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『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』感想(ネタバレ)…不正はどっちだ

バッド・ジーニアス 危険な天才たち

不正はどっちだ…映画『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

英題:Bad Genius
製作国:タイ(2017年)
日本公開日:2018年9月22日
監督:ナタウット・プーンピリヤ

バッド・ジーニアス 危険な天才たち

ばっどじーにあす きけんなてんさいたち
バッド・ジーニアス 危険な天才たち

『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』あらすじ

優秀な成績を収め、その頭脳を見込まれて進学校に特待奨学生として転入を果たした女子高生リン。テストの最中に友人のグレースをある方法で手助けしたリンの噂を耳にしたグレースの彼氏パットは、試験中にリンが答えを教え、代金をもらうというビジネスを持ちかける。

『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』感想(ネタバレなし)

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目には目を、不正には不正を

「正義・友愛・奉仕」

こんな校是を掲げる大学があったら、さぞかし素晴らしい大学なんだろうなと思うのは普通。

しかし、この校是を標榜する大学が行っていたこととして2018年に発覚したのが、女性と浪人の受験生を不正に減点し、政府関係者の受験生を優遇して入学させるという汚職にまみれた実態でした。この問題は他の大学にも波及。最初の調査では不正が疑われた大学も「知りません」「わかりません」とシラを切っていましたが、後に「私の大学も不正してました」と告白。要するに業界全体が腐っていたことになります。ちなみに最初に問題が発覚した某大学は、数年前にも学位審査の際に謝礼金として学生が教員に賄賂を渡していたことが判明し問題になっており、大学の腐敗は今に始まったことではありません。

おそらく誰でも子どもの頃に学校に入学して教わったはずです。「悪い事をしちゃダメだよ」と。では、なぜ教育の最高組織である大学が“悪いこと”をしているのか。校是を「カネ・差別・権力」に変えた方がいいです。

こんなクソみたいな世の中で真面目に生きる価値はあるのか…そんな風に思うのも無理はないでしょう。こんな状況で子どもたちに「正しく生きなさい」なんて大人は言えません。

そんな理不尽な世界を、鋭い風刺力とエンターテインメントで痛快に描き出した傑作映画がまさかのタイから飛び込んできました。それが本作『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』です。

本作は、国際的な大学入試で大規模なカンニング計画を企てる生徒たちを描く物語。これだけ聞くと「カンニングって、しょぼそうだなぁ…」と面白さに疑念を抱く人がいると思いますが、いやいや、とんでもない傑作でした。

やっていることはカンニング。なのに『オーシャンズ』シリーズや『ミッション・インポッシブル』シリーズに匹敵する、いや、そんなハリウッド大作を余裕で上回るハラハラのサスペンスが画面いっぱいで展開され、手に汗握る異様な緊張感で観客のカロリーをガンガン消費してきます。製作陣はハリウッド映画を意識していたらしいですけど、安直なマネごとではなく、完全に良い部分を吸収して独自にブラッシュアップしています。

しかも、エンタメとして最高レベルだけでなく、しっかり社会派要素も織り交ぜるのですから…天才か、ジーニアスなのは作り手か。

正直、タイ映画をナめてました。この場を借りて稚拙な自分の認識を謝罪します。めちゃくちゃ凄いです、この映画。

製作した「GDH 559」という会社、要チェックだなと思うのですが、日本はタイ映画なんて滅多に公開しないんですよね。やはり邦画やハリウッド映画ばかり見ていると、思わぬ名作をスルーしてしまうので、ちゃんとチェックしないとなと心に誓いました。だから今後も劇場公開、増やしてください…。

↓ここからネタバレが含まれます↓

『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』感想(ネタバレあり)

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子どもをバカにするな

私が『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』をナめていた理由をあらためて考えてみると、本作が「学園モノ」だと思っていたからじゃないかと。

邦画によくありがちな学園モノは生徒たちが個人の抱える問題(友人関係、色恋沙汰、将来の進路)に焦点をあてたミニマムな作品ばかりです。それはそれで魅力があって面白い映画もあるのですが、どうしても世界観が“ある程度の範囲”を超えたりしないので、良く言えば少し安心して、悪く言えば想定内で観てしまいます。つまり、どうせ子どもの話だから…なんていう大人の“上から目線”で観ていたとも言えるかもしれません。

