日本社会における女性の階層を巧みに可視化する…映画『あのこは貴族』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:日本(2021年)
日本公開日:2021年2月26日
監督:岨手由貴子
恋愛描写
あのこは貴族
あのこはきぞく
『あのこは貴族』あらすじ
東京に生まれ、箱入り娘として何不自由なく成長した華子。結婚を考えていた恋人に振られ、初めて人生の岐路に立たされる。その結果、良家の生まれである弁護士・幸一郎と出会い、結婚が決まる。一方、東京で働く美紀は富山生まれ。猛勉強の末に名門大学に入学し上京したが、学費が続かず、夜の世界で働くも中退。都会にしがみつく意味を見いだせずにいた。同じ東京で暮らしながら別世界に生きる2人の女性が出会うことになる。
『あのこは貴族』感想(ネタバレなし)
日本の結婚は特殊なのかもしれない
私は他人の結婚事情には全然興味はなく、「まあ、どうぞご自由に」のスタンスなのですが、世間はそうではないようで…。
2021年もニュースを見ればいろいろな結婚の報道が飛び交っていました。とくに話題をかっさらったのが、「秋篠宮家長女の眞子さんと小室圭さん、結婚!」の出来事。2人の婚約発表は以前からあったのですが、金銭的問題が報じられて以降、進捗は停滞ぎみに。別に結婚前のそんなトラブルは珍しくもないと思うのですが、当事者の片方が皇族というだけあって、日本のマスメディアや国民の関心が集中。結局は、2人は11月に渡米していきました。しかし、当人がバッシングのせいで心理面でPTSDとなっているという診断があっても気にやしない。マスコミは2人の動向をあれこれ追跡し、どんな事件よりもトップニュースで報じ、その熱狂っぷりは収束せず…。祝福ではなくスキャンダルの対象としてしか見なくなるともう遠慮も何もないです。
そんな日本の様子を奇異の目で見て伝える海外メディアの報道も印象的でした。海外にしてみれば、日本の結婚をめぐる常識は恐ろしく封建的なものと捉えられているようで、それは皇族だからとか関係なく、日本全体の結婚観に対する批評なのでしょう。
私も前々から「日本の結婚と欧米の結婚は全然別物の概念だな」と思っていて…。なんというか欧米の結婚は個人同士の選択の自由の結果であり、全てが個人事ですけど、日本の場合は、結婚するということは家庭という社会の最小構成要素に従属することを意味する儀式みたいなものですよね。だからこそ日本の結婚は同調圧力的なものを強く感じる…。
今回紹介する日本映画はその結婚という日本流の儀式を通じて日本社会の仕組みを浮かび上がらせる作品です。それが本作『あのこは貴族』。
本作は“山内マリコ”が2015年に連載していた小説を原作としており、東京で生きる20代後半から30代前半の2人の女性を主人公にしています。この2人の女性は性別は同じで年齢も近いのですが、産まれた瞬間から人生で“持っていたもの”が異なります。ひとりは、東京生まれで裕福な家庭の温室育ち。もうひとりは、田舎生まれで裕福とはとても言えない家庭で、努力の末に受験で成功して上京。この立場の違う2人の女性、本来であれば人生の道が触れることさえないような2つのタイプの女が邂逅する…それが本作の物語のメインです。
『あのこは貴族』はフェミニズムでシスターフッド的な立ち位置になっているのですが、日本社会における女性批評としてじっと見据えたものでもあり、2021年でも突き刺さる作品です。まあ、2015年と2021年で日本の女性の境遇は全然変わっていないという悲しい現実もあると言えるけど…。
その『あのこは貴族』が実写映画化され、それを監督したのは“岨手由貴子”(そで ゆきこ)。2008年に『マイム マイム』で長編映画監督デビューし、2013年の『共犯者たち』、2015年の『グッド・ストライプス』と精力的に制作を続け、2022年にはNetflixでドラマシリーズ『ヒヤマケンタロウの妊娠』を手がけることも決まっています。まだ新人監督の扱いなのでしょうが、この『あのこは貴族』で一気にキャリアをステップアップした感じでしょうか。本作の批評的な評価も高いですし、男社会で占有されている日本の映画界において今後も注目されるのは間違いない監督ですね。
主人公の女性2人を演じるのは、ひとりが『止められるか、俺たちを』『チワワちゃん』『さよならくちびる』など活躍も多い“門脇麦”。『愛の渦』など過激なヌードの多い作品で初期に注目を集めたせいか、いまだにそういう目で語られることもありますが、私は“門脇麦”特有の表面上は上品に見えつつも内に何を抱えているのかわからない佇まいが俳優としての面白さだなと思います。つまり、『あのこは貴族』の役はぴったりです。
