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『そして明日は全世界に』感想(ネタバレ)…Netflix;ドイツ映画は抵抗権を行使する

そして明日は全世界に

反ファシスト運動に参加したドイツの若者たちを描く…Netflix映画『そして明日は全世界に』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:Und morgen die ganze Welt(And Tomorrow the Entire World)
製作国:ドイツ・フランス(2020年)
日本では劇場未公開:2021年にNetflixで配信
監督:ユリア・フォン・ハインツ

そして明日は全世界に

そして明日は全世界に

『そして明日は全世界に』あらすじ

移民排斥などを掲げる極右団体の活動が勢いを増していくドイツ。そんな不穏な社会の中、反ファシストグループに参加した学生たちがいた。怖いもの知らずのエネルギッシュな若さで、果敢にデモ活動を展開し、対抗していく。しかし、もっと実力行使が必要だと考える一部の若者たちは、次第に危険な状況にのめり込んでいき、暴力も辞さない思考へと陥っていく。仲間とさえも対立するうちに過激さはエスカレートしていき…。

『そして明日は全世界に』感想(ネタバレなし)

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「左」の内部に迫る映画

「右」「左」か。つまり、右派か左派か、右翼か左翼か…。

これらの対立はSNSの主流化によって、より多くの人々の目につきやすいものになったと思います。あまり本質的なことを理解せずに軽々しく右とか左といったラベルを他人に貼る人もいるでしょう。

中にはそういう対立を白けた顔で冷笑的に見つめている人もいるかもしれません。政治的な論争なんて私には関係ない…と。

しかし、どう思っていようと関係ない人間はいません。無人島で独り暮らしとかしてでもいない限り、私たちは政治のある社会の中で生きているので常に渦中にいるのです。

そして政治的対立は私たちのあらゆる領域に踏み込んでいき、ときに攻め入ってくることもあります。

例えば、映画も例外ではありません。映画が脅かされることも起きています。最近であれば『ダンサー そして私たちは踊った』というポーランドの映画は、同性愛を扱っているゆえに極右団体のターゲットにされ、ポーランドでの劇場公開時に映画館を狙われて負傷者が出る騒動となりました。つい最近の日本でも同様の事例は発生しています。2021年5月、映画館「あつぎのえいがかんkiki」が、右翼団体の街宣活動の予定を受けて、ドキュメンタリー映画『狼をさがして』の上映を中止。映画という芸術や言論の場は「右」か「左」かの政治論争とは切っても切り離せないのです。

これまで「右」側に位置する組織の内部に迫った作品はいくつか観てきました。『SKIN スキン』はその筆頭でしたね。他にも『ブラック・クランズマン』や『アンダーカバー』などいろいろ。

また、『7月22日』で描かれたヘイトクライムによるテロリズムや『否定と肯定』で描かれた歴史修正主義者のように、「右」側に位置する人間の起こした事件を映し出すものも多々ありました。

昨今は「右」側の方が加害的騒動を引き起こしているのでそっちにフォーカスしがちです。

では「左」側に迫るものはないのか。今回紹介する映画はまさにそういう内容の一作です。それが本作『そして明日は全世界に』

本作はドイツ映画であり、現在のドイツ社会にて反ファシスト団体で活動する若者たちに焦点をあてています。反ファシストですから当然ながら移民排除なんかを掲げる極右団体に反対するデモなどを企画・指揮しているわけです。

言うまでもないと思いますが、一応書いておくと、ドイツはあのナチスという忌まわしい歴史を抱えた国。最悪の顛末をたどり、今はその加害の歴史を猛省して心機一転…というほど順調とは言えず、再びあのナチスの影が勢力を増強し始めています。ネオナチ、そしてオルタナ右翼。その勢いはかなり増しており、政府にまで関与し、無視できるものではなくなってきました。

