小松菜奈と門脇麦の協奏…映画『さよならくちびる』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。
製作国:日本(2019年)
日本公開日:2019年5月31日
監督:塩田明彦
さよならくちびる
『さよならくちびる』あらすじ
等身大の音楽を届けてきた2人組女性ユニット「ハルレオ」のハルとレオは、それぞれの道へ進むため解散を決める。2人はサポート役であるローディの青年シマとともに日本縦断の解散ツアーに出るが、3人の関係性はすでにかなりこじれていた。道中でも言い合いをしながら、各々が抱える感情がこぼれ出る。
『さよならくちびる』感想(ネタバレなし)
映画の中のキスは変わっていく
「5月23日」は「キスの日」らしいです。そういうとアンチ・リア充な人たちが“けっ”と舌打ちする音があちらこちらで聞こえてきそうですが、でも映画ファンの人はちょっと待ってほしい。
この「キスの日」、実は映画由来なんですね。そもそもこの手の記念日にありがちな数字の語呂合わせ的なものではないのは「5・2・3」の数字をどう言い換えても“キス”を連想する感じにはならないあたりでわかるとおり。それは当然。なぜならこの由来は、日本で初めてキスシーンが登場する映画が5月23日に公開されたから…なのでした(ちなみに私は知りませんでした…。今度から知ったかぶりしよう…)。
太平洋戦争も終わり、日本がアメリカのGHQ統治下に置かれた1946年5月23日。佐々木康監督の『はたちの青春』が封切りされ、この作品では当時としては非常に珍しいキスシーンが含まれていました。厳密には、この作品より少し前に公開された川島雄三監督の『追ひつ追はれつ』にキスシーンがあったので、日本初ではないらしいですが、話題性が『はたちの青春』の方が高かったのでしょうね。
なんでもGHQからの要請があったとかなかったとか、そんな話もあり、当時はキスという行為に対して西洋的でけしからん!という意見もゼロではなかったようです。
しかし、時代は変わってどうですか、今の日本。「キス=欧米文化」みたいなことを言う人がいたら“はっ? 何言ってんの?”という目で見られますよ。邦画なんてキスだらけです。時代はホント、変わるんですね。
そんなキスの日と関連付けられて宣伝されていた本作『さよならくちびる』。その理由は“くちびる”というタイトルもあるのでしょうが、作中で登場する主役の女性二人のキスシーンがあるのも大きいのかな。聞こえていますか、1946年の日本の皆さん。2019年の日本では女性同士がキスする映画もあるんですよ。
その注目の『さよならくちびる』主演女性二人をつとめるのは、今、日本で最も飛ばしている演技派若手俳優である“小松菜奈”と“門脇麦”。映画ファンであればご存知のとおり、二人とも結構チャレンジングな役柄で演技に挑戦してきたキャリアがすでにありますから、今さら、キス程度、たいしたこともないですけど。ガッツリと共演するのは初めてですが、インタビューなどで窺える仲の良さそうな雰囲気を見ていると、むしろノリノリでキスしそうな感じがありますが。
キスキスとそればかり連呼してしまいましたが、『さよならくちびる』は恋愛映画かと言われると決してそこは主軸を置いていない。メインは音楽に身を捧げてきた若者たちが人生の岐路に立たされて悩んで荒れて喚いて…そんなエモーショナルな映画です。
“小松菜奈”と“門脇麦”はハルレオというデュオを結成している主人公を熱演。作中ではギターを弾きながら歌う、これまでにない姿を見せています。主題歌「さよならくちびる」を“秦基博”、挿入歌「誰にだって訳がある」「たちまち嵐」を“あいみょん”が提供している部分も、メディアではフィーチャーしていますが、歌うのはあくまで“小松菜奈”と“門脇麦”。作品に合わせてハルレオとしてアーティストデビューもしているので気になる人が楽曲もどうぞ。
ただ映画自体はキラキラした音楽ムービーではなく、全体的にダウナーなテンションだだ下がりの状態がほとんど続く作品ですので、期待ポイントを間違えないように。リアルな葛藤がじわじわくるような作品が好きならオススメです。
監督は『黄泉がえり』『カナリア』『どろろ』『風に濡れた女』の“塩田明彦”。『さよならくちびる』のような作品を手がけるのは意外ですが、ここにきての新しい挑戦なのか。でも登場人物のリアリティ溢れる生っぽさが“塩田明彦”監督っぽいですね。
気分爽快な万人向けするタイプの映画ではないですが、刺さる人には刺さる、ピンポイントな作品になっているはずです。
