一夜だけでは家族は変われない…映画『ひとよ』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:日本(2019年)
日本公開日:2019年11月8日
監督:白石和彌
DV-家庭内暴力-描写
ひとよ
『ひとよ』あらすじ
どしゃぶりの雨降る夜に、タクシー会社を営む稲村家の母・こはるは、愛した夫を殺めた。それが、最愛の子どもたち三兄妹の幸せと信じて。そして、こはるは、15年後の再会を子どもたちに誓い、家を去った。時は流れ、次男・雄二、長男・大樹、長女・園子の三兄妹は、事件の日から抱えた心の傷を隠したまま、カタチだけ大人になった。そんな一家のもとに、母・こはるが帰ってくる。
『ひとよ』感想(ネタバレなし)
名演の土砂降りが気持ちいい
「酌」という漢字は“酒をついで飲む”ことを意味します。お酌するのは日本の飲み会ではよくある光景であり(私は全く好きではない文化ですが)、人によっては嬉しかったり、うざかったりするものです。
ところがこれが裁判における「酌」の場合、話が大きく違ってきます。法廷では「酌量」という言葉が使われることがあります。今では裁判員制度もありますし、私たち一般市民でも知っておいて損はないのですが、確かに「情状酌量の余地なし」みたいなフレーズはよく目にしますよね。
これは「酌量減軽」といって、法律で定められていないのですが犯情その他を考慮して裁判官の判断によって刑を軽くすることができるというもの。殺人であれば刑の下限は懲役5年なので減軽されると2分の1の2年半になり、犯行内容によっては執行猶予をつけることも可能性としてあり得ます。つまり、裁判における「酌」というものは被告人にとって鬱陶しいことにはならないでしょう。それにしてもこの行為に「酌」という漢字を当てはめるのが日本らしいと言いますか、なんとも皮肉なものですね…。
今回紹介する映画もこの「酌」について考えたくなる映画ではないでしょうか。
それが本作『ひとよ』です。ずいぶん短いタイトルですが、これは漢字で書くと「一夜」のことですね。やや話が逸れてしまいますけど、こういう単語ひとつの映画タイトルはカッコいいですけど、ネット検索には滅法弱いんですよね。ググっても全然出てこないこともあるし…。「映画ひとよ」って検索すればいいのですが…。
まあ、それはともかく本作『ひとよ』は、ここ最近は毎年ものすごいペースで作品を送り出し、しかも秀作を連発していることで映画ファンの信頼もアツい“白石和彌”監督の作品であり、期待度は高かったはず。2018年に続いて2019年も『麻雀放浪記2020』『凪待ち』『ひとよ』と3作連続で監督作が流れてくるものだから、なんかやたらスピードの速い回転寿司みたいで皿を取りきれない感じも…。
すでに“白石和彌”監督の才能は知れ渡っている空気感もあるせいか、2019年は国内の映画賞に本作を含む“白石和彌”監督作品はあまりピックアップされませんでした。でも『ひとよ』だって、キネマ旬報ベスト・テンにランクインしたり、ブルーリボン賞で助演女優賞を獲ったりしていますからね。評価はじゅうぶん高いです。逆にエンタメ系の大作に流れずにこのポジションを維持しているというのは地味に凄いことであり、“白石和彌”監督の真髄を感じます。
毎回ドスンとくる映画をお見舞いしてきますが、今作では「家族」を強くテーマにしており、『ひとよ』を“白石和彌”監督のベストに挙げる人がいてもおかしくはないでしょう。
“白石和彌”監督と言えば毎度毎度俳優陣のアンサンブルが最高に素晴らしいことで信用できる人ですが、今回もキャスト全員が名演を土砂降りのように降らせてきます。
主役クラスからいくと、まず“佐藤健”。スタンダードなイケメン役から『るろうに剣心』シリーズで魅せたアクションヒーローっぽい役までバラエティ豊かな役幅を披露していますが、今回はちょっと『何者』にも通じるような心の読めないリアルな若者の影を抱えた役。私はこういう役に徹している“佐藤健”が一番好きですね。
『俺物語!!』などのコメディから『羊と鋼の森』のような真面目な役までこちらも多彩な演技を魅せる“鈴木亮平”は、この『ひとよ』では“白石和彌”監督の手によって心の闇を引き出され、新しい一面でザワっとさせてくれます。ちなみに今作では吃音を抱えた役をやっています。
