でもそんなの気にしない…映画『牡牛のフェルディナンド』(1938年)の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(1938年)
日本では劇場未公開
監督:ディック・リカード
おうしのふぇるでぃなんど

『牡牛のフェルディナンド』物語 簡単紹介
『牡牛のフェルディナンド』感想(ネタバレなし)
児童文学の動物キャラのクィア・アイコンの先駆け
2005年に『タンタンタンゴはパパふたり』(「And Tango Makes Three」)という児童書が出版されました。これは2羽のオス同士のペンギンがカップルとなり、子どもを育てていくという物語です。実際にニューヨークのセントラルパーク動物園でつがいになった2羽のオスのヒゲペンギンを基にした実話ベースのお話となっています。
しかし、この児童書は同性愛を示唆しているとみなされ、一部の地域では禁書扱いとして、学校などの図書館から排除する動きが起きました。
このようにクィアな眼差しに満ち溢れる児童書が排斥される出来事は、“ドナルド・トランプ”政権の誕生以降、急速に拡大し、表現の自由の危機を招いています(それ以外にも日本の漫画もいくつか禁書になりました)。
一方で、クィアな視点で親しまれる児童書というのは、昔から存在してもいました。例えば、“アーノルド・ローベル”による『がまくんとかえるくん』(1970年~)もそうです。
さらにもっと昔を遡るなら、この児童書を語らないわけにはいきません。今回はその児童書の出版から2年後に映像化となった短編アニメーション映画を主軸にし、クィア映画史の文脈でも触れていくことにしたいと思います。
それが本作『牡牛のフェルディナンド』です。
本作は1936年に出版された児童書で、アメリカの作家の“マンリー・ローフ”が執筆し、“ロバート・ローソン”が挿絵を描いた『はなのすきなうし』(「The Story of Ferdinand」)を原作としています。
この児童書は児童文学でも最も有名な古典のひとつと評されるほどとなり、1938年にはあのディズニーによって短編アニメーション化され(当時の配給はRKOピクチャーズ)、当時の第11回アカデミー賞で短編アニメーション賞を受賞しました。別にディズニー・キャラクターという扱いではないですけど。
2017年には「ブルースカイ・スタジオ」によって『フェルディナンド』というタイトルで、3DCG長編アニメーション映画となったので、そっちで知っている人もいるかもしれません(ただ、日本では劇場未公開で、配信スルーでしたが…)。
物語としては、花が大好きでいつも花の匂いを嗅いでのんびりしている雄牛を主人公にしています。内容もこれといってなく、1938年の短編アニメーションは約8分しかありません。
ところがこの原作は政治的にとんでもなく物議を醸し、論争に発展していった過去があり…。
そして、クィアなアイコンにもなるという…。児童文学の動物キャラのクィア・アイコンの先駆け…じゃないかな?
すっごく語りどころのある牛なのです。たぶん最も政治の火種になった牛のキャラクターと言えるでしょう。今風に言うなら文化戦争の題材になったと評されるのかな…。
ネタバレってほどでもない(そもそもそんなに内容がない)ので、あまりネタバレを意識する必要はないと思いますが、後半の感想では短編アニメの『牡牛のフェルディナンド』を軸に、その政治的な論争とクィアのアイコンとしての存在感を簡単に整理しておきます。
『牡牛のフェルディナンド』は現在は日本でも「Disney+(ディズニープラス)」で配信されているので、気軽に観ることができます。
『牡牛のフェルディナンド』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
| 基本 | — |
| キッズ | 子どもでも観れます。 |
『牡牛のフェルディナンド』感想/考察(ネタバレあり)

ここから『牡牛のフェルディナンド』のネタバレありの感想本文です。
フェルディナンド現象
『牡牛のフェルディナンド』は、物語も短すぎるので、あらすじを書くほどでもないです。
一応、書いてみると…
