不正を無視せず、良心を麻痺させず…映画『梟―フクロウ―』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:韓国(2022年)
日本公開日:2024年2月9日
監督:アン・テジン
ふくろう
『梟 フクロウ』物語 簡単紹介
『梟 フクロウ』感想(ネタバレなし)
鍼治療はやらない私ですが…
鍼治療を試したことはありますか?
「鍼(はり)」と呼ばれる細い針を身体の特定の点を刺激するために刺し、健康の回復をもたらす術のことです。中国医学に基づいたもので、朝鮮や日本を含めた東アジアを中心に浸透し、かなりの歴史があります。現存する中国最古の医学書と呼ばれている「黄帝内経」にも記載があるほどです。
実際の医療効果にはいろいろな意見や批判があるようですが、鍼治療の適用は国際的な医療機関にも認められており、一蹴できるものではありません。医療薬や漢方などを試しても改善が見込めなかった人には、鍼治療も選択肢になるかもしれません。
もちろんどんな医療行為も安全性は大事。日本でもしっかり資格制度が整っています。
「鍼(はり)」と「灸(きゅう)」を使いこなす鍼灸師は日本でもたくさん活躍しており、2021年度の統計によれば日本の鍼灸師の数は約18万人にも上るそうです。
私は鍼治療、やったことがないんですよね…。正直に言うと、私は先端恐怖症なところがあるので、針みたいなものが自分に刺さるイメージが頭によぎるだけで嫌なんです。治療のためであれ、針が自分にいっぱい刺さるのを想像したら、もうそれで健康が悪くなります。全国の鍼灸師さん、ごめんなさい…。
今回紹介する映画はそんな鍼師が大活躍する作品なので、それで勘弁してください。
それが本作『梟 フクロウ』です。
本作は韓国映画で、朝鮮王朝モノでもあり、王宮を舞台にしたジャンルです。この手の作品は韓国映画ではスタンダード。恋愛からコメディまでいろいろありますが、やはりこのジャンルは陰謀渦巻く政治サスペンスを描いたものが見ごたえあります。この『梟 フクロウ』もその直球を貫いています。
主人公は平凡な鍼師で、実力はありますが、まだ王宮勤めになってから浅いです。そんな鍼師には手が届かないところで、王を中心とした権力の座に近しい者たちは政治的主導権をめぐって虎視眈々と策略を練っているわけですが、ある日、その鍼師は見てはいけないものを見てしまい…。
庶民目線で政治腐敗を描くのは韓国映画ではお手の物ですが、『梟 フクロウ』もそこを上手く突いています。
実はこの映画は、一応、インスピレーションになった歴史的資料があり、それが17世紀の朝鮮王朝時代の記録物「仁祖実録」に記された「怪奇の死」に関するもの。具体的には以下のような内容です。
朝鮮に戻った王の子は、ほどなくして病にかかり、命を落とした。彼の全身は黒く変色し、目や耳、鼻や口など、7つの穴から鮮血を流していた。
この謎の怪死は本当に実際のところ何が起きたのかわからないのですが、『梟 フクロウ』はこの史実の断片を独自に脚色して映像化したものです。とくに歴史の知識が無くても楽しめるのですが、朝鮮史を学んだうえで観るのはまた違う印象になるのかな。
日本の宣伝ポスターなどでは、やたらとホラーっぽい雰囲気を全開にしていますが、そういう要素はありません。心霊現象とかないですから。ただ、主人公の鍼師が「目が見えない」という設定上、暗いシーンが多いので、なんとなく恐怖を演出する感じにはなっていますけどね。
『梟 フクロウ』を監督するのは、『王の男』で助監督を務め、今作で監督デビューを果たした“アン・テジン”。デビュー作でいきなり大鐘賞映画祭や青龍映画賞などで賞を総なめにしてみせたので、これは今後の韓国映画界でも大注目の新人になるのでしょうか。
主演は、『タクシー運転手 約束は海を越えて』や『毒戦 BELIEVER』などで物語の鍵を握る役で記憶に残る演技をみせる“リュ・ジュンヨル”。
王を貫禄たっぷりに熱演するのは、『マルモイ ことばあつめ』や『コンフィデンシャル:国際共助捜査』の“ユ・ヘジン”。今回はユーモア皆無、とにかく恐ろしいです。
他には、『バニシング 未解決事件』の“チェ・ムソン”、『サスペクト 哀しき容疑者』の“チョ・ソンハ”、『パラサイト 半地下の家族』の“パク・ミョンフン”、『82年生まれ、キム・ジヨン』の“キム・ソンチョル”、ドラマ『Mine』の“チョ・ユンソ”など。
『梟 フクロウ』は2022年の映画で、日本での劇場公開は2024年2月とやや出遅れた感はありますが、見逃せない韓国映画の一本でしょう。
『梟 フクロウ』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :王宮政治劇が好きなら |
友人 | :俳優ファン同士で |