『勝手にふるえてろ』『万引き家族』『蜜蜂と遠雷』と全作で文句なしの演技を保証する“松岡茉優”は、今作でも相変わらず凄いとしか言いようがありません。もうなんというか、邦画業界だけでは役不足な気がする。“松岡茉優”の才能がさらに限界突破するにはどうしたらいいのか…。
そしてある意味で言えば本作『ひとよ』の真の主役と断言できる物語の鍵を握る母を演じるのが“田中裕子”。『はじまりのみち』など名演技を常に見せてくれていましたが、本作でもそれはそれは唸らせられるもので…。今作の“田中裕子”も何かしらの賞をとっていてもおかしくないのですけどね。
他にも“白石和彌”監督作の常連である“音尾琢真”が今回は何をしてくれるのかとワクワクさせてくれますし(すでにそういう枠なのがシュール)、“佐々木蔵之介”や“MEGUMI”など脇役なのかなと思った人物が予想外のハッとする名演を見せてくれたり、本当に見ていて演技に飽きることがありません。何気なく加わっている“筒井真理子”とかも不思議に存在感だけで不安になってきますからね。
これほどの贅沢な名演がぎっしり詰まった一作が、一夜も必要とせずに堪能できてしまう。観ていないのはもったいないとしか言えないでしょう。
オススメ度のチェック
ひとり | ◎(監督&俳優ファンは必見) |
友人 | ◎(邦画好き同士で大満足) |
恋人 | ◯(濃厚なドラマに浸るなら) |
キッズ | △(大人の重厚なドラマです) |
『ひとよ』感想(ネタバレあり)
「ただの夜ですよ」
滝のように大雨が降る夜。1台のタクシーを降りる客。その男性は酷く酔っぱらっており、「酒持って来い」と喚き散らしながら家に向かおうとしていました。すると乗ってきたタクシーが後退し、ゴトン…。
平成16年5月23日とカレンダーが飾られた家。自分の声をボイスレコーダーで録音しながらミステリー物語風の言い回しをしている少年・雄二はこの稲村家の次男。部屋には長男の大樹と、長女で末っ子の園子がいて、親の帰りを待っています。3人とも傷だらけです。
すると帰ってきたのはタクシー運転手として働く母・こはる。帰って早々ずぶ濡れの制服のまま、皿に乗ったおにぎりを子どもたちに差し出します。そして生気のない感じで立ちつくしていました。おにぎりをほおばる母はおもむろに3人の子に語りかけます。
「みんな聞いて、お母さん話がある、お母さん、さっきお父さんを、こ、殺しました。車ではねてね」
「あんたたちを傷つけるお父さんだからお母さん、やってやった!」
「どれくらい刑期があるかわからない 10年? 15年…15年たったら必ず戻ってきますから」
そこへ別の男が来て、「こはる…」と呼びかけます。
母は語りを続けます。「誰もあんたたちを殴ったりしない、好きなように生きていける、だからお母さん、すっごく誇らしいんだ」
そう言って車で連れていかれるように去る母。子ども3人が外に出ると、そこには雨に濡れる道路で倒れた父がいました。
茫然。それでも「追いかける」と言って雄二はタクシーを運転し、他の二人も乗りこみます。部屋には録音状態のままのボイスレコーダーだけが取り残されて…。
それから年月が経ちました。雄二は故郷を離れて都会でフリーライターをしており、今は風俗の特集を不本意ながら書いています。大樹は地元の電機店の専務をしており、妻とは関係が悪化し、別居中。園子は地元の小さなスナックで働いており、夜には泥酔しているのがいつものことでした。
大樹と園子は二人で墓参りをします。「なんでうちらだけでこんなやつの墓参り…」と愚痴る園子は「さらに死ね」と亡き父に罵倒を呟きます。今日であれからちょうど15年でした。
かつての稲村家のタクシー会社は、こはるの甥である丸井進が引き継ぎ、稲丸タクシーとして今もタクシーを走らせていました。今日は新人運転手である堂下道生を迎え、酒もタバコもギャンブルもしない真面目な堂下道生を高く評価する丸井進。
ある夜。大樹と園子が家にいるとドアをどんどんと叩く音が聞こえます。恐る恐る見に行くと、青い帽子の小柄な誰かがいて、こう呼びかけました。「だいちゃん」
