Girl ガール
映画『Girl ガール』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Girl
製作国:ベルギー(2018年)
日本公開日:2019年7月5日
監督:ルーカス・ドン

Girl ガール

あらすじ

男性の体に生まれたトランスジェンダーのララは、バレリーナになることが夢で、強い意志と才能、そして努力で、難関とされるバレエ学校への入学を認められる。しかし、成長とともに変わっていく体によって上手く踊れなくなることへの焦りや、ララに対するクラスメイトの視線が、徐々にその心を追い詰めていく。

ネタバレなし感想

男女の狭間で論争が舞う衝撃作

今、スポーツの世界では「トランスジェンダー」の扱いに関して紛糾が起こることがたびたびあります。皆さんも体育の授業で「男」と「女」に分かれて授業を受けた経験があるように、スポーツでは男女別に区分けするのが暗黙のルールです。それは性差による体の発育にともなう筋肉や体力が男女で異なるからというのが主たる理由です。ここで問題になるのがトランスジェンダーの存在で、例えば、男性の体だけど心は女性だというスポーツ選手が、大会などで「女子部門」に出場すると、不公平ではないかと不満を持つ人も出てきます。実際そのような発言をした女性選手が炎上する騒ぎになる事態もニュースになっています。

性の多様性と競技の公平性をどうバランスとるべきか…この問題は非常にセンシティブであり、万能な解決策はありません。たぶんスポーツの種類によっても対応は違うでしょう。ちなみにオリンピックでは2016年に改訂された五輪規定により、女性から男性へ移行したFTM(Female to Male)トランスジェンダーの選手はほぼ無条件で、男性から女性へ移行したMTF(Male to Female)トランスジェンダーの方はいくつかの条件を満たせば自身が望む性別での競技に出場できるそうです。

いずれにせよ私たちの頭の中にある無意識な「男女」という価値観は今後も揺さぶられ続けるでしょうけど、それもまたスポーツの“発展”という歴史の1ページじゃないでしょうか。

そんな話とも無縁ではない映画が本作『Girl ガール』です。

本作の題材となっているのは「バレエ」。バレエはスポーツではなく、舞台舞踊ですが、スポーツと同様に男女に分かれるのが慣習になっている世界です。当然、トランスジェンダーの人はどうするのかという問題が生じます。

『Girl ガール』は15歳のトランスジェンダー少女を主人公にした物語で、その葛藤が生々しく描かれていく作品。2018年に最も話題を集めたLGBTQ映画のひとつと言えるでしょう。

カンヌ映画祭では“ある視点”部門にて「カメラ・ドール」を受賞したほか、LGBTQを題材にした最高の映画に贈られる「クィア・パルム」も受賞。他にも多くの映画祭などで賞に輝きました。

本作はベルギー映画なのですが、監督の“ルーカス・ドン”はなんとこれが長編デビュー作であり、その卓越した素晴らしいセンスから「第2のグザヴィエ・ドラン」と称されるほど、映画界隈での注目度はヒートアップしています。確かに作風、年齢、キャリアと、ちょっと似ている感じはありますね。

“ルーカス・ドン”監督は、2009年にベルギーの新聞に掲載された、トランスジェンダーの少女がバレリーナになるために奮闘するという内容の記事を目にとめ、ずっと映画化したいと思っていたらしく、やっとの悲願の達成ということで、本人も相当に嬉しいのではないでしょうか。

一方で『Girl ガール』は“称賛の嵐”と語り切れない一面もあって、実はトランスジェンダー当事者の人たちの一部からは作品に対して批判も噴出しているんですね。その詳細は後半のネタバレあり感想で書くとして、とにかくこういう批判はとても大事だと私は思っています。

映画に対して批判が寄せられるのは普通です。表現物ですから、常に批評に晒されます。その映画を好きな人にとっては不快かもしれませんが、でも逆転の考え方をするなら、自分にはない価値観を知るチャンスでもあります。もちろん、特定の会社や監督の作品を毛嫌いしているとか、ポリコレ描写に過剰に嫌悪感を持つとか、それは批判ではなくただのアンチなので無視していいです。大事なのはとくに題材になっているテーマの当事者からの批判です。

とくにLGBTQ映画の場合は、マイノリティ側からの直球な本音による批判もよく聞きます。最近でも『ストーンウォール』や『ハンズ・オブ・ラヴ 手のひらの勇気』などLGBTQをテーマにしているにもかかわらず、当事者から批判される映画もありました。