オススメ度のチェック
ひとり | ◯(音楽映画好き・俳優好きなら) |
友人 | ◯(俳優ファン同士なら) |
恋人 | △(盛り上がる系ではない) |
キッズ | △(大人もしくはティーン向けのドラマ) |
『さよならくちびる』感想(ネタバレあり)
歌いたそうな目をしていた
「二人とも本当に解散の決心は変わらないんだな」「このツアーは最後までやりきること、約束してくれ」「最後の歌を歌い終わったら、俺たち、赤の他人だからな」
そう念押しする男。その言葉を向けられた相手は同じ車内にいる女二人。その女二人の返答はあまりにも雑。互いがそれぞれ違う方向を見ている。少なくともこの狭い車内という空間を共有するのも嫌そうに。
いきなり勘弁してくれと思いたいくらいの最悪の空気でスタートする『さよならくちびる』。私だったらこの車内に一緒に存在するのは耐えられそうにありません。
ハルとレオは「ハルレオ」としてインディーズ音楽の世界でそれなりにファンを獲得したデュオ。どうやら全国7都市を回るツアーを最後に解散することに決めたようです。その理由はこの時点では名言されませんが、まあ、明らかにユニット内の関係性悪化が原因なのはすぐに察することができるとおり。といっても解散ツアーを公式に宣言したわけではなく、ライブ会場ではいつものようにハルレオの曲を期待するファンが待っています。
この解散というゴールすらもしっかり向き合おうとしないあたり、このハルレオのこじらせ具合がよくわかる感じ。でも、きっとこういうかたちでなし崩しに解散に向かう音楽グループなんてごまんといるでしょうけどね。
『さよならくちびる』では過去の回想シーンも挟みながら、ハルレオがなぜ解散という状況に至ったのかを観客に少しずつ見せていきます。ハルとレオの二人の出会い、ローディとなるシマとの出会い、それぞれがそれぞれに抱く想い…。
映画はこのツアーを淡々と描き、その過程でいざこざを起こしながらも、何とかラストライブを迎え、そして終わった後、また冒頭と同じ車内で終わる。起承転結でストンとオチのつく物語構成になっていて、トリッキーな演出もないので、決まずい雰囲気が漂うわりには追いかけやすいストーリーだったのではないでしょうか。
だれにだってわけがある
『さよならくちびる』の主役であるハルとレオ。なによりもこの二人の空気感が魅力なのは言うまでもありません。
バイト先のクリーニング工場で怒られていたレオに「ねえ、音楽やらない?」とハルが声をかけたことで始まった二人の関係。直接的なハッキリした言及はないのですが、それでもこの二人がどうしてくっつき、また離れていったのか。それを窺っていくのが本作の読み応え部分。
自分に対しての劣等感や焦りを抱えているのは誰でも同じかもしれませんが、ハルの場合は、例えばキャリア的にも家庭的にも一歩どころか数百歩先を行かれてしまった幼馴染の存在などでその一端が示されます。しかも、その幼馴染は特別な気持ちを抱いた相手のようで…でもそれは誰にも言えず。そんな中でのレオとの出会いは、運命というよりは藁にも縋る思いだったのかもしれません。しかし、しだいにレオは音楽を通して輝き始め、それはそれで今度は自分が置いていかれるのではという不安に。マッサージ100円のホームレスに何も臆することなくマッサージされる女性のエピソードで、その女性の姿とレオが重なるのでは、レオに憧れる気持ちあってこそ。レオは自分の手には届かない存在なのか。幼馴染の一件をトラウマに抱えているからこその自信のなさでしょうかね。
一方のレオはレオで抱えているものはあります。レオの過去はそこまで明確に提示されませんが、かなり居場所のない人生だったようです。バイト先で“服の畳み方を親から学んでいないのか”とられていましたが、あの言葉をそのまま捉えるなら恵まれた親のいる環境では育っていないということが推察できます。何もないレオ。そんなときに、自分に音楽というモノを与えてくれたハルは救世主に見えたのかも。料理するハルを珍しそうにスマホで動画を撮り、隣同士でカレーを食べて、涙するレオ。その姿から伝わる境遇の重さ。出会った当初は長髪なのに、その後、ハルと同じヘアスタイルにしているあたりといい、ハルへの心の傾倒が感じ取れますね。でもその「全力ではハルの後を追いかける」と言っていたレオもまたハルとの距離感に悩む。もしかしたらレオはその自身の境遇から、これ以上進んだ先にある家庭とかそういうステージアップした人間関係への恐怖心があるのかもしれない…そう思わせます。