しかし、本作はそんなバカにされがちな子どもが、バカにしている大人、もっと言うなら腐った社会に反撃するストーリーなんですね。

なので、学園モノによく見られる、のんびりした生徒たちのじゃれ合いシーンなんかは、ほぼ皆無。いや、あるにはあります。主人公のリンが高校に入学して友達になる“頭の悪い”グレースのプリント問題を教えてあげたり、秀才のバンクに駆け寄ってくるメガネ男子とか、序盤も序盤のいくつか。でも、あの何気ない生徒同士のトークも、実は本作が根底に抱えている社会の“闇”構造をフラグとして示している役割があります。お気楽シーンじゃないわけです。

本作は「学校」という、子どもたちが最初に直面する社会のコミュニティを大人の都合よく中和して改変したりせず、はたまた子どもを大人の都合よく劣って描いたりもしない、ましてやジャンル映画に偏ることでフィクションに逃げもせずに、世の中の現実をそっくりそのままコピー&ペーストしたような実直な映画になっているのが素晴らしいと思います。

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カンニングなのに…スパイ映画級

とりあえず社会派要素は置いといて、エンタメ要素を担うサスペンスについて言及すると、これがもう最高レベルの完成度で驚愕しました。

前述したとおり、やっていることはカンニングです。チートですよ(ちなみにカンニングは英語で言うなら「cunning」ではなく「cheating」です。「cunning」は“悪賢い”という意味)。基本は“他人の解答を見る、もしくは自分の解答を教える”…それだけ。あとはそれをどうやるかという問題。でもこの「How」の部分もたいして“凄い!”と目を驚かせる方法はでてきません。それこそ子どもレベルでできることです。ガラスに張り付いて登る特殊アイテムとか、透明になって姿を見えなくするスーツとか、そんなのはさすがに出番ないです。

じゃあ、本作は何が“凄い!”のか。それは“見せ方”、これに尽きます。

まず最初のカンニング。主人公リンが解答を書いた消しゴムを靴に潜ませ、後ろの席のグレースと靴を交換するというテクニック。床を滑らせやすいローファーだからできる技なわけですが、たったその程度のことなのに異様な緊張感。しかも、これはリンが初めてカンニングという不正に手を染める重要な場面。ここで靴を交換し合うというのは、言い換えれば“運命を共有する関係になった”という象徴とも解釈できなくもないです。

続くカンニング・ビジネスが学校に広まったあとに行われた一斉テスト。リンの得意とするピアノの手の動きで解答を伝えるアイディアを思いつき、完璧だと思われた矢先。まさかの事態…メガネ男はバカだった…という失敗要因の登場に、リンも観客もハラハラ。加えて、バンクという教師以外の監視の目が追加されたことで難易度が適度にアップ。この場面ではチームプレイを見せることで、最初の1&1だった共犯関係が、多重に拡大していることを示す、これまた上手い演出でした。

そして最終戦ともいえる、国際的な大学入試のテスト(STIC)。バンクを仲間に加えた“バディもの”の面白さもさることながら、時差を駆使した作戦という、たかがカンニングを考えうる限り最大スケールまで膨らます製作陣の手腕が見事。この場面では、問題を解く→解答を暗記する→トイレでスマホを使って解答を送信…という3ステップがあります。忘れがちですが、普通は“問題を解く”ステップだけでも大変で、受験生は心が押しつぶされそうになるもの。なのに、そこからさらに難度の高いミッションが与えられるという苦痛。想像するだけでこっちの胃が痛くなってきます。

追い打ちは続きます。トイレでのバレるのバレないの攻防の後、バンクが失態。結果、ひとりになったリンは自分だけで“役割”をこなすことに。この場面の、ピアノの鍵盤に置き換えて覚えるという演出。椅子がすーっと動いてピアノに向かう印象的なシーンに始まり、指を動かし、音を鳴らすという、リンがやっていることの難しさを五感で観客に伝える、素晴らしい映画的な技法でした。

