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『システム・クラッシャー 家に帰りたい』感想(ネタバレ)…何もかも破壊する子どもの衝撃

システム・クラッシャー 家に帰りたい

何もかも破壊する子どもは何を訴えたいのか…映画『システム・クラッシャー 家に帰りたい』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:System Crasher(Systemsprenger)
製作国:ドイツ(2019年)
日本公開日:2021年6月・7月にEUフィルムデーズで限定公開、11月にドイツ映画祭で限定公開
監督:ノラ・フィングシャイト
児童虐待描写

システム・クラッシャー

しすてむくらっしゃー
システム・クラッシャー 家に帰りたい

『システム・クラッシャー』あらすじ

9歳の少女であるベニーは手のつけようがない問題児だった。母親もどう接すればいいかわからず困惑してしまい、さらには里親の家庭、グループホーム、特別支援学校など、どこに行こうともあまりにも粗暴なベニーは常に大惨事を引き起こし、いつも追い出しをくらう。ゆえに青少年課の職員はベニーのことを「システム・クラッシャー」と呼んでいた。居場所もなく周囲も本人も途方に暮れていたが解決策はあるのか…。

『システム・クラッシャー』感想(ネタバレなし)

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子どもは社会の宝…だけど

「千の倉より子は宝」ということわざがあります。山ほどの財宝の数々よりも“子ども”のほうが代えがたく最高に大切なものだ…という意味です。早い話が子どもは大事ってことです。

それは感覚としては理解できます。全否定もできないでしょう。だから子どもを守る数多くの法律やルールがありますし、サポートや設備も用意されます。そして子どもを傷つけたり、ましてや殺してしまったりしたら重罪になります。子どもに冷たい態度をとったら、なんだか愛のない奴とみなされることもあります。

でもそんな単純な話なのか。「子どもは社会の宝です」という理想的精神を実現するのは実のところとんでもなく大変なことなんじゃないのか。というか本当に現実的に地に足のついたかたちで実現できるものなのか。ただの机上の空論でしかないのではないか。

そういうことをひたすらにぐるぐると考えてしまうような頭の痛い映画が今回紹介する作品です。それが本作『システム・クラッシャー 家に帰りたい』

なんとも破壊的でインパクト絶大なタイトルだと思ったかもしれませんが、初見のタイトルの衝撃以上に映画本編の内容は愕然とするほどにショッキングです。

物語は9歳の子どもが主人公です。この子がなんというか…どう言葉で表現すべきか悩むのですが、ありきたりな言い方だと「問題児」。でもその言葉で連想されるような次元は軽く超えているのです。もう…その…「ジョーカー」と「ハルク」を足して2で割った9歳児というべきか…。いや、言いすぎでしょ!とツッコまれそうですけど、全然オーバーな表現でもないです。本当に手が付けられないし、何を考えているかもわからないし、コミュニケーションのとりかたも漠然としているし…。過激な言動はときに暴力性となって繰り出され、それこそ目を背けたくなる事態も…。私としては映画『ジョーカー』よりも観ていて辛かった…。

この主人公である子は、実親、里親、グループホーム、特別支援学校…あらゆる子どもに対するサポートですらも降参状態になってしまうほどの存在ゆえに「システム・クラッシャー」と呼ばれることになってしまいます。

本作はその子が社会での居場所を求めて文字どおり暴れまくるストーリーです。子ども主題の映画ですが、ほんわかまったりなアットホームさは微塵もないです。覚悟してください。

とても困難な立ち位置に立たされている子どもを描いた社会派映画と言えば、『万引き家族』『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』『キューティーズ!』などこれまでの強烈なものがいくつもあって、どれも私の心を揺さぶってきたのですが、また『システム・クラッシャー 家に帰りたい』は新しいストレートパンチをぶちこんできたもんだ…。

中身の衝撃のせいで説明し忘れそうになりましたが『システム・クラッシャー 家に帰りたい』はドイツ映画です。本作は2020年のドイツ映画賞で作品賞を含む8部門を受賞し、これは賞の歴史としてもなかなかに好成績。『ありがとう、トニ・エルドマン』『女は二度決断する』『そして明日は全世界に』といい、ドイツは本当に尖った映画のオンパレードで毎回度肝を抜かれる…。

『システム・クラッシャー 家に帰りたい』は2019年の作品で、やや間が開きましたが日本では2021年に「EUフィルムデーズ」と「ドイツ映画祭」で限定公開。私は機会があって別に観ることができていたのですが、初見時から「これはとんでもないぞ…」と圧倒されましたし、観れば何かしら語りたくはなるでしょう。

監督は“ノラ・フィングシャイト”という人で、本作が長編映画監督デビュー作らしいですが、いやはや凄まじいキャリアのスタートを飾ったものです。“ノラ・フィングシャイト”はホームレスを題材にしたドキュメンタリーを撮っていたときにこういう「システム・クラッシャー」と呼ばれる子がいることを知り、関係者と綿密に取材を重ね、現場を体験しながら、この映画の構想を練っていったそうです。

