天才作家の妻 40年目の真実
映画『天才作家の妻 40年目の真実』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:The Wife
製作国:スウェーデン・アメリカ・イギリス(2017年)
日本公開日:2019年1月26日
監督:ビョルン・ルンゲ

あらすじ

作家として名高いジョゼフがノーベル文学賞を授与されることになり、ジョゼフと妻のジョーンは息子を伴い、ノーベル賞の授賞式が行われるストックホルムを訪れる。しかし、そこでジョゼフの経歴に疑いを抱く記者ナサニエルと出会い、夫婦の秘密について問いただされる。

ネタバレなし感想

夫婦、必見。でも気まずい?

「セルマ・ラーゲルレーヴ」という作家をご存知でしょうか。

スウェーデンの女性作家で、昔のスウェーデン紙幣の20クローナには彼女の肖像と代表作である「ニルスのふしぎな旅」のニルスが描かれていました。ちなみに全然話が変わりますが、2015年から発行の現スウェーデン紙幣の100クローナはグレタ・ガルボ(女優)が、200クローナにはイングマール・ベルイマン(映画監督)が起用されているんですよね。羨ましいなぁ…。

話を戻すと、このセルマ・ラーゲルレーヴは、1909年に女性で初めてノーベル文学賞を受賞した人物でもあります。文学の世界では古くから女性が活躍するのは非常にハードルが高いものでした。1800年代初めに若い女性だったメアリー・シェリーがゴシック小説「フランケンシュタイン」を書いたときも(最近『メアリーの総て』という映画で描かれました)、1900年代前半に執筆に勤しんだセルマ・ラーゲルレーヴのときも、それは変わりません。
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そして、クリエイティブな世界での女性特有の壁は現在も続いており、それは文学のみならず、映画界も同じです。私の雑な調査で申し訳ありませんが、2018年に公開された主な日本映画のうち女性監督の割合は数%でした。
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残念なことに「監督=男性の職業」というのが現状であり、それはアメリカも似たり寄ったりです。

このようにジェンダーがキャリアの障がいとなり、女性が冷遇され続けるなか、その現実さえも創作の原動力として巧みに物語化したのが本作『天才作家の妻 40年目の真実』です。

本作の内容は、現代文学で大変な功績をあげた初老の作家であるジョゼフという男が、ノーベル文学賞を授与されるという知らせを受けて、長年にわたってそのジョセフを“支えてきた”妻のジョーンと大喜びし、いざ授賞式が行われるストックホルムに向かうも、そこでこの夫婦のある真実が明かされる…という話。

予告動画とかを見ると、その“真実”がなんなのかはすぐに察することができると思いますが、重要なのは本作はその部分をオチとする映画ではないということ。その“真実”を中央に配置してこの夫婦が駆け引きをさりげなくしていく姿にこそ見ごたえがあり、本作はいわゆる「結婚・夫婦サスペンス」です。最近だと『ファントム・スレッド』がまさにそれでしたし、夫婦が初老という意味においては『さざなみ』という2015年のアンドリュー・ヘイ監督作を私は連想したりもしました。
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私は、模範的な良き結婚や夫婦を描いた作品(最近だと『モリのいる場所』など)よりも、こういう負の側面を痛烈かつ丁寧に踏み込んで描いた作品のほうが好きなので本作も楽しんで観れましたし、やっぱり世界の潮流から言ってもこのタイプの映画が求められているところはあります。

本作は批評家&観客からの評価も高く、とくに妻を演じた主演の“グレン・クローズ”には惜しみない称賛が贈られています。“グレン・クローズ”といえば、名実ともに大女優なのですが、なぜかアカデミー賞だけは受賞できないというジンクスのある人(他の賞はとっています)。『天才作家の妻 40年目の真実』で7度目となるアカデミー賞ノミネートになり、主演女優賞をいい加減あげてもいいじゃないかと思うのですが、まあ、ライバルはいるもので、どうなるやら。このまま今回も残念!となると「最も多くのノミネートを受けた無冠の女王」という全く嬉しくない肩書が手に入るかもしれないと聞くと、余計に可哀想です。ただ、本作のキャラクターにはその不憫さが合っているので複雑…。

