ゲイを治す方法はありますか?…映画『ある少年の告白』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。
製作国:アメリカ・オーストラリア(2018年)
日本公開日:2019年4月19日
監督:ジョエル・エドガートン
LGBTQ差別描写
ある少年の告白
あるしょうねんのこくはく
『ある少年の告白』あらすじ
アメリカの田舎町で暮らす大学生のジャレッドは、ある日、ある出来事をきっかけに、自分は男性のことが好きだと気づく。両親は息子の告白を受け止めきれず、同性愛を「治す」という転向療法への参加を勧めるが、そのプログラムを行う施設に入ったジャレッドがそこで目にした口外禁止の内容は驚くべきものだった。
『ある少年の告白』感想(ネタバレなし)
ゲイは治せると思っている人たち
日本ではここ最近、相次ぐ親による子どもへの“しつけ”と称した暴力による死亡事件が話題となり、社会で蔓延している「子どもへの体罰」が問題視され始め、ついに法改正をめぐる動きが出始めました。親権者など大人から子どもへの体罰禁止を盛り込んだ「児童虐待防止法」などの改正案を政府は閣議決定し、加えて民法で定められた「懲戒権」についても見直しが検討されています。
「懲戒権」なんていうものが存在すること自体、初耳という人も多いでしょうけど、これは民法に以下のように規定されているものです。
・第820条(監護及び教育の権利義務)親権を行う者は、子の利益のために子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う。・第822条(懲戒)親権を行う者は、第820条の規定による監護及び教育に必要な範囲内でその子を懲戒することができる。
ここでいう「懲戒」とは、殴る、閉じ込める、食事を与えないなどの行為が当てはまると一般には解釈されているようです。つまり、“子の利益のため”ならそれらの行為をしてもよいんですね(現状は)。
でも何が“子の利益”なのか、その判断がとてつもなく難しいことくらい大人ならわかります。ゆえに大人たちは常に揉めているわけですから。なので大人が考えることが常に正しいとは限りません。もしかしたら完全に間違った動機や偏見に基づいて、子どもに手を出すこともありうるでしょう。
そうした日本でも身近な問題と重ね合わせるようにして見てほしい映画が本作『ある少年の告白』です。
本作は、LGBTQなどのジェンダー・アイデンティティを“異常”と捉え、それを“正しい状態”に修正することを目的に活動する「矯正治療(コンバージョン・セラピー)」を題材にしています。
LGBTQの人たちが差別的な扱いを受けてきた歴史については今さら語るまでもないですが、医学の世界ではこれらを“治療”できると昔から考えられてきました。その後の医学の知見の高まりによって、LGBTQなどは別に“病気”でも“異常”でもないことが科学的に認知されます。しかし、別に医学者ではない特定の人たちは今なおそれらを“異常”と考えて“治療”できるという認識のもと、矯正するためのセラピー施設を運営しているとか。とくにLGBTQを神の決まりに反する存在と見なす宗教コミュニティと密接な関係があることが多いようです。
このコンバージョン・セラピーは、世界的に禁止するような国はまだまだ乏しく、アメリカでも約70万人が経験したことがあるというデータもあり、見過ごせません。自分の子をその施設に送る親がたくさんいるのです。
日本にもそうした施設が存在するのか、確かな記録がないのでわかりませんが、親が“問題あり”と考える自分の子を矯正するために施設送りにする事例はありますし、じゅうぶんあり得そうですよね。
監督は“ジョエル・エドガートン”というオーストラリア出身の俳優で、本作は監督デビュー作『ザ・ギフト』に続く監督2作目。
監督2作目にしてすでにベテランのような手慣れた感があるのですけど、やっぱり才能があるんでしょうね。今作『ある少年の告白』でも“ジョエル・エドガートン”自身も矯正施設のリーダーという一番嫌な役どころを不気味に演じています。
