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『ガラスの城の約束』感想(ネタバレ)…映画化で滲み出る家族の生々しさ

ガラスの城の約束

映画化で滲み出る家族の生々しさ…映画『ガラスの城の約束』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:The Glass Castle
製作国:アメリカ(2017年)
日本公開日:2019年6月14日
監督:デスティン・ダニエル・クレットン

ガラスの城の約束

がらすのしろのやくそく
ガラスの城の約束

『ガラスの城の約束』あらすじ

ジャネットは、恋人との婚約も決まり、順風満帆な日々を送っていたが、ある日、ホームレスになっていた父親のレックスと再会する。かつて家族のために「ガラスの城」を建てるという夢をもっていた父レックスとの、まだ幼かった時の記憶が蘇る。あの頃は生きるのもやっとの人生だった。

『ガラスの城の約束』感想(ネタバレなし)

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家族の在り方は人それぞれ

「毒親」という言葉があります。その意味は、子どもへの過干渉や暴言・暴力などで、思ったように子どもを支配したり、自己目的を優先して子どもを放置したりする「有害性のある親」のこと…と指すようです。確かに、昨今も虐待などネグレクトのニュースを定期的に目にしますし、そういう親の存在を危険視する世論が生まれるのもわかります。

ただ、私はあまりこの「毒親」という言葉は好きではありません。というのも、この言葉自体が“ダメな親”というレッテル貼りのための誹謗中傷に使われかねないから。もちろん、子どもへの暴力とか、ダメなものはダメなのですけど、個人的には大事なのは“なぜ暴力に至るのか”という背景に寄り添うことだと思っています。それに、親の行為を“これは良くない”と外から否定するのは簡単なのですが、では“何が適切なのか”を語るのは難しく、ないがしろにされがちです。ましてや“正しい親”という正解例なんて提示できません。そもそも現代では既存の家族観の崩壊にともない、親の在り方はどんどん多様になっています。「毒親」という言葉の乱用は、偏見に基づく単なる親の採点になりかねない怖さもあります。

偉そうなことを書いてしまいましたが、正直、私もわからないです。それくらい親の在り方は難問です。そんなことを考えながら本作『ガラスの城の約束』を鑑賞するのも良いでしょう。

『ガラスの城の約束』はとある家族にスポットをあてたドラマです。この家族は、いわゆる“社会の底辺で必死に生存している”タイプの人たち。その暮らしは常識的もしくは倫理的には一線を超えていると見なされるくらいの惨状なのですが、この家族の独自のつながりによってその歪な関係を維持できている…そんな危ういバランスの上に成り立っている家族です。

このような家族を描く映画は、近年でもとにかくたくさんあります。邦画だと『万引き家族』や『岬の兄妹』、海外だと『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』など、枚挙にいとまがありません。

これらの映画を観ると、それは単に収入がないからというだけではない、ましてや怠慢や無能のせいでもない、社会保障さえも助けにならない、“貧しさ”というものの意味を毎回考えさせます。

ただ、『ガラスの城の約束』はそれらの映画とは少し異なるのは、なんと実話、つまり実際に存在する家族を描いたものだということ。

アメリカでゴシップ系のコラムニストとして割と派手派手な目立ち方をしていた「ジャネット・ウォールズ」という人がいたのですが、その人が2005年に自身の家族を赤裸々に綴った本を執筆。そのあまりの現在のイメージとはかけ離れた過去に読者は衝撃を受け、ベストセラーになりました。それを映画化したのが『ガラスの城の約束』です。なので観ていても“でもこれはフィクションだし…”というこれまでの安心感が通用せず、“こんなことが本当に!?”と動揺させられます。

監督は“デスティン・ダニエル・クレットン”というハワイ出身の人で、『ショート・ターム』で高い評価を受けました。

本作では主演が“ブリー・ラーソン”であり、“デスティン・ダニエル・クレットン”監督とはその『ショート・ターム』でキャリアアップを互いに後押しした仲。“ブリー・ラーソン”といえば、最近は『キャプテン・マーベル』でヒーローになったり、『ユニコーン・ストア』で監督デビューしたりと、とにかく挑戦しまくりの絶好調な女性ですが、やはり『ルーム』などシリアスな家庭を描く物語での安定感は抜群ですね。

共演には、『スリー・ビルボード』や『ザ・テキサス・レンジャーズ』などその演技力があちこちで重宝されている“ウディ・ハレルソン”。そして、『インポッシブル』や『アバウト・レイ 16歳の決断』などの”ナオミ・ワッツ”が脇に揃っています。

