ネバーランドにさよならを
Netflixドキュメンタリー映画『ネバーランドにさよならを』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Leaving Neverland
製作国:イギリス・アメリカ(2019年)
日本では劇場未公開:2019年にNetflixで配信
監督:ダン・リード

ネバーランドにさよならを

あらすじ

圧倒的なパフォーマンスと音楽的才能で世界中を虜にして伝説となったマイケル・ジャクソン。彼は以前、児童性的虐待の容疑をかけられたが、一緒にいた子どもの証言もあって罪にはならなかった。それから十数年後。その当時に擁護する証言をした子どもだった人物が「自分も性的虐待を受けた」とかつての証言を覆したため、再び世間は衝撃を受ける。

ネタバレなし感想

死後も世間を騒がせる“スター”

映画はその内容をめぐってたびたび論争になることがあります。とくにドキュメンタリー映画は、そもそも題材がコントロバーシャルなものを設定していることが多いため、作品外で論争が勃発するのは日常茶飯事です。最近だと、慰安婦問題を扱ったドキュメンタリー『主戦場』が右翼系の人たちの批判の的となり、訴える動きも見られるなどヒートアップしているというニュースを目にしました。まあ、ドキュメンタリーはこうやって場外乱闘してくれる方が宣伝になるので、結果、製作陣の思惑どおりだったりするのですけどね。

そんな中、2019年3月、あるドキュメンタリー作品がアメリカでとんでもなくメラメラと大炎上しまくっていました

それが本作『ネバーランドにさよならを』です(原題は「Leaving Neverland」)。このドキュメンタリーは、世界で最も有名な歌手、ダンサー、アーティスト、いや“エンターテイナー”というべきでしょうか、あの今は亡きマイケル・ジャクソンがかつて児童への性的虐待をしていたという告発で問題視された…その事件を扱っています。

たぶんそれを聞いて「なんで今さら?」と思うでしょう。マイケル・ジャクソンの児童性的虐待疑惑は1993年と2003年に浮上し、世間の注目を浴びる中、それぞれ示談と無罪判決で収束しました。だからもう終わったことじゃないかと思うのも当然。今さらそれをドキュメンタリーの題材にしても何か興味深いことでもあるのかという話です。

ところがその“何か興味深いこと”があるのです。実は1993年の児童性的虐待疑惑の際に「そんな事実はない」とマイケル・ジャクソンに有利な発言をした子どもがいました。その子はマイケル・ジャクソンのお気に入りの子であり、彼とつかず離れず一緒にいたので非常に有力な証言としてメディアでは取り上げられました。

しかし、その子が大人になった今、なんと「当時の発言は嘘で、本当は自分も性的虐待をされていた」と証言を覆したのです。

『ネバーランドにさよならを』はその子どもだった「ウェイド・ロブソン」と、その衝撃的なカミングアウトに触発されて自らも同様の性的虐待を告白した「ジェームズ・セーフチャック」という2人の男性の告発を題材にしています。

案の定、これは大論争に。製作はイギリスの放送局「Channel 4」とアメリカの「HBO」なのですが、放映日からそれはもうてんやわんやの大騒ぎ。マイケル・ジャクソンの遺産管理財団は賠償を求める訴訟を起こし、一部のファンは激昂して過激なネガティブキャンペーンを展開。このドキュメンタリーはデタラメだと、あらゆる手段で情報戦争が勃発したのです。それ以外にも、もし児童性的虐待が事実なら、マイケル・ジャクソンの曲使用は自粛すべきなのかなど、各方面に議論は拡大。

そんな理由もあって『ネバーランドにさよならを』について冷静なレビューを見つけ出すのも若干大変ですし、これは日本では公開されないのでは?と思っていたのですが、Netflixで配信されました(怖いものなしだな、Netflix…)。