そのドイツで再興しつつある極右の動きを黙ってみている人たちばかりでもなく…。その対局で立ち上がっているのが若者たちです。ドイツでは昔から「Antifa」という反ファシスト政治運動が盛んに行われてきました。これは世界中に拡大しているいわゆる「ANTIFA(アンティファ)」とは背景が異なり、そちらの「ANTIFA」は自主的潮流の総称で割と漠然としたものですが、ドイツの「Antifa」は西ドイツの学生運動にルーツがあります。だから若者が主体なのは歴史的経緯があるんですね。

『そして明日は全世界に』はその本家とも言うべき「Antifa」に青春を捧げる学生たちを内部事情もリアルに描いていくのですが、それもそのはず本作の監督である“ユリア・フォン・ハインツ”自身の経験に基づいているそうです。監督自身は1990年代に10年ほど活動に身を投じたのですが、この映画では現代を舞台にその10年を短期間に凝縮したようなプロットになっています。

かなりセンセーショナルな題材に挑んだ本作はドイツ国内で高く評価され、米アカデミー賞の国際長編映画賞にドイツ代表でエントリーしました(ノミネートはならず)。過去のエントリー作品は『ありがとう、トニ・エルドマン』(2016年)、『女は二度決断する』(2017年)、『ある画家の数奇な運命』(2018年)、『システム・クラッシャー 家に帰りたい』(2019年)などです。やっぱりドイツ映画は尖ったものが多くて凄いですよ。

『そして明日は全世界に』は幸いというべきか、Netflixが配信してくれたので、日本でもすんなり鑑賞できるようになりました。

政治と向き合う時間を映画でどうぞ。

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『そして明日は全世界に』を観る前のQ&A

Q:『そして明日は全世界に』はいつどこで配信されていますか?
A:Netflixでオリジナル映画として2021年5月6日から配信中です。

オススメ度のチェック

ひとり4.0:じっくり鑑賞したい
友人3.5:映画好き同士で
恋人3.5:恋愛要素はあまり
キッズ3.5:暴力描写もあるけど
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『そして明日は全世界に』予告動画

AND TOMORROW THE ENTIRE WORLD – Official Trailer
↓ここからネタバレが含まれます↓

『そして明日は全世界に』感想(ネタバレあり)

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あらすじ(前半):青春を反ファシズムに捧げる

法学部の1年であるルイザは友人のバッテと待ち合わせ。今日はバッテに「Antifa」の学生運動団体である「P81」の仲間に紹介してもらうつもりでした。バッテとは高校時代に「Antifa」の活動を2人でだけしていましたが、さらに身を投じたいと決意。「みなさんの活動に加わりたい」と熱意を述べます。

反応はイマイチ薄いです。自分が認められていないのかとやや心配になるルイザ。

みんなが集まっての会議では、監視対象の右翼団代の人間を説明され、その集会に対抗するべく目の前でデモ活動をする予定でした。「くれぐれも穏やかに」…そう念押しされます。

各自のメンバーはそれぞれが横断幕を作ったりする者もいれば、体を鍛える者もいたり、バラバラです。あまりやることがないルイザは一旦帰ります。

ルイザは上流階級の家柄で、一度実家に寄り、そこから大学へと向かいます。

大学の講義はバッテと一緒。今日の授業は抵抗権についてです。学生のひとりは「不法移民に対処すべき」と主張し、少し教室はざわつきます。

そしてデモの日。右翼の集会が開かれており、ステージでは女性が雄弁に政治的主張を語っています。それに対してルイザたちの団体は「ファシズムを許すな」「多彩なドイツ」と声を上げて抗議。

ところが団体メンバーの中にペイント卵やパイを投げつける者が現れ、現場は混乱。歓声と怒号の中、両者の揉み合いに発展。ルイザもひとりの右翼団体関係者と思われる男に追われて逃げますが、押さえつけられてしまいました。そこに誰かに助けられます。それは同じ団体の一員であるアルファという男でした。

