フォードvsフェラーリ
映画『フォードvsフェラーリ』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Ford v Ferrari
製作国:アメリカ(2019年)
日本公開日:2020年1月10日
監督:ジェームズ・マンゴールド

フォードvsフェラーリ

あらすじ

フォード・モーター社はライバル企業であるフェラーリ社に「ル・マン」でのレースで勝利するべく、最高のチームを求めていた。そこで元レーサーのカーデザイナー、キャロル・シェルビーは、フェラーリを超える新しい車の開発と優秀なドライバーの獲得を必要とする。シェルビーは、破天荒なイギリス人レーサーのケン・マイルズに目をつけ、反発を受けながらもチームに引き入れる。

『フォードvsフェラーリ』感想(ネタバレなし)

二大“車”企業が激突!

20歳であろうが80歳であろうが、学ぶことをやめれば老人である。学び続けるならばいつまでも若者だ。人生で一番大切なのは、若い精神を持ち続けることだ。
こんなような数多くの格言を世に残し、ただの実業家の成功者というだけでなく、ひとつの理想のモデルとしてビジネス界でなおも敬意を払われている。それがアメリカを代表する自動車会社「フォード・モーター」を創設した「ヘンリー・フォード」です。彼がフォード・モーターの起業を成功させたのは40歳のときの1903年と遅咲き。しかし、自動車社会を築く礎となり、さらには彼が労働や経営に関して成し遂げたいろいろな実績はここで語り尽くせないほどです。

その輝かしい評判の一方で、ヘンリー・フォードには輝かしくない側面もありました。例えば、労働組合に否定的だったのは有名な話。また、反ユダヤ主義的であり、あのヒトラーもフォードを褒めていたこともあり、ナチスとの関連で語られることもあります。そういう意味では、民主主義・自由主義的な考えよりも共産主義・社会主義に傾倒していたのかもしれません。

要するに、ヘンリー・フォードはいかにもアメリカらしいアメリカン・ドリームの体現者であると同時に、アメリカとは真逆の(むしろ敵国に近い)思想の支持者であり、一長一短というか、矛盾をはらんだアメリカ人なのでした。

そんなことを考えながらこの映画を観ると少し印象も変わってくると思います。その映画とは本作『フォードvsフェラーリ』です。

本作はタイトルのとおり、アメリカを代表する自動車メーカーの「フォード」と、イタリアを代表する自動車メーカーの「フェラーリ」が戦う話です。戦うと言っても車をぶつけあって物理で衝突するわけでもなく(もちろん変形もしない)、車の売り上げで勝負するわけでもない。レースで競い合います。

物語は1960年に定期的に開催された「ル・マン24時間レース」が主な舞台になっていきます。これはフランスのル・マン近郊で行われるレースで、24時間というだけあってその時間内でのサーキット周回数を競うという、なかなかに過酷なものです。だから先にゴールしたら勝ち!というものではありません(ここを忘れずに)。初めての開催は1923年だそうで、今も実施されています。1971年に『栄光のル・マン』という映画もありましたし、「グランツーリスモ」シリーズのようなゲームで知っている人もいるかも。

ということで非常にシンプルな「車」映画です。実話ベースの「車」映画と言えば。ロン・ハワード監督の『ラッシュ プライドと友情』(こちらはF1世界選手権)という映画がありましたが、ドライバーに着目したものでした。『フォードvsフェラーリ』は企業が前面に出ているのがユニークです。それと同時にフォード側が主軸で描かれるので、そちらのドライバーである「ケン・マイルズ」とレーシングカーデザイナーであった「キャロル・シェルビー」という2人の人物の伝記映画でもあります。

監督は『LOGAN ローガン』や『3時10分、決断のとき』でおなじみの“ジェームズ・マンゴールド”。『フォードvsフェラーリ』も観ていると“ジェームズ・マンゴールド”らしいなと思える部分が無数にあり、紛れもなく彼の映画です。企画自体は2011年頃からあったみたいで、その当時はマイケル・マンが監督の予定だったようですね。


