そう男は悟った…映画『愛を耕すひと』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:デンマーク・ドイツ・スウェーデン(2023年)
日本公開日:2025年2月14日
監督:ニコライ・アーセル
動物虐待描写(家畜屠殺) DV-家庭内暴力-描写 児童虐待描写 人種差別描写 性描写 恋愛描写
あいをたがやすひと
『愛を耕すひと』物語 簡単紹介
『愛を耕すひと』感想(ネタバレなし)
デンマーク開拓史が現代的解釈で…
1700年から1721年までの大北方戦争の後、デンマークでは18世紀のほとんどは戦争の脅威がなく、比較的平穏でした。しかし、問題がなかったわけではありません。産業が発達せず、農業に頼るしかなかったのです。
1733年に農奴制を開始して一握りの地主が庶民を奴隷のように農業に振り分けて働かせるも、収穫できる作物の品質は良くなりません。ことさらユトランド半島の北側は土地環境が過酷です。農業に適しているとも言えません。それでも当時のデンマークの人々はそんな不毛の大地を開拓しようと苦労を重ねてきました。
そんな18世紀のデンマークの開拓史をひとりの人物の視点で雄大に描いた叙事詩的な映画が2023年に公開され、2024年にかけて世界各地を魅了しました。
それが本作『愛を耕すひと』です。
歴史が基になっており、実在の人物から着想を得たものでもあるのですが、あくまで大まかに翻案した創作です。そのため、かなり自由にクリエイティブしています。
主人公はユトランド半島の不毛の地をひとり開拓することを名乗り出た退役軍人の男。家族もなく、単独でこの大地に挑むという無謀な挑戦に誰もが無理に決まっていると見放す中、この主人公はさまざまな出会いを重ね、残酷な社会に鞭打たれ、価値あるものを見出していきます。
古典的な西部劇の要素を備えつつ、それを北欧風にアレンジした佇まいなのですが、それだけでなく実は結構フェミニズムな要素も持ち合わせている、現代的な開拓史の再構築となっているのが特徴です。
というのも、本作には原作があって、執筆者はデンマークで女性作家としてジェンダーの壁を突破し、文学界隈のジェンダー平等に大きな実績を残したことでも知られる”イダ・ジェッセン”なのです。その”イダ・ジェッセン”の歴史小説『The Captain and Ann Barbara』が原作になっています。
この”イダ・ジェッセン”の原作を気に入り、発売前に本を読む機会に恵まれてすぐさま映画化に乗り出したのが、デンマーク出身の“ニコライ・アーセル”。『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』や『特捜部Q』シリーズの脚本家として着実に話題を獲得し、監督作『ロイヤル・アフェア 愛と欲望の王宮』(2012年)でベルリン国際映画祭銀熊賞(最優秀脚本賞/男優賞)を獲得し、世界的評価を得た人です。2017年には『ダークタワー』にてハリウッドから声をかけられて監督業もしたのですが、本人はこのスタジオシステムの経験は大いに傷つけられる散々なものだったと振り返っており、久しぶりに母国デンマークに戻ってきました。
そして“ニコライ・アーセル”監督は、『ライダーズ・オブ・ジャスティス』の“アナス・トマス・イェンセン”を共同脚本に招き、さらにすでに一緒に仕事した仲である“マッツ・ミケルセン”を主演に抜擢。完璧な布陣の出来上がりです。
“マッツ・ミケルセン”と共演するのは、ドラマ『レイズド・バイ・ウルブス/神なき惑星』の“アマンダ・コリン”、『THE GUILTY/ギルティ』の“シモン・ベンネビヤーグ”、『シック・オブ・マイセルフ』の“クリスティン・クヤトゥ・ソープ”、『ノースマン 導かれし復讐者』の“グスタフ・リン”など。
超大作感が溢れていますが約2時間に収まっているのも嬉しい『愛を耕すひと』。濃密な物語にじっくり触れてください。
『愛を耕すひと』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
基本 | 生々しい暴力や拷問の描写があります。また、児童に対する虐待や人種差別も描かれます。家畜を殺すシーンも一部に含まれます。 |
キッズ | 子どもには向かない描写が多いです。 |
『愛を耕すひと』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
