ドッグマン
映画『ドッグマン』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Dogman
製作国:イタリア(2018年)
日本公開日:2019年8月23日
監督:マッテオ・ガローネ

ドッグマン

あらすじ

イタリアの寂れた海辺の町。娘と犬を愛する温厚で小心者の男マルチェロは、「ドッグマン」という犬のトリミングサロンを経営している。気のおけない仲間たちと何気ない日常を楽しむマルチェロだったが、その一方で暴力的な友人シモーネに利用され、従属的な関係から抜け出せずにいた。そんなある日、シモーネから持ちかけられた儲け話を断りきれず片棒を担ぐ羽目になり…。

ネタバレなし感想

犬と人の寓話を語ろう

最近は猫に押されつつある日本の犬の飼育数ですが、それでも2018年の調査では890万3000匹の犬が飼育されていると推定され、日本のペット業界の犬の権威はまだ衰えていません。まだまだ負け犬にはならないのです。

そんな犬を飼うには欠かせないのが「しつけ」です。しつけは飼い主の義務。「うちの子はバカだから全然言うこときかないのよね」なんていうのはただの飼い主の“不届き”です。犬を飼うならしつけをする…それが最低限のルール。犬のしつけは大きく2種類あって、なにかしらの行動をしろと命令してさせる“課題達成”型と、なにかしらの行動をするなと命令してさせない“問題解決”型です。前者は、いわゆる“待て”や“名前を呼べば来る”など、後者は“無駄吠え”や“噛みつき”を禁じることなど。どちらも犬と人間が幸せに共生するには大事です。

とはいってもこのブログは映画感想を書くためのものであり、犬のしつけの手ほどきを語る場ではありません。じゃあ、なんでこんな話をしたのかといえば、今回の紹介映画である本作『ドッグマン』と遠からず関係のあるポイントだから。

『ドッグマン』はあの“マッテオ・ガローネ”監督の最新作。“あの”と言っても知らない人には「誰?」っていう話でしょうが、この人はイタリアの映画監督として非常に世界的に有名な方です。なにせカンヌ国際映画祭で審査員特別グランプリに2度も輝いているわけですから(2008年の『ゴモラ』と、2012年の『リアリティー』)。

“マッテオ・ガローネ”監督の作風は割とハッキリしていて、一言でいえば「寓話的」なストーリーを得意としています。最近では著名な寓話そのものを映画化した『五日物語 3つの王国と3人の女』という映画を手がけており、寓話大好きオジサンという感じ。


最新作の『ドッグマン』ではまたもや寓話“風”の内容に戻ってきました。今作も“マッテオ・ガローネ”監督らしい寓話的なエッセンスが光っているのですが、実は実際に起きた事件がベースになっているとか。1980年代の終わりにイタリアで実際にあった事件を題材にしたとのことで、実話モノと言えますが、かなり脚色しまくっているそうで、あくまでインスパイアしたくらいの扱いなので、基本はこの映画を観て、実在の事件の全容がわかったりはしません。むしろ寓話としてデフォルメされたことで、全世界に通用する普遍性をともなった“モノガタリ”になった感じですね。

で、肝心の犬のしつけのことですが、タイトルが『ドッグマン』なとおり、犬が出てきます。でも犬は主体的に活躍はしないので、そこは期待しないでください。それよりも犬の要素(しつけを含む)が物語の効果的な仕掛けになっていると言えばいいのかな。これ以上はネタバレになるので、後は見てのお楽しみ。

『ドッグマン』は2018年にカンヌ国際映画祭に出品され、今度こそはパルム・ドールなるかと思われましたが、惜しくもそうはならず。でも、男優賞を獲得し、パルム・ドッグ賞も当然のように受賞(パルム・ドッグ賞は、カンヌ国際映画祭で優秀な演技を披露した犬に贈られる賞で、まあ、ユーモア込みで作られた賞です)。評価は決して悪くはないですし、本作から“マッテオ・ガローネ”監督を初めて見るという入門の一作にもちょうどいいのではないでしょうか。

犬好きなら観るべきとか、そういうタイプの推しができる映画ではないですけど(逆に犬が多少酷い目に遭うので犬好きからしたらどうなのかな…)、じっくり寓話を噛みしめながら鑑賞してみてください。

なお、愛犬を殺された主人公が復讐にかられて相手を華麗にぶっ倒すみたいな、『ジョン・ウィック』ライクな物語では欠片もないので、その需要観客層の人は“待て”です。

オススメ度のチェック
ひとり◯(マニアックな作品を観るなら)
友人◯(映画好き同士で)
恋人△(恋愛気分を刺激はしない)
キッズ△(激しい暴力描写あり)