ドキュメンタリーにはいろいろなタイプのものがありますが、『ネバーランドにさよならを』は性犯罪を扱うドキュメンタリーにありがちな、いわゆる“告発型”です。ただ、少し特殊なのは、本編丸ごと全部が性的虐待を語る被害者の言葉で構成されているということ(終盤に少しだけメディアの反応が映る程度)。同じ性犯罪を扱った『ハンティング・グラウンド』や『日本の秘められた恥』は専門家や容疑者側のコメントなど、ある一定の客観性を担保しているものが多いですが、『ネバーランドにさよならを』はそんな要素はゼロという、思い切った作りなんですね。
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しかも、本編は全部で4時間近くあるのです(PART1とPART2に分かれています)。それが全部、被害者の言葉(被害者の家族も含む)というのはなかなかのインパクトです。

これをもって「中立性や客観性に欠陥がある」という批判もできますが、そもそもこのドキュメンタリーの目的は何なのかという部分が結構大事だと私は思います。きっと本作は「どれ、性的虐待があったと言っているらしいけど、信頼できるのかな?」という下世話に首を突っ込む感じで鑑賞する人がわんさか寄ってくる作品でしょうが、たぶんそういう人の期待には応えません。

さっきから“告発”と書いてしまいましたが、本作は「これこれこういう風に性的虐待がありました。その証拠はこれとこれです。Q.E.D.」…みたいな寸分の隙もなく犯罪を立証するためのものじゃないと思いますし、おそらく作り手もそれを意図していません。なにせ容疑者は故人ですし、昔の出来事なので検証など不可能に近いです(それこそタイムマシンがいる)。

じゃあ、何が目的なのか。

それは私の言葉で表現するなら「性的虐待を受けてこれまで生きてきた、その苦悩や葛藤を吐露する」というカウンセリング的な意味合いが強いのじゃないかなと。

そしてこのドキュメンタリーが興味深いのは、それを通して児童性的虐待の根本的本質が見えてくるからです。決してマイケル・ジャクソンを批判したい怒りが先走った作品ではありません。逆になぜマイケル・ジャクソンは愛されるのか(狂信的なほどに)、その理由すら見えてくるような…。

一応、あらかじめ示しておきますが、私はマイケル・ジャクソンの熱狂的なファンではないですが、ドキュメンタリー『THIS IS IT』を見たりして、彼のエンターテイナーとしてのカリスマ性に感服するほどの尊敬はしています。そして、私はこの『ネバーランドにさよならを』の制作意図を汲んで、「性的虐待の事実はあったのか」という真偽を他人事に“検証ごっこ”する気は毛頭ありません。ただ、このドキュメンタリーの内容と場外での炎上騒動を通して思ったことを“感想”として書くだけです。

それを踏まえて気になる人はぜひ本作をその目でご覧になった後、以降のネタバレありの感想を読んでみてください。

オススメ度のチェック
ひとり◎(子持ちの人にはツラい)
友人◎(議論のネタにはなる)
恋人△(喧嘩の原因になるかも)
キッズ×(子どもへの犯罪を扱うので)

予告動画






↓ここからネタバレが含まれます↓





ネタバレあり感想

知りたくなかったネバーランドの裏側

『ネバーランドにさよならを』はマイケル・ジャクソンから子どものときにされたという“性的行為”の実態が非常に生々しく語られていきます。しかも、4時間も。なので観終わった後は、すっかり気分はブルー。でもたった4時間です。当人はほぼ人生全てをその記憶を反芻しながら生きていると考えれば、4時間程度でグダグダ言っている場合じゃないですね。

言ってしまえば、実質、観客は裁判の陪審員になったような気分です。この感覚は同じく告発ドキュメンタリーである『ストロング・アイランド』でも味わいましたね。
『ストロング・アイランド』感想(ネタバレ)…不愉快だと思う人は見なくても結構です
まずはマイケル・ジャクソンとの出会いから始まります。ウェイド・ロブソンは幼少期、マイケル・ジャクソン完コピなダンスパフォーマンスを評価されて直々に指名されてステージで伝説の人と一緒に踊るという体験。ジェームズ・セーフチャック(ジミー)は、ペプシのCMで出会い、それをきっかけに夕食に招かれ、家族ぐるみで親密な関係に。

