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映画『時々、私は考える』感想(ネタバレ)…死とカッテージチーズの空想にふける

時々、私は考える

死とカッテージチーズの空想にふける…映画『時々、私は考える』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:Sometimes I Think About Dying
製作国:アメリカ(2023年)
日本公開日:2024年7月26日
監督:レイチェル・ランバート
自死・自傷描写 恋愛描写
時々、私は考える

ときどきわたしはかんがえる
『時々、私は考える』のポスター。主人公の空想を映したデザイン。

『時々、私は考える』物語 簡単紹介

オレゴン州アストリアの閑散とした港町。フランという若い女性は、職場と自宅を往復するだけの刺激のない日々を淡々と過ごしていた。友人も恋人もおらず、職場でも会話はほとんどしない。そんなフランにとって時折頭を埋め尽くすのは自分の死の空想であった。生気を失いきった自身のイメージが脳裏に焼き付く。ある日、新しい同僚ロバートが気軽に話しかけてきて、ささやかな交流が始まっていく…。
この記事は「シネマンドレイク」執筆による『時々、私は考える』の感想です。

『時々、私は考える』感想(ネタバレなし)

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「Dying」について考える

私は映画の感想をこうやってウェブサイトに記事として書くとき、スイスイと書ける場合は本当にサクっと書き終えることができるのですが、全然書けない場合は本当にダメで1日中悶々と考えても上手くまとまらず、一旦放棄することも多々あります。

とくに考え悩むのが冒頭の書き方で、私は(もうこのウェブサイトの感想記事をいくつも読んだことがある人ならわかると思いますが)たいていは冒頭からいきなり作品の感想を書くことはほぼせず、関連しそうな別の話題から徐々に映画の感想の本題に移っていく導入にするようにしています。だから余計に思いつかないと何も書き始めることができないんですね。

だから映画などの感想を書く際にもう映画を観る前から「この作品の感想の冒頭はこれに言及しながら開始しよう」とあらかじめ決めておくこともあります。これをやっておくと感想を書くペースが格段に速くなるのです。

ああでもない、こうでもない…と考えがぐるぐる頭の中をめぐっていく状況になったら、皆さんはどう対処するでしょうか。

幸いかな、映画の感想なんて別に考えがまとまらなくても人生に1ミリも悪影響はないので、正直、どうでもいいことなんですけどね。

もしその考え事が人生に多大な影響を与えることだと困りものです。私はそっちの人生に深く関わる考え事で悶々と悩んでいることも多いので、映画の感想なんてむしろそれを忘れられる息抜きになっているところもある…。だから映画の感想に考え煮詰まるほうがまだ幸せかもしれない…。

今回紹介する映画はそんな考え事が日常にまとわりつく人物をユニークなタッチで描いた変わった作品です。

それが本作『時々、私は考える』

邦題をパっと見ると「え? 何を考えるの?」と疑問が真っ先に浮かびますが、原題ではちゃんと”何”を考えているのかの答えが明示されています。本作の原題は「Sometimes I Think About Dying」。「dying」、つまり「死」です。直訳すると「私は死について考える」となります。

原題をそのまま邦題にしなかったのは、たぶんそうしてしまうと困った事情が生じるからなのかな。「私は死について考える」で日本語検索すると「こころの健康相談統一ダイヤル」が先頭に表示されますからね…。これは検索ワードに基づいて「自殺を考えている人」だと判断され、そうした人のためにメンタル面でのサポートを提供する配慮ですが…。

そうです、意味深な題名である本作が描いているものは結局のところは「希死念慮」です。本作の主人公は自分が死んでいるという空想をやめることができず、日々を過ごしています。

自死を主題にした映画はいくつもありますが、センシティブな題材ながら当事者の心の揺れ動きと、他者の支えというリアルなドラマに比重を置いたものが定番です。

しかし、この『時々、私は考える』は自死に対するアプローチが少し変わっていて、ややファンタジックです。『スイス・アーミー・マン』に近いものもなくはないですが、あちらはだいぶぶっ飛んでいて良い意味で下品な自由さがありました。

『時々、私は考える』は抑制的な語り口で、時折詩的というか、アート性のある空想が挿入される…そんな感じのスタイル。死が絡んでいるのにそんなにおどろおどろしいわけでもない、でも死に憑りつかれた人にじっくり寄り添う、独特の味わいがあります。

そう考えるとアニメ『キャロルの終末』っぽいかな。

この『時々、私は考える』を監督するのは、2016年に『In The Radiant City』で長編映画監督デビューし、『I Can Feel You Walking』(2022年)と、インディペンデント映画界隈で存在感を増している”レイチェル・ランバート”

