない。この謙虚さこそが人間を暴走させないための「制御棒」なのでしょう。

人間の在り方を教示してくれる、大事なドラマでした。

『チェルノブイリ』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 95% Audience 98%
IMDb
9.5 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 10/10 ★★★★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)HBO

以上、『チェルノブイリ』の感想でした。

Chernobyl (2019) [Japanese Review] 『チェルノブイリ』考察・評価レビュー