歌にしよう…映画『さよなら、僕の英雄』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:デンマーク・スウェーデン(2025年)
日本公開日:2026年6月19日
監督:アナス・トマス・イェンセン
動物虐待描写(ペット) 自死・自傷描写 児童虐待描写
さよならぼくのえいゆう

『さよなら、僕の英雄』物語 簡単紹介
『さよなら、僕の英雄』感想(ネタバレなし)
マッツ・ミケルセンはジョン・レノンです
俳優“マッツ・ミケルセン”は60歳を迎えました。ハリウッド映画にも出演を定期的に重ねながら、母国デンマークの作品にも今なおしっかりでていて、とても安定したキャリアを歩んでいます。
“マッツ・ミケルセン”が凄いなと私が思うのは、毎回各作品ごとに演じるキャラクターが全然違っているところで、演技の器用さが際立っています。もうベテランなのに「若手なのか!」ってくらい、いろいろな役に挑戦していますし、本人も楽しそうです。
2025年の主演したデンマーク映画は「マッツ・ミケルセン!?」とまたびっくりするような役柄になっています。そんな映画が日本でも2026年6月に劇場公開です。
それが本作『さよなら、僕の英雄』。
英題は「The Last Viking」なのですが、舞台は現代。“マッツ・ミケルセン”は自分を「ジョン・レノン」だと思い込んでいる(でも音楽は全くできない)男を演じています。「どういうこと!?」という感じだと思いますが、そんな困惑のままに映画を観てもらって大丈夫です。
なんでしょうね…“マッツ・ミケルセン”がジョン・レノンになるの、なんとなくしっくりくる…。顔が似ているかと言えば、違うのでしょうけど…。
結構、ジャンル横断的な語り口で、「クライム・サスペンスだね」という最初の手ごたえが、「あれ、コメディなのか?」という感触に変わったかと思えば、「やっぱりクライム・スリラーだ」となり、でも「家族ドラマが染みる…」と、やんわりしたトーンになったりもする…。ひと言で語りづらい物語です。
『さよなら、僕の英雄』を監督するのは、もはや“マッツ・ミケルセン”とコンビを組むのは見慣れた光景になっている“アナス・トマス・イェンセン”。2023年に“マッツ・ミケルセン”主演の“ニコライ・アーセル”監督作『愛を耕すひと』でも脚本を手がけていましたが、近年は監督業でも目立っています。前回の監督作は2020年のこれまた“マッツ・ミケルセン”主演の『ライダーズ・オブ・ジャスティス』。


今回の『さよなら、僕の英雄』もデンマーク国内では大ヒットしたようですが、もうデンマークでは“アナス・トマス・イェンセン”と“マッツ・ミケルセン”のタッグ作は「絶対に観ておくべき映画」という扱いなのかな。確かに鑑賞して損はないと思うけど。
共演は、同じく“アナス・トマス・イェンセン”と“マッツ・ミケルセン”とよく一緒に仕事している“ニコライ・リー・コス”。なお、“ニコライ・リー・コス”は現在53歳です。
近年の“アナス・トマス・イェンセン”監督作はそうなのですが、今作『さよなら、僕の英雄』も男性同士のケアをメインに映し出しています。そのテーマに関心ある人はぜひどうぞ。
『さよなら、僕の英雄』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
| 基本 | 児童虐待や自殺未遂、拷問を描くシーンがあります。 |
| キッズ | 子どもが虐待される場面があるので注意です。 |
『さよなら、僕の英雄』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
アンカーは人目を気にしながら拳銃と大金の入ったバッグをロッカーに隠し、その場を去ります。表情は硬く、緊張していました。
険しい顔つきのまま家に帰ると、落ち着くことはなく、ベッドに座ってジグソーパズルをいじっている兄のマンフレルの部屋へ。そして彼に重要なことを頼みます。あの大金を昔住んでいた母親の家の近くの森に埋めてほしい、と。これはもう自分にはできないことなのはわかっている…なので兄に頼むしかありません。
