失くした体
Netflix映画『失くした体』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:J'ai perdu mon corps(I Lost My Body) 
製作国:フランス(2019年)
日本:2019年にNetflixで配信
監督:ジェレミー・クラパン

失くした体

あらすじ

切断された手が街を彷徨っていく。街にはさまざまな困難が立ちはだかる。それでも手の歩みを止めることはしない。その手には確かに体があった頃の記憶が残っていた。手は何かに触れるたびに記憶が蘇り、さらなる前進の糧としていく。ある女性との出会いが人生に喜びをもたらしたという過去。この行く先に待っているのは何なのだろうか。

『失くした体』感想(ネタバレなし)

斬新な設定が得意な監督

歴史が古く、規模も世界最大級の「アヌシー国際アニメーション映画祭」が2019年もフランスのアヌシーで開催されました。世界各国のさまざまなアニメーション映画が一堂に集う見本市であり、グローバルなアニメ動向を気にする人にとっては目が離せない場所です。2019年も日本の作品が多数出品され、長編コンペティション部門では湯浅政明監督 の『きみと、波にのれたら』、原恵一監督の 『バースデー・ワンダーランド』、櫻木優平監督の『あした世界が終わるとしても』が選ばれ、新設された「Contrechamp(コントラシャン)」部門では渡辺歩監督の『海獣の子供』が選出。世界のアニメーション業界における日本の存在感を強くアピールしたかたちです。そもそもこの年のアヌシー国際アニメーション映画祭のポスターは日本モチーフでしたし、リスペクトをひしひしと感じます。

そんな2019年のアヌシー国際アニメーション映画祭で長編映画賞と観客賞を同時に制したのが、フランスの“ジェレミー・クラパン”監督が手がけた『失くした体』です。この作品はカンヌ国際映画祭でも国際批評家週間の部門で上映され、高い評価を集めました。

なんとも奇妙なタイトルですが、中身はその名が示す以上に珍妙なストーリーで、あらすじにも少し書きましたが、本当に「切断された手」がメイン主人公。厳密にはその手の持ち主である五体満足な人間の頃の回想シーンが多く含まれるので、ずっと切断された手オンリーの映像ではないのですけど、それでも多くの時間を手だけがじっくり描かれるのはかなりの異様な体験です。

手が動くといっても、確かにカサカサとまるでそれ自体が生き物のように動き回るわけですが、そこまでホラー風ではないです。でもときおりゾッとする映像が飛び出したり、本当に観客を翻弄してきます。

どうやってこんなアイディアを思いついたのだろうかと思ったら、原作があって映画『アメリ』の脚本家としても知られる“ギョーム・ローラン”の小説「Happy Hand」が元になっているのだとか。“ギョーム・ローラン”か…だったらわからないでもない…。

監督の“ジェレミー・クラパン”はずっと短編を手がけてきた人で、今作で初長編デビューのようです。これまでのフィルモグラフィーである短編を観ていくと、とくに絵のタッチや表現スタイルに同一性はあまり感じません。それよりもテーマに対する斬新な設定を含むアプローチを得意とする監督なのかもしれません。

例えば、2008年の『Skhizein』という作品は、身体と意識がテーマで、自分の体と意識が91センチだけズレてしまった男の物語(だから何をするにしてもズレる)。2004年の『Une Histoire Vertebrale』は、背骨がほぼ90度直覚に曲がった男女のヘンテコなコミュニケーションの物語(常に下を見ている状態)。2012年の『Palmipedarium』は、孤独な少年がヘンテコすぎる鳥(?)と出会う物語(個人的には一番好き)。どれもVimeoなどで観れると思います。

とにかく何かしらの欠落を抱え込んだ主人公の精神性をイレギュラーな設定でもって描き出すのが手慣れている人なんですね。ということで切断された手が主役となる『失くした体』もまさに“ジェレミー・クラパン”監督に任せるしかないピッタリの題材なのです。ちなみにこれらの短編の要素がオマージュ的に『失くした体』にも登場します。

『失くした体』の評価は繰り返しになりますが国際的にも非常に高く、レビューを抜粋すると、Guardianは「Hands down, this is the best animation of 2019.」なんていう“手”にかけた気の利いたコメントを与えています。それはアニメーションというテクニックと奇抜な物語性のクロスオーバーが成功しているからです。つまるところ、ディズニーやピクサーと聞いて世間一般が想像するベタな良質アニメーション映画のような一般ウケしやすさは期待しないでくださいということ。でもこういう尖った一作が生まれるのもアニメーション映画ならではの現象ですし、一度その味わいを知ってしまうと楽しいのですけどね。

子ども向けでもないし、絶対に劇場公開しそうにないなと諦めていたら、Netflixが配給を担当し、一部で劇場公開&2019年11月29日よりNetflixオリジナル作品として配信を開始しました。有名作品も良いですが、たまにはこんな作品もシネフィル気分で味わってはいかがですか。

オススメ度のチェック
ひとり◯(海外アート・アニメの世界へ)
友人◯(芸術に興味がある同士で)
恋人◯(不思議な体験をしたいなら)
キッズ△(大人向けのアート嗜好)

