陰鬱に終止符を…Netflix映画『日曜日の憂鬱』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。
製作国:スペイン(2018年)
日本では劇場未公開:2018年にNetflixで配信
監督:ラモン・サラサール
日曜日の憂鬱
にちようびのゆううつ
『日曜日の憂鬱』あらすじ
仕事で成功をおさめる夫のもとで裕福な暮らしを長年送ってきたアナベル。そこへ突然やってきたのは、昔の自分の影として捨ててきた過去と密接に関わっているキアラという女性だった。キアラはアナベルに秘かにある想いを抱きつつ、人里離れた場所で10日間一緒の時間を過ごしてほしいと頼む。
『日曜日の憂鬱』感想(ネタバレなし)
日曜日はツラいよね
皆さんは日曜日の夜はどんな気分で布団に入りますか。
たいていの人は憂鬱だと思います。「平穏な休日もあっという間に終わってしまった…」「明日から会社か…」「学校か…」そうした感情が渦巻くブルーな気持ちになるのも当然です。こういうのは「サンデー・ナイト・ブルース(Sunday night blues)」と英語で表現するらしいですが、日本だと「サザエさん症候群」なんて言葉もあります。ここでアニメが元ネタになるあたりが実に日本らしいものです。
そしてこのNetflixでオリジナル作品として配信されている『日曜日の憂鬱』は、まさにそのダウナー系な日曜日の過ごし方を送る人間模様を描いた一作…ではありません。スペイン映画なのですが、英題は「Sunday’s Illness」。“病気”なんですね。これが物語上の大きなキーワードになるのですが、詳しく書くとネタバレになるので、あとは後半の感想で。ただ、あえて「憂鬱」とした邦題センスはミスリード的であり、これを考えた人なナイスだと思います。
そんなこんなで本作はタイトルの話題で盛り上がるくらいしか事前にネタバレ抜きで語れることが少ない作品。他の要素だと、先にも言ったように本作はスペイン映画だということが切り口になるかもしれません。
私はそこまで豊富にスペイン映画作品を嗜んできたわけではないのですが、最近だと『ジュラシック・ワールド 炎の王国』で華々しいハリウッド大作を成功させた“J・A・バヨナ”など、スペイン出身の映画監督は結構目立っています。
『パイレーツ・オブ・カリビアン 最後の海賊』で“怖そうな顔”悪役の仲間入りを果たしたハビエル・バルデムといった、スペイン出身俳優も世界規模で活躍しています。
一方で純粋なスペイン映画自体といえば、私の狭い映画知識の印象ではかなりシリアスで言葉では説明しないような雰囲気で語る重厚な作品が、賞に輝いているような気がします。
スペインのアカデミー賞とも称される「ゴヤ賞」で賞を獲得するような作品くらいであれば、私も観た経験がありますが、そういう傾向が強いように思います。2016年のゴヤ賞作品賞受賞作の『静かなる復讐/物静かな男の復讐』もまさに非説明的なサスペンスでした。また、私の中でも鮮明に印象に残っている異色作『マジカル・ガール』も似たような空気感を持っていました。やっぱり批評家関係はそういう作風が好みなのでしょうか。
『日曜日の憂鬱』はサスペンスではないのですが、やはり同様の雰囲気を持ちます。非常に飾り気のない淡々としたドラマです。人によっては「地味」とか「退屈」とかいうような印象にすぐにつながり、途中で寝てしまったり、観るのをやめてしまうかもしれません。しかし、ちょっとさっきも匂わせた本作のテーマに最後に気づくことができれば、本作の面白さが一気に跳ね上がると思います。唐突に意味深なシーンや重要な情報が明かされたりするので、ぼーっと見ていると見逃します。注意してください。
『日曜日の憂鬱』感想(ネタバレあり)
最後まで語らない
『日曜日の憂鬱』を観て別に会社や学校に行きたくなくなることはないですけど、憂鬱にはさせられる映画でした。
ちなみに監督は“ラモン・サラサール”という人で、2002年に『靴に恋して(Piedras)』という作品でゴヤ賞の新人監督賞に輝き、2005年には『20センチ!(20 centímetros)』という巨根のトランスジェンダーが女になるために奮闘する作品をてがけたりしています。そして監督3作目として久しぶりの作品が本作『日曜日の憂鬱』なようです。といっても私はその過去作を一切見たことがなかったので、本作で初めて“ラモン・サラサール”を知ることになりました。本作はベルリン国際映画祭に出品されるなど、監督作の中でもなかなか評価の高い一作になったようです。
で、実際に観てもらってわかったと思いますが、とにかく説明がありません。
まずいきなり視界の悪いこの世の感じがしない森で女性が歩いており、岩のような木のようなよくわからない構造物にあいた穴を覗きこむというシーンからスタート。そこからパッと画面が切り替わり、豪華絢爛な屋敷を歩いている貴婦人といった感じの比較的年齢を感じさせる白髪女性。コツコツコツとこちらに歩いてくるとヨロっと転びかけます。不吉な予兆を感じさせる場面です。そこから豪華な屋敷で、お金を持っていそうな大勢な客たちが机に集まり、煌びやかディナーでしょうか、食事が始まります。ところが裏で忙しく働くウェイトレスの中にワインを開け方も知らない女性がひとり。やはりミスが起こる食事の場。ここでもまた不吉な予兆が…。そして全員が帰ったあと、ひとりディナーテーブルの椅子に座っている貴婦人白髪女性の前に現れたのは、あの不慣れなウェイトレス。互いに眼だけの探り合いが行われ、ウェイトレスはポケットから紙を取り出し、机に置いていく。
ここまで“ちんぷんかんぷん”です。観客は“ぽかーん”ですよ。
で、ようやくこの次のシーンで情報が明かされます。