2017年の映画であり、かなり日本公開が出遅れてしまいましたが、このタイプの家族ドラマが気になる人は観る価値ありだと思うので、ぜひどうぞ。

オススメ度のチェック

ひとり ◯(俳優ファンは必見)
友人 △(盛り上がるタイプではない)
恋人 ◯(家族映画が観たいなら)
キッズ △(大人向けのドラマ)
↓ここからネタバレが含まれます↓

『ガラスの城の約束』感想(ネタバレあり)

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これが私の家族です

1989年、ニューヨークのマンハッタン。ニューヨーク・マガジンのコラムニスト、ジャネット・ウォールズはファイナンシャル・アドバイザーであるデヴィッドとの婚約も控え、富裕層の暮らす贅沢なアパートで不自由のない誰もが憧れる生活を送っていました。今日も、商談のために高級なレストランでお相手と対面して恋人と一緒に会食したばかり。その際に会話の中で向けられた“家族”への質問は実はジャネットにとって一番避けたいものでしたが、そのことは赤の他人には言えないこと。

レストランでの食事の帰り、車の中から外に目をやると、ごみを漁るいかにも貧しい女、そしてジャネットの乗る車にわけのわからない文句をつけて妨害してくるホームレス風の男と遭遇。自分とはかけ離れた“下の暮らし”をしている人たちに一瞥するジャネット。しかし、なんとあの外で見かけた男女こそジャネットの実の父と母なのでした。

ここで映画は回想シーンへ。8歳のジャネットが家で火だるまになるという、なかなかにインパクトのある場面が始まります。

ジャネットの家族は、父のレックス、母のローズマリー、姉のローリ、弟のブライアン、妹のモーリーン…計6人とそれなりの多さのある賑やかな一家。表面的にはどこにでもいる普通の家族に見えますが、実は父は定職にはついておらず、問題を起こすたび、あちこちへ家族ごと移動してまたその日暮らしをするという、不安定な生活を送っていました。

今回もジャネットの火傷による入院で人目についてしまい、治療費請求の問題も発生したので、トンズラを決行。ブライアンを利用した猿芝居も手慣れたもので、まんまと逃げるウォールズ一家。

この父レックスは「学校などいらん」「社会などクソだ」的な、“俺のやり方で生きる”精神で突っ走っており、妻も子どももそれに従っています。こういうと『はじまりへの旅』みたいな、ちょっと変わったルールで生きる家族みたいに見えますが、実際はそんな綺麗事でもないです。

『ガラスの城の約束』のレックスの場合は、そういう理想は明らかに“口だけ”であり、具体的な一定水準の教育を授けることはおろか、食事すら困窮するほどの状況。それどころか、自分の子どもが危害を加えられても守らないという、親として絶対にやってはいけないことさえもやってしまうありさま。控えめに言っても限りなくネグレクトの典型例に近い状態に陥っています。

そんな世界でも、とくに映画前半は幼い子どもたちはその中にも楽しさを見つけ、無邪気に過ごす姿が描かれ、一方で後半にいくにつれ、その暮らしとどう折り合いをつけるべきかという現実的な判断に迫られていく…そんなストーリーです。

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家族を“見る”視線

小説など文章主体の作品は「想像して楽しむ」という面白さが主にあり、映画では「映像になる」という結果に行き着くので、想像性は観客に求められにくくなります。これは映画の欠点かもしれません。でも映画化して良かったなと思うのは、想像では補えない視覚的映像ならではの表現ができることです。

『ガラスの城の約束』にもそういう演出は効果的に活かされていました。

その大きなポイントが“見られる”という部分。

作中では“あれ”な生活をしているウォールズ家を他者視点で“見られる”というシーンがいくつかでてきます。

例えば、冒頭の現代における大人のジャネットが車の中からホームレス状態の父と母を見るという場面。ここでは完全にウォールズ夫妻はモブキャラのように映っており、ある意味、何の感情移入もない、一番客観視されている状態です。

次に回想で子ども時代を描く中、最初の調理でのうっかり火傷(相当に危険ですが)によって、ジャネットが病院に入院する場面。ここで医師がいる中で、ジャネットのベットがある部屋にゾロゾロとウォールズ家の面々が入ってきて作中で初登場します。医者にしてみれば「この家族、ヤバい」と直感したはず。なにせ頭に血の滲んだ包帯を巻く少年もいれば、病院でご飯食べられて嬉しいなと屈託なく話す少女たちがいるわけですから。

