でもすぐに死にます!…映画『ファイナル・デッドブラッド』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2025年)
日本公開日:2025年10月10日
監督:アダム・スタイン、ザック・リポフスキー
ゴア描写
ふぁいなるでっどぶらっど
『ファイナル・デッドブラッド』物語 簡単紹介
『ファイナル・デッドブラッド』感想(ネタバレなし)
ファイナル配信スルー回避!
日本の映画ファンにとっては重大な業界ニュースが2025年9月に飛び込んできました。
「ワーナー・ブラザース」の洋画作品の国内配給を2026年から「東宝東和」が行うと合意したというもの。
「東宝東和」は日本最大手の「東宝」の傘下であり、これによって「パラマウント・ピクチャーズ」と「ユニバーサル・ピクチャーズ」、そして「ワーナー・ブラザース」と、ハリウッドの3大企業が全てひとつに集中します。
あまり喜べるニュースではないでしょう。そもそもこうなったのも、ワーナー・ブラザースのアメリカ国外配給体制の削減が背景にあると思われ、日本がいかに市場として価値がないと思われているかを示唆しています。また、東宝の寡占状態は業界の競争の不健全化を招き、配信スルーも起きやすくなると思います。
どういう業界に変容しようとも、私は大手に媚びることなく、これからも映画の感想をだらだらと書いていきますけど…。
そんないきなり残り僅かな付き合いになってしまった日本のワーナー・ブラザース直々の配給ですが、最後のプレゼントなのか、嬉しいことをしてくれました。
それが本作『ファイナル・デッドブラッド』です。
本作はもともと日本では配信スルーになるとアナウンスされていたのですが、急遽、劇場公開に変更されました。ただでさえ海外大手ホラー映画は不憫な目に遭っていたので、報われる作品が現れて良かったです。しかも、それがこの映画だとは…。
本作はホラー映画ファンなら知る人ぞ知るあの「ファイナル・デスティネーション」シリーズの最新作。
「ファイナル・デスティネーション」シリーズがどういう内容なのか知らない人向けに簡単に説明すると、「逃れられない死の運命に残酷に蹂躙されていく人たち」を描くもので、何と言っても一番の特徴は「日常のどんな些細なことでも“死”に繋がっていくさまを超“露悪”的に映し出す」という手さばきです。もはや「この理不尽さを笑ってください!」って感じであり、ホラーの皮を被ったコメディだと思ってもらっていいです。
毎度毎度「そんな死に方ある!?」ってくらいの強引さで登場人物が惨死するので、完全に「次はどんな死に方かな(わくわく)」と楽しみにしながら観るのが正しいスタイル…かもしれません。
「ファイナル・デスティネーション」シリーズが始まったのは、2000年の『ファイナル・デスティネーション』からです。以後、2003年の『デッドコースター』、2006年の『ファイナル・デッドコースター』、2009年の『ファイナル・デッドサーキット 3D』、2011年の『ファイナル・デッドブリッジ』と続いてきました。
日本は邦題がちょっとあれなんですよね。6作目の『ファイナル・デッドブラッド』も5作目と合わせたのでしょうけど、「ファイナル・デスティネーション」と銘打ってほしかったし、サブタイトルの「Bloodlines」もそのまま「ブラッドライン」と入れればいいのに…。なにせ今回は「bloodline(血筋)」が重要なテーマの一作ですから。
ともあれ久しぶりの新作です。今作『ファイナル・デッドブラッド』はシリーズのリブートというほどではないですが、レガシーを引き継ぎつつ、初見の人にもわかりやすい入り口になっていますので安心です。
『ファイナル・デッドブラッド』を監督するのは、『FREAKS フリークス 能力者たち』の“アダム・スタイン”&“ザック・リポフスキー”。
俳優陣は、『We Need a Little Christmas』の“ケイトリン・サンタ・フアナ”、ドラマ『チャッキー』の“テオ・ブリオネス”、ドラマ『ハンドレッド』の“リチャード・ハーモン”、ドラマ『ジュリー&ザ・ファントムズ』の“オーウェン・パトリック・ジョイナー”、ドラマ『Stargirl』の“ブレック・バッシンガー”など。