すぐにパトカーとヘリの音が耳に入ってきます。たまたま通りかかったわけではありません。室内にいてもよく聞こえるその爆音はまさにこの家を目指したものです。
窓から下を見るとアパートの玄関前に警察隊が突入していくのが見えます。もうどうにもできないとわかりつつ、感情に任せて机を拳で叩いていくアンカー…。
15年後。強盗の罪で大人しく服役していたアンカーは、出所できることになりました。やっと自由に外の空気が吸えます。
帰宅すると、あの家に兄のマンフレルもまだいました。しかし、なんだか自分を避けているような態度。まるでこちらを理解していないような…。とりあえず年老いましたが、それ以上に変です。
それもそのはずで、マンフレルは自分をジョン・レノンだと信じ込んでいるようでした。「ジョン」と呼ばないと自分の手を勢いよく痛めつけ始め、急に車から飛び降りたりもするほどに、危険な状態。そのうえ、犬を盗むことに病的な執着を持ってもいて、何をしでかすかわからないです。
アンカーはマンフレルを「ジョン」と慎重に呼びかけながら、あの15年前の大金の話をします。実はおカネが必要なのです。ところがマンフレルはバックをどこに隠したか思い出せないようです。
それどころではなく、あまりに危険行動が多く、病院に連れていくと、拘束されることになります。手錠のままベッドに固定されるマンフレルは可哀想でした。
どうしようもなく飲んだくれるしかなくなったアンカーは、たまたまバーで精神科医だと名乗るローターに出会います。ローターはアンカーの兄の話を聞き、「だったら治療のために、ビートルズのメンバーだと信じ込んでいる他の人たちを集めて、環境を変えるのはどうか」と提案してきます。2人は酔いもまわってハイテンションで夜通し過ごします。
翌朝、酔いが覚めたアンカーはまだ傍にいたローターから例の計画を聞かされて思い出し、冷静になってみるとあまりに馬鹿げているので実行は拒否します。
しかし、もうすでに酔った勢いでマンフレルを病院から連れ出してしまっていて…。

ここから『さよなら、僕の英雄』のネタバレありの感想本文です。
男同士のメンタルヘルス
『さよなら、僕の英雄』、私の感想を簡単に書くなら「すごい人が死んでいるわりには寓話として良い話だったなぁ…」です。
いや、本当にバランスが何とも言えない絶妙さです。間違っても美談ではない…どう考えても大部分は一線を越えまくっているヤバい出来事の連発なのに、そのぎこちないでは済まない不完全な歪みも抱きしめるくらいの覚悟を持っているかのような…。
本作の物語を端的に集約しているのが、冒頭とラストで映し出されるバイキングの御伽噺(実際は誰が描いたものかは作中で示されるとおり)。あからさまに今作の狂気と倫理が紙一重な寓話性をこれでもかと放っています。
『さよなら、僕の英雄』の主役は男たちであり、登場する男たちはメインの兄弟、そしてあの自称ビートルズ・メンバー、そしてローターでさえも、メンタルヘルスに深刻な問題を抱えています。背景にあるのは、重圧に耐えきれなくなり、かと言って適切に他者に頼ることができず、ますます有害な行動に憑りつかれ、自壊してしまった男らしさの脆弱さです。
忘れてはいけないのは、主人公のアンカーも兄など他の精神疾患者と同等に著しいメンタルヘルスの悪化が進行していること。アクロバットな自傷に走る兄のマンフレルがいるので、印象として薄れがちですが、アンカーも強いストレスに晒されると物を殴りつけて自分を傷つける…あの暴力も自傷なんですね。
マンフレルの場合は他者による診断的な作用もなく、独りで抱え込み、自分を客観視する術を持ち合わせていないので、より追い詰められています。
アンカーとマンフレルの兄弟がこうなってしまった経緯の根源にあるのは、子ども時代の回想で描かれる虐待的な父親です。論じるまでもなく酷い父で、アンカーとマンフレルは虐げられる中で、最終的に父を階段から突き落とし、斧で殺すという、兄弟の連携で打倒するのですが、それはトラウマを根深いものにさせるだけでもありました。