で、これで追い打ちが終わりじゃない。まさか逃走でもう1回、サスペンスを用意してくるとは思わなかったです。この逃走シーンの凄まじい追い打ちの連続。やたら怖そうな追っ手が来る。でも解答を覚えておかないといけない。さらに道中の騒音が記憶のピアノを打ち消す。落としたスマホが割れてタッチの反応が鈍い。

もうスパイ映画ですよ。アクションバトルとか銃撃戦が始まりそうな雰囲気すらありました。カンニング…してたんだよね…それだけだよね(確認)。

どんなに些細な行為でも徹底的に研ぎ澄ませば面白くなるという製作陣の根性に脱帽です。

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リンが選んだラストの答え

こうやって最高のエンターテインメントを見せつつ、突きつける社会問題の見せ方もまた上手いのが隙がありません。

貧富の差、格差社会、権力の横暴、“持つ者と持たざる者”。

“イッサヤー・ホースワン”がキュートに演じる、無邪気な笑顔を見せるあのグレースでさえ、社会の歪みに染まっており、それが当たり前だと思っている。自分がリンを酷使しているという自覚はない。グレースというキャラクターは、舞台女優を目指している子という設定も利いていて、完全にファム・ファタールですよ(相手は女ですが)。

カンニングは悪いこと、不正です。でも、もっと不正が、巨悪がいるじゃないか。そんな事実を見せつけながら、結局、リンとバンクの“持たざる者”は、“持つ者”の手先になるしかない。得をするのは金持ち生徒だけ。自分にも報酬が入るけど、それはしょせんは利用されているという証明でしかない。でもここで失敗したらリンたちには何も残らない。だから、一矢報いるではないけれど、自分たちでも何か成し遂げられるという証明が欲しい。

この苦悩が観客に伝わるからこそ、実際は悪いことをしているのに、つい応援してしまうような目で見てしまいます。大舞台でカンニングをやることに決めるリンとバンクの苦渋の空気を感じれば、カンニングという姑息さとは別の世界にいることが嫌でもわかるでしょう。

リンを演じた“チュティモン・ジョンジャルーンスックジン”。モデルだそうで、確かに美しいプロポーションの持ち主でしたけど、それを単に綺麗な絵を見せるだけの材料に使わず、こうやって苦しみを纏わせる意外性込みな表現がまた良かったですね。

そして、最後のリンとバンクの選んだ人生のマークシートの解答は違うというオチ。闇堕ちするバンクに対して、リンの罪の告白という選択。

これは単純な懺悔ではないと私は受け取りました。むしろ挑戦です。彼女が観客に問題を出しています。

忘れてはいけないこと、それは、本当の巨悪は、この映画には出てこない大人たちだということ。世の中には不正をし、不正に目を瞑り、何食わぬ顔でキャリアを歩む大人が大勢いる。そんな大人たちに、リンは、私は罪の告白をするという“答え”をマークしましたよ…と告げるラストです。その“答え”をマネする人は現れますか、別にカンニングしてもいいですけど…そんな視線を感じました。

本作を観て単純に「面白かった~」と笑顔になって帰っていく観客は、不正で合格して喜ぶグレースたちと同類…そう言い切るような鋭さのあるラストでした。

タイだけじゃない、日本でも蔓延しているカンニング以上の悪。さあ、あなたは「カンニングしちゃダメだよ」と若者に言えるような大人ですか?

日本も「一生懸命に勉強して難関大学に合格しました!やったね!」みたいな某進○ゼミのようなお気楽映画ばかりではなく、教育の闇に切り込む映画をどんどん作っていってほしいものです。映画は学校では教えてくれないことを学ばせてくれるものなんですから。

『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 93% Audience 93%
IMDb
7.7 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 9/10 ★★★★★★★★★

(C)GDH 559 CO., LTD. All rights reserved. バッドジーニアス

以上、『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』の感想でした。

Bad Genius (2017) [Japanese Review] 『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』考察・評価レビュー