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『ビューティフル・ボーイ』感想(ネタバレ)…美化できない薬物依存の苦しみ

ビューティフル・ボーイ

美化できない薬物依存の苦しみ…映画『ビューティフル・ボーイ』(ビューティフルボーイ)の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Beautiful Boy
製作国:アメリカ(2018年)
日本公開日:2019年4月12日
監督:フェリックス・ヴァン・フルーニンゲン

ビューティフル・ボーイ

びゅーてぃふるぼーい
ビューティフル・ボーイ

『ビューティフル・ボーイ』あらすじ

将来を期待されていた学生ニックは、ふとしたきっかけで手を出したドラッグに次第にのめり込んでいく。更生施設を抜け出したりと、再発を繰り返すニックを、大きな愛と献身で見守り包み込む父親デヴィッド。何度裏切られても、息子を信じ続ける父だったが…。

『ビューティフル・ボーイ』感想(ネタバレなし)

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薬物依存症を乗り越えるには

「薬物依存症」の怖さは学校などで教わっている人が多いと思いますが、そう簡単に理解できるものではないと言います。教育を受けてもなおも誤解や偏見に基づいて認識されることが多く、結局のところ、当事者でないと真の苦しみはわからないのが事実です。

つい先日、コカインを使用したとして麻薬取締法違反の罪で起訴されていたミュージシャンで俳優としても有名な著名人が保釈されました。この逮捕はリアルでもネットでも非常に騒ぎとなり、いろいろな議論が勃発しました。

薬物に手を出した罪や責任はさておき、薬物依存症に苦しむ人間なのだから社会が温かく迎える居場所を用意してあげようという声も聞かれます。それはとても大切なことで異論はないでしょう。居場所がないよりはある方がいいに決まっています。

しかし、それらの声もどこか部外者目線な気もしてきます。「応援しています!」なんて声援が寄せられるのはその人物が有名人だからこその特殊な状況でもあるわけですが、それだとまるでライブコンサートで歓声をおくっているのと大して変わりありません。

実際、薬物依存はネットが得意とする“広く浅い共有の輪”程度では太刀打ちできない難しさがあります。

厚生労働省のサイトでは、薬物依存症の治療法に関して以下のように説明しています。

「治す」というよりは、薬物依存症を糖尿病や高血圧症のような慢性疾患としてとらえて、薬物を使わない生活を続けるという自己コントロールの継続が目標となります。そのためには、それまでの薬物使用に関係していた状況(人間関係、場所、お金、感情、ストレスなど)を整理・清算し、薬物を使わない生活を持続させることが必要です。

これはつまり人生を“リスタート”することに等しいです。でも人間というのはスマホと違って簡単操作で初期化なんてできません。

当然、依存症を抱える当事者と、その最も身近にいる人間(家族など)にしてみれば、並大抵のことではありません。「応援しています!」なんて言う人もいざ「じゃあ、依存症を抱える当事者のためにゼロから再構築するように人生を捧げられますか」と突きつけられたら、目をそらすはずです。

そんな“リスタート”の難しさに苦しむ当事者たちを丁寧に描いた映画が本作『ビューティフル・ボーイ』です。

本作は実話がベースになっており、重度の薬物依存に苦しむ青年ニック・シェフとその彼を支える父デヴィッドの物語です。13回の依存症再発のために7つの治療センターを訪れた激動の8年間の軌跡をまとめた手記が原作になっているのですが、ユニークなのが、父子であるデヴィッドとニックそれぞれの視点から描いた2冊の回顧録という構成になっていること。要するに、同じ問題に対して患者と家族の視点の違いが理解できるのです。映画ではこの2つを1つの作品に合体させており、どう見せてくるのかも見どころのひとつ。

監督はベルギー出身の“フェリックス・ヴァン・フルーニンゲン”という人物。監督作の多くが日本劇場未公開で観る手段が乏しく、比較的容易に鑑賞できるのは『オーバー・ザ・ブルースカイ』(2012年)だけでしょうか。

監督よりも脚本の方が関心を集めやすいかもしれません。『LION ライオン 〜25年目のただいま〜』という映画でアカデミー賞候補にもなった“ルーク・デイヴィス”が手がけています。なんと実は“ルーク・デイヴィス”もドラッグ依存の経験があるそうです。

主演はコメディからシリアスまでなんでもござれの“スティーヴ・カレル”。そして新星のごとく現れたちまち人気絶好調の“ティモシー・シャラメ”。この父子を演じる二人の掛け合いがメインで、これが絶妙に良い味を出しています。意外な組み合わせに思うかもですが、ベストマッチでした。