映画はストレートやシスジェンダーの人が製作の大多数に関与していることもあり、どうしてもマイノリティ側の実情や本心を反映しきれていないことも多々あります。批評家だってほとんどはストレートやシスジェンダーの人です(私もですが)。

だからこそ当事者による建設的な批判は何より最優先に耳を傾けるべきじゃないかなと思います。

とはいっても『Girl ガール』が価値のない映画と言っているわけではなく。むしろ逆です。本作とその批判をセットで見聞きすることで、グッとトランスジェンダーへの理解に近づける、とても良い機会じゃないですか。

オススメ度のチェック
ひとり◎(映画好きなら観るべき話題作)
友人◯(趣味嗜好が合うなら)
恋人◯(趣味嗜好が合うなら)
キッズ◯(バレエに興味があるなら)

予告動画






↓ここからネタバレが含まれます↓





ネタバレあり感想

なりたい自分になれない

夢はプロのバレリーナになること。そんな目標を胸に進む15歳のララは、理解者である父マティアスのサポートもあって、名門のバレエ学校に通うことになります。まずは8週間のトライアル期間を乗り越えることが先決。同じ夢を抱く同年代の少女たちとともに、講師の指導のもと、レッスンに励む日々がスタートしました。

しかし、ララには気になることがひとつ。それは自分の体は男性だということ。すでに思春期に突入しているララは、当然のように成長期に入り、体がどんどん“男性的”な成長をとげていきます。背は大きくなり、筋骨も目立つようになり、その変化を自分の力では止めることはできません。できることと言えば、“隠す”だけ。バレエシューズと、股間のテーピングだけが、ララにとっての唯一の抵抗策。

もちろん医学的な方法もあります。ララは医師と念入りに相談を重ね、性別適合手術を予定しており「ホルモン補充療法」を受けています。

ホルモン補充療法は、一般的に更年期障害の緩和に使われることも多いものですが、性別適合手術の前段階として実施もされます。性別適合手術はすぐに実行できるものではなく、その前にホルモン注射とは別に、MtF(男性から女性へ)なら乳房形成、精巣切除、陰茎切除、膣形成、外陰部形成などのステップが必要です。当然、リスクもあるので医学的な専門家のもとで慎重に経過を見ながら行われます。

ただ、ララの場合、そんなのんびり気ままに自分の体が女性になっていくのを待ってもいられません。なにせ今が成長期ですし、さらには周囲には自分より一足早く女性らしい体に成長した同年代の女子たちが、バレエのあの体のラインが強調される衣装を着て、立っているわけですから。プレッシャーは相当なもの。ましてやバレエの世界なので周りの女子たちはライバルでもあります。出遅れてしまえば、パフォーマンスする機会を失い、最悪、夢は絶たれてしまいます。

一方、周りの同年代のティーンたちや指導者の大人は、“表面上は”ララのことをすんなりと受け入れ、普通に接してくれているように見えます。楽しく談笑し、写真を撮ったり、いかにもなガールズ・トークな日常が描かれていきます。ロッカーも他の女子と一緒の部屋ですし、シャワーだって同じく使わせてくれる。トランスジェンダーであることを感じさせない空間。

しかし、それでもララの心はストレスと重圧でどんどん膨れ上がっていきます。それこそ風船に小さな画鋲を刺しただけで音を立てて割れるように、ララの心も小さな出来事に簡単に崩壊しかねません。

そして、他の女子からの何気ない視線と言葉を向けられ、バレエシューズの中に閉じ込めることのできない足は血まみれになり、無理やりなテーピングで股間部分は赤く炎症を起こし、ズタボロになっていく心と体。バレエのパフォーマンスにも支障をきたし、エスカレートしていく怒りと不安

ついに、画鋲になる出来事が連発した結果、ララは一線を越えた行動に。

Girl ガール

どんな批判があるのか

シンプルで寄り道のない、ララという少女の心に重なり続ける真摯な物語だった『Girl ガール』。鑑賞すれば大好きな一作になったと答える人もたくさんいるでしょうし、これは高評価も間違いないと納得の映画でした。

一方で前述したようにトランスジェンダー当事者からの本作への批判はかなり厳しいものも目立ちます。

例えば、主役であるララを演じたのが“ヴィクトール・ポルスター”というシスジェンダーだった点は真っ先に批判されている部分です。“ヴィクトール・ポルスター”は現役のトップダンサーで、本作が俳優デビュー作となり、オーディションで選ばれたのですが、演技面で言えばおそらく誰もが素晴らしいと称賛するものです。ただ、それはそれ、これはこれとして、そもそもどうしてトランスジェンダーを描くのにトランスジェンダーの俳優を起用しなかったのかという問題は確かに指摘のとおり。もちろん、演技面とバレエの実力というハードルの高さをクリアできる人が上手い具合にトランスジェンダーの中から見つからなかったという、現実的な理由は察することができますが。