”ケビン・アルメント”の舞台劇と、“ステファニー・アベル・ホロウィッツ”の短編に基づいており、この映画でも2人は脚本に参加しています。

『時々、私は考える』で主人公を演じるのは、『スター・ウォーズ』新3部作で一躍有名となり、最近も『ヤング・ウーマン・アンド・シー』など主演作で名演をみせる“デイジー・リドリー”です。今作では製作も務めています。仏頂面が一番似合う俳優になってきている…。

共演は、ドラマ『ラミー 自分探しの旅』“デイヴ・メルヘジ”、ドラマ『Almost Family』“マルシア・デボニス”など。

『時々、私は考える』はひとりでじっくり物語に浸るタイプの映画です。鑑賞後はこの世界のどこかに自分と同じ気持ちを共有している人がいる…と考えてみてください。

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『時々、私は考える』を観る前のQ&A

✔『時々、私は考える』の見どころ
★孤独な苦悩に静かに向き合うドラマ。
★ユニークな死の空想の映像化。
✔『時々、私は考える』の欠点
☆恋愛伴侶規範的な面もやや否めない。

オススメ度のチェック

ひとり 3.5:静かに味わう
友人 3.0:落ち着ける相手と
恋人 3.0:リラックスして
キッズ 2.0:大人向けのドラマです
↓ここからネタバレが含まれます↓

『時々、私は考える』感想/考察(ネタバレあり)

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あらすじ(前半)

オレゴン州アストリアは閑散とした港町で、たまに鹿も歩いてたりと、のどかな空気が流れています。町の外への交通の要となるアストリア・メグラー橋は交通量も多いですが、普段はどこも静かです。

そんな街で、フランはひとりで暮らしています。暗い部屋で起床し、出勤。自分の机につき、電気スタンドをつけ、パソコンを起動。キーボードとマウスを操作し、仕事に取り掛かります。

とくに同僚とは会話は交わしません。肩肘をつき、モニターを見つめるだけ。他の人たちは談笑していますが、周りの声は素通りです。

窓からは巨大な船も見えますが、そんな光景にフランはふとその船の荷物牽引のロープに自分が吊るされる空想にふけます。足が床を離れるような…。

その瞬間、同僚にサプライズカードの寄せ書きを書くように渡され、空想を中断します。キャロルという年配の女性が退職するのです。

帰宅。電子レンジで温めていると、森の中の苔むした大地で死体となって横たわる空想が始まります。すぐに我に帰り、食事をとります。電動歯ブラシで歯磨きを終え、寝まきになってベッドに入ります。

翌日、また出勤です。同僚からの挨拶も素っ気なく返事し、席につきます。

今日は例の退職するキャロルのためのささやかなパーティーが社内の一室で開かれました。周りはケーキを囲んで元気に歌いますが、フランは端っこで静かに立っているだけです。

キャロルは夫と記念にクルーズ旅行に行くことを嬉しそうに語っており、素晴らしいオフィスだったと職業人生を振り返っていました。

キャロルはそんな語り合いに混ざらず、ケーキの皿を持って奥へ引っ込みます。

別の日、ロバートという新しい同僚が会議で紹介されます。それぞれの自己紹介することになり、名前と好きな食べ物を答えていきます。ダグ、ギャレット、エマと続き、フランの番です。フランはカッテージチーズが好きだと短く説明しました。

ロバートはタイ料理が好きだと答えつつ、映画も好きでと自分を紹介。さらに気まずい沈黙が好きという言葉にフランは少し関心を持ちます。

ロバートは退職したキャロルのデスクで仕事しています。たまに話しかけられますが、フランは顔を向けずに返事し、その場を去ります。

ところがいつもどおり仕事をしていると、社内メッセージでロバートからフラン個人へ通知がきます。「SKUナンバー」について聞いてきたので、簡単に説明する返信を送ります。彼は他に仕事をしたことがないらしく、不慣れだと文章で打ち明けます。

こうして2人の間に交流が芽生えるようになり…。

この『時々、私は考える』のあらすじは「シネマンドレイク」によってオリジナルで書かれました。内容は2024/08/11に更新されています。
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まさかのあのディズニー映画

ここから『時々、私は考える』のネタバレありの感想本文です。

『時々、私は考える』の主人公であるフランは、どういう人生があったのか、その人物背景はほとんどわかりません。なにせ作中ではだいたい喋りませんし、身内がでてくるわけでも回想シーンがあるわけでもないので、深掘りがなされないです。

唯一、本人の口から明確にオープンに説明されるのが「好きな食べ物はカッテージチーズです」という情報のみ。

カッテージチーズはあれですね、牛乳が原料ではなくて、脱脂乳を原料とするやつ。ヨーグルトっぽい食べごたえのあるものです。フランが「カッテージチーズは”チーズ”じゃない。カード(凝乳)だ」といきなりぐいぐいとメッセージで解説しだしますが、そのとおり、カッテージチーズはいわゆるフレッシュチーズの部類。あそこであれだけの分類のこだわりをみせるあたり、フランはかなりのチーズ・マニアであると見受けられる…。