賞の行く末はともあれ、素晴らしい名演が見れることには変わりありません。作中の夫婦の姿が、リアルな世界に点在する不特定多数の夫婦と重なった瞬間、気まずくなるのか、勇気をもらえるのか…それはあなたの立場しだいです。

予告動画






↓ここからネタバレが含まれます↓





ネタバレあり感想

食べる夫、食べない妻

本作は「結婚・夫婦サスペンス」だとは言っても、そこまでエンタメ的なジャンル映画に傾倒はしておらず、むしろ極力わかりやすい演出は排除して、役者の演技力だけで語るような、実に読み応えのある映画です。

そのため、本作の主人公であるキャッスルマン夫妻は一見すると理想的な仲睦まじい夫婦に見えます。しかし、冒頭からすでにこの夫婦には不均衡な歪みがあることが示されています。

夫と妻、男と女…その不均衡を描く象徴的な要素として幾度も挿入されるのが、食べ物のシーンです。冒頭、夜にベッドで眠りにつくジョセフとジョーン。ここでジョセフは小腹がすいたのか、ベッドに座り甘い物を頬張っています。ジョーンは寝ており、甘えるジョセフに付き合わされている構図です。何気ないシーンですが、全く同じ構図の場面は以降も何度も出てきます。

とにかく食べているジョセフ。授与式のためにスウェーデンへ向かう飛行機内では、ビスケットをパクパク。ホテルに着けば部屋に置いてあるスイーツをムシャムシャ。ノーベル財団主催の立食会の帰りのリムジンの中でもまたモグモグ

一方のジョーンは食べていません。そして、ジョセフが若い時も現在も、かつての妻の女性、今の妻であるジョーン、スウェーデンで出会った若い女性カメラマン、いずれにも与えた(与えようとした)のは「クルミ」。ペットのリスなのかな?

この歴然とした差が、本作における中心テーマであるジェンダー間の決して埋まることのない断崖のような亀裂を象徴しているようです。

ジョーンはジョセフのゴーストライターとして長年支えていた事実があることが判明するわけですが、もちろんジョセフ的には妻に感謝していないわけではないのでしょう。自分の才能が発揮できず、妻に頼った…そんな自分が恥辱的で惨めだったのかもしれません。でも別に共著というかたちにもできたのに、それをせず、主要な名声を独占し、妻には一抹の恩を示すだけというのは明らかに不公平。

ジョーンが授賞式で自分に感謝するというコメントはしないでくれとあれほど言ったのに、食事会で檀上で挨拶に立ったジョセフはぬけぬけと「名誉に相応しいのは妻です」と感謝の言葉を述べます(ジョーンにスポットがぽんとあたる演出が切ない)。ここでジョセフは理解していませんが(自分は良いことを言っている、夫が妻に感謝するのは当然と思っている)、結局はジョーンが“与える側”で妻が“おこぼれを受ける側”であることは同じ。このすれ違いは最後までずっと続きます。

よくありがちなベタな役割分担(夫は仕事、妻は家事のような)で夫婦の差を表現するのではなく、あくまで自然に映画的な演出で見せていくテクニックは本作の大きな魅力でした。

天才作家の妻 40年目の真実

過去、現在、未来の対比

演出が光る部分と言えば、夫と妻、過去と現在を対比させるシーンも随所にあって印象的です。

序盤にノーベル文学賞授与の一報を受ける電話のシーンは、ジョセフが先に受話器をとり、ジョーンが別の電話でそれを聴きます。一方、娘のスザンナからの出産の知らせを受ける電話のシーンは、ジョーンが先に受話器をとり、ジョセフが別の電話でそれを聴きます。いずれも互いの顔がカットバックするのですが、嬉しい事実を知るとき“だけ”はいつも互いに平等なんですね。これに関連するように、過去と現在パートそれぞれで、二人が手を取り合ってベッドの上でジャンプするシーンがあるのも同じ。問題はその後なんですが…。