予告動画






↓ここからネタバレが含まれます↓





ネタバレあり感想

主人公らしくない主人公

『ドッグマン』を私はあまり前情報を入れずに鑑賞していたのですが、クライムサスペンスなのかと思いきや、なかなかベタな方向には簡単に走っていくことなく、予測のつかなさにハラハラしました。

それもこれも本作の主人公である、「DOGMAN」という名の犬のトリミングサロンを営むマルチェロという男がすべての起因。

冒頭、歯をむき出して吠える大型犬に対して、なかば腰が引けるようにおっかなびっくりで相手するマルチェロ。もう完全にギャグです。誰しもが“えっ、こいつが主人公なの?”と思うレベルの、全身から漂う残念感。普通であれば、悪役とかの取り巻きにいる“チンピラA”みたいなポジションです。そんな男が主人公で、どう物語が成り立つのか…幸先不安になります。でも、このギャグ漫画のごときシーンが実は本作全体を観終わった後に“なるほど”と頷ける、この映画自体をワンシーンで表現したものになっているわけで…。“マッテオ・ガローネ”監督、油断なりません。

このマルチェロは、イタリアの本当に寂れている海辺近くの街に暮らしている男で、犬のトリミングサロンで働き、自立しているものの、どこか頼りなさげ。友人もたくさんいて、ワイワイと集まって食事をする現場にはいますが、なんというかとりあえずいるだけという感じ。

そんな彼にとって大切なものは2つ。ひとつは。犬相手には上機嫌でよくしゃべり、ひたすらに関係性を構築することに余念がありません(犬に伝わっているかどうかは別)。ちなみにトリマーとしての腕はそれなりにあるようで、ドッグショーのトリマー大会に参加して3位をとっていました(ただ、この大会がどの程度の規模なのか知らないので、これが凄いのかはイマイチ微妙)。そして、犬と並んで溺愛するのがです。妻とは別れて独り身状態でも、最愛の娘とは頻繁に会えるので、結構家庭的に寂しいわけではありません。

だから、ハッキリ言えば、仕事も家庭も充実している、恵まれた男…のはず。

ところがマルチェロはどうも冴えない人生を送っているような雰囲気が消えない。その諸悪の根源のように彼に近づてくる存在が、屈強そうな男のシモーネ。このシモーネは見た目どおりの暴力性の権化であり、気に入らなければ壊すか、力づくで奪い、他人を平気でこきつかい、いくらでも搾取する…120%の問題児(大人)。

町の男たちも「シモーネは死んだ方がいい」と平然と言葉が飛び出す始末ですが、みんな怖いので、陰でこそこそ口にするだけ。

そんなシモーネにとって最高の使いっぱしりにされているマルチェロは、あちこちへと付き合わされ、シモーネが手当たり次第に暴力をふるっていく現場をただ遠巻きに見ているしかできません。ちなみに、ここの暴力シーンなどは、イタリア映画らしい“ジャッロ”と呼ばれるジャンル的な雰囲気も感じとれ、グロくはないにせよ、なかなかの痛々しさ。

しかし、際限なくエスカレートするシモーネがついに大胆な犯罪計画を企て、それのせいでマルチェロは巻き添え的に自分だけが逮捕され、刑務所へ収監されてしまう事態に。

1年後。マルチェロが再び地元に帰ってきたとき、自分の立場は完全に変わり果てていたのでした。

狂犬に従う男の反撃

『ドッグマン』は寓話としてかなりわかりやすい部類で、すぐにわかった人も多いと思いますが、作中のマルチェロは仕事は犬を扱うことですけど、この町におけるマルチェロの立場はまさに犬です。

とくに暴力的な友人であるシモーネはマルチェロの飼い主も同然。あれもしろ、これをくれ…と言いたい放題&やりたい放題で、従わなければ暴力をふるう。典型的なダメな飼い主です。

一方で、マルチェロが暴力的な犬としてのシモーネを飼っているようにも見えてきます。マルチェロのサロンでは実に多種多様な犬がいて、それこそチワワからグレート・デーンまで体格さまざまな犬が揃っているわけですが、シモーネはその中でもひときわ巨大で、手に負えない問題犬です。冒頭の唸る大型犬を相手に距離をとって付き合うマルチェロの姿はまさにシモーネへの相手の仕方と同じ。