薬物依存症の生々しさが痛烈に映し出される内容であり、一切の“美化”を挟み込む隙もないです。かといって、薬物依存症について解説するような教訓めいたこともないです。あるのは、父と子というシンプルな登場人物による交流のドラマだけ。でもそこが心に響きます。

本作を鑑賞して、当事者の苦悩に寄り添ってみるのはいかがでしょうか。

オススメ度のチェック

ひとり ◎(とくに親子ドラマが好きな人)
友人 ◯(議論をするのも良い)
恋人 ◯(人生や愛を語るきっかけに)
キッズ △(少しシリアスではあるけど)
↓ここからネタバレが含まれます↓

『ビューティフル・ボーイ』感想(ネタバレあり)

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薬物の恐ろしさを後から知る

私は自分もそうですし、周囲にも薬物依存症の問題を抱える人がいないため(少なくとも気づける範囲ではですが)、本作を第三者的な目線で観るしかありません。

ただ、『ビューティフル・ボーイ』は比較的のみ込みやすい映画になっていたと思います。その一番の理由は薬物依存症に苦しむ息子を抱える父・デヴィッドの視点が主軸になって物語が進むためです。

よくあるドラッグ依存を描く映画では、依存症患者自身を主人公にして、ときにドラッキーな映像表現でその異常状態をアーティスティックに描いたものも多いです。それこそ『トレインスポッティング』などの代表作がそうですが、そうなるとどうしても依存症患者という“オカシイ人”を見物することが目的になってしまいます。それは映画としては面白いかもしれませんが、当事者にしてみれば見世物になっているような気分で不快だった面もあるでしょう。

『ビューティフル・ボーイ』は見世物ショーにせずに、完全に当事者に寄ることに徹する一方で、支えるべき最も近しい立場にいる者でさえも、そう簡単に当事者に寄ることはできないというもどかしさを描きだしていました。

デヴィッドは最初はそこまで薬物の危険性を深刻に考えていない状態です。回想シーンでも描かれますが、息子ニックに対して「薬物はダメだぞ」というような、いかにも親が子にかけるベタな教育的セリフを発するとおり、“そんな程度の感覚”で問題を捉えています。

しかし、ニックの明らかに普通ではない状況を幾度となく目撃し、治療が簡単ではないことを実感したデヴィッドは自分自身で薬物について調べ始めます。

ニックが常用している「メタンフェタミン」。日本でいうところの「覚せい剤」であり、「シャブ」「エス」「スピード」などの俗称で流通。英語では「アイス(ice)」とか、「メス(meth)」、「クリスタル・メス(crystal meth)」と呼ぶようですね。そのダメージの深刻さを学び、専門家からも中毒者の立ち直る確率が非常に低いことを知り、ニックの置かれている問題の怖さと解決の困難さを初めて認識するデヴィッド。

デヴィッドの認識が甘かったといえばそれまでですが、私も無知な人間ですし、責める気にはなれません。

というか、これは余談ですけど、「メタンフェタミン」を最初に合成したのは実は日本なんですよね。それが「ヒロポン」という名で国中に広がり、日本が覚せい剤大国になっていたという話は『麻薬王』という映画でも描かれているので、気になる方はぜひ。

そういう歴史も踏まえると、なんかすごく申し訳ない気持ちになってきますね…。

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万能な救済はなく、すれ違う両者

では覚せい剤や薬物依存の恐ろしさを認識すれば、治療は順調に進みだすかといえば、そうではなく…。

今度こそは大丈夫と思ってもまたもや薬物に手を出してしまう状況が繰り返されるシーンが続きます。ここはもう観客としてもデヴィッドに心情を重ね、一緒に期待し、失望し…という山あり谷ありを経験するので、観ていて疲弊してくる場面です。

薬物依存症は現代の医学では特効薬がないので、当然のように、薬を飲んで休んでいれば治るみたいなインフルエンザとはわけが違います。かといって社会復帰のための更生施設に入れさえすれば改善するものでもありません。結局は明確な有効策はない。その苦しさが何重にもオーバーラップして映画から伝わってきます。

デヴィッド側にしてみれば、息子を信じているものの、何度も“裏切られた”ことになり、しだいに息子への愛情さも麻痺していくことになります。対するニックはニックで、何度も“裏切ってしまう”自分に嫌気がさし、こちらもあるはずの父への愛情がくすんでいき…。

結果、両者はすれ違うばかりに。それを視覚的に表現するシーンとして、後半、誰もいない実家に忍び込んで父たちが帰ってきたので車で逃げるニックと、それを車で追うカレンの構図が印象的。この場面、デヴィッドはすでに追いかける気力もないのが虚しいです。

