軽い男じゃないのよ
Netflix映画『軽い男じゃないのよ』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Je ne suis pas un homme facile(I Am Not an Easy Man) 
製作国:フランス 
製作年:2018年 
日本では劇場未公開:2018年にNetflixで配信 
監督:エレノア・ポートリアット 

【個人的評価】
 星 8/10 ★★★★★★★★

Plot Summary

毎日のように職場でも日常でも場所を問わず、誰でも構わず女性を見下す無神経な独身男のダミアン。そんなどうしようもない男が、ある日、頭を打って気を失う。意識が戻るとその世界は何かが変わっていた。そこは、女が上に立ち、男が下でせっせと家事や子育てに奮闘する、すべてが正反対の社会。ダミアンは傲慢な女流作家の助手となるが…。

ネタバレなし感想

私たち、入れ替わってるー!?

2018年のフランスで開催されたカンヌ国際映画祭。『万引き家族』がパルムドールを受賞した記念すべきこの映画祭ですが、女性躍進のメッセージを発していたことも忘れてはなりません。この年の審査員長を務めたのはケイト・ブランシェットでしたが、レッドカーペットでは映画業界の男女格差の是正を訴えるため映画業界で働く82人の女性が揃って声をあげました(「82人」である理由は、今までカンヌのレッドカーペットの階段を上がった女性監督の総数が82人だったため。ちなみに男性監督は1688人)。

これはアメリカから始まった「Me too」や「Time's Up」運動などの影響を受けているのはもちろんです。しかし、そもそもフランスはヨーロッパ諸国の中でもとくに男女格差や差別の激しい国という指摘もあります。そんなフランスでは以前から女性の権利や自由を訴える声は上がっていましたが、その願いは無下に扱われてきました。カンヌ国際映画祭のあの声も、そうした歴史を背負ってのことなのです。

そんな中で生み出されたこのコメディ映画は、今のフランス社会にさらに強烈なメッセージを突きつける一作になったことでしょう。それが本作『軽い男じゃないのよ』です。

本作の特徴はなんといっても「男女が逆転している」という世界観。といっても、『君の名は。』みたいな体の入れ替わりモノではありません。“立場”の入れ替わりモノです。

その性別だからこその社会・職場・家庭での立ち位置や扱われ方。それらが全てあべこべになっています。そんなことを言われてもパッと頭に浮かばないでしょうから、それがつまりどういう世界を見せてくるのか、それは実際に鑑賞するのが早いでしょう。ゲラゲラ笑えるというよりは、考えさせる系の風刺コメディですね。もちろん楽しいシーンは楽しいですが。

ユニークさが異様に際立つコメディなのは間違いありませんが、個人的にはSFとして面白かったです。観終わった後は、頭がグラグラと混乱するのではないでしょうか。

予告動画






↓ここからネタバレが含まれます↓





ネタバレあり感想

嫌というほど気づかされる

「男女の“立場”が逆転している」という世界観のSF作品は、とくに珍しいわけではありません。最近だとアメコミ映画『ワンダーウーマン』に登場するアマゾン族が暮らすセミッシラという都市は女性に支配された世界でした。
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こういう男女“立場”逆転世界を示すことは、各作品によって違った目的を持つものです。一種のディストピアだったり、はたまたSMプレイ的な欲求のためだったり、何かしらのアレゴリーがあると考えるのが普通です。

そういう意味で、本作『軽い男じゃないのよ』は、明らかにジェンダー的な「アウェアネス(気づき)」を狙っているのは明確です。そのため、『ワンダーウーマン』のようなあからさまなファンタジーと違って、非常に自然に今の社会構造をそのままに男女だけをコロッと逆転させています。この手際が鮮やかですよね。

主人公ダミアンは、普段から男尊女卑を体現するかのような振る舞いをする、ダメな(そしてどこにでもいる)男。そんなダミアンが“女尊男卑”の世界に迷い込んだことで、初めて痛感する“違和感”。

やたらと「可愛い」やら「セクシー」やらと容姿や服装へのコメントをされる。露出度を気にしなくてはいけないファッション。もちろん、毛がボーボーなんて論外。「か弱い腰を痛めるよ」なんて常に弱者扱い。職場では常に添え物的なポジションでついていくのにいっぱいいっぱい、昇級など夢のまた夢。性にいたって、完全に“女”の欲求を満たすための道具みたいなもの。毎日24時間連続して繰り返される「ジェンダーギャップ」という名の拷問に精神は崩壊寸前。

この作品ほど、男女で観たときの感覚が変わる映画もないのではないでしょうか。

軽い男じゃないのよ

本当に差別は良くないと思ってますか?

この作品は単に男が女の立場になっただけでなく、ダミアンがもともと女性差別的な人間だったからこその着眼点で物語が展開するなど、工夫があって面白いです。アレクサンドラに言い訳されたときの「そのセリフは私も良く使った」という返しは彼ならでは。

しかし、本作が凄いのはそれだけでありません。何よりダミアンが劇中でマスキュリストとしてマスキュリズム団体に参加して男性差別の撤廃を訴えていく流れは、彼が本当に差別が嫌でそういう行動をとったのか、それともあくまで以前の男性史上主義を引きずってのことなのか、わからないというのがユニークですよね。

つまるところ、この映画は単純な「差別は良くない」という正論だけを振りかざしたポリコレ作品ではないのでしょう。「差別は良くない」という感情の根源にあるものが、「他者への思いやり」なのか、それともはたまた「自分の属するモノにパワーが欲しい」だけなのか、その違いって実は大きいと思うのです。これは現代のフェミニズムなどマイノリティ・ムーブメントに釘を刺すメッセージ性もありますよね。なかなかこういう「既存のマイノリティ運動に異議を唱える」ことは世間では言えないものです。言ったら差別主義者と思われかねないですから。それを踏まえて、本作はさらなる「アウェアネス(気づき)」を付け足してくれるのですね。

「男=悪」のような説教臭いもしくはあまりに単純化した勧善懲悪な話にはしない…差別は、元来の性質で起こるのではなく、立場の違いで起こるのだという事実をシンプルに表現した、SFとして非常に良質な作品だと思います。

個人的には本作のように、想定できるさらに一歩先の別次元から疑問を投げかけてくる作品は、最高のSFだな…と満腹中枢が反応するのですよね。

「性別」という呪い

私が本作を観ていて「おおっ!」となった場面は2つ。

ひとつは、アクレサンドラに連れられてダミアンが入りこんだ秘密クラグ「RV」。そこには明らかにこの世界ではマイノリティと思われる人が集まっているのでした。スカートを着ている女性 髭の男性が周囲を気にせず発散する光景。観客である私たちにとっては普通のはず。なのになんでしょうか、この解放感。疑似的に観客をマイノリティの気分にさせる、非常に巧みな誘導ではないでしょうか。

そして、二つ目はラスト。頭を打ち、目を覚ましたアレクサンドラがいたのは、男性優位の世界。立ち尽くし、驚くように街を見渡す彼女の目の前には、女性解放の行進。普通、こういう異世界SFは元の世界に戻って来たら嬉しいものなのですが、最後の最後まで観客に強烈な違和感を与えるという、周到な構成。なんだかどっちの世界にも馴染めないので、完全に取り残された気分になりました。

ダミアンが劇中で言う以下の言葉が印象的です。

「性別を忘れられないのか」

本当になんでなのでしょうか…。

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↑『軽い男じゃないのよ』を観て思い出したのが『帰ってきたヒトラー』。現代にヒトラーがタイムスリップしてくる話ですが、SF要素を上手く使った風刺の棘が似ているような…。
(C)Netflix