このカッテージチーズは単に脈絡もなく登場しているわけではなく、たぶんその特有の腐りやすさがフランの自身の希死念慮と重なるのでしょう。

希死念慮。そうです、このフランは死にたがっています。でも具体的な死にかたを模索しているわけではなく、死を漠然と想像し、日常的に脳裏によぎります。

この希死念慮の在り方は、私の経験的にもなんだか理解できました。些細な1日の中で不定期に考えてしまう「死」。そういうものだろうな、と。

本作の面白いところは、その「死」の空想が独特な絵画のようなセンスで映像化されるところ。港らしい船作業中のロープからのイメージに始まり、大自然の森に佇む死体は『オフィーリア』の絵画チックですし、その後の焚火の薪のように横たわっている映像も幻想的。ファンタスティックになればなるほど恐ろしさはなく「死」が自然的帰結として安らぎを与えてくれるかのような…そんなヒーリング効果になっています。と思ったら交通事故で死ぬような生々しい感覚に襲われたり…。

驚いたのは、最後のエンディング・クレジットでまさかの『白雪姫』の曲が引用される点。曲名は「With a Smile and a Song」で、白雪姫が小鳥と会話しながら森で優雅に歌うシーンで使われる曲です。

『時々、私は考える』のフランが死に憧れるプリンセスであるかのような、ちょっと本作のメルヘンチックを引き立たせる後味になってました。

確かに初期のディズニープリンセスは「死」と妙に接点がありましたし、ネクロフィリアと関連させる言説もありますからね。随分とダークな二次創作的応用ですけども。

ディズニーもよく楽曲使用許可をだしてくれましたね。もう作品の中身とかは特段のチェックもせずにOKしてくれているのかな…。

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他者の孤独を垣間見たとき

『時々、私は考える』は非リアルなファンタジー領域に吹っ切れた瞬間のインパクトが強いので、どうしてもそればかりが印象に残ってしまいますが、物語の大部分はフランとロバートの交流に割かれていきます。

フランとロバートの交流がすぐそばにいながら社内チャットをきっかけにスタートするのがこの2人らしいです。2人には2人にしかわからない共通点があり、この世界での虚しさも含めて丸ごと共有していくところがひたすらに静かに描かれるので、物語のトーンは常に落ち着いています。

こういうふうに希死念慮が他者との交流で乗り越えていくのはオーソドックスではありますし、実際ケアには重要になってくるのですけども、本作はちょっと恋愛伴侶規範に寄りすぎている部分は否めないなとも思ったり…。

ただ、『時々、私は考える』は「恋人ができて希死念慮を克服しました!めでたしめでたし!」みたいな安直な流れにはなりません。

やっぱり本作の良さだと思いますが、フランの人生はフランが決めます。他人に全てを引っ張ってもらうものではないです。そして盤石な人生などないことをこれまた静かに提示していきます。起承転結で急にドラマチックになったりもしません。フランの嗚咽は誰にも聞こえません。

その抑制を重ねていった先にいるキーパーソンとして終盤で浮き上がる非常に大事な役目を果たすのが、あの退職した年配同僚のキャロル。当初はフランと全然違うタイプに見え、順風満帆でキャリアを謳歌したように感じ取れる姿で描かれています。

しかし、ドーナツ店でキャロルと再会すると、すっかり消沈しており、夫の病気や現状への存在意義の彷徨いから、途方に暮れていることを吐露してくれます。言葉に詰まりながら「大丈夫」と言い聞かせて日々を生きているという自分を説明するその姿はどこかフランと一致します。

フランにとってそのキャロルはどう見えたのか。それはフランのみぞ知る心境です。

でもラストでフランが職場にドーナツを買って持っていくシーンは、職場の人のためというよりは、何よりもあのキャロルのためという感じがして、とてもグっとくる演出だなと思いました。誰にも届かないキャロルの孤独を誰かにわかってほしいという抵抗のような行いというか…。

自分の孤独もツラいけど、他人の孤独を垣間見てしまった瞬間のほうが実はもっと心に言語化できない棘が刺さってしまうことってあるよなとも思いますし…。

孤立しているときはどういうかたちであれ、他者と何かを共有するのがいいですね。今日はドーナツを1個でも買ってみてください。私も同じ空の下のどこかで一緒にドーナツを食べてますから。

『時々、私は考える』
シネマンドレイクの個人的評価
6.0
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
もし、あなたが悩みを抱えていたら、その悩みを相談してみませんか。
電話相談 – 厚生労働省
自殺に関する相談窓口・支援団体 – NHK

作品ポスター・画像 (C)2023 HTBH, LLC ALL RIGHTS RESERVED. サムタイムス・アイ・シンク・アバウト・ダイイング

以上、『時々、私は考える』の感想でした。

Sometimes I Think About Dying (2023) [Japanese Review] 『時々、私は考える』考察・評価レビュー