暴力に暴力で対抗した結果、より歪んだ内面的問題を増幅させ、有害な男らしさがそこからの脱却を阻む…この男性が陥りがちな構造は“アナス・トマス・イェンセン”監督の前作である『ライダーズ・オブ・ジャスティス』でも主題になっていました。
『さよなら、僕の英雄』では、それが子ども時代の「父から息子へ」「兄弟間で」という男同士の関係性の中で負の連鎖が起こすことがより明白な構成になっていたと思います。
男たちにとっての平穏な空間
その問題に対して「男同士の関係性」が一切合切で有害というわけではない…という視点を提供するのはこの『さよなら、僕の英雄』でも同様なのですが、本作の場合、その解決策というか、男同士の関係性のリハビリとして斧よりも有用なものとなるのが「歌」や「バンド活動」…もっと具体的に言えば「ビートルズになること」。ここが本作の個性です。
確かに「ビートルズ」…ことさら「ジョン・レノン」はある種の古臭い男らしさの対極にある平和的な体現そのものではあります。実際のジョン・レノンが男性の暴力によって命を落としたことを踏まえれば、ジョン・レノンを取り戻すことの意義はまた別の価値を深めます。
ただ、そうやって場当たり的に集まった面々の…なんというか、その…グダグダっぷりがこの映画のユーモラスでもあって…。
ジョン・レノンを自称するマンフレルが音楽的な才能は全然ないのはわかるとして、喋らないリンゴの自虐とか、ABBAオンリーのポール=ジョージとか(っていうか“ポール=ジョージ”ってなんだよ状態)、もうツッコミが追いつきません。
私はポール=ジョージを演じたクルド系スウェーデン人の“カルド・ラザーディ”が一瞬にして好きになってしまいましたよ。なんでも母親が有名なクルド人歌手だったらしいです。あの歌唱も母譲りなのだろうか…。
こんなメンツが集まってもせいぜいできるのは田舎のタレントショーでのパフォーマンス。傍からみれば幼稚に思われるかもしれない…それでも何でもいいから何かをやろうという集まりです。
本作を観ていてあらためて思うのですが、男性が有害な男らしさに染まることなく、安全かつ穏健に何かしらの活動ができる場って、今の世の中、本当になかなかないんですよね。運動でも、音楽でも、オタク・コンテンツでも、何であれ有害な慣習みたいなものが根を張っているせいで、常にそういうリスクに晒されます。人生の息抜きに何かの活動をしたくても、それらリスクを回避するという負担の大きさがむしろストレスで、息抜きどころではなかったりします。
『さよなら、僕の英雄』は「やっぱりそういう男同士でも有害に傾かない空間って大切だよね」ということを再度実感させてくれます。モテるためではない、稼ぐためでもない、有名になりたいわけでも、復讐のためでもない。ただただ互いの傷を癒して慰め合いたいという気持ち…。
本作では終盤にはフレミングという恐ろしい男らしさの象徴のような存在が、あの場を襲撃してぶち壊していきますが、そういう存在に直面しても、それこそ素直に逃げたっていい…(作中では車から飛び降りますけど)。逃げることは男の恥ではなく、自分の人生の保護の手段です。それがこの現代における男性の生存です。
ということで、ささやかながら仲間を思いやる男たちのバンド活動を映し出した、良いバンド映画でもありました。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
以上、『さよなら、僕の英雄』の感想でした。
作品ポスター・画像 (C)2025 Zentropa Entertainments4ApS & Zentropa Sweden AB さよなら僕の英雄 ザ・ラスト・バイキング
The Last Viking (2025) [Japanese Review] 『さよなら、僕の英雄』考察・評価レビュー
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