『システム・クラッシャー 家に帰りたい』は日本での鑑賞チャンスが乏しいのが本当に残念なのですが、行政でも民間でも子どもを支援する仕事をしている人にはとくにぜひとも観てもらって感想を聞きたいですし、議論されるべき一作なのは間違いないでしょう。

オススメ度のチェック

ひとり 5.0:衝撃作を観たいなら
友人 3.5:かなり人を選ぶけど
恋人 2.5:恋愛の空気は吹き飛ぶ
キッズ 2.5:子どもにはちょっと…
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『システム・クラッシャー』予告動画

↓ここからネタバレが含まれます↓

『システム・クラッシャー』感想(ネタバレあり)

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あらすじ(前半):検査、拘束、破壊…

ベッドに横たわっている子ども。ベニーという名の9歳の女の子で、何かの検査なのか、幼い体に不釣り合いのいくつものコードのようなものが繋がれており、データをとられています。

そのベニーはそこまで長くはない金髪を無造作に降ろした姿で、大人しく検査に従い、周りの大人の言うことを聞いています。

しかし、それは持続しません。ふとした拍子にベニーは抑えがきかなくなり、ひとたび暴れ出すと手が付けられないのです。耳をつんざくような絶叫をだし、大人にも唾を吐きかけ、モノにあたりちらす。野外のおもちゃを投げまくり、みんな室内に退避。まるで凶暴な野生動物が敷地に乱入したかのようで…。

グループホームで暮らす他の子どもたちもおそるおそる見つめるだけ。こうなると大人も手出しができません。

ベニーは自分を閉じ込める施設からときには自力で脱走することもあります。どこにそんなパワーがあるのか、一目散にダッシュし、街へ。衣類店で小さい子を突き倒した隙に気に入った鞄を奪取するなど、ここでもやりたい放題。道中で近くの男の子集団に絡まれ、押し倒されるも、絶叫して抵抗し…。

集団生活はベニーにとっても苦痛ですが、そこでの生活を補助するスタッフであるミヒァという男がベニーの傍につくことに。もちろんベニーは信用をしておらず、あからさまに拒絶の態度をとります。

ベニーが求めているもの。それは「母親」でした。ベニーにはビアンカという実の母がいます。しかし、今は引き離された状態にありました。

ベニーにはそれが納得いかず、事あるごとに「ママ!」と連発し、母親を要求します。

ある日、ベニーはまたも脱走し、自分が住んでいたアパートへ。そこには自分よりも幼い子どもが2人いました。ベニーは手慣れたようにその子たちの面倒を見始めます。テレビで子どもにはやや過激なホラーを見ているのを見かねて子ども番組に切り替えると、弟らしき子は怒り出し、ベニーはその子を押さえつけます。そしてこれまた慣れた感じで食事を用意してあげます。

すると母が帰宅してきました。すぐに出迎え喜びを表します。しかし、後ろに男がいるのを目にし、すぐに警戒モードで不機嫌に。ベニーは怒鳴っていき、母を花瓶で殴り、それを見た男はベニーを逆に殴ってクローゼットに閉じ込めてしまいます。母は泣きながら電話し…。

警察がかけつけ、クローゼットから出たベニー。そのまま連れていかれて、まだ共同施設に逆戻り。けれどもそこでも包丁を持って大暴れし、強制連行で担架に拘束され、病院へ

ミヒァは冷たい病室の拘束ベッドで身動きが取れずに見つめるベニーの前にし、なんとか状況を改善するべく動き出します。遊んであげて、距離を近づけ、それでもまたも暴力沙汰で失敗し、何度もトライ。

ベニーと向き合い続けるミヒァは、人里離れた森のロッジにベニーを連れていき、しばらくそこで2人だけで生活をすることにしました。そこにはろくなインフラもないですが、ベニーは興奮していました。

それはベニーを助ける糸口になるのか…。

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この子がわからない…

『システム・クラッシャー 家に帰りたい』の冒頭、検査中のベニーが映るシーンが最初です。このとき、まだ観客は「あれ、この子に何があったのかな、大丈夫かな」と心配する余裕があります。ベニーの姿もいかにもあどけない年相応な“か弱さ”として映ります。

ところがその印象は数十秒後に吹き飛ぶことに。ひとしきり暴れ、飴玉を口にし、鋭い眼光にこちらを睨みつけるその子の姿は、さながら『ゴッドファーザー』にでもでていたかのような大物の貫禄。恐怖で人を支配できることを覚えた人間の佇まいです。

ベニーの大暴れパートのハンディカメラのブレブレ映像で、音楽ガンガン鳴り出すのが、なんだかもう警報のような気分。

このベニーを演じた“ヘレナ・ツェンゲル”(当時は11歳らしい)がとてつもない怪演でした。オーディションでよくこんな子を見つけてきたなというか、よく演技できるなというか。本作で女優賞に輝き、ドイツ映画賞において最年少の受賞者となったのですが、それも納得の強烈さ。