恋人 | :恋愛要素は無し |
キッズ | :大人のドラマです |
『梟 フクロウ』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):見てしまった
鍼医をしているギョンスは盲目でしたが、手先は器用で、目が見えずとも的確に治療を施せました。その才能は高く評価されており、町に欠かせない存在。その腕前に頼っている人は数えきれないです。
その評判は王に仕えるヒョンイク王室医の耳にも届き、本物かどうか、その目で確認しに来ました。ギョンスは見事な技術をみせ、ヒョンイクの感銘を得ます。そして王宮で働かないかと誘われるのでした。
いきなりの大出世です。ギョンスには心臓が悪い幼い弟がいます。面倒を見れるのは自分だけで、この子のためにしっかり働いて稼がないといけません。弟の治療には大金が必要なのです。ギョンスにとってこの弟が全てです。
ということで、王宮での新しい仕事が始まりました。慣れない場所で、案内があっても簡単に覚えられるようなものではありません。王宮は広く、人もとても多いです。常に忙しく人々が行きかっており、みんな自身の仕事だけに専念し、町とは雰囲気がまるで違います。
最初の仕事は雑用。盲目のギョンスは耳を澄まして音だけで状況を把握しようと尽力します。
目が見えないということで、職場内ではギョンスを下にみる者もいます。それでもギョンスは黙々と真面目に働きます。
実はギョンスは完全に真っ暗闇であると、逆におぼろげに視力を発揮し、周囲が見えるのでした。暗闇であれば、文字も書けます。当初はそのことは黙って淡々と働いていました。
その働きっぷりは現場でも知れ渡っていきます。バカにしていた者たちも嘲笑えなくなってきます。
ギョンスも控えめな労働に徹し、暗闇の中で密会する男女を見かけても、あえて無視です。
面倒見のいい先輩は王宮では「何も聞くな、見るな、気にするな」と忠告してくれます。ここでは権力者たちの行っていることには一切介入しない。それが下で働く者たちの暗黙のルールでした。
ある日、ソヒョン・セジャ皇太子が妻のカン皇太子妃と共に清朝で人質として8年間過ごして帰って来ました。子と再会を喜ぶ一同。
しかし、年老いた王(仁祖)は新しい考えを受け入れるのに否定的で、自身の世継ぎとなる子であろうと敵対的です。それをソヒョンもわかっているので、緊張感が流れます。
ソヒョンは咳き込んでおり、ギョンスは治療を施すことになります。相手は勘が鋭く、ギョンスは暗闇で目が見えることがばれてしまいました。けれども、ソヒョンはギョンスを信頼し、2人だけの絆の証として、拡大鏡をくれます。
ある夜、ソヒョンが急病で倒れたとの一報が入り、ヒョンイクと手当てすることになります。ギョンスは傍で言われるがままに布などを道具を差し出すだけです。ヒョンイクによる鍼治療が行われているはずですが、ソヒョンの容体は悪化しているようでした。
目が見えないので詳細はわからないギョンスも何かおかしいと感じます。そのとき、蝋燭の火が消え、部屋が真っ暗になり、ギョンスは今の現場を見てしまうことに…。
「見えない」のと「見ない」のは違う
ここから『梟 フクロウ』のネタバレありの感想本文です。
『梟 フクロウ』は、ホラーではないけどポリティカル・スリラーとしては非常に怖い一作です。「あなたが同じ立場だったらどうする?」という究極の選択を突きつけてきます。
鍼医のギョンスはまさに庶民的な感覚を持ったまま、この権力中枢の王宮に単身で入り込みます。そこは当然、権力の上位陣が蠢く内側ですから、普段の対外的世間体では見せないような権力者の顔も見えるわけです。でもそこに深入りはしてはいけない。
それは仕事のモラルというよりは「権力者に逆らうな。従順でいろ」という圧に屈しているだけなのですが…。
そんな中で、ギョンスは王医のヒョンイクがあろうことか王の子であるソヒョンを毒殺している現場を目撃してしまいます。あそこは本作で限りなくホラーに近いですね。「こんな間近で、そんな残酷なことが…!?」という恐怖。
それに加えて、ヒョンイクが一瞬だけギョンスは見えているのではないか?と疑い、ギョンスの目に針を突きつけてビビるかどうかを確認する行動。あれは「見てないだろうな?」という権力から庶民に対する脅しでもある。
本作は、ギョンスが盲目という設定になっていますが、これは「見えない」のと「見ない」のは違いますよねという、私たちの政治姿勢を問う仕掛けに繋がっています。
私たちの取り巻く世界、それが政界であろうと芸能界であろうと企業であろうと、いろいろな不正が起きます。そのとき、あなたはそれが見えていなかったのですか?…それとも見ないことにしていたのですか?…そういう問いかけ。その2つは似て非なる決定的な違いです。