1755年、長らく大尉として軍人の経歴に身を捧げてきたルドヴィ・ケーレンは退役しました。そんな彼は身なりを整え、今、デンマーク王立宮廷を来訪しています。
その目的は、ユトランド半島の荒野に耕作地を作る許可を得るためです。この土地に定住することを望んでおり、さらにその見返りとして、貴族の称号の特権を宮廷に要求するつもりでした。
その土地は全くの不毛の大地。草木も乏しく、わずかな下草は土ごと凍りついています。暖かくなればマシになるかと思われましたが、大雨が虚しく地面を荒らし、とても肥沃な改良は望めそうにないです。
そんな不毛な地を望むなど無謀にもほどがあると他の貴族たちは半ば呆れ、半ば見放していました。
それでもケーレンは諦めずにその地に住み着き、大地と向き合い続けます。来る日も来る日も土を掘り起こし、いろいろと耕してはその変化が現れないかを手で確かめる。それだけの作業が永遠に終わりません。
夜中には謎の襲撃者も現れることもあります。何が目当てなのか、それはわからないです。命は自分で守るしかありませんでした。
しかし、ついに努力が実ったのか、土壌に改善の兆しがみられます。でもまだ本格的に農耕ができる段階ではありません。そこでケーレンは次の行動に移ります。何をするにせよ人手が要ります。
良い人材がいるとして紹介されたのが、農奴農民のヨハネス・エリクセンとその妻アン・バーバラでした。この若夫婦はワケあって以前の雇用主から逃げ、隠れていたようです。
大地に建てた二軒の家で共同生活が始まります。周囲には他に何もありません。また地道な作業を継続するしかないです。今度は協力しながらですが、やはり終わりはみえません。この挑戦に同意してくれた若者のアントンも加わりますが、進展はありません。
ある夜中、アンマイ・ムスという少女が盗みに入ります。ロマの出自の子のようです。どうやら近くにロマのキャンプがあるようでした。
そんな中、近くのハルド荘園の地方判事であり、このケーレンのいる荒野の所有権を独占しようとしている地主であるフレデリック・デ・シンケルが、ケーレンの耕作の話を聞きつけます。成功する保証は全くないですが、自分のあずかり知らぬところでそんなことをされるのは虫唾が走る…。富に執着するフレデリック・デ・シンケルは冷酷で手段を選ばない人間でした。
そしてケーレンを妨害するために嫌がらせを行い、それは非道な暴力にまで発展していき、血が流れることになり…。
内省的な男らしさの転換
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ここから『愛を耕すひと』のネタバレありの感想本文です。
『愛を耕すひと』の英題は「The Promised Land」で、オリジナルのデンマーク語のタイトルは「Bastarden」です。これは「私生児」を意味しており、主人公のルドヴィ・ケーレンが地主とその女中の間に生まれた私生児であったことに由来しています。
このようにこのケーレンはその出自ゆえに貴族に対する複雑な感情を持ち合わせながら人生を生きていたことが察せられます。私生児は世間で良い印象を持たれませんし、人生において多くの壁にぶちあたります。
それでも軍人として地道に努力を重ね、今、この年齢になってやっと貴族になるチャンスまであと一歩に迫ります。執念です。貴族への執着心は尋常ではありません。だからあの不毛の地を耕すという不可能と思われたことでも躊躇いなく取り組みます。
ケーレンにとってそれは人生の後半の新しい気分転換とかではなく、生まれた瞬間からこのために生きてきた願望なのです。農業が好きなオジサンとかではないです。ジャガイモが好きなわけでも、おカネを稼ぎたいわけでも、老後は田舎暮らしがいいわけでもない。この耕作によって自分の土地を得ることで貴族になる。それがずっと全てだったわけで…。
しかし、全然上手くはいきません。自然はひとりの人間の思いどおりにはなりません。さすがに自然という存在は人間社会の権力を振りかざしてどうこうなるものではないです。だから貴族社会も匙を投げています。
このケーレンの人物像からは、白人男性の本質的弱さが滲みます。白人男性がマジョリティなのはさまざまな権力の補助あってこそです。対極的なのがまさにフレデリック・デ・シンケルで、あのろくでもない奴は権力で自分の強さを誇示し、自分を偽っています。実態はどうしようもないただのクズです。
ケーレンも善良な人間ではありませんでした。感情をみせず、孤独なストイックに徹し、特に友好的でもないです。あくまで保守的な貴族になる目標に囚われているだけですから。