予告動画






↓ここからネタバレが含まれます↓





『失くした体』感想(ネタバレあり)

「手」の大冒険は波乱万丈

『失くした体』はハエで始まります。このハエが物語上、非常に重要なキーワードになってくるのですが、詳しくは後述。

ハエのいる場所に徐々に広がってくる血だまり。そばには倒れている男。そして男から少し離れたところにある「手」

場面はパッと切り替わり、ドンという音が何回か繰り返して聞こえます。すると冷蔵庫のドアがカパッと開き、中からボトリと何かが飛び出します。その冷蔵庫は美味しそうな食材が入っているものではなく、目玉など人間の人体器官が並んでおり、明らかに生体サンプルか何かの保存庫のようです。目玉がひとつコロリと転がる中、ドアを“内側から”開けた犯人である袋に入ったそれが動き出します。それは手です。手首あたりから切断された「手」。

「手」はよろよろと“足”取りもおぼつかず、動き回り始めますが、その部屋を出ていこうとすると廊下に人の気配があり、断念。近くにあった人体模型を登り、他の脱出経路を探ります。すると帽子の男は部屋に侵入してきて、隠れる「手」。幸い小さいので見つかりづらいです。隙をみて小窓から出ようと、ロッカーのドアをあけ、それを掴んでつたってなんとか外に出ることに成功します。

「手」がいた建物は医療施設だったのか、それは今やどうでもいいこと。「手」はずっとこの建物の縁にいるわけにもいかないので、隣の建物のアンテナめがけてジャンプ(手で)。しかし、失敗してしまい、屋根に落下してしまいます。痛手ですね(別に上手くない冗談)。

朝、目はないけど目を覚ました「手」。屋根にあるハトの巣のそばで寝転がっていたようで、ハトが邪魔なのでどけようとして今にも落ちそうでした。すんでのところでハトの首を掴み、落下の衝撃でハトを絞め殺してしまった「手」。ごめん、ハトさん…。そのまま自らもゴミ箱に落下。惜しかったです。これが本当の“片手落ち”(だから上手くない)。

今度はゴミ箱で目覚めると、ゴミ収集車に回収されてしまいます。このままでは酷い結末を迎えるのは明白。危機を脱するためにラビオリの缶に入って車から飛び降りる「手」。そのまま地下鉄へ進み、エスカレーターを逆走、勢い余って線路に落ちます。一難去ってまた一難。そこにも強敵がいました。ネズミです。容赦なく襲ってくるネズミたち。猫の手も借りたい状況ですが(いやでも猫も手を襲うだろうな…)、そばにあったライターを使い、火で脅すことでネズミを遠ざけます。列車の底面に捕まり、その場を離れる「手」。それからもアリや、いろいろなトラブルが連発し…。

そんな「手」の壮大な旅が始まっていく中、おそらくこの手の本来の持ち主、というか手と体がつながっていたであろう時の本体の人間の記憶が呼び覚まされていきます。

ピアニストと宇宙飛行士に無邪気に憧れていたナウフェルという少年。ポータブルカセットレコーダーをもらい、いろいろな身近な音を収録する日々。両親と一緒に車に乗っていると、交通事故が起き、両親死亡。誰かに引き取られたナウフェルは成長し、ピザ屋の配達人として一転して貧しい生活をしています。

そのピザの配達仕事中に車と接触し、横転。怪我は無かったですが、届ける時間は大幅に遅れてしまい、マンション先の客の女性に怒られます。ドアが開かないし、ピザがぐちゃぐちゃなので、新たに注文すべきですと言って立ち去るつもりでしたが、その玄関前でピザを食べるナウフェル。するとその女性はインターコム越しの会話が続けてきます。ガブリエルという名らしい、図書館勤めだと言う女性に関心を持っていくナウフェル。その日は「さよなら」と別れたものの、気になってしまい、居場所を再び特定して会おうとします。

そんな記憶を「手」は全て覚えていました。「手」が体と離れるその瞬間まで…。

失くした体

「手」だけでここまで面白い

『失くした体』はアニメーションとしてリアルすぎて不気味なのが魅力です。

とにかくメインとなるのは「手」。手というのは誰でも間近で見ているので、ちょっとでも不自然な動きでアニメで描かれていると違和感を感じます。でも本作の「手」のモーションはリアリティが凄まじいです。

単なるリアルというだけでなく、その「手」が繰り広げるちょっとしたミクロ・アドベンチャー的な大冒険がまた面白い。あの序盤の部屋を脱出するシーンだけでも私は観る価値があると思うほど。「vsハト」「vsネズミ」「vsイヌ」と要所要所に中ボスを配置する適度なバランス。あの犬も手に気づいてよと思いますが…。

まさかの傘を使った飛行シーンなど、アクション展開もてんこ盛りで、この「手」、トム・クルーズばりに体を張っています。手でここまでできるのか!という限界を見せてくれるわけで、こんな体験は他にはないです。