ドアを開けるとそこにいたのは少し年老いた母・こはるです。思わずドアを閉めてしまう大樹。「どうしたらいい」と混乱するも、園子が「とりあえず開けてあげよう」と言い、再び開けます。
「約束したから、母さん、戻ってきた」そう言って二人を抱きしめる母。「元気だった?」…大樹は離れますが、園子は「母さん」とポツリ。「ただいまね、ただいまお母さん帰りましたから」
大樹は雄二に連絡します。すぐに電話を切った雄二でしたが、彼にも母の再来は予想外らしく、「帰ってきたのかよ…」と独り言。
翌日、稲丸タクシーの一同はこはるとの再会をみんなで祝っていました。こはるも「みんなで守ってくれてたんだね」と嬉しそうです。一方、家に引っ込んでいる大樹と園子は気まずい空気。
そこに雄二が到着。母と雄二。互いに「お帰りなさい」と「ただいま」を言い合います。雄二は「なんか変わったね」と母に言いますが、懐かしの家を見渡し「変わんないねぇ」ともこぼします。
3人の子どもたちは大人になって揃いました。そこには母もいます。昔に酷い暴力を振るっていた父だけがいない家です。家族はどこへ向かうのか…。
不謹慎な笑いが良い味に
『ひとよ』、主題について語る前にまずは作品の隅を固めるディテールから書きます。
私は本作を観ていていいなと思うのは非常にシリアスな題材ながら、しっかりユーモアも違和感なく混ぜ込んでいることであり、これぞ“白石和彌”監督の上手さだと思います。他の作品だとひたすらにトーンが鈍重なだけになってしまうこともありますから。
本作の場合、まず地方都市を舞台にしつつの絶妙な田舎っぽさがユーモアの源になっていたりします。
例えば、こはるが予期せぬ帰宅を見せた翌日に稲丸タクシー一同で祝うのですが、会社の前でバーベキューをしているとか。あれはもう田舎あるあるですよね(“白石和彌”監督は北海道出身だからというのもある気がするけど;北海道人はやたらと家の外などでバーベキューする)。
役者陣の見せる要所要所の笑いどころも楽しいです。
序盤で散々おかしいのはやはり園子。なにより泥酔演技の“松岡茉優”が楽しすぎるし、タクシーお出迎えで帰ってきてからの「まだ吐くよ」宣言とかもツボ。この演技に最初はニンマリできますが、この一家の崩壊の根底にアルコールがあると考えると、なんだか物悲しくもあるのですが…。
そしてコメディリリーフとして構えているのはやっぱり丸井進を演じる“音尾琢真”。全体を通して良い奴で、雄二が帰ってきた際の「どこのタクシー乗ってきたんだよ!?」というありがちな同業者ライバル心とか、「ほんとうは漁師になりたかったのに!」といきなり泣きつつの電話対応での「はい稲丸タクシーです」の笑顔とか。本人はどう思っているか知らないですけどタクシー業にすごくぴったりという…。
作中の重要人物である母・こはるも、タクシーを久しぶりに運転してペダル操作を間違えてバックしてしまい、雄二を轢きそうになるとか(そこでのセリフ「またやっちゃうところだった」が良すぎる)、不謹慎な笑いがまた最高で…。エロ本のくだりといい、“田中裕子”が淡々とやるコミカルさがだんだんとクセになってくる。こうなってくるとあの父(夫)もノリで殺ったのではないかと思わなくもない…。
映像的には終盤のタクシーカーチェイスなど映画らしいスリリングな見せ場もあるのもGOODでした。
脱“家父長制”映画として
『ひとよ』は起きていることは家庭内殺人であり、表面だけ捉えればそれだけのことなのですが、とても広義的に解釈できる幅があるのがいいですね。原作は有名な劇作家である“桑原裕子”が手掛けた劇団KAKUTA上演の同名タイトルの舞台作品なのですが、この原作時点でもう相当によくできているのだと思います。
あの父(夫)の殺害は、単なる殺し以上にいろいろ捉えることができます。そもそもあの父(夫)については回想で凄惨な暴力シーンが描かれているくらいで、その他の情報があまりありません。なのであの父(夫)のプライベートを掘り下げるものもなく、非常に記号的な存在です。
原作者の“桑原裕子”は本作を東日本大震災が起きたばかりの2011年の夏に考えたと語っており、確かにあの作中の一家に起きた出来事は災害に例えることもできます。被災した町や家は理想郷だったわけではなく、それを復興する中でそのままかつてのマイナス面までも再生していいのか…とか。