こうやって見ると、ハルとレオは全然互いに憎み合っているわけでもない、それどころか「ハルのためなら何でもする」とレオが言うように、ほぼ相思相愛に近い関係なのに、近づけない。この切なさ。あれですね、最近の映画だと『リズと青い鳥』に通じるものがありますね。
こういうのを安易にジャンル化するのは私はあまり好きじゃないのですけど、でもこういう“百合”もしくは“ウーマンス”的な女性同士をペアに描き、人間関係を見つめる作品はもっと作られてもいいと思っています。最近だと『累 かさね』とか『少女邂逅』とか。
『さよならくちびる』で言えば、“小松菜奈”と“門脇麦”を組み合わせることで新しい魅力が引き出されていました。これら若手女優はこれまで強烈な男性の存在で引き立つ役柄が多かったですから、そういうのがなくても全然イケることを示しましたし、たぶんそういう若手女優は日本にいっぱいいると思うので。
三角関係にすらなれず
そんなハルレオの女二人の世界にノコノコ入ってきたシマという男の存在も忘れてはいけません。
正直、厳しいことを言えば、全ての元凶はシマだと言えなくもないわけです。「産毛が震えているのがわかるんだよなぁ」などという、こっちが鳥肌たつよと言いたいぐらいのわけわからないセンチメンタルな男。元ホストだというその男に誘いにうっかり乗っかり、「夢は大きく、イエーイ!」と、本来は互いの居場所づくりのように始まったハルレオを“音楽業界”のキャリア世界に引っ張り込んだシマ。その行為は間違いなくハルレオのバランスを壊してしまいました。
もちろんこのシマにも過去があって、彼もまたバンドをしていた経験があり、しかも自業自得な理由ではありますが、半ばで半強制的に終了してしまった苦い人生。そう考えるとシマの行動は、ハルレオを通してのセカンドチャンスの狙いもあったのでしょうけど、やはり音楽業界は厳しい。シマにはプロデュースどころか、ローディとして彼女たちを支えるほどの才能もなかったのかもしれません。
でも「大きくなっても音楽だけは絶対にやるな」と息子に言ったという今は亡き友人の言葉に対して「俺はそうは思わない」と言い切ったシマはきっとまた前に進む気力を持ったはず。なんとなく今度はハルレオに身を預けるのではなく、真の意味で引っ張れる男になった気がします。
シマを演じた“成田凌”ですが、いい感じに“小松菜奈”と“門脇麦”の二人に圧倒されている“弱さ”があって、良いです。近年、一気に活躍を増やしている俳優ですが、こういうサポートアクター側で存在感を出せるのは良い役者の証拠ですから、今後も頑張ってほしい。タンバリン姿も似合っていました(褒め言葉になっていない気がする)。
『さよならくちびる』は三角関係の映画だと宣伝されていますが、私としては「三角関係にすらなりきれなかった不器用な3人」の物語といった感じ。3人ともバカだったかもしれないけど、でもレオの言葉を借りるなら「バカで何が悪い」ですかね。
映画自体に関しては苦言もないではないです。作中で出てくるハルレオのファンの女の子二人がちょっとエモく浮きすぎではないかとか(あの二人はアイドルグループ“さくら学院”の“新谷ゆづみ”と“日高麻鈴”で、だからクローズアップされているという大人の事情なんですね)、あのオチもあれだとギャグ感も出るのでもう少し含みを持たせられないかとか。あとはせっかくの音楽映画なら“音楽”の力だけでストーリーをぐいぐい引っ張るぐらいできるのが本当は理想。まあ、さすがに『アリー スター誕生』級のクオリティにしろというのはハードル高すぎですけど。
それよりも『さよならくちびる』は『シング・ストリート 未来へのうた』と同系統として比較した方がいいかもしれないですね。まあ、どちらにせよ昨今の音楽映画はどれだけ音楽そのものに全身全霊を捧げるかで勝負している傾向があるので、タイアップや楽曲提供程度の路線ではなかなかパワー不足になるのも否めません。
でも邦画でも、どんどんと野心的な音楽映画が生まれていってほしいので期待しています。
ROTTEN TOMATOES
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IMDb
?.? / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 5/10 ★★★★★
作品ポスター・画像 (C)2019「さよならくちびる」製作委員会
以上、『さよならくちびる』の感想でした。
『さよならくちびる』考察・評価レビュー