キアヌでもやってはダメなことがある…映画『レプリカズ』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。
製作国:アメリカ(2019年)
日本公開日:2019年5月17日
監督:ジェフリー・ナックマノフ
レプリカズ
れぷりかず
『レプリカズ』あらすじ
人間の意識をコンピュータに移す実験成功を目前にした神経科学者ウィリアム・フォスターは、最後の一歩のところで研究に行き詰まっていた。このままでは苦労が水の泡になる。そのうえ、突然の事故により最愛の家族4人を一度に亡くしてしまうという悲劇に見舞われる。失意の中でフォスターは禁忌を犯すことに…。
『レプリカズ』感想(ネタバレなし)
キアヌが酷い目に遭うシリーズ
なんでキアヌ・リーヴスはいっつも不幸な目に遭うの…?
いや、別にいつもではないのですけど、酷い目に遭うときはとことん酷いのが彼の宿命じゃないですか。最近だと『ノック・ノック』が最悪のピークかなと思っていましたが(『ジョン・ウィック』は酷い目に見舞われても反撃しているので、まあ、良し)、本作『レプリカズ』もなかなかに最悪体験をしているキアヌが見られます。
どれくらい最悪かというと、まず自分の職場である研究所で進めているプロジェクトが上手くいっておらず、このままだと研究者としてのキャリアがパーになってしまうというギリギリ崖っぷちの状況まで追い込まれています。凡人ならこれだけで精神がすり減って絶望して死を選ぶ人もいるかもしれません。なんだろう、どんなに残業しても残業しても片づけられない仕事の山みたいな…。ああ、考えただけでも地獄だ…。でもそこはキアヌ・リーヴス。なんとか耐えて今度こそはと頑張ります。
そんな健気な人間に容赦のない追い打ちをかけることがあると思いますか。あるんです。
仕事がダメでも家に帰れば無償の愛で支えてくれる家族がいる。この笑顔に囲まれていればツラいこともへっちゃら。そう思っていたら愛する妻と子どもたちを交通事故で失います。妻と子は即死、一緒に車に同乗していた自分は平気。ああ、主人公体質だから生き残ってしまった自分が憎い…(そうじゃない)。
こうなってくるとさすがのキアヌ・リーヴスもほぼ心神喪失の状態。仕事とか、もうどうでもいいです。これが殺人事件で殺されたなら、きっとその犯人を銃ひとつで殺しにいき、関係する犯罪集団を八つ裂きにして壊滅する『ジョン・ウィック』展開が待っているところなのですが、今回は事故。憎むべき相手もいない。
この絶望に打ちひしがれたキアヌの顔を私は何回、映画で見ただろうかとか、しょうもないことを思っていると、当の本人はあるアイディアが咄嗟に頭をよぎっていて…。それは自分の上手くいっていない研究と、家族の死を結び付ける禁断の手段。たぶんこの主人公の脳内では天使のキアヌが“それは絶対にやってはダメだよ”と囁き、悪魔のキアヌが“いいぞ、やってしまえ”と囁く…そんな感じだったのでしょう。そして、その倫理的な一線を超える行為に手を染めてしまうのです。
一応、その『レプリカズ』の本筋となる“行為”についてはネタバレ回避のためにボカしましたけど、公式サイトなどの宣伝では割と触れているので、そこはたいした気にしなくてもいいかもしれません。まあ、あのSF映画とかにそっくりな展開ですよね。別に珍しいほどでもないです。
相変わらずキアヌ・リーヴスが好きそうなネタですよ。この俳優、やっぱりこういうオタクっぽいSFがいくつになっても好きなんだなぁ。それだけで好感が持てます。
『レプリカズ』の監督は『デイ・アフター・トゥモロー』で脚本を担当した“ジェフリー・ナックマノフ”、脚本は『エンド・オブ・キングダム』の“チャド・セント・ジョン”、製作は『トランスフォーマー』シリーズの“ロレンツォ・ディ・ボナベンチュラ”。この座組で察してください。ええ、かなりの“大味乱雑”映画ですとも!