出演陣は“マット・デイモン”“クリスチャン・ベール”の二大共演がなんといっても一番の売り。とくに“クリスチャン・ベール”は前回は『バイス』で大変身を遂げ、ゴールデングローブ賞で主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)を受賞したばかりですが、今回はまたすっかり『バイス』の面影は消え、元に戻っています。ほんと、健康に気を付けてください…。


他にもドラマシリーズ『アウトランダー』で高い評価を得た“カトリーナ・バルフ”、ドラマシリーズ『ウォーキング・デッド』でおなじみの“ジョン・バーンサル”、『ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語』にも出演している“トレイシー・レッツ”など、名優が脇を揃えます。

賞レースでは先頭を独走できていませんが、それでも高評価なのは変わりなく、ハリウッド映画賞では監督賞・編集賞・音響賞を受賞しています。

ぜひとも「車」が大好きな子どもにも観てほしい映画です。『ラッシュ プライドと友情』と違ってセクシャルなシーンがないので、気兼ねなく子どもに見せられます(作中で子どもも出てきますし)。企業バトルでもあって大人のドラマも少なくないのですが、レースのシーンも後半になるにつれふんだんにありますから、迫力もじゅうぶん。当然、映画館での鑑賞の方が臨場感は200%増しなのは言うまでもないです。

オススメ度のチェック
ひとり◯(車ファン&俳優ファン必見)
友人◯(車好き同士で語り合おう)
恋人◯(恋愛要素は薄いけど)
キッズ◎(車が大好きな子どもにも)

予告動画






↓ここからネタバレが含まれます↓





『フォードvsフェラーリ』感想(ネタバレあり)

フェラーリに勝ってみせる!

『フォードvsフェラーリ』はキャロル・シェルビーがドライバー時代だった頃から始まります。彼はF1やル・マン24時間レースに参加する常連でしたが、心臓病であえなく引退を余儀なくされます。その後「シェルビー・アメリカン」という会社を設立し、車の販売をする第2の人生を歩みます。作中では冒頭レースシーンでシェルビーが一瞬燃えるという描写が入ることで、彼のキャリアの終わりを象徴的に示していました。

一方、ケン・マイルズという男は車の販売代理店を経営していましたが、車へのこだわりが強すぎるせいか、客への一言が多く、商売はあまり上手くいっていません。そんなマイルズはレーサーでもあり、その腕は一流でしたが、やはりここでも自己中心的な性格が災いしてか、常に孤独に突っ走っている状態。滅茶苦茶な行動を連発するマイルズにはレーサー向けに車を提供するシェルビーもお手上げでしたが、そのドライビングテクニックは一流でした。小さなレースでも1位を取ってみせて、性格に難ありだが腕はいいことを証明していました。

そんなイチ個人の物語からスケールは上がり、今度は企業の話。フォードの会長である「ヘンリー・フォード2世」は創設者であるヘンリー・フォードを話題にしながら社員に喝を入れます。

補足ですが、このヘンリー・フォード2世、わかりにくいのですけど、ヘンリー・フォードの息子ではなくです。少し込み入った事情があり、簡単に説明すると、1919年にヘンリーの息子エドセル・フォードが社長を引き継ぐのですが1943年に胃がんで死去してしまい、再び父ヘンリーが経営者になるんですね。で、1947年にヘンリーも亡くなり、その孫ヘンリー・フォード2世が社長になった…という経緯があります。ただ、このフォード2世以降のフォードは経営が絶好調だったとは言えず、だからあんな風に焦っていたわけです。

新しい一手を欲していたフォード経営陣は、マーケティング責任者のリー・アイアコッカの進言もあって「レースに参加すること」を考え出します。リーはライバルであるフェラーリを手本にすべきであると大胆に発言。ル・マンで4回も優勝して勝利しているからこそ若者も欲しがると力説します。