主人公となる矯正施設に入れられるゲイの青年を演じるのは、初主演を飾る“ルーカス・ヘッジズ”。今後さらに羽ばたく予感がします。またその両親役には“二コール・キッドマン”、“ラッセル・クロウ”という超ベテランが脇を揃え、どちらもこれまた名演を披露。見てのとおり、全体的にオーストラリア色の強い座組ですね(元になった実話はアメリカの話です)。あと映画監督でもおなじみの“グザヴィエ・ドラン”も出演しています。
本作はLGBTQが題材ではありますが、それこそ冒頭で言及した「体罰問題」と同じ構造を持つものであり、普遍的な「親と子」の関係性について考えさせる内容です。教育関係者はもとより、全ての人に観てほしいですね。みんな関係のある話ですから。
あと最後のエンドクレジット前に挿入される文章までしっかり見逃さないでください。
オススメ度のチェック
ひとり | ◎(じっくり鑑賞して味わおう) |
友人 | ◯(あれこれ議論し合うもよし) |
恋人 | ◎(親子物語として感動できる) |
キッズ | ◯(自分を肯定する手助けに) |
『ある少年の告白』感想(ネタバレあり)
恐怖のセラピー…あれ、これって…
“ジョエル・エドガートン”監督の監督デビュー作『ザ・ギフト』を観たことがある人ならわかると思いますが、あちらの映画は精神的にすごく嫌な気分にさせる心理スリラーでした。そのため『ある少年の告白』を鑑賞する前、私はすっかり“また嫌な気分にさせられるのか”と身構えていたところもありました。
本作はガラルド・コンリーという実在の人物が実際に体験したことを綴った回顧録「Boy Erased: A Memoir」が原作であり、当然、作中で描かれることも事実なのでしょう(もちろん施設によって行われていることに差異はあるのでしょうけど)。
でもいわゆるエンタメ系スリラーにありがちな、“うわ、こんな目に遭うのか、ギャー!”みたいなわざとらしいおどろおどろしさは一切ないです。むしろかなり淡々としているというか、リアルベースで地味。なのでエンタメっぽさを期待しているとガッカリするかもしれません。
ただ、私は本作を観て終始“ぞ~っと”背筋が凍る気分になるのでした。なぜなら作中で描かれる施設内の出来事は、日本の学校でよくある光景だから。
「ラブ・イン・アクション(Love In Action)」という名の同性愛者治療プログラムで実施されることは既視感のあるものばかり。みんな同じ制服を着せられる。スマホなどは没収。トイレへ行くときも厳しい監視。規則の徹底遵守。理想的な人の在り方をひたすら音読させる。家族など人間関係の把握と自己分析。男らしくなるための体力トレーニング。ルールを破った者には見せしめのように体罰…。
うん、どれも日本の学校がやっていますね。私、この記事の前半で「日本にもそうした施設が存在するのか、確かな記録がないのでわかりませんが」と他人事のように書きましたが、嘘でした。日本にも映画と同じ施設、あります。文部科学省という怪しい名の組織が統括する、全国47都道府県にまんべんなく建てられている「GAKKOU」という教育施設が。日本人のほとんどがその施設に送られています。そこでみっちりマインドコントロールされてます。ジェンダーも男と女でしっかり分けられます。
…うん(言葉もなし)。
根底にある“性被害者への偏見”
本作は観ていて思うのは、矯正施設以上に「親」という存在の怖さと罪深さです。
主人公のジャレッド・イーモンズは大学に進学すると寮でヘンリーという仲間と親しくなります。ところが、とある夜、部屋に泊まりこんだヘンリーにレイプされるという衝撃的な体験をします。
普通に考えればジャレッドは性被害者なわけです。これ以上難しい議論も何もないはずです。
でもジャレッドの両親であるマーシャルとナンシーは、この息子のショッキングなエピソードを聞いて動揺し、加えて息子の「自分は男が好きかもしれない」とのカミングアウトを耳にして完全にパニック。そのまま問題点を「息子がゲイであること」に集中させてしまうんですね。あれこれと起こったこと全ては「ゲイ」という部分に原因があるんだと…それさえ“無かったこと”にできれば解決するんだと。
つまり、本作の主題にはLGBTQへの無理解があるのですが、出発点には性暴力で起きがちな偏見(性被害者に対して非を責めるという傾向)があるともいえます。