聞き分けのない子はどこにでもいます。暴れる子も珍しくありません。でも作中のベニーはそれとはまた別次元にいる気がしてきます。

大人でさえも怖さを感じてしまう理由は、なぜこの子がこうなってしまったのか“わからない”ということです。検査を繰り返しても異常は見つからない。まだ異常が判明してくれるほうがラクなのに…。

しかもこのベニーの印象をぐらっと揺らすのが前半にある母のアパートに向かうシーンです。ここでベニーは幼い子の面倒を進んで見始め、なんと教育的によろしくないであろう番組を切り替えることまでします。そういう倫理的判断ができるのです。つまりベニーは理性を喪失した子どもではないということ。ちゃんと善悪の意識を持っていることが明確に判明します。

それまで容赦なく大人や子ども相手でさえも危害を加えていく姿を散々見せられてからのこのシーン。観客は本作を観ながらベニーという子を理解しようと必死に脳内で考えると思いますが、ここでさらにわからなさが増します。

そのうえ、この後にまたもショッキングな暴力が展開されるし…(スケート場の小さい子への暴力はかなりのあれでしたが)。

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母の愛への大きすぎる期待

そのベニーを理解するのに欠かせないのが母親の存在。ベニーはとにかく母を求めており、「ママ!ママ!ママ!」といたるところで連呼します。

おそらくベニーは「母」というのは、無条件で無償で無限大の愛を自分に捧げてくれる存在だと思っているようです。自分が享受して当然の幸せである、と。

しかし、実際のベニーの母であるビアンカ含めて世の母親というのは、そんな完璧なパーフェクト・マザーではありません。欠点もありますし、上手くいかないこともあります。ビアンカもそうして育児と向き合ず、投げ出してしまう結果に終わります。

それは責められません。周囲の大人は少なくともそのことをわかっています。そういう現実もあるということを。だから支援サービスがあるわけです。

でもベニーはそれがどうしても承服できません。自分に愛情を捧げてよ!という欲求を全開にしてきます(それがまた母を傷つけるのですが)。

ベニーは幼い“守るべき対象”の子にやたらと甲斐甲斐しく優しいのは、そういう自分の中にある「完璧な母親像」を自ら体現しようとしているからのような…。

それが非常に狂気的に映し出されるのが終盤のミヒァの家族へとお邪魔して赤ん坊の世話をし、手放そうとしなくなる場面。あのシーンの何とも言えない嫌な緊張感。あそこはすごく大人としての観客をいたぶるかのような場面でした。

本来、「システム・クラッシャー」と呼ばれる子には男子が多いそうです。それでも今作でベニーを女の子として描写したのには監督の明確な意図があるそうで、確かにこれによってベニーが背負う“システム”に“女性らしさ”というのが追加されることになり、物語は一層簡単に片づけられなくなりますね。

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みんな頑張っているのだけど…

『システム・クラッシャー 家に帰りたい』に登場するベニーの周囲でサポートにまわる大人たちも忘れることはできません。大事なのは、この大人たちは誰一人怠けているわけでもなく、それぞれが全力で事に向き合っているということです。

でもここでも上手くいかない。なぜなら用意されたシステムもそれを動かす人間も完璧ではないから。どうしたって欠点があるし、やりきれない事態に妥協することもある。

そのことはみんな重々承知です。共同施設のリーダー的ポジションであるバファネという女性がベニーの母が土壇場で逃げ出した事態にショックを受け、涙ながらに打ちひしがれるシーンの辛さ。ここでベニーがまた寄り添ってくれるのがまた当人にはキツイでしょうね。そしてベニーへの献身をするあまりに「パパ」と呼ばれるも本来の家庭があるゆえにそれは拒絶しなければいけないミヒァの苦渋の決断。

ベニーにとっては受け入れがたいシステムの綻び。でもそういうものだと言いたいけど言えない大人の苦悩。どっちが悪いとは言えない、どっちも無力さに苛まれていく負のスパイラル。

最終的にベニーはケニアに移住することになってしまいます。このオチも皮肉的です。なにせここはドイツ。移民は受け入れようと過去の歴史の反省に立って頑張ってきたのに、自国の子は国外に送るのです。この痛烈なエンディングの結末はドイツ映画だからこそのインパクトなのかなとも思います。

空港での脱走エンドは、ぶん投げたようなラストですが、ぶん投げているのは他の誰でもない私たち。

ベニーはシステムという名のあらゆる規範を破壊し、それはそれで痛快でもありますが、結局はアナーキズム的な帰結として焼け野原にしかならず…。

システムの敗北というのを徹底的に見せられ続ける映画だったのですが、でもやっぱりシステムに絶望して諦めるわけにもいかない。人間は常により良いシステムを作れないかと模索しないと停滞するか後退してしまいます。

いつかベニーのような子を救えるシステムを作りたいと思うのは、幼い発想なのでしょうか…。

『システム・クラッシャー 家に帰りたい』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 94% Audience 100%
IMDb
7.8 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
9.0

作品ポスター・画像 (C)Port au Prince Pictures

以上、『システム・クラッシャー 家に帰りたい』の感想でした。

System Crasher (2019) [Japanese Review] 『システム・クラッシャー 家に帰りたい』考察・評価レビュー