私は本作の物語を割とストレートに脱“家父長制”と受け取りました。本作は今の日本ができる最大級の脱“家父長制”家族映画なんじゃないでしょうか。
母・こはるは一番の禁じ手によって家父長制の中心にいる存在を壊滅させてしまいます。これはメタファーでも何でもなく実際に似たような事件もたびたび起こっています(それこそ映画界ではシャーリーズ・セロンが有名ですね)。そして、その善悪を論じる物語ではないでしょう。問題は、じゃあその後に何が待っているのか…です。
家父長制が消えてオールハッピーなのかと言えばそうではないのは作中のとおり。つまり、家父長制の支配者を消しても家父長制は消えないのです。
母・こはるは相変わらず母親業をするしかできない存在です。食事を用意するというルーチンワーク的な動作でそれが示されます。それに記事で使われる「聖母」という表現が印象的。要するに「聖母」という言い回しはカタチを変えてはいても保守的な家庭観そのものであり、母・こはるは全然そこから自力で抜け出せません。
その原因には結局のところ社会全体の存在があるのでしょう。作中では外部の存在は嫌がらせのビラなどの行為でしか示されませんが、家父長制を真に生み出すのはこの環境そのもの。父(夫)はあくまでパーツに過ぎない。
ゆえに「お母さんが親父を殺してまでつくってくれた自由」では子ども3人は救われません。その責任を保守的な家庭観に基づき、また母が背負うという悪循環。
私の考えでは、あの雄二が一番家族を救えそうな立ち位置にいるのだろうなと思います。なぜなら“外”に影響を与えられる職業にいますから。しかし、己の目的のために家族を利用してしまい、さらにどん詰まりになっていく。
『ひとよ』は家父長制から脱出することの困難さを叩きつけるような映画でした。
もうひと押しがほしかった
全体的に私は好きな一作なんですが、『ひとよ』は完成度で言えばところどころの綻びが気になる部分もあります。
例を挙げると、堂下のエピソードはヤクザが絡むものであって、かなり主人公一家とはそれは軸のずれる話ではないかとも思うので、終盤のオーバーラップする構図にはあまり納得がいきづらいものも感じたり…。
また、柴田弓の認知症のおばあちゃんのサブエピソードはスリルにはなっていますが、その後に大きく関わることもなくフェードアウトしてしまうのはなんだかな、と。
私の案ではないですけど、本作をもう一段階ステップアップするならば、シスターフッド的な要素が必須だったと思うのです。似たような構図がある『ブロー・ザ・マン・ダウン 女たちの協定』はそのへんを非常に上手く展開し、オリジナリティを出していましたね。『ひとよ』もそこまで一歩踏み込んでほしかったかな。
それを踏まえると鍵になるのは“MEGUMI”演じる稲村二三子だったのかもしれないです。作中では父をなぞるように暴力に走ってしまう夫・大樹を前にそれでも一緒に支え合おうとする姿勢を見せていましたが、あれでもまだ旧時代的な女性像に過ぎないように見えます。もっと新時代を象徴する女性像にして、この自力での脱出ができない閉塞感を抱える稲村家に革新をもたらしてくれたら良かったのにな…なんて。世代の異なる女性たちの連帯が希望を開くという未来を提示できれば、あの雄二だけに背負わせるようなラストがもっと広がったと思いました。
日本映画の作り手は、日本自体がこんな有様ですから、このシスターフッドを使いこなせる人が少なすぎるんだろうなぁ…。
変わろうとしているけど変われない、そんな日本映画に足りないものが見える一作でもあったのかもしれないですね。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer –% Audience –%
IMDb
?.? / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★
関連作品紹介
白石和彌監督作品の感想記事の一覧です。
・『凪待ち』
・『孤狼の血』
作品ポスター・画像 (C)2019「ひとよ」製作委員会
以上、『ひとよ』の感想でした。
『ひとよ』考察・評価レビュー