アニメーションはどれだけ現実の動きをそのままに表現するか、逆に簡略化するか、そのトレードオフな配分がクリエイターの腕の見せどころなのですが、『失くした体』は「手」に関しては徹底的にリアルを突き詰めており、それが大成功。『レッドタートル ある島の物語』などのリアルに惚れ込んだ高畑勲イズムを感じ、当人が存命だったらさぞかし気に入ったでしょうね…。

『失くした体』はアニメーション技術としては2Dと3Dの混ぜ合わせみたいですが、別に実写でも可能な映像です。ましてや今ではCGが非常に究極的に発達していますから、フォトリアルな手を動かすのは時間をかければいくらでもできます。でも今作は実写&CGでやっていたらきっとつまらないものだったでしょう。あくまでアニメーションだから格別の快感が生まれています

一方で、3Dモデルで作られたキャラクターはわざとコマの動きを制限しており、「手」よりも滑らかに動かないようにデザインされています。すべてが「手」を強調するために構築されたコンセプトになっているんですね。

手の込んだ「手」のアニメーション(このブログ、何回「手」って書いたのだろうか)。その真髄の極まりを見せてもらいました。

ハエの意味と、現実とアニメの繋がり

『失くした体』はボーっと「手」の大冒険を観ているだけでも楽しいのですが、それでも何も考えていないと本当にいつのまにやらストーリーはエンディングを迎え、「なんだったのだろう…」という気分になってしまいかねません。

まず本作の主人公ナウフェルの境遇が大事です。彼は(モロッコからの移民らしいですが)少年時代は割と裕福な家庭で恵まれた生活をしています。しかし、それは些細な不注意による交通事故で終わりを告げ、そこからの生活はどん底でした。本作はそんな地に落ちたナウフェルが新たな一歩を踏み出すまでを描く物語です。

そこで先ほども言ったようにハエが重要なキーワードになってくるわけです。冒頭にナウフェル少年と父親がこんな会話をしています。「パパ、ハエを捕まえられる?」と。父親いわくハエの動きを観察して予測すれば次の行動の先がわかり、手で掴むことができる…とのこと。そんな無理でしょ…という現実論はさておき、このハエ話。実はアニメーションと深く関わる話題になっています。

アニメーションというのは知っている人もいるでしょうがコマの連続で成り立っています(パラパラ漫画ですね)。そのコマが多ければ多いほど動きの間隔が短くなって滑らかになりますし、コマが少ないとカクカクしてきます。アニメーターの人はこのコマ割りをどうするかを日夜考えながら絵を描いているわけですね。

で、ハエの話ですが、ハエは皆さんをご存知のとおり、止まってはササっと動き、また止まってはササっと動きの繰り返しをする虫です。アニメーションで言えば、コマが少ないとも解釈できます。

『失くした体』は人生をコマ割りのようにとらえて語っています。それを象徴するのがナウフェルとガブリエルの屋上での会話。

「運命を信じる?」「人生はもともと決まっているって本当?」「変えるなんて幻想だと思うけど、何か異常なことをしない限り、そしたら変えられるかも」「既定路線を変え、何か別の行動を取り、行く先を変える。後悔しない方向へ」「運命からそれた後は?」「その後も突き進む。盲目で進み、成功を祈る」

つまり、違うコマへとあり得ないジャンプをすれば全く別の展開も実現できる…そういう話であり、ハエ捕獲論も同様の理屈です。

そしてナウフェルはハエを捕まえると同時に、ラストではたとえ話としてガブリエルに語った「クレーンに飛び移る」ということもやってのけたんですね。この瞬間、ナウフェルは新しいコマに移動できたのです。それから先はどんな未来があるかはわからない。でも違うことだけは確かだ、と。

思えばナウフェルの両親が事故死したのも、車の前方という未来のコマを見るのを怠ったからでした。将来の成長に進むか、ここで人生を終わらせるか、それはコマしだい。

そんなナウフェルの成長を普通に描けばいいものを、あえて切断された「手」の視点に分離するというのがまた斬新で、私たちのすぐそばの世界で実は「とんでもない非現実的飛躍」が存在するということを示す寓話的な道標になっています。ガブリエルがナウフェルに渡す「ガープの世界」という本(ジョン・アーヴィング著)も、図書館で借りる北極の本も、屋上に手作りするイグルーも、いずれもあの二人には現状は全然関係ない世界。でもどこかで何かのきっかけでその世界へジャンプできるのかもしれない

アニメーションはこういう非現実性と現実性を線で結ぶコネクション・アイテムになってくれるから面白いものです。

私も意外なきっかけで人生がびっくりな方向に飛躍するのかも…とか考えたくなります。あ、でも、手を切断するのだけは嫌だ…。あの切断シーンだけは何度も観たくないです…。

ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 97% Audience 75%
IMDb
7.7 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★

関連作品紹介

特殊な体験がきっかけで人生の転換の一歩を踏み出す姿を描くアニメーション作品の感想記事です。

・『アンダン 時を超える者』


作品ポスター・画像 (C)STXfilms