そもそもマルチェロとシモーネはなんでこうも一緒なのかは不明です。たぶん『ドラえもん』における「のび太とジャイアン」のように、ただなんとなく一緒にいるという共依存関係なのでしょう。ストリップクラブに連れていってもらい、女と踊るように促されるマルチェロの姿とか、怪我をしたシモーネが母と誤魔化し誤魔化しで向き合っている間に、マルチェロにコカインを床からかき集めさせるとか、いちいち関係性に妙に愛嬌が見え隠れもします。

これだけだと、まあ、暴力は良くないけど、人間関係としてはありがちだなと思わなくもない。

この二人の主従関係が、ある日を境に決定的に逆転してしまうというのが『ドッグマン』の後半の展開。

実際、飼い犬に吠えられたり、噛みつかれたり、全然言うことを聞かない状態になってしまった人もいますが、それは犬が「人間よりも上」だと上下関係を逆転させているからだとは言われます。『ドッグマン』のマルチェロとシモーネは、その上下があやふやな部分でなあなあにコミュニケーションしてきたこれまでに対して、ついに後半で白黒つけようじゃないかと動き出すことになります。

『ドラえもん』では絶対に起こらない、のび太がジャイアンを殺すという結末。

この飼い主と犬の主従関係というのはあくまで寓話としてのイチ要素に過ぎませんが、リアルな社会全体を見回せばそんな支配的な主従関係はゴロゴロとあります。家庭も、会社も、政治も、全部。最近だと某お笑い大組織のいざこざを思いだすところです。今までひたすらに上に従ってきた存在が、ある日を軸に、噛みつくという反逆を起こす。そして既存の常識だった主従関係が、盤石だと思えていたのに、意外に簡単にぐらつき始める。

本作の題材となった実話は、1988年にローマのサロンで起きた殺人事件であり、『ドッグマン』に残っている部分としては、ペットのトリマーをしていた男が、暴力的な別の男を殺すという構図のみ。たぶん、監督はこの主従関係の反転を匂わす側面に寓話性を見いだしたのでしょう。

ドッグマン

飼い主としてやってはいけないこと

しかし『ドッグマン』は、ただ“弱き者”が“強き者”を倒して雄たけびをあげるような、正義の達成というカタルシスは与えてくれません。

刑務所を釈放されたマルチェロは町では村八分状態になりながらも、シモーネに恨みをぶつけることを決意。言葉巧みに誘い出して、サロンの犬用ケージに彼を閉じ込め、挑発。最終的には台を下げての首絞め(ここでうっかり隙を見せて逆に首を絞められるあたりに、マルチェロの小物臭がなおもあって良いです)。シモーネの遺体を焼き払い、これで終わりかと思いきや、自分を内心ではバカにしていたであろう他の町の人たちに「自分が殺したんだぞ」と見せつけようとしたところ、誰もいない。そして、自分のやったことをただひたすら噛みしめるだけの寂しい犬みたいに立ち尽くすマルチェロ。ご褒美はそこにはなく…。

この鬱っぽいエンディングは、やはりやってしまったことは悪であり、そこは否定できないという現実の突きつけ、そしてなによりも“暴力でしか他者に認めてもらう手段を見いだせない”というマルチェロの過失が浮き彫りになった瞬間が表出したものです。

同時に、先ほどの飼い主と犬の関係に例えるなら、マルチェロは最悪のダメな飼い主の行動をとってしまったことにもなります。考えてみれば、サロンでやってしまったあの殺害は、動物虐待的な風景にも見えてきますし。

あの倫理の一線を越えた行為によって、マルチェロという小さい男の中にあった、唯一の良心といってもいい、命を愛する心さえも消えてしまった。そんな感じでしょうか。

そんな彼の完全に捨てられた犬のようなラストの姿が、舞台となる町とも重なります。このロケーションとなった町は、「ヴィラッジョ・コッポラ」という名前のところらしく、実際にゴーストタウンみたいです。

主人公のマルチェロを演じた“マルチェロ・フォンテ”もそのパフォーマンスの高さがこの映画の魅力を大幅に底上げしているのは言うまでもなく。監督がインタビューで「バスター・キートンのような往年の無声映画の俳優を思わせるところがある」と言っていましたが、まさにそれ。本作をサイレントにして上映しても面白いのではないかと思うほど、視覚的な見ごたえを引き出せる俳優でした。端役で活躍していた人みたいですけど、よく発掘してきたなぁ。

「ほら、俺ってこんな暴力も過激な発言もできちゃうんだぜ」と吠えまくる人間を、リアル社会でもたくさん見かけますが、それは負け犬の遠吠え以下でしかないことを、本作は教えてくれるのでした。

ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 82% Audience 79%
IMDb
7.3 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★

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作品ポスター・画像 (C)2018 Archimede srl - Le Pacte sas