一方で、本当に助けを求め、更生施設ではなく家に帰りたいと懇願するニックのヘルプ・コールに対して、あれだけ前半では身を削って支援していたデヴィッドが、拒絶の態度を示すくだりは、その過程を見て知っているだけにただただ悲しくなります。

家族が助けたいと思ったときに、助けられることを拒む患者。患者が助けてほしいと思ったときに、助けることを拒む家族。きっとこのすれ違いは薬物依存症の治療の現場では日常的なのでしょうね。

もちろん、本作で描かれることはあくまでこの父子の物語。全ての薬物依存症患者を代表するものではないです。

でも本作はその問題の中にある普遍性をすくい取って、わかっていない第三者に見せようとしているし、少なくとも私はその苦悩を1%程度かもしれないけど共有できた気がしました。

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「I love you more everything」

万能な救済方法はない以上、デヴィッドとニックにできるは人生をリスタートすることのみ。

本作では何度も回想としてニックが子どもの頃の場面がフラッシュバックして描かれます。その映像はどれも穏やかで温かい世界です。これは現実の薬物依存状態の悲痛な姿との対比にもなって物語のドラマチックさを盛り上げますし、プラスして、人生のリスタートをする過程で生じる「自分自身の見つめ直し」を示すという意味でも効果的に活きていると思いました。

このあたりの演出は完全に脚本の“ルーク・デイヴィス”が『LION ライオン 〜25年目のただいま〜』でもやっていた「ルーツ探し」と同じですね。あちらは自分の記憶を頼りに故郷を探す物語でしたが、『ビューティフル・ボーイ』は自分の記憶を頼りに薬物にまみれていない素の自分を探す物語ともいえます。

本作は「患者の傍にいてあげることが大事です」とか「抱きしめましょう」みたいな安っぽい某広告みたいなキャッチフレーズで終わるような映画ではなく、ちゃんとこの“自分を見つめ直す”ことに焦点を置いているのが経験者ならではの正しい姿勢の提示だなと感じるところ。要は「復帰おめでとう、まあまあ、今日は忘れてパーと気分よくいきましょう!」的な楽観的“寄り添い”ではなく、「一緒に自分を再構築する作業を手伝いますよ、どんなときでも」という真摯な“寄り添い”が必要なんだということ。

実際、ニックはリスタートしたはずの大学でそこで出会った新しい仲間による楽観的“寄り添い”によってまた薬物依存を再発をしてしまったわけですから。

その点、父デヴィッドは真摯な“寄り添い”ができる人物になれた。それができた理由は、血縁関係だったからとかいうものではなく、支え合おうという実直な気持ちゆえ。史実では当人いわく手記を交換し合ったことも互いの理解に大きく貢献したことが、公式サイトで当人の言葉として語られています。

「もし僕が死んでも、それは自分自身の問題で、父には影響なんてないって考えていたんだ。実際は、いろんな面で迷惑を掛けて、混乱させ、苦しめていたのに。僕は知らなかったんだ。その一方で、父も僕のことを延々と続くパーティーをやっていると誤解していた。物凄い苦痛の中にいたことを初めて知ったんだ」

ラストのシーンは映画の序盤とそんなに変わりないイチ場面に見えるかもしれませんが、二人が確実に以前より理解を深め合いながらリスタートを繰り返す…まさに始まりを示すエンディングで良かったです。

こんな素晴らしいドラマにあえて苦言を言うのも心苦しいですけど、“ティモシー・シャラメ”の起用は唯一の「美化」ポイントではありますよね。でもそれで観に来る人もいるのは事実でしょうし、難しいなと。まあ、『グリーンブック』と同じことを書きますけど、本作を入門編にすればいいのではないでしょうか。これを機に、映画だけでなく、いろいろな薬物依存症関連の本やイベントに関心を持ち、ゆくゆくは患者を包括的に支援するサポート体制を国に求めたりとか、活動に繋がればいいですよね。

薬物依存にお困りの方は、ネットに流布する不正確な情報に惑わされず、公的機関および専門機関の正確な情報とサポートに頼りましょう。以下に厚生労働省のサイトを紹介しておきます。

『ビューティフル・ボーイ』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 68% Audience 74%
IMDb
7.3 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★
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作品ポスター・画像 (C)2018 AMAZON CONTENT SERVICES LLC.

以上、『ビューティフル・ボーイ』の感想でした。

Beautiful Boy (2018) [Japanese Review] 『ビューティフル・ボーイ』考察・評価レビュー