あるところに1頭の雄牛、フェルディナンドがいました。子どもの頃から花が大好きで(草食だから花を食べるのが好き…という意味ではない)、その花の匂いを嗅いでは草原の木の下でのんびり過ごしていました。他の雄牛の子たちは元気に駆け回っていますが、フェルディナンドはひとりでマイペース。それは大人に成長しても変わりません。他の雄牛たちは自慢の大きな角を突き出して互いに攻撃的に頭突きし合っており、闘牛としての素質を発揮しています。しかし、蜂に刺されたことに驚いて思わぬ突進をみせたフェルディナンドは、闘牛に選ばれてしまい、闘牛場に連れていかれます。けれどもやっぱりそこでも花の匂いにうっとりし、フェルディナンドはまたいつもの草原に戻ってゆったり暮らすのでした。めでたし、めでたし…。
なんて平和な物語なんだ…というのが素直な感想になるでしょう。誰も傷つかない、1頭の牛がただそこに佇んでいるだけで満足する…平穏そのものです。
ところがです。この原作、庶民に愛される児童書になった一方で、なぜか特定の政治的シンボルとみなされ、異様に嫌悪もしくは敵視もしてくる人たちまで現れたのでした。
もともとこの原作は初年度はそこそこの売れ行きしかなかったのですが、翌年から瞬く間に売り上げ、いつの間にやら話題の一作となっていたそうです。そして当時のメディアが書き記しているように、どうやらその大ヒットの背景には、大人たちがこのフェルディナンドの解釈をめぐって政治的論議を繰り広げ、それが関心の原動力だったらしいことがわかります(The New Yorker)。
その当時のメディアの記事によれば、この原作は共産主義のプロパガンダだと主張する人もいれば、ファシストのプロパガンダだと主張する人もいたとか。ナチス・ドイツではアドルフ・ヒトラーが退廃的な民主主義プロパガンダだとしてこの本を燃やせと命じたという話もあります。
共産主義なのか、ファシズムなのか、民主主義なのか、全く一致する気配もないところが余計にカオスですけど、とにかく四面楚歌ですね。
原作自体に明確な政治的要素はありません。ただののんびりとした牛です。
しかし、当時の時代的な情勢を考慮する必要があります。この原作はスペイン内戦勃発から3か月後の1936年9月に出版されました。これは反ファシズムの立場に立つ左派の共和国人民戦線政府が、フランシスコ・フランコを中心とした右派の反乱軍と争ったもので、1939年4月まで続き、結果、右派の独裁政権が樹立することになりました。1939年からの第二次世界大戦の前段階と言える、非常に政治的対立が激化していった時期だったんですね。
なので当時の多くの国々の民衆は政治的に敏感だったのだと思われます。それゆえにこのフェルディナンドがお茶の間で政治的にどう解釈するかで論争になった…と背景を知れば、納得できるのではないでしょうか。
ふと思うと、私は2026年の日本で、よりこのフェルディナンド論争を身近に実感できました。というのも、2026年の日本では反戦デモが各地で大々的に行われました。イラストを描くことで反戦の意思を示す人もいた中、そうしたアクションに対して「政治的に行きすぎだ」みたいに批判する外野の声があがったり、はたまた反戦デモ自体を共産党が裏で仕切っているなんていう突飛な主張が流れたりもしました。
これぞフェルディナンド現象ですよ。私は「フェルディナンドと同じだ…」と思いました。
要するにその絵や物語を自分にとって気に入らない政治的党派の象徴だとみなそうとしてしまう…。非暴力で平和主義的な内容にもかかわらず…。いや、非暴力で平和主義的な内容だからこそ、そこに自身の疑心暗鬼を投影してしまうのか…。
ちなみに、当時はこのフェルディナンドを座り込みで抗議している平和活動家を揶揄しているとして批判する人までいたらしいです。ほんと、あらゆる方向からボコボコにされるな…。
念のために書いておくと、私は「この物語を政治的に解釈する人は愚かだ」とか「こう解釈するのが正解だ」とか、そういうことを言いたいわけではありません。
ただ、これほどまでに解釈が分裂化する現象はとても興味深いなと思います。原作者に政治的な意図が無かったにもかかわらず、政治情勢と大衆心理がひとつの児童書の捉えかたをここまで複雑化させるとは…。表象と政治の関係性はやっぱり面白いものですね。