映画館で観るにせよ、家で観るにせよ、周囲には入念に注意してくださいね。
『ファイナル・デッドブラッド』を観る前のQ&A
A:とくにありません。
鑑賞の案内チェック
基本 | グロテスクなゴア描写が多いです。 |
キッズ | 残酷な死亡描写が多いので、子どもには不向きです。 |
『ファイナル・デッドブラッド』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
1968年、アイリス・キャンベルはボーイフレンドのポールの運転で特別な場所に向かっていました。ポールがわざわざ目隠しして連れて行ったのは、高層レストランタワー「スカイビュー」のグランドオープン。空に真っすぐ伸びる未来的な建物です。
庶民には行けない場所だったので信じられないアイリスですが、ポールはこの日のために張り切っている様子。自分なんかがここに足を踏み入れていいのかとそわそわしますが、リラックスしながらレッドカーペットを渡り、人でいっぱいのエレベーターに乗ります。
しかし、扉が閉まるとき、一瞬引っかかります。それでもエレベーター案内係が扉を強引に閉め、エレベーターは上昇。アイリスは何か不安を感じます。
ひとまず何事もなく上階へ到着 リッチなレストランが広がっていました。不安そうなアイリスに、高いところが苦手なのかとポールはデート場所の選択をミスした可能性を気にしますが、アイリスが感じているのはそういう単純な恐怖ではありませんでした。もっと良からぬことが起きるような予感…。
吐き気を感じてステージの脇によろけます。ステージで歌っていた幼い息子同伴の黒人女性の歌手は妊娠していると勘付き、励ましてくれました。
ポールはアイリスを屋上に連れていき、そこで跪きプロポーズ。しかし、アイリスは躊躇し、妊娠の話をします。それでもポールは素直に受け入れ、2人は指輪をはめて愛を祝います。
そんな中、屋上で傍にいた少年が下へコインを投げ込み、それは空調に吸い込まれます。シャンデリアの一部の欠片は落下し、床のガラスにひびが…。ダンスは盛り上がり、その振動で柱のネジが緩みます。一本、また一本…。
そして床のガラスが割れ、踊っていた全員が真っ逆さまに地面に落下し、大勢が即死。大パニックで逃げ惑い、ある女性の体に火がつき、引火して大爆発。ポールも落下死しました。アイリスは他の人と逃げようとしますが、階段ごと崩れます。残る逃げ場はエレベーターのみ。みんながエレベーターに押し寄せ、重量オーバーでコントロールを失ったまま落下。そして展望レストランは支柱が折れて傾き、残ったわずかな人は滑り落ちていきます。
アイリスはなんとか最後までしがみつきますが、無残にも落下して、貫かれ…・
そんな生々しい悪夢をみた大学生のステファニー・レイエス。彼女はアイリスとポールの孫娘でした…。
安全講習の時間です

ここから『ファイナル・デッドブラッド』のネタバレありの感想本文です。
「露悪は良くない!」と言う人も世間にはいますが、「露悪のどこが悪いんだ!」と綺麗に開き直るなんとも気持ちのいい映画、それがこの『ファイナル・デッドブラッド』でした。
序盤から盛大にやらかし、「これぞ“ファイナル・デスティネーション”!」という最高の自己紹介をしてくれます。
「ファイナル・デスティネーション」シリーズの続編は特定の舞台(高速道路、遊園地、吊り橋など)がピックアップされるのが恒例なのですが、本作ではこの序盤にその要素はぎっしり詰め込んでくれています。今回は「高層タワー」です。
雰囲気は甘いロマンス映画。でも、あからさまにいかにもポキっと折れそうな見た目のタワーに、よりにもよってガラス張りの展望レストランがあり、さらによりにもよってそこでみんなで激しくダンスする…この嫌らしさですよ。
あの「The Isley Brothers(アイズレー・ブラザーズ)」の1959年の名曲「Shout」(作中では“ナターシャ・バーネット”&“ガーフィールド・ウィルソン”が歌っている)を、このシリーズならあれ以上のベストな使い方はないだろうという適材適所で活かしていました。
これだけ大惨事をサービス精神たっぷりにみせてくれ、「ああ、この序盤だけで90点は余裕だ…」なんて満腹感に浸れます。