そして、ホルモン補充療法という科学的にも正しい医療を本作はネガティブに描きすぎではないかという批判もあります。しかも、最終的に自分でペニスを切り落とすという、医療的には絶対に推奨できない行為をやってのけ、ラストは清々しく終わるので、余計にその問題性が目立ちます。これも確かに教育的に推奨できる内容ではないかもしれません。少なくともトランスジェンダーに悩む子どもに積極的に見せるのは少し憚られるでしょうね。

もしもっとリアルに描くなら、トランスコミュニティからの支援なども描かれていくべきでしょうし(あの理解のある父親ならそれくらいしているでしょう)。

さらにここが一番の大きな批判ですが、本作はあまりにトランスジェンダーの葛藤を“身体的な部位”の問題で安直に片づけすぎだという怒りの意見も強いです。本来、トランスジェンダーの人たちはそのような視線で見られることを何よりもツラく感じ、社会から無くすべく努力しているわけですが、本作はそれに逆行していると。

全体的な批判の総論として、『Girl ガール』はシス中心主義的な目線で作られた映画だ…という風に言われました。

議論することは映画の醍醐味

これらの『Girl ガール』に対する批判に関して、あくまで私の意見ですが(繰り返しますが私はストレートでシスジェンダーです)、その批判全部について“なるほど”と納得するばかり。やっぱり当事者からの率直な意見は、たとえ手厳しいものでも、価値のあるものです。

その一方で、映画製作者側の意見もわかります。

トランスジェンダーの葛藤を“身体的な部位”の問題で安直に片づけすぎ…という指摘も、あくまで映画的なデフォルメのつもりだったのでしょうし、あくまでこの物語上ではそこに主点を置くことで印象的なわかりやすさを重視したのでしょう。

ペニス切断のクライマックスも、それを推奨するつもりは微塵もないでしょうし、よくある映画的な“見せ場”として用意したものなのはわかります。

トランスコミュニティからの支援などがろくに描かれないのも、ララのパーソナルなストーリーに集中したかったという狙いが見てとれます。

“ルーカス・ドン”監督は非常にカメラを長回しして、何気ないシーンの印象を数倍にも膨らますのが上手い人だなと思いましたし、そういうシーンが随所にあります。ある種の作家性なのでしょう。この演出が今作限定の意図のあるものなのか、監督自身のフェティシズムによるものなのか、それは本作だけでは判別できなかったですが。

結局のところ、これもトランスジェンダーの本質を描写すること(リアル)と、映画の面白さを見せること(ウソ)の、バランスをどうとるかという問題なのかもしれません。ただ、事前の製作段階でもっとトランスジェンダー当事者からの意見を多様に取り込んでいればよかったのですが、まあ、初監督作品の新米にそんな大手映画会社がやるようなサポート体制は無かったでしょうし、厳しかったかなと。ある意味、“ルーカス・ドン”監督の映画的な面白さを強調する演出が上手すぎて注目されてしまったからこそ、批判も大きくなったと考えるべきなのかな。

あと、おそらく体をアピールする仕事をしているトランスジェンダーと、そういう仕事をしたことのないトランスジェンダーの人とでは、本作の共感度も変わってくるでしょうしね。

あらためて“理解の重要性と奥深さ”を痛感する映画になりました。少年が女の子に交じってバレエする2000年の『リトル・ダンサー』から約20年、『Girl ガール』の存在は時代の変化をハッキリ浮かび上がらせたと思います。こうやってあれこれと議論しながら、時代は進むのです。

別にLGBTQ映画に限らず、映画の感想を語り合うと、相手のことがわかって楽しいじゃないですか。議論は映画の醍醐味です。

個人的にはいまだに「美しき」とか「イノセント」とかいう言葉を“少女”の枕詞に使ったり、「性別を超越した美しさ」なんて言い回しで芸術品のようにトランスジェンダーを重ねる、日本の宣伝側のリテラシーに苦言を呈したいところですけど。

日本はもっともっと声をあげて議論しないとダメですね。

ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 84% Audience 66%
IMDb
7.2 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)Menuet 2018