ジェンダー規範に抗って自分らしくいる
そんな何かと敵意を向けられてしまったフェルディナンドですが、逆にフェルディナンドを親身に愛してくれる人たちもいました。それがLGBTQコミュニティです。
そもそも児童書に「動物」が使われやすいのは、人間社会を動物を通すことで、教訓的なトーンを和らげ、現在進行形の問題や社会的に物議を醸す話題を取り扱うことで生じる緊張を緩和する効果があるでしょう。子どもに対して、何かの教訓を伝えるにせよ、動物であれば親しみやすいです。
フェルディナンドの場合は、その親しみやすさをともなう解釈のハードルの低さが逆に仇になって論争化してしまったわけですが…。
その政治的なことはさておくとして、フェルディナンドが体現しているのは平和主義以上に「自分らしさを貫くこと」だとも言えるでしょう。
こういうテーマの動物主題の児童向け物語は珍しくありません。『みにくいあひるの子』だってそうです。周りとの比較を気にしないで、あなたはあなたのままでいいんだよ…というメッセージは、アイデンティティが芽生え始める多感な子どもを肯定します。
フェルディナンドの場合、「花が好き」という個性は、典型的な男らしさとは反対です。実際、作中では他の雄牛と対比的に映しだされます。
さらに、短編アニメ化した『牡牛のフェルディナンド』はそのアニメーションによって、なおさらフェルディナンドの「男らしくなさ」が強調されました。見た目も長いまつげを持ち、どこか女らしい腰つきで歩いているので、フェルディナンドは明らかに女性的にデザインされています。
これをクィアな人たちが見逃すはずもありません。フェルディナンドがクィアなアイコンになるのはある意味で当然の帰結です。
もちろんフェルディナンドがゲイだと言いたいわけではないです。しかし、ジェンダー規範に抗い、個性を貫き通す先駆者ではあったでしょう。それは紛れもなくクィアネスなパワーでした。
ちなみに、原作出版当時からフェルディナンドがLGBTQコミュニティに支持されていたという情報はありません。ただ、男らしくなさを指摘する意見はあったみたいですね。1930年代後半の時代は、性的マイノリティへの迫害がアメリカの映画業界でも強まっていた時代だったので、気楽にフェルディナンドをその象徴として持て囃せる空気ではなかったでしょうし…(むしろ動物だったからこそ、この“男らしくない雄”の描写が見過ごされ許されていたのではないでしょうか)。
また、この短編アニメ『牡牛のフェルディナンド』を制作したディズニーは、1942年の長編アニメーション映画『バンビ』にて、「フラワー」という花が好きなどこか女っぽい雄のスカンクのキャラクターを登場させており、明らかにフェルディナンドを模倣しています。ただし、このフラワーは物語の終盤で雌のスカンクと結ばれるので、しっかり異性愛規範にとどめ、クィアな解釈を弾く予防線を張ってもいます。
まあ、今のディズニーにおける最もクィアなアイコンになっている牛は「クララベル・カウ」でしょうからね…(Inside the Magic)。フェルディナンドの存在感は薄いでしょう。
ともあれ、このフェルディナンドはクィアなアイコンでもあった…ということです。
フェルディナンドがクィアなアイコンだなんて許せない…って人もいる?
クィアな解釈をしてただ個人的に楽しんでいるだけの人に目くじらをたてるなんて 花の匂いを嗅ぐのが好きな牛を認めないのと同じことじゃないですか。
まあまあ、のんびり生きようよ。こっちの花の香りは気分が落ち着きますよ。
シネマンドレイクの個人的評価
–(未評価)
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
以上、『牡牛のフェルディナンド』の感想でした。
作品ポスター・画像 (C)Walt Disney Productions フェルディナンド・ザ・ブル
Ferdinand the Bull (1938) [Japanese Review] 『牡牛のフェルディナンド』考察・評価レビュー
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