続いてインパクトのある“見られる”演出は、プールの場面。レックスがジャネットを泳ぎを覚えさせるという名目でプールに何回も投げ込む…完全にトラウマ必須の所業。周りで見ている他のプールを楽しむ人たちも絶句ですし、観客も絶句。しかも、百歩譲ってこれが指導だとしても、実際は風呂に入れないからプールに来ているわけで、本当は指導なんて後付けに過ぎないですからね。ますます無自覚な不誠実さが際立ちます。

このプール以上に残酷と言えるかもしれないのが、レックスが妻のローズを家の2階の窓から落とそうとする場面。それを下から目撃した子どもたちは急いで家に戻り、やめさせるのですが、なんか当の二人は笑い合い、それはそれで良い雰囲気におさまります。それを絶望的な表情で見つめる子どものジャネットの顔の冷たさと言ったら…。

たぶんこのシーンがジャネットが初めて自分の親を“客観視してしまった”出来事なのでしょうね。ここから“あ、もうこの親はダメだ”と悟り、自分たちで独立しようと画策しだす子どもたち。そして、トドメとなる子どもが必死に働いて溜めたお金に手を出す父の姿。子どもの目線に全く答えないレックスは、“見られる”ことを拒否しているようです。

こういう“見る見られる”演出は映画だからこその面白さ。本では味わえない見ごたえを提供してくれるだけで、映画化する価値はあったなと思います。

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受け継がれる家族の城

ただし、見ごたえのあるリアリティを軸にした家族ドラマではあるのですが、ひとつ、良作として上手くできているゆえの“危うさ”もあるなと思っていて…。

というのも『ガラスの城の約束』は作り手が意図していなくとも、下手をすると「どんな親でも子育てしてくれたことには感謝しよう」だとか「愛のカタチは人それぞれなので受け入れよう」とか、すごく綺麗事な受け捉え方をされかねない作品だと思うのです。

父レックスの作中での数々の描写も、良いことげなセリフを言っているシーンだけをピックアップして集約すれば、まるで「不器用だけど愛情は確かにある」みたいな“変わっているけど悪くはない親”として見えかねないです。現に日本の宣伝の予告動画ではまさにそのとおりの編集をやってしまっていて、その地雷を見事に踏み抜いているのですが…。

“ウディ・ハレルソン”の内に秘めた優しさや弱さをフッと醸し出す名演もあって、余計にあのレックスに感情移入しやすい雰囲気にのまれそうにもなります。

でもそれはあからさまに安易すぎる感想だと私は考えています。もしそうだったらこの映画の物語はものすごくチープなものになってしまうと。それこそ最初に前述した“偏見に基づく単なる親の採点になりかねない怖さ”をそのまま体現してしまうじゃないかと。

私は家族の在り方に関する賛否ではなく、本作は家族という概念が代々継承する“鎖”みたいなものを描いているところに面白さがあると思っています。その“鎖”は人によっては「愛」だとか「呪い」だとか表現できるかもしれません。本作のタイトルに合わせるなら「ガラスの城」と表現すべきなのかな。確かに夜は星空も見えて綺麗で夢のある城かもしれないけど、よく考えれば“閉鎖的”だし“見られ放題”な城。相反する色々な側面を抱えたエリアを嫌でも引き継ぐことになるのが家族。

レックスにもローズにも親がいたわけです。それは決して自慢できるものではないようでした。レックスはどんなに困窮しようとも実家に戻るのを嫌がりますが、自分の親を前にしているレックスは明らかにいつもの家父長的な態度をとれません。おそらくレックスはレックスで子ども時代にいろいろな経験をこの親のもとでしたのだろうと推測できます。またローズも百万ドル以上の土地を相続しても自分の親の命令により自由に扱えないという束縛を抱えていることが終盤に発覚し、こちらも不自由さに半ば諦め慣れるくらいの境遇だったことが暗に示されます。

家族は常にそういう要素を孕んでいるもの。それでも家族は代替わりしながら新しい要素も交じり合い、引き継がれる。ラスト、ジャネットを中心とした“今の家族”がテーブルを囲む姿で映画は終わるのもそれを示しているようで印象的でした。

ときには自分の家族の歴史を少し振り返ってみるのも良いかもしれませんね。

『ガラスの城の約束』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 51% Audience 71%
IMDb
7.2 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 6/10 ★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)2019 Lions Gate Entertainment Inc. All Rights Reserved.

以上、『ガラスの城の約束』の感想でした。

The Glass Castle (2017) [Japanese Review] 『ガラスの城の約束』考察・評価レビュー