こうした観点からもやはり本作を“宗教の力が強い欧米の問題”と一蹴することはできないと思います。なぜなら日本でも性被害者への偏見は醜悪なほど激しい実態があるのですから(『日本の秘められた恥』というドキュメンタリーも参照)。
そして“正しさ”という名目のもと、矯正を性被害者に課そうとする。これも日本でも起きていることじゃないでしょうか。
つくづく本作は日本と一致しすぎて本当に嫌になってくる映画です…。
人は変われる
じゃあ、本作はひたすら嫌な気分になるだけの心理スリラーなのかというと、最終的には予想以上に希望溢れる着地をみせるからまた意外。『ザ・ギフト』が“家族の負”を見せつける映画だとしたら、『ある少年の告白』は“家族の正”を見せてくれる作品と言ってもいいとすら思います。
鍵になるのは大人たち。「親」。
前半から後半終わり直前までは「親」という存在の怖さと罪深さを描きだします。とくにマーシャルとナンシーのさも“親として正しいことをしています”的な静かな対応が怖いです。ワスプマザーとかDV父親とかアグレッシブな親も怖いものですが、本作のようなタイプの親も嫌なものです。
マーシャルを演じた“ラッセル・クロウ”。彼の本来得意とする暴力的な威圧感をあえて封印して、本作では信仰心だけのゴリ押しで息子と接しようとする“弱さ”みたいなものが逆に痛々しくもあり、新しいタイプの“ラッセル・クロウ”の一面でした。表情のみすぼらしさがいかにも無力さを漂わせていて、失礼ですけど、あらためて凄い役者だと痛感しました。
またナンシーを演じた“二コール・キッドマン”もまた“弱さ”と“不気味さ”を内包した母親を絶妙に体現していてなんか怖かったですね。息子のことを一番に想っているのは事実なのだろうけど、でも間違っている…こういう母親は世の中にゴロゴロいると思えるからこそ余計に…。
二人とも宗教的には「バプティスト」。別にそこまで異常な変わった宗教団体ではないということも忘れてはいけません。バプテスト教会は“自由”を掲げ、世界中どこにでもいる普通の宗教です。ごく当たり前の信仰です。でもそこに“親心”という正しさも加わって、結果的にジャレッドを苦しめる道へと進ませてしまうのでした。
一方、施設に入ってからの「親」代わりとなるヴィクター・サイクス。彼もまたクレイジーなサイコパスでもなく一見すると人のよさそうにも見えなくもなく(“ジョエル・エドガートン”はこういう役が本当に上手い)、やはりこちらも直接見えない怖さを携えています。
でも本作を観て「宗教=悪」みたいな日本人がよくやりがちな思考にはなってほしくないなとも思います。そういう考え方こそずばり「偏見」なのですから。
そんな3人に恐怖を感じるなか物語が進み、終盤、一気に3人に変化を突きつける出来事が発生。まずナンシーの変化。完全に真の意味での“子の利益”を考えた選択をします。そしてマーシャルの変化。父こそ変わるべきだと言う息子の言葉に「トライしてみる」とつぶやく姿。さらに何と言ってもヴィクター・サイクスの変化が驚きですよね。「現在、テキサスで夫と生活」…その決定的な変化を最後の最後でクレジット前の後日談文章でさりげなく見せるあたりがニクイ演出です。
こんなスッキリした気分にさせてくれるとは…それまでのあんな嫌な気持ちだった自分がどこか遠いところにすっ飛んだ感じ。見事です。矯正施設という歪んだ存在に対する、綺麗なカウンターじゃないでしょうか。3人の親の変化を通して「人は変われる」ということを強く肯定してくれる映画でした。「人は変われる」ということを信じることこそ信仰の尊さでしょうしね。
ゲイを治す方法はありますか? いいえ、方法はありませんし、治す必要もありません。ただ、ゲイ嫌いを治す方法はありますよ。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 81% Audience 73%
IMDb
7.0 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★
作品ポスター・画像 (C)2018 UNERASED FILM, INC.
以上、『ある少年の告白』の感想でした。
Boy Erased (2018) [Japanese Review] 『ある少年の告白』考察・評価レビュー