ちなみにこのシーンで「ジェームズ・ボンドはフォードに乗りません」と言いますけど、なんだかんだで後の1971年公開の『007 ダイヤモンドは永遠に』ではフォード・マスタングに乗るんですよね。

そこでレースに参戦するべく狙いをつけたのは当時レース界で大活躍していたものの、諸々の事情で経営が傾いていたフェラーリ。さっそくフェラーリのレース部門を見学し、買収の提案をするべく、会長のエンツォ・フェラーリに会いに行きます。しかし、その契約の内容に怒りを爆発させたエンツォは罵詈雑言で怒って帰らせてしまい、交渉は決裂。

「奴はヘンリー・フォードじゃない」とまで言い放ち、この厳しい言葉をリーから聞いたフォード2世はブチ切れ。侮辱された恨みを晴らすために、レースでフェラーリに勝つことを誓うのでした。

しかし、そのためにはレースカーを作り、ドライバーを見つけるところが始めないといけません。ゼロスタートです。そこでリーは今度はシェルビーに依頼。当然、今のグダグダなフォードの企業基盤は業界では話題だったので、最初はシェルビーも嫌な顔をしますが、受け入れることに。そして、ドライバーとして目星をつけたのはマイルズでした。

「90日でフェラーリに勝てる車を作る」という無謀な計画を笑い飛ばしたマイルズは、息子のピーターと一緒にフォード・マスタングの車を見に発表会へ。そこでレオ・ビーブ副社長にいきなり嫌われる始末。シェルビーは上級役員を怒らせるようなことをするなと言われますが、もう遅いです。スピーチでフォードは歴史を作ることを宣言し、ついにフォードの挑戦は始まりました。

それはフォードにとって復活のロケットスタートになるのか、それとも致命的なエンストになってしまうのか…。

第2.5次世界大戦はレースで!

日本人だとあまり実感しづらいことですけど『フォードvsフェラーリ』というタイトルからして、本作は非常にアメリカ色の濃い作品です。なにせアメ車がイタ車をぶっ倒す話ですからね、雑に言うと。

そのせいかヨーロッパ圏ではタイトルが「Le Mans 66」になっています(もしかしたら企業名が使えないのかもですけど)。

そもそもちょっと車から話題を逸らして考えてみると、第二次世界大戦時、アメリカは連合国、イタリアは枢軸国であり、敵同士でした。さらにフォードは爆撃機を戦争時は生産しており、実際に爆弾を投下していたのですから、ガチで「フォードvsフェラーリ」状態です。

なのでそういう文脈で見ると、この『フォードvsフェラーリ』における「ル・マン24時間レース」での戦いも第二次世界大戦の延長のように捉えることができます。加えてシェルビーやマイルズも、兵士として第二次世界大戦にかつては参加していたのですから、彼らを再び借り出すという構図もとてもあの戦争の再燃を思わせます。

1960年代は戦争経験者も大勢いますし、まだまだ戦後の空気が強い時代でした。

じゃあ、ナショナリズム全開の映画なのかと言えば、さすがそこは“ジェームズ・マンゴールド”監督、そうはなっていません。むしろかつてはもてはやされた男たちの最後の戦い…というニュアンスが実は主軸にある感じであり、それこそ『LOGAN ローガン』や『3時10分、決断のとき』とそっくりです。

あの大戦のような過去にすがることしかできない男たちが、ひたすらに意地を張って今度はレースの世界でぶつかり合う。主観で見ればカッコいい男のエネルギッシュな映画になりますが、俯瞰で見るとたちまち虚しい戦いの映画になる。

こうやって考察してみると『フォードvsフェラーリ』は第2.5次世界大戦なのかもしれません。

フォードvsフェラーリ

車でしか戦えない男たち

『フォードvsフェラーリ』は『アイリッシュマン』と同じくホモ・ソーシャルな世界の現実を描いている作品とも受け取れます。『アイリッシュマン』もなんだかんだで労働の世界の話でしたね。