そのケーレンの内面にある一種の自罰的な目標設定の行き詰まりというものが、作中のあのユトランド半島の無慈悲な自然描写と相まって、見事に映し出されていました。
けれども、あの開拓の人生の中で、最終的にはそこに価値を感じなくなっていきます。本当に自分がなりたかったのは貴族ではない、と。つまり、この物語は内省的な男らしさの転換を描いていると言えると思います。「偉大になること(言い換えれば保守的な男らしさを達成すること)」に全力を捧げていた男性が、そうではない人生の価値に気づく話です。
包摂的な愛に気づいた男の物語
そこでこの『愛を耕すひと』で重要になってくるのが、ケーレンを取り巻く2人の人物。それはアン・バーバラとアンマイ・ムスです。ケーレンはこの2人を含め、しだいに本来は予定になかった家族を形成していきます。
ケーレンが「貴族になる」という当初の人生の目標を達成するなら、それこそエレルのように身分のしっかりした女性を妻にするほうが絶対に良いはずです。貴族としての地位が盤石なものになりますから。
しかし、ケーレンは夫を非道な拷問で亡くしたアン・バーバラとゆっくり関係を持つようになっていきます。ケーレンも最初はかなり距離をとりたがっていましたが、時間をかけて受け入れます。アン・バーバラは農奴農民なので身分もほぼ絶望的。なのでそんな女性と一緒になることにケーレンにとってのキャリア上のメリットは一切ないです。むしろデメリットでしかありません。
それ以上に、いくら夫を亡くしたとはいえ、未亡人の女性と関係を持つなんて、まるで自分の父の二の舞になりかねない行為です。ケーレンの中には葛藤があったでしょう。
一方でこのアン・バーバラも作中では非常に主体性の強いキャラクターになっており、憎きフレデリック・デ・シンケルに情け容赦なく復讐を果たし、堂々と捕まるも逃げおおせるという、悲劇のヒロインで終わらない活躍をみせます。
もうひとりの重要キャラクターがアンマイ・ムス。この子はロマの民族です。ロマというのはインド・アーリア人に起源がありつつ、歴史的に世界各地で遊牧して広がっている民族であり、以前は「ジプシー」と呼ばれたりもしましたが、これは差別的な表現です。
ロマの人たちは差別の対象であり、作中のケーレンのいるユトランド半島でも酷い扱いを受けています。
そのロマの子であるアンマイ・ムスを家に置くという選択をとったケーレン。しかも、アンマイ・ムスは、白人に同化はできない身体的特徴を持つ子です(わざわざそういう子役をキャスティングしている。ちなみに演じた“メリナ・ハグバーグ”のインスタとかを見ると“マッツ・ミケルセン”と仲良く無邪気にポーズとっている姿があって可愛いです)。ロマはその歴史から複雑な人種ルーツを持ち合わせていますが、見るからにロマだとわかる見た目であれば、当然、周囲の注目を集めます。
作中でも後半に入植者を受け入れ始めると、ケーレンの家にいるロマに露骨な不快感を示す入植者が現れ、「悪魔の子」呼ばわりしてそれはもう冷たいです。やむを得ず、ケーレンはアンマイ・ムスを家に閉じ込めますが、それでも差別的な入植者は図々しい主張を繰り返し、やがてはケーレンはアンマイ・ムスを追い出すしかなくなって…。
ケーレンにしてみればこれも自分の人生において父の行為をなぞるようで辛かったはず。罪のない子を迫害的に追い払うなど、かつての自分が経験したことですし…。
本作でロマの役割が大きく、それは反植民地主義の姿勢を示す効果もあったと思います。定住することはすなわち植民地的でもあります。ケーレンは最終的に定住に執着をせず、あの地を離れるエンディングとも繋がります。
そんなこんなでひとりの白人男性が権力ではないもので強くなるにはどうすればいいかと言われれば、それは異なる者を包摂する心であり、それら同士で助け合う相互補完しかないのだと、この映画はラストで力強く打ち出していました。
『愛を耕すひと』は現代的な包摂性に裏打ちされた北欧西部劇でした。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
作品ポスター・画像 (C)2023 ZENTROPA ENTERTAINMENTS4, ZENTROPA BERLIN GMBH and ZENTROPA SWEDEN AB ザ・プロミスド・ランド 愛を耕す人
以上、『愛を耕すひと』の感想でした。
The Promised Land (2023) [Japanese Review] 『愛を耕すひと』考察・評価レビュー
#デンマーク映画 #マッツミケルセン #開拓