アメリカ公開時は批評家&観客双方から低評価の嵐でしたが、まあ、ね。それも無理もない。でもいいんだ、キアヌ・リーヴスが満足しているなら(温かい眼差し)。
本作は企画当初はターニャ・ウェクスラーという、以前に『ヒステリア』という映画(女性に使う電動バイブレーターを開発した逸話を描いた異色の作品)を撮った女性監督にメガホンをとってもらうことになっていたらしいです。これは私の勝手な想像ですけど、企画初期から公開完成版はかなりコンセプト自体ガラッと変更したのではと勘繰りたくなるほど、定番な大味SFになっています。
ぜひ鑑賞する際はですね、キアヌ・リーヴスの困っている顔が見たいくらいのドMな感情で気楽に観てください。
オススメ度のチェック
ひとり | ◯(SFマニア向け) |
友人 | △(SF好き同士で) |
恋人 | △(キアヌ・リーヴス目当てで) |
キッズ | △(SFに興味のある有望な子に) |
『レプリカズ』感想(ネタバレあり)
アンドロイドの受難とコンプレックス
いきなり映画本編とは逸れる話をしますけど、ロボットに関する認知研究では「人間はロボットに対して心理的不安感や攻撃性を抱く傾向がある」と言われているというのを目にしました。その理由は諸々で、そのひとつには似て非なる存在ゆえに「フランケンシュタイン・コンプレックス」が働くからだという指摘もあります。これは“創造することの憧れ”と“創造物に脅かされるのではという恐怖”が複雑に入り混じることを指します。
このコンプレックスは現在もまさに大きな関心事で「AI」がまさにそれですね。AIの発達は人類社会にプラスになるのか、はたまたマイナスになるのか。その恐れは理性的でロジカルなものなのか、それとも誇大妄想的なパニックにすぎないのか。
映画でもこの問題は常にSFの題材になり続けており、とくにITの発展がそのテーマをより身近にしています。
『レプリカズ』の場合は単にアンドロイドを作るだけでなく、そこに実際の生きた(生きていた)人間の記憶や意識を移すという、さらに踏み込んだテーマです。とはいっても、すでに他の映画でもやり尽くされている感が否めず、タイトルを挙げるとキリがないです(ただ作品名を書くとネタバレだと怒る人もいるので伏せておきます)。アンドロイドに人に意識を移すのと、人を意識だけ生かして体をロボット化することが、限りなく等しいものだと考えるなら『ロボコップ』とかも該当しますね。
本作ではプエルトリコにある秘密研究施設で神経科学者のウィリアム・フォスターがその研究リーダーとして着手している姿から始まります。死んだばかりの遺体をアンドロイドにつなげて(このアンドロイドがスティーヴン・スピルバーグ監督の『A.I.』に出てくるロボット以上にテンプレ感あるのがなんか逆にシュール)、さっそく意識を移す研究チーム。アンドロイドは意識をもってしゃべりだし、成功かと思いきや、自分の状況を認識できないのか、狂ったように暴れ出して…。どうやら意識は移せる技術は確立しているみたいですが、心理的なプロセスのエラーで定着はせずに自我崩壊するようです。
ここでいろいろツッコミたい部分はありますよ。なんで犬とかチンパンジーとかで実験しないんだとか。まずはそこから成功させて次につなげるものだろうし、あの問題点はわざわざ人間を被験体にしなくても発見・分析できるでしょうし…。この研究チーム、大丈夫なのかと…。
まあ、でも、いっか(受け入れ)。ほら、残業で追い込まれていたんだよ。しょうがない。
そんなこともできるんですか
しかし、『レプリカズ』はここで予想外の衝撃を追加でお見舞いしてきます。
てっきりこのアンドロイドに交通事故で死んだ家族の意識を移すものだと思ってました。ところが、ここでおもむろに登場する「クローン体」の存在。家族と瓜二つの人間(レプリカ)に意識を移すことを成功させてしまうウィリアム。
えっ、人間のクローンボディが用意できちゃうの? しかも任意の本人とそっくりなやつを。それって…意識の転送以前に、人間のクローン体を作れちゃうこと自体が科学革新じゃないですか。この研究所、それだけでトップクラスの注目を浴びて、大儲けできますよ。なんだったんだ、さっき残業がどうとか同情した自分は。この気持ちはあれだ、宿題はやっていないと思っていた友人が夏休み初日にとうに宿題を全部終えていて差がつかれていたときの、そんなショックだ。キアヌ、お前、やっぱりできる男なんじゃないか…。
その軽いショック状態の私は放置するとして、お話は次のテーマに進みます。
ここでウィリアムに立ちはだかった難題。それはクローンボディはなんでかはよく知りませんが「3体」しか用意できないということ。死亡した家族は4名。ひとりは見捨てるしかない。