仲間と合流。過激な行動は許されないと怒られます。

帰宅後も右翼男に身体をまさぐられたトラウマがフラッシュバックで蘇るルイザ。しかし、その勇気のかいあってか、みんなが認めてくれたようで気分は高揚。

こうしてルイザは本格的に団体活動に専念していきます。あのアルファとボクシングで体力を磨き、自分を攻撃した相手への復讐に燃えるルイザ。

しだいにアルファとレノールという団体の中でも比較的過激な行動を良しとする2人と行動を共にすることに。講義を抜け出して2人と車で右翼団体の次の活動地を下見。こちらの対抗作戦を練ります。

ついに作戦を実行。結婚式に行くふりをしてヘルムスドルフの街に潜入。みんなで作戦確認。街はファシストだらけで、警官は安全を保証できないからと立ち去るように指示しています。右翼関係者が外国人を暴行する姿もありました。

いよいよです。ルイザたちは目出し帽をかぶり、行動開始。右翼関係者の車を破壊しまくり、ひと暴れ。すぐに撤収。しかし、まだ相手は戻ってきません。アルファはもっとやれると計画変更を提言。行動はどんどんエスカレートしていき…。

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「左」は一枚岩ではない

『そして明日は全世界に』は青春を反ファシズムに捧げる若者たちを描いているわけですが、かといって「左」を威勢よく安直に持ち上げるプロパガンダな作品というわけでもありません

そうではなく「左」側に位置する団体内部の人間模様を忖度抜きでありのままに曝け出している物語です。つまり、同じ目的を持っているように見えても決して一枚岩ではないということ。

最もわかりやすいのは過激な暴力手段を許容するか否かです。ルイザの所属する「P81」という組織は原則的に非暴力で平和的な活動に徹しています。活動内容もシュプレヒコールをあげ、プラカードや横断幕を掲げるということがメイン。認定団体を目指しているようですし、きちんと社会に認められることを最優先にしていました。

しかし、一部の者たち、とくにアルファは暴力も辞さない考えを持っており、実際に破壊活動(サボタージュ)、不法侵入、さらには暴力行為にも打ってでます。アルファが「左翼の広報活動なんてくだらない」なんて口走ることからもわかるように、彼自身が「左翼」という存在を小馬鹿にしていることも窺い知ることができます。「左」の団体に属しているのに「左」をバカにするというのも変な話ですが、でも実際にこういう人はいるわけです。

それだけでなくあのルイザの団体の風景を見ればわかるように、それぞれの思想や考えは細かい部分ではバラバラです。何にコミットしたいのかも個人で違います。気候変動か、動物の権利か、性差別か、LGBTQか…。漠然としながらもなんとなくひとつの組織に収まっている。このあたりは1990年代よりも今の方がもっと込み入ったことになっているでしょう。

例えば、アルファの相棒として隣にいるレノールはゲイのようで、おそらく彼には彼なりの主張があるはずなのですが、前に出づらい部分もあって…。そういう複雑なパワーバランスがあります。

このモザイク状な個人主義が一応の連帯という名目でカタチを成している。それが「左」側に位置する団体の特徴なのかもしれません。もちろん「右」もまた一枚岩ではないのですが…。

それがいいとか悪いとかではなく、それが多様性時代の現実だということですね。

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上流白人特権をくすぶらせて

そんな中で『そして明日は全世界に』の主人公であるルイザの立場は象徴的です。

彼女はアルファに傾倒し、過激な行動を躊躇わなくなっていきます。復讐と言ってもいい感情に突き動かされ、足を負傷しようとも気にせず、やがては独断で銃まで向けるようになり…。法律を学ぶはずの彼女が法律を信用しなくなるという過程が描かれるのが切実です。