そしてもうひとりが、モデルとしてグローバルに活躍しつつも『ノルウェイの森』『進撃の巨人』『高台家の人々』など俳優業もこなしてきた“水原希子”。スタイルがいいせいもあってか、映画に出演すると時には(男性が消費するという意味で)性的にしか撮られないこともあってなんだかなと思っていたのですが、『あのこは貴族』では水商売をしている設定ながら性的には全然撮られていなくて良かったです。というか、『あのこは貴族』の“水原希子”は「こんな役者としての引き出し方があったのか」と思うくらいに“水原希子”の才能が上手く発揮されていて彼女のベストアクトなんじゃないでしょうか。
共演は、『横道世之介』『きみはいい子』などの“高良健吾”、『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』の“石橋静河”、『寝ても覚めても』『朝が来る』の“山下リオ”など。
2021年を代表する話題の邦画『あのこは貴族』をまだ観ていない人はぜひどうぞ。結婚するかどうか今まさに悩んでいる人が見たら、いろいろな意味で心が揺さぶられて実人生の判断に影響を与えるかもだけど…。
オススメ度のチェック
ひとり | :2021年の必見の邦画 |
友人 | :結婚観を語り合える人と |
恋人 | :結婚観を揺り動かすかも |
キッズ | :大人のドラマです |
『あのこは貴族』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):2人の女性、1人の男性
2016年の元旦。東京の街は人がいつもより少ないです。そんなビル街をタクシーで移動するひとりの女性。榛原華子は「東京の人でしょ」と運転手に話しかけられますが、返事は一切しません。
華子は家族とホテルで会食することになっており、遅れて合流します。「婚約者の方は?」と家族の面々は不思議がりますが、「その人とは今日別れたの」ときっぱり。結婚はできないと向こうから言われてしまった華子。それを聞いて祖母はすぐさま面談を進め、姉は意見します。「どんな男ならいいんだ」と質問されても「普通の人でいいけど」と華子には具体性はない様子。「あなたもう27でしょ、子どもが産める年齢で結婚できるのかしら? もう一度考えてみない?」と言われ、俯きながら頷きます。
家族8人で集合写真。次は華子がひとりで写真を撮ります。家族の成人で結婚していないのは自分だけ。
その後に新年早々で女友達と集まるのですが、同じく独身である相良逸子には素直に不安を打ち明けます。
とりあえずいろいろな男性に会ってみることに。お見合いの男性は、なぜか写真を撮りまくっている変な人でした。姉が紹介してくれて一緒に食事をした男は随分と上から目線の態度で女を論評する人。マッチングアプリを紹介されたり、はたまた友人に飲み屋で男を紹介されるもあまりに庶民的な軽快トークと環境に圧倒され、“お化粧室”さえも逃げ場にならず退散。
「ぴったりな人って一番の高望みなんだと思う」とすっかり諦めムード。
しかし、姉の夫の紹介の男性は違いました。青木幸一郎。その名の男性は、丁寧な挨拶をしてきて、こちらを気遣います。幸一郎は「なんか緊張しますね」と言い、顧問弁護士だそうですが難しい話もせず、「僕は雨男なんですよ、大事な日はいつも雨なんです」と気楽な会話。そして、盛り上がって別れる2人。華子は思わず「また会えますか、また会っていただけますか」と口にしますが、「もちろん」と幸一郎は朗らかに返事をします。こんなことってあるのだろうか…タクシーの中で笑みが止まらない華子でした。
相良逸子にもデートの話を楽し気に語る華子。相良逸子が調べたところによると、凄い家柄だそうで「私たちの家より上の階級だね」とのこと。
幸一郎の家に行くとアルバムを見せてくれます。すると「あの日、俺はいい人に出会えたら結婚するつもりだったんだけど、華子はどうなの?」と聞かれ、「私も同じ気持ちです」と華子も素直に返事。指輪を差し出され、プロポーズを受けます。にやけながら指輪を見つめる華子。
一方、2017年の元旦。時岡美紀は東京から地元の富山に実家帰りしていました…。
2つの階層(と、さらにその上)
『あのこは貴族』は作中で榛原華子の友人である相良逸子のセリフで「東京というのは違う階層の人とは出会わないようになっているんだよ」と言われているとおり、階層を描く物語になっています。
日本はイギリスみたいな階級社会はないかもしれませんが、でも日本独自の階層がある。その日本社会の階層を見事に可視化しており、ディストピアをリアルに描いてもいるような。露悪的な奇抜設定を導入せずとも社会に内在する階層を浮き彫りにできているのが本作のスゴイところだなと思います。
ちゃんと説明的ではなく視覚的な表現で映画らしく見せているのが上手いです。