まあ、夢オチなのですが、ここからは本来の主人公であるステファニーの視点に移り、一転して身近な家での「ファイナル・デスティネーション」現象を堪能できます。どこでもそれは起きる、それが「ファイナル・デスティネーション」。
庭での一家団欒のバーベキューの最中の叔父ハワードの死。直前の祖母アイリスの死もそうですけど、このシリーズのルーブ・ゴールドバーグ・マシン(日本では番組に因んで「ピタゴラ装置」の名で大衆に認識されている)の強引さ、やっぱり嫌いじゃない…。
ジュリアがゴミ収集車に落とされるくだりは芸術的ですらある…。
わざとらしいカメラワークの前振りもそうですし、「世のあらゆる安全装置というものが機能しない世界になったら」というif空間をみせてくれる…とても「安全設計」の大切さを身に染みて教えさせてくれる、教育的な映画だと思います(真面目な顔)。
芝刈り機に安全装置を搭載している設計者はちゃんとこの事態を想定してるんですよ…。
血筋は、そこそこに大事
『ファイナル・デッドブラッド』の嫌らしさは単なる舞台小道具遊びでは終わりません。タイトルにある「bloodline(血筋)」がテーマであり、逃れられない血筋の怖さも思う存分に活用しています。
確かに血筋というのは自分の意思ではどうしようもなく、そして連鎖するものなので、タイムスケールのデカい「ファイナル・デスティネーション」現象みたいなものです。
今作の主人公のステファニーは父親の関係でフィリピン系の血筋が混ざっているので、母方の白人祖父母を持つアジア系なのですが、「血筋=人種」ではないことを示す好例です(世の一部の人種差別者の人は“血筋=人種”だと思い込んでいるのですが…)。「私、アジア系だし、白人は関係ない」というわけにはいきません。
それに対して本作で最も美味しいキャラになっているのが、あのいとこのエリック。彼は見た目も白人なのですが、実は不倫で生まれた子だと明らかになり、アイリスの血筋を受け継いでいません。だから「死の運命」を継承していないので「良かったね」という話なのですが、「家族の一員になれていない気がする」という複雑な葛藤もあって…。
でも結構便利な存在で「死の運命」がないことを開き直って安全確認の役目をしたり、あの性格も相まって、すっかり可愛い奴になってくれます。
ところが…エリックは死ぬという…。血筋はどうでもいいじゃないか、タイトルは何だったんだよ!…と本作最大級のツッコミの出番です。
しかも、エリックの死に方が一番にハチャメチャで、もう諦めて笑うしかないアホな事態。まだゴミ収集車のほうが即死なのでマシだったかもしれない…。
シリーズのおなじみのウィリアム・ブラッドワースも登場しますが、演じた“トニー・トッド”の遺作になったことがこの映画に図らずも深みを与えてました(撮影中に末期癌だとわかったうえで臨んでおり、あの印象的なセリフも即興だそうで…)。
そう、人生は必ず死が待っている。だから出会いや時間を大切にしたくなる。
本作を含めたこのシリーズは極端な不謹慎な内容ですし、それは否定のしようもないですけど、さっきも書いたように安全性の大切さを実感できますし、「死を恐れすぎない」ことの重要性も学べる、本当にそれは大事だと思うのです。死ぬからって何もかも怖がっていたら何もできないじゃないですか。そして「生きる」ってそれだけでも奇跡の連続なんですよ。
つまり、こういうこと。安全の確認は怠るな。でも死ぬのを怖がりすぎず、精一杯生きろ。私も「ファイナル・デスティネーション」精神で生きたいと思います。今日を生きれただけでも自分は凄い!と褒めながら…。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
作品ポスター・画像 (C)2025 Warner Bros. Entertainment. All Rights Reserved ファイナルデッドブラッド
以上、『ファイナル・デッドブラッド』の感想でした。
Final Destination: Bloodlines (2025) [Japanese Review] 『ファイナル・デッドブラッド』考察・評価レビュー
#アメリカ映画2025年 #アダムスタイン #ザックリポフスキー #ケイトリンサンタフアナ #トニートッド