二人ともただのどこにもいる子どもだったのが、あの天の人に導かれ、世界が一変。豪華なホテル、遊園地の貸し切り、数百ドルのお小遣い、著名人の紹介、ツアーの同行…もちろん熱狂的なファンの視線も注がれる。

それの見返りのように、マイケル・ジャクソンは親抜きで子どもと二人っきりで過ごす時間を求めるようになり、一緒のベッドで寝て、自慰、キス、ポルノ鑑賞、フェラ、オーラル、アナル…。あまりにも当たり前のことのように“その行為”を語る二人。“その行為”を「愛の表現」と語ったという、“子ども”から見たマイケル・ジャクソンの姿。バレないように誤魔化す練習や、血の付いたパンツを処分させるなど、子どもに共犯関係を構築するような、歪な関係性

それだけでなく、自分の居場所が他の新しい子どもに奪われたときの疎外感。不利な立場になった時だけ、連絡をしてくるというマイケル・ジャクソンの一方方向な繋がり。

「マイケル・ジャクソンと子ども」というは、内部関係者でなくとも、彼のアイデンティティとして大衆に認知されていましたが、その綺麗なイメージとはかけ離れた、絶対に知りたくもない裏側が淡々と“怒り”などの感情抜きに語られるのでした。

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神を疑えない信奉者たち

『ネバーランドにさよならを』は誰が見てもツラい作品ですが、とくにマイケル・ジャクソンのファンは正視に耐えないものだと思います。一部のファンは激昂して過激なネガティブキャンペーンを展開したと前述しましたが、それも賛否はともかく、理解できるなと私は思うのです。それは“ファンだから”とかそういう意味ではなく、もっと根深い視点で。

映画評論家の町山智浩氏が本作に関して、映画『スポットライト 世紀のスクープ』で題材になっていた神父による児童性的虐待事件に通じるものがあると言及していましたが、私もまさにそのとおりだなと。
『スポットライト 世紀のスクープ』感想(ネタバレ)…他人事じゃない
『スポットライト 世紀のスクープ』では神父による児童性的虐待事件について記者が取材していくのですが、最初、記者もキリスト教を信仰しているため、どんなに被害者の声を聞いても納得できず、“まさかそんなことが”と事件を信じ切ることができずにいるという描写があります。

で、この『ネバーランドにさよならを』に対して露骨に反発する一部のファンもまさにそれとそっくり同じ態度なんですね。つまり、マイケル・ジャクソンは「神」です。自覚しているかどうかは別にしてファンの中には“好き”とかを通り越して“神格化”の領域にまで突っ込んでしまっている人もいます。

なので、神を疑うなんてするわけもありません。むしろ、なんとしてでも肯定しようとしたがります。それは本作に対するあからさまにチープな、もしくは破綻した批判意見が見られることからもよくわかります。

例えば、本作は復讐や私怨による告発に過ぎないという批判はただのセカンドレイプなので論外。お金目当てだという意見も同様(今回の被害を告発した人は告発したことで明らかに不利益を被っていますから。ちなみに今回の一件でマイケル・ジャクソンの曲の売り上げがアップしたという皮肉なこともあったとか)。

私が驚いたのは、普段は映画好きの人が、本作に対して「裁判が終わったのにこんな作品を作るのは間違っている」と主張していること。でもよく考えなくても無茶苦茶な理論です。なぜならだったら歴史映画は全部作れないことになってしまいますから(歴史的事件はたとえナチスでも全てが裁判で白黒ついてはいないですし)。別に10年後でも100年後でも1000年後でも、どんな題材を作品にするのは自由。創作の自由をベースにした映画製作の在り方の基礎中の基礎のはず。