また、対比シーンとして緊迫感があるのは、記者のナサニエルがジョーンひとりを相手に“夫婦の真実”にじわじわと踏み込んでいく会話パート。この一連のシーンでは、同時にジョセフが授与式のリハーサルをしている場面が展開されます。ジョーンはナサニエルに鋭い質問をされるも、タバコをふかして今までにない自信に満ち溢れた顔をしています。対する、ジョセフは心臓のせいか体調不良で退席。ここの「妻が好調になると、夫が不調になる」というパワーバランスを示す演出は、『ファントム・スレッド』にも通じるものがありましたが、やはり夫婦の本質なんでしょうかね。

あとは忘れられない重要な対比シーンは、今と未来を映すもの。おそらくこれは原作にはない映画オリジナルの要素として活かされています。

例えば、キャッスルマン夫婦の子どもであるデヴィッドとスザンナ。デヴィッドは作家を志望するのも上手くいっておらず、スザンナは妊娠して“母・妻”の道を進んでいる…いわばキャッスルマン夫婦と同じコースを辿っているように思えます。でもジョーンは、そうならないようにさりげなく補佐しているんですね。

親子と言えば、ジョーンの学生時代を演じた“アニー・スターク”は“グレン・クローズ”の実の娘なので、あの過去パートも、深読みすると未来的な意味合いも帯びてくる、非常に意味深なシーンになっていますね。

他にも、あの若い女性カメラマンがクルミを受け取らないというのは、“もうその手は通じませんよ”という一種の今の時代のジェンダー価値観の突きつけともとれます。

「夫婦」を創ったのは誰なのか

本作は最後に真実が大衆にさらされて苦しんだものが救済されるなんていう、紋切り型のカタルシスなんてありません

終盤、激しい口論のすえ、ジョセフの容態が悪化。そのまま息をひきとったジョセフを何とも言えない神妙な顔つきで見つめるジョーン。

そこからの帰りの飛行機の場面。ナサニエルを追い払い、デヴィッドとスザンナに全てを話すと約束したジョーンは、白紙をなぞりながら画面のこちらに目をじっと向けます。これは何を意味するのか。私は、あの目は妻の目じゃないと思います。クリエイターの目です。なぜなら創作意欲を刺激するにはじゅうぶんの体験をしたのですから。そして、この「夫婦」をいましがた観ていた観客という存在もまた格好の題材のまとであって…。

本作は、夫婦のジェンダー格差を描きながら、社会派映画におさまらず、そこに加えてひとつの作家的な問いかけを観客に投げかけます。夫が妻を作るのか、妻が夫を作るのか…「夫婦」という存在の創作者は誰なのか。

「夫婦」という物語の最終章を執筆するのが創造神なのだとしたら、その答えは画面に映っていたはずです。

本作の名演を評価され、第76回ゴールデン・グローブ賞で主演女優賞(ドラマ部門)を受賞した“グレン・クローズ”はこうスピーチしました。
私は今、母のことを思っています。母は父のために、彼女の人生の総てを捧げていました。そして母は80歳の時に私に「私は何も達成していない気がするの」と言いました。でもそれは間違っている。女性は子供を産み、良い伴侶を得ることを期待されるけれども、私達女性は、自分たちで満足できる人生を見つけ、夢を追いかけるべきです。そして私達は、それが出来る、それが許されるべきだと言うべきなのです。
とりあえず夫の皆さんは「妻に感謝しています」なんて定型文を使う前に、自分の妻が“ひとりの人間”として自己実現に満足できる人生をおくっているのか、そのことを考えてみませんか。

ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 84% Audience 78%
IMDb
7.3 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★

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