家族の内誰か1人を諦める苦渋の決断を迫られたウィリアムはまたしても絶望。でもやるしかないので、紙にそれぞれの名前を書いて“くじ引き”。結果、幼いゾーイの名前が選ばれるのでした。
ただ、ゾーイがいないことが発覚すると不都合が生じるので、ゾーイの記憶を消して新しい脳のマッピングをアップロードし、他の蘇る予定の家族の脳に存在するゾーイの記憶を消去するウィリアム。ここで“そんな記憶の都合のいい書き換えができるのか”とまたしてもサラリと登場した科学革命になりうる要素にまたも困惑ですが、はい、もうスルーです。ちなみに意識データを抜きだす方法も、先端恐怖症の人には絶対無理なやたらと恐ろしい方法だったり、“わけわからん”状態ですが、私は考えるのをやめました。
これでゾーイは初めから“いなかったこと”に。泣きながらゾーイが存在していた痕跡を家中から消すウィリアムが悲痛。いよいよ起動したレプリカの家族は、翌朝、全員が何事もなかったかのように朝食を食べていたのでした。
この「男が禁忌を犯して、愛する女性に秘密を抱えて、関係性を維持する」というシチュエーション。アンドロイドは全く関係ないですが、最近の映画だと『パッセンジャー』に近いものがありますね。
なんかここまでの感想だと不満たらたらのように思えるかもしれませんが、私は結構普通に楽しんでいます。とくにこういう人間が“やってしまった”系な一線を超えるタイプのお話は大好物です。
この手の映画の問題はどうオチをつけるかっていうことなんですけど…。
結局はキアヌですから
しかし、製作陣のシナリオライターはこのオチに至るまでの心理的葛藤とかとりあえず置いておこうと思ったのか、後半からは割とキアヌ・リーヴス作品でよく見るアクション方向にだんだんと傾倒していくのでした。
レプリカの存在が会社にバレてしまい、いつもの“追われる”キアヌに。ここで襲ってきた者たちを“俺はキアヌ・リーヴスだぞ”と言わんばかりにボコる姿が勇ましい(あの、暗殺者とかやっていました?)。
家族に問い詰められ、意外にあっさり真実を吐露してしまうウィリアムの精神力の弱さもあれですが、それはひとまずさておき、今は迫る危険の回避が優先。家族を連れて家を脱出し、車で逃走。見事なドライビング・テクニックを披露し、やっぱりキアヌ・リーヴスじゃないかと観客もひと安心(なお、忘れそうですがこの人、交通事故で家族を亡くしたのが騒動の発端です)。
電気心臓マッサージで自分の体にあるトラッカーを機能不能にしたりと、もう怖いものなしのアグレッシブさで追っ手を振り切るウィリアム。しかし、努力も虚しく残念なことに捕まる家族。絶体絶命のとき、救ってくれたのはウィリアムの意識をコピーして移行されたアンドロイド「345」。疑似的キアヌ・リーヴスみたいなものだからか、めちゃくちゃ強く、敵を圧倒するアンドロイド「345」は“ここまは任せて先に行け”とカッコいいポジションで見せ場を堪能するのでした。
それから数日後。浜辺には家族と、そこに歩いてくるウィリアム。その手には元気なゾーイの姿が。
はい、オチは“まあ、いいか”エンドです。いや、いいのか? うん、いいか…。
ちなみにキアヌ・リーヴス本人は娘を死産で失った経験があるんですよね。と考えると、このストーリーも、演じているキアヌ自身はかなり思いもひとしおなのかもしれませんが、逆によく出演できますよね。やっぱり懐が広いなぁ…。
一応、アンドロイド「345」が生き生きしている姿も描いていましたけど、家族を選んだキアヌと仕事を選んだキアヌに分離した感じですかね。アンドロイド「345」はきっと裏社会を暗躍して大物になるのでしょう。まさかここから『ジョン・ウィック』につながるとはね(嘘です。勝手にクロスオーバーしました)。
そんなあっさり風味のキアヌ映画でした。
こってりなキアヌ映画である『ジョン・ウィック』最新作も今後待っていますから、その繋ぎには良いのではないでしょうか。個人的には『ビルとテッド』の続編が楽しみです。酷い目にも遭わない、ひたすらアホに突っ切ったキアヌ・リーヴスが見たい…。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 10% Audience 38%
IMDb
5.4 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 3/10 ★★★
作品ポスター・画像 (C)2017 RIVERSTONE PICTURES (REPLICAS) LIMITED. All Rights Reserved.
以上、『レプリカズ』の感想でした。
Replicas (2019) [Japanese Review] 『レプリカズ』考察・評価レビュー