どうしてこんなダブルスタンダードを平然と良しとしてしまうのか。それこそまさに“神格化”している証拠なんじゃないでしょうか。神を疑うくらいなら、“神を疑う人”を疑う方が楽です。

本作は一種の踏み絵みたいなものですよね。

鏡で跳ね返る神格化の呪い

じゃあ、マイケル・ジャクソンを神格化するファンは愚かで滑稽だと言いたいのかというとそうではなくて。

というのも、作中のウェイドやジミー少年、そしてその家族もまた、「マイケル・ジャクソンを神格化するファン」だったから。

つまるところ、本作をめぐって告発者を非難する一部のファン…という構図は言い換えると「今もマイケル・ジャクソンを神格化するファン」が「かつてマイケル・ジャクソンを神格化していたファン」を批判しているとも言えます。要するに“内ゲバ”的です。

これは『チャナード・セゲディを生きる』でも見た光景ですね(ネオナチのリーダーがユダヤ人だと判明し、かつての仲間に袋叩きにされる)。
『チャナード・セゲディを生きる』感想(ネタバレ)…元ネオナチのユダヤ人に居場所はあるか
加えて忘れてはならないのは、ウェイドやジミー少年はマイケル・ジャクソンの性的虐待容疑を庇っていたということ。性的虐待の嫌疑が最初にかけられたとき、有利な証言をした子どもとその家族。当時の考えを作中で語っていましたが、「金と売名目当ての親が悪い」というマイケル・ジャクソンの言葉を聞いて「何て素晴らしい人だ」と逆に称賛の気持ちを強め、「大人の男が少年と寝るとは不自然なのはおかしいと思いませんか?」という記者の質問に「彼の生い立ちを考えれば理解できます」と断言して擁護。まさに今、『ネバーランドにさよならを』を批判する人と瓜二つです。

しかも。ウェイドやジミー少年が性的虐待の被害者になってしまったのも、神格化のせいだという事実も重たいです。『ジェニーの記憶』でも描かれていたとおり、認知力の乏しい子どもが誰かを神格化するのは難しくありません。
『ジェニーの記憶 The Tale』感想(ネタバレ)…この物語は私の知る限り事実です
ましてや今回の場合は近所のおじさんではなく、マイケル・ジャクソンです。老若男女誰でも神格化するでしょう。

結局、本作は「鏡」みたいなものなのではないかなと。本作をファンが観ることで、自分が“加害者よりも危険な加害者擁護集団になる怖さ”と、さらには“被害者になってしまう怖さ”…この2つを突きつけます。いや、ファンだけをどうこういうべきではないですね。ファンではない私ですらマイケル・ジャクソンをいつのまにか特別視していましたし、本作を観てバツの悪い思いをしましたから。

同時に神を疑うことの難しさも考えさせます。“あの人”は「神」ではなく、ただの「アーティスト」であり、ただの「人間」であり、「性欲のある人」であり「利権のある人」であり「弱い人」だった。こういう神聖化と真逆のことをできるかというのは、大きな問題です。

今回は著名なスターの話でしたけど、何を神聖化しているかは人によって違うはず。政治家もありうるし、映画好きなら映画監督や俳優もありうる。人だけでなく、モノや主義もある。自分自身ということも。

私たちは神聖化したものを疑えるのか、それはどのタイミングで直面するかわからない人生の試練かもしれません。そして、神聖化されることは当人にとって幸せなのかとも思索に耽る…そんな鑑賞後の気分。

少なくとも言えることはひとつ。当時、マイケル・ジャクソンが愛すべきと言葉や歌で語った「子ども」…そんな大人になった子どもたちに今や平気で罵詈雑言を浴びせる今のマイケル・ジャクソンの過激化したファン。その状況を見る限り、現在、この世界には子どもが愛される真の“ネバーランド”は存在しない。神格化だけが残った現状では、あの名曲が謳う平等な愛溢れる世界は実現しそうにありません。

ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 98% Audience --%
IMDb
7.1 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 8/10 ★★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)HBO