そのルイザですが、彼女は実は父は男爵という上流階級の家柄でした。普段は母父ともども知り合い一同でハンティングに興じたりするような、典型的なアッパークラス。狩った動物を解体しているルイザに対して、父に娘がヴィーガンであることを言及されるというあたりに、ルイザの矛盾に満ちた立場が表出していました。

要するにルイザは左翼の活動をしているものの白人の特権を有しており、いわゆる「シャンパン社会主義者」と称されるタイプです。そのことは本人も自覚しており、自分自身のそのアイデンティティを劣等感としてくすぶらせています。アルファやレノールのような行動の全てが自分に跳ね返ってくるリスクある立ち場ではない、「両親の後ろ盾がある」と言われてしまえば何も言い返せない、そんなもどかしさ。

そのルイザの立ち位置をさらに浮かび上がらせるのが、あのかつては左翼活動に投じていた男性の存在。自分の怪我を縫合してくれた男は「いたちごっこだ」「極右団体を叩いても無駄だ」と諦めるように諭します。彼の仲間たちは優秀な者は出世したようですが、彼自身は家で虚しさを残して佇んでいるだけ。

そこで「左翼でない30歳未満の人には心がない。そして40歳以降でまだ左翼をしている人には脳がない」という言葉が出てきます。

このことからも「左」の活動なんてものは若気の至りのようなものであり、結局はどんな活動をしていたかではなく、当人の出自や特権でその後のキャリアに上下がつくんだという現実がグサっと突きつけられる。

それはルイザにとってはすごく痛い話であり、急所を撃ち抜くもの。

では本作は「左」の活動に従事する若者を諫める話なのかというと、ラストを観る限りはそうはなっていません。

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やらないよりはやる方がいい

例の倉庫の大爆発という『そして明日は全世界に』のエンディングの切れ味、あれはドイツにしかできない作品のパンチだと思います。アメリカでもちょっと無理かな。日本だったら「どっちもどっち」「双方とも過激なことはダメだよ~」といういかにも知ったかぶりな中立風情の論調で手打ちにしそうです。

ここで作品の問いかけになっているのが「抵抗権」。ドイツでは国民は抵抗権を有しています。それは「手段が尽きたとき」に使えるもの。では手段が尽きたときって?

これに関しては答えがない。というかその答えを曖昧のままにしているところに国民主権の意義があるというか。歴史的に人間はずっとその意味を問い続け、ときに実行したりしてきました。

129条の対象になってしまったことで警察といった権力が味方をしないと痛感した瞬間。あそこで無言の表情のカットバックだけで見せる演出が上手いです。

本作は間違いなく「やるときにはやれ」という後押しを与えている。こういうラストを迷いなく用意できるのはまさにその「やるとき」が現実味を帯びてきているドイツ社会だからこそなんだろうな、と。つまり、絶対にあのナチスの時代には戻らないぞという固い決意がある。

ただこの「抵抗権」は「右」の人だって行使できるわけで、それもまた国民主権の本質です。

本作のタイトルがナチズムのプロパガンダ曲の意趣返しになっているのもそういう一面を表しているとも言えますし。

終盤でルイザは右翼集会の場に立って、移民排除のカントリーソングをしみじみと歌う空気に混じります。あそこは「自分もこっち側に立っていたかもしれない」という意味にもとれますが、結局はどちらが居心地がいいのかという問題なのか。対比するように歌い盛り上がる左の集会で、大切な相手と抱き合うルイザ。私たちは大切な人を守れる側に立っている。それだけが決め手なのかもしれません。

『そして明日は全世界に』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 89% Audience –%
IMDb
6.2 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
8.0
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関連作品紹介

米アカデミー賞の国際長編映画賞にエントリーしたドイツ映画の感想記事です。

・『ある画家の数奇な運命』

・『女は二度決断する』

・『ありがとう、トニ・エルドマン』

作品ポスター・画像 (C)Seven Elephant

以上、『そして明日は全世界に』の感想でした。

And Tomorrow the Entire World (2020) [Japanese Review]