白髪女性と例の女性が待ち合わせで対面し、やっと観客にもわかる会話が始まります。ここでわかるのは、白髪女性のアナベルの前に突如出現した女性はキアラという名前で互いを知った関係であり、知り合いどころか、8歳の時に捨てたアナベルの娘だという事実。そして、長年会っていなかったキアラがやってきた目的は「10日間私と過ごしてほしい」という奇妙な依頼のためだということ。
そして、嫌々ながらも渋々キアラの願いを受け入れたアナベルは、キアラの暮らす家へ。そこは山奥の電波も届かない場所。贅沢な屋敷暮らしから山小屋での薪生活の様変わりしたなか、始まったギクシャクした母と娘のコミュニケーション。
しかし、キアラの明らかに不審で説明のつかない行動が観客には示され、なによりもなぜ「10日間母と過ごしてほしい」と頼んだのかという理由が不明なまま続く共同生活。やがて、キアラは深刻な病気であることが判明し、アナベルは母として「あなたを助けたい」と訴えると、「本当の望みを知りたい?」とやっと耳元で“真の狙い”をささやくのでした。
最後はショッキングなラスト。互いに服を脱ぎ、湖にキアラを抱えて入っていくアナベルが、キアラを水中に沈めて殺す。最後まで語らない静かな映画でした。
本作のテーマは…
ということで、歪な過去を抱える母と娘の交流に待ち受けるオチに、観客としては全く憂鬱全開な気分になるわけですが、これだけを見ると「で、結局、この作品はなんだったの?」という感想で終わりかねません。本作は最後までテーマをハッキリ明示しないのですが、でもラストの衝撃なシーンを見ればわかる人はこの作品のテーマが理解できますよね。というか、スペイン映画慣れしている人は、もうタイトルの「病気」というキーワードだけで察したかもしれません。
『日曜日の憂鬱』が描いているものはずばり「尊厳死」です。
さすがに聞いたことがない人はいないと思いますが、いわゆる病気の苦しさから解放されるために自ら死を選ぶ“死に方”のことですね。
これだけだとわかりにくいですが尊厳死は「積極的安楽死」と「消極的安楽死」に分けて考えると整理しやすいです。積極的安楽死は、医師によって患者を死に至らしめる薬を投与して死なせる方法。対する、消極的安楽死は、患者が治療の継続を中止するように医師に示して結果的に死なせる方法。消極的安楽死を認めている国は多いですが、積極的安楽死はまだまだ禁止となっている国がほとんど。積極的安楽死を法律で認めている国は、ヨーロッパではスイス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクしかありません。
そして、スペインでは消極的安楽死は可能ですが、積極的安楽死はダメであり、この2018年でもまさに積極的安楽死を認めるべきかというテーマで政治家などが白熱の議論を交わしている真っ最中なんですね。
実はスペイン映画には尊厳死を題材にした作品が少なくないです。2004年のアレハンドロ・アメナーバル監督の『海を飛ぶ夢』はその代表例で、これはラモン・サンペドロという尊厳死活動家の手記を映画化した作品。また、2015年のセスク・ゲイ監督の『しあわせな人生の選択』という作品は、治療の停止という尊厳死を決めた末期がん患者を描いたもので、ゴヤ賞で作品をとっています。
こうしたい事実からも国内における尊厳死への関心が高く、映画のテーマになりやすいのがスペインの特徴のようです。
尊厳は、母への愛
本作『日曜日の憂鬱』も、病気であるキアラの苦しみがさまざまな形で映像化されていました。冒頭のキアラが覗く謎の穴もまさに典型的な死の象徴。また、アナベルとの生活の2日目。朝に独り外で怪我したカモメを見つけ、優しく抱えたかと思いきや、次のカットでカモメを石で殴るというかなりアグレッシブなシーン。すでにこのシーンで、キアラは死しか解決策がないことを痛感していることがわかるんですね。母と一緒にコースターのようなもに乗って森を下っていく場面は、画面の揺れも相まってキアラの病気への絶望的な苦痛を表現しているようで辛いシーンです。
一方のアナベル。実は耳元で“真の狙い”がささやかれる前から、キアラの死を暗示させる出来事をアナベルは体験しています。アナベルがひとり森の林道でランニングしていると、反対から来た人から「ラ・ロッシュの先は危険よ」と忠告される場面。深読みするなら彼女に待ちうける試練を示すともとれます。また、キアラの覗いたのと同じ穴を母親であるアナベルも覗くフラッシュバックのようなシーンは、キアラが自ら死に向かっていることを母が薄っすらと感じ取っていることを示すようでした。
悲しいのはこの二人は母と娘が信頼を取り戻した瞬間こそが、キアラが死を選ぶときになるということ。キアラは父ではなく母を選び、最期には「お母さん」とつぶやき、抱き合って全てを理解した顔をするわけです。尊厳死を選ぶには、尊厳がないと意味がありませんが、キアラの尊厳は母への愛だったのかもしれません。母への愛を実感して死ねたのですから、それは幸せだったといえるのでしょうか。
ちなみに日本では消極的安楽死は認められていますが、法的にはグレーな面もまだまだ多く、いろいろ議論が内部では起こっていますが、イマイチ社会全体の問題としては扱われていません。世界トップクラスの高齢化国家である日本でも、尊厳死を題材にした映画がもっと増えてもよさそうなものですが…。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 94% Audience 78%
IMDb
6.9 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★
作品ポスター・画像 (C)Netflix
以上、『日曜日の憂鬱』の感想でした。
Sunday’s Illness (2018) [Japanese Review] 『日曜日の憂鬱』考察・評価レビュー