フォードとフェラーリ、とも経営的にキツイ状態にある中、自分だけは負け組になるまいと、プライドを全開にして始まったレース対決。落ち着いて考えると、レースなんてしてないで経営の在り方を見直せよと思うのですが、この男たちはもうハンドルの前しか見えていません。

ここで本作は2つの男たちのドラマのレイヤーがあります。

ひとつはフォード上層部の戦い。フォード2世、リー・アイアコッカ、レオ・ビーブは一枚岩ではなく、それぞれの思惑を内に抱えながら動いています。当然、次のトップの座になるのは誰かという駆け引きも内心では無視できません。ちなみにフォード2世の次の社長はあの後に国防長官に就任する「ロバート・マクナマラ」なんですね。いかにフォードという企業がただの会社で終わらず、アメリカそのものと密接に深く関わっているかよくわかります。そしてリー・アイアコッカは1970年に社長になっています

そんな上層部とも戦うことになるのがシェルビーとマイルズの一兵卒組。これが2つ目のレイヤーですね。しかし、まずはシェルビーとマイルズの対立もあって、その関係構築から始まります。ここらへんはすごくブロマンス感があります。その後は上層部を負かす。その負かし方がフォード2世を車に乗せ、恐怖体験をさせて泣くじゃくる状態にする…というのもシュール。良い意味で男のダサさがでていて楽しいです。

その男たちのプライドを賭けた1966年のル・マン24時間レース。まさにここがこの男たちのピークなのでした。見栄えを気にしての3台並びなんてものは自己満足以外の何者でもないのですけど、それではしゃぐ男たち。一方、マイルズは初めての「チーム」というものの価値を実感し、協調性の喜びをかみしめる。

そして男たちの第2.5次世界大戦ごっこは、マイルズの死というかたちでまさに終わりを告げます。戦死ですね。

時代は変わりました。ル・マン24時間レースにはフォードもフェラーリも今は参加していません。というか、大手車メーカーはどんどん撤退してしまいました。車という概念も変わり、作中で必死に開発していたようなエンジンの重要性は薄れ、今や車型のコンピュータなんじゃないかというくらい、車はソフトウェアで動くものになってしまいました。

『フォードvsフェラーリ』は最後のガソリンを使いきったホモ・ソーシャル業界が廃車になる過程をドラマチックに描いたものといえるのではないでしょうか。

時代のシフトチェンジ

そんな男たちの跡を継ぐ者も『フォードvsフェラーリ』では描写されています。具体的にはマイルズの妻モリーと息子のピーターに代表させるようなかたちで。

モリーの、シェルビーとマイルズの小学生並みの取っ組み合いを堂々と見物する姿や、車を爆走させて夫マイルズをびびらせる姿など、男社会のしょうもなさを相対化してみせる女性の目線。これも『アイリッシュマン』にありましたよね。

日本の宣伝などはこういう妻をすぐに「夫の夢を応援する」なんて言葉でステレオタイプに当てはめて紹介しますけど、少なくとも本作のモリーはそんな男に都合のいい妻ではありませんでした。

そしてピーターという未来を担う若者の目。なお、作中と同じように本当にピーターは父がテスト走行中にクラッシュして死亡する現場を見ていたそうです。ただ、その当時の年齢は15歳だったみたいですが。今も存命で『フォードvsフェラーリ』のプレミアに出席したとのこと。ピーターはオフロードレーサーになったと海外メディアには載っていました。

まだ語りたいこともありますが…撮影も良かったですね。巨大なセットでレースを再現しているようですが、そうは言っても全部のコースは作れません。そこでCGに頼らず、撮影で本当に走っているように見せる匠の技。“フェドン・パパマイケル”の撮影テクニック、お見事でした。

単純なカーレース映画ではなく、過去のアメリカから今のアメリカへとシフトチェンジするような一作で、多角的に楽しめました。

ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 92% Audience 98%
IMDb
8.3 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)2019 Twentieth Century Fox Film Corporation