例えば、乗り物。冒頭で華子はタクシーに乗っています。でも運転手に話しかけられてもガン無視です。たぶん華子はタクシー以外は乗ったことないのかもしれませんが、華子にとってのタクシーは自分専用移動手段であり、運転手なんて会話する相手ですらないと思っている。この時点で圧倒的なお嬢様感がでています。
一方で、時岡美紀ならもしタクシーに乗っても運転手と会話はするでしょう(まあ、ウザいなとは思うにせよ…)。実際は金銭的な感覚からタクシーを利用することは一切なく、だからこそ2章の冒頭で弟に車で迎えに来てもらっているのが対比的です。その美紀は作中では自転車に乗っており、終盤のタクシーに乗る華子との並走…からの華子がタクシーを飛び降りるシーンは本作の象徴的ハイライト。2つの階層が、交わることのなかった階層同士が、完全に一致した瞬間です。
ただ、大学で同郷の美紀と平田里英が遭遇するように、貴族と思わず口にだしてしまうような次元の違う人たちもすぐそばにいる。同じ空間にいるけど重ならない不可思議。
本作を観てあらためて痛感しましたけど、こういう日本の階層はいたるところにあると自覚的にならないと気づかないものです。例えば、私事ですがこのサイトだって全世界に公開されているけど、たぶん榛原華子みたいな階層の人はアクセスしてこないだろうな、とか。じゃあ、逆に華子みたいな人はどんなサイトを見るだろうかと考えてみると…。
しかも、華子よりもさらに上の階層まである…。
男の立ち位置
その『あのこは貴族』ならぬ「あの男は最上貴族」、それが華子が結婚することになる青木幸一郎。その出会いはとてもロマンチックで、まるでプリンセス気分ですが、実は…。
ここで観客だけは華子と美紀の双方の視点で幸一郎を分析できるので、彼の実像が一番整理しやすいポジションに立てます。そうやって振り返ると、幸一郎はかなり政治的手腕に長けているなと思わせます。というのも、華子と美紀、それぞれで相手に合わせて調整しながらコミュニケーションをとれる男なんですね。そしてどちら相手でも女性を従属させるだけの特権性を持っている。
本作は女性の階層にスポットをあてていますが、当然ながら男性にだって階層はあるでしょう。でも男性と女性が違うのは、この男尊女卑で家父長的な構造が公然とある日本社会では「男は女を従属させることができる」ということ。だから男性の場合は単に階層に存在している駒というだけでなく、パワーそのものでもあって、その影響力は無視できない。
逆に女性にはパワーはないので、それこそこの感想の序盤で「秋篠宮家長女の眞子さんと小室圭さん、うんたらかんたら」で紹介したように、皇族でも女性は容易に階層を格下げされてしまうわけで…。
幸一郎は結局は最後まで体裁を合わせるだけで、華子と共通の重なりを見せることはなかった。「あの時に話した映画を観てくれた?」という問いかけの一言でそれがハッキリでてましたね。
『あのこは貴族』は男女構造の違いも巧みに描いていました。
階層は女たちを分断できない
『あのこは貴族』は、女2人男1人の話であり、そうなると恋愛沙汰でこじれてドロドロした話になりそうですが、そうなっていないのも特徴です。
それは作中でこれまた言及があるように「女同士を分断する必要はない」という立場そのもの。
最終的に本作は、美紀は友人の平田里英の起業に誘われ、華子も幸一郎とは離婚し、海外でバイオリニストで成功する友人の相良逸子のマネージャーをしながら音楽会を開いています。恋愛伴侶規範から逸脱した、とても率直なシスターフッドの姿がそこにありました。
もちろん本作のそれは決して包括的という点で完璧ではないですし、海外なんかの作品と比べたら、こういうシスターフッドは珍しくも何ともないです。例えば、『わがままなヴァカンス』は舞台は全然違うけど、階層の違いと男女の構造の相互作用がよく現れている作品でした。
貧富や家庭環境だけではない、人種やジェンダーや性的指向など、もっと網羅できる要素はいっぱいあるはず。
それでも『あのこは貴族』は、繰り返しになっちゃいますけど、階層という日本社会の内に潜むものを無添加で可視化させるというアプローチにおいて的確な手腕を見せています。映画界すらもジェンダー込みの階層を日々実感させる昨今、この『あのこは貴族』の存在感は階層を超越して輝いていました。
ROTTEN TOMATOES
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IMDb
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シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)山内マリコ/集英社・「あのこは貴族」製作委員会 あの子は貴族
以上、『あのこは貴族』の感想でした。
Aristocrats (2021) [Japanese Review] 『あのこは貴族』考察・評価レビュー