つい最近も日本の政権与党の自民党は慣習化していた莫大な裏金問題を糾弾され、相次いで渦中の政治家は「知らなかった」の一点張りですが、要するに「見えていなかった」と言っていますが、それは「見ないことにしていた」の間違いではないか…。
ギョンスは「見てしまった」のですけども、それを「見えなかったことにする」ことができます。誰にも責められないでしょう。みんな盲目だと思っているので。その事件目撃後もギョンスは告発する勇気がでません。しかし、最終的には覚悟を決めます。「見ないことにする」というのは耐えられないので…。最後にダメ押しで政治腐敗を見せられるのがまたキツイですが、そこで「これはもうダメだ」と覚悟を持つのがいいですね。
鍼師であるという設定の活かし方も上手いです。本来、この鍼は人を助けるためにあるもの。でも王宮のあのヒョンイクはそれを人を殺めるために使っている。真逆であることが権力の歪みを強調しています。こんな小さな細い針でも権力しだいでどうとでも悪しきことに使えるのです。
そしてギョンスはその鍼を今度は何のために使うのかという点で、しっかり最後のオチをつける。脚本として非常に綺麗にまとまっているのではないでしょうか。
その能力は都合が良すぎる
『梟 フクロウ』は構成が巧みで無駄がないのですが、ひとつ気がかりがあるとすれば、障がい者の用い方です。
ギョンスは盲目とは言え、だいぶ特殊な設定です。つまり、暗闇は逆に目が見えるのです。
一般的にロー・ビジョンの人は、じゅうぶんな明るさがあれば多少視力が発揮できても、少し暗いと見えなくなってしまうことが多いです。むしろ暗いほうが見えるというのは、スーパーパワーに近いものです。本作ではタイトルどおり、この主人公は夜目が利くというフクロウのような存在になっています(ちなみにフクロウは夜間にモノを把握できるのは目の構造が特殊だからで、昼間もちゃんと見えています)。
なので、本作のギョンスは視覚障がい者をリアルに表象しているというよりは、明らかに作劇上の都合がいい能力のオンオフが実行できる存在というだけです。
これは特定のディサビリティを都合よく利用しているという点で、ドラマ『See 暗闇の世界』と同じような問題があるところですね。
ギョンスのキャラクター性も、手本となるような良心的な障がい者というこれまた定番なのですが、一応は権力に立ち向かう存在として描かれているだけまだいいかもしれません。
ただ、これも前半の「暗闇なら目が見える」ということを黙っている…やや後ろめたい能力詐称的な設定に対する、「この人、これだけ善人だから観客は許してくれるだろう」という言い訳的なパフォーマンスになっちゃっているのがちょっと…。
もちろんこの本作のプロットにおいて、主人公を盲目にしないと、政治批評性が成り立たないのはわかりますし、確かにその設定のおかけで研ぎ澄まされた現代に通じる視点を持ち合わすことができています。それは本当に練られています。それだけに余計ね…。
『梟 フクロウ』なんかはまさにそうですが、こういう身体的ディサビリティを抱える主人公がそのディサビリティを逆手に取って活躍するストーリーを考える際、作り手は大前提として考えるべき項目があるなと思います。
まず「その能力は当事者の現実を逸脱して都合が良すぎないか?」という点。「過剰に能力主義を美化していないか?」という点。そして「その能力はマジョリティが消費するためのものになっていないか?」という点。
上記の3番目までクリアするには、そのディサビリティのキャラクターの役は当事者に仕事の機会を与えるのも最低限必要な姿勢だと思います。
そこの健常者権力構造にまで針を刺せなかったのはこの本作『梟 フクロウ』の限界点だったのかな、と。
何はともあれ、権力に針を刺す覚悟を私たちは持っておきたいものです。いつ何を目撃するかわからないですからね。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer –% Audience 80%
IMDb
6.7 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
関連作品紹介
盲(blind)の人が主要キャラクターで登場する作品の感想記事です。
・『見えない目撃者』
・『ジョン・ウィック コンセクエンス』
・『ドント・ブリーズ2』
作品ポスター・画像 (C)2022 NEXT ENTERTAINMENT WORLD & C-JES ENTERTAINMENT & CINEMA DAM DAM. All Rights Reserved. ザ・ナイト・オウル
以上、『梟 フクロウ』の感想でした。
The Night Owl (2022) [Japanese Review] 『梟 フクロウ』考察・評価レビュー