正義は言葉だけでじゅうぶん伝わる…映画『アルゼンチン1985 ~歴史を変えた裁判~』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アルゼンチン・アメリカ(2022年)
日本では劇場未公開:2022年にAmazonで配信
監督:サンティアゴ・ミトレ
アルゼンチン1985 歴史を変えた裁判
あるぜんちん1985 れきしをかえたさいばん
『アルゼンチン1985 歴史を変えた裁判』あらすじ
『アルゼンチン1985 歴史を変えた裁判』感想(ネタバレなし)
アルゼンチンの歴史の闇を裁く
今日も今日とて、不正や不義を問われた政治家たちは「身に覚えがありません」という言葉も凝りもせずに繰り返しています。多くの政治家は自分が不利になる出来事に関しては頭の記憶を部分的に消去する能力を持っているらしく、わりと簡単にポンポン記憶が消えます。そんなに記憶が消えやすいのでは政治活動するのも支障がでるでしょうし、なおさら記憶に頼らず記録をとるものだと思うのですけど、不思議なことに記録まで消えてしまうのです。どっかの魔術師が魔法を失敗しているのかな…。
そのような政治家の皆さんは今回紹介する映画をよく観て、肝に銘じてほしいですね。どんなにあなたがしらばっくれても、追及からは逃れられないことを…。
その映画とは本作『アルゼンチン1985 歴史を変えた裁判』です。
この『アルゼンチン1985 歴史を変えた裁判』を鑑賞する前に、アルゼンチンの政治史をざっくり理解しておいた方がいいので、簡単にまとめておきます。
アルゼンチンは南米に位置する国です。スペイン植民地時代は独立戦争と共に終焉を告げ、内戦が勃発します。1861年に国家統一が達成され、第一次世界大戦は中立国となり、国はかなり潤いました。ところが1929年の世界恐慌がアルゼンチンを襲い、経済は大混乱。イポリト・イリゴージェン政権は1930年に軍事クーデターで追い出され、ここからアルゼンチンは軍と政府の距離が密着したり、少し離れたりを繰り返す、非常に不安定な状態に突入します。
1976年3月、ホルヘ・ラファエル・ビデラ将軍がクーデターを起こし、当時のイサベル・ペロン大統領(世界初の女性大統領でした)を追放し、アルゼンチンは再び軍事政権に染まってしまいます。このビデラ政権はこれまでの軍事政権以上に弾圧によって支配を強め、多くの人たちを残虐な目に遭わせました。
結局、ビデラ政権は経済政策で大失敗し、1983年の大統領選挙と議会選挙によって軍事政権は終わりを告げます。以降は、アルゼンチンは軍部が政権を独占せず、民主主義を貫いています。
で、映画に話を戻しますが、『アルゼンチン1985 歴史を変えた裁判』はそのアルゼンチンが1983年に民政を取り戻してから、軍事政権下で行われた残虐的弾圧に関する軍幹部の責任を問う裁判を描いた実話です。
軍事政権が終わったなら裁判も粛々と進むのでは?と思うかもですが、当時はそうもいきません。軍部と仲良かった人たちが中枢にその時点でもたくさんいるわけで、それは司法関係者も同様。軍幹部を断罪する裁判に関わりたがらない事態になります。
この歴史に残ることは確定しているようなものだけど、最悪の困難しか待っていないことも決定済みで、なおかつ下手すれば軍部の責任が無かったことの証になるかもしれない危うすぎる裁判。その裁判にて軍部の責任を追及する側の検事という、最もハイリスクでプレッシャーが大きい役どころを任せられてしまった男。それがこの『アルゼンチン1985 歴史を変えた裁判』の主人公です。
その主人公がいかにしてこの裁判を乗り越えていくか。本作は法廷ドラマとしても政治ドラマとしても骨太な内容になっています。
『アルゼンチン1985 歴史を変えた裁判』はヴェネツィア国際映画祭のコンペティション部門に出品され、批評家から高い評価を受けました。米アカデミー賞の国際映画賞のアルゼンチンのエントリー作品にもなっています。
『アルゼンチン1985 歴史を変えた裁判』の監督は、『パウリーナ』や『サミット』を手がけた“サンティアゴ・ミトレ”。
日本では劇場公開されませんでしたが、「Amazonプライムビデオ」での独占配信となったので、かなり見やすいはずです。物語の中身としても法廷ドラマですがそんなに小難しい話題でもないので、シリアスな題材ながらも鑑賞のハードルは低いでしょう。140分ありますが結構あっという間ですよ。
『アルゼンチン1985 歴史を変えた裁判』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :じっくり満喫 |
友人 | :法廷ドラマ好き同士で |
恋人 | :ロマンス要素無し |
キッズ | :歴史の勉強に |
『アルゼンチン1985 歴史を変えた裁判』予告動画
『アルゼンチン1985 歴史を変えた裁判』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):二度と再び
1983年12月、アルゼンチンでは7年ぶりに民政が復活しました。アルフォンシン大統領は軍政期の人権侵害を追及しますが、ゲリラ戦のためとする軍は軍事裁判しか認めません。新政権発足から7カ月、進展を見せない裁判は民事司法の手に渡るとの噂がすぐに広まりました。そうなれば裁判は控訴裁判所の管轄となり、検察官フリオ・ストラセラがその任を負うことになります。
フリオは息子ハビに娘のカレシを見張らせていました。フリオはその娘のボーイフレンドを諜報員だと疑っていたのです。妻は神経質すぎると呆れます。
職場に行くとブルッゾが話があると電話してきたと言われますが、電話を切れと部下のスサナに指示します。しかし、ブルッゾがこっちに来るというので、フリオは逃げるように出かけてしまいます。
1984年7月4日、「二度と再び」特別放送を居間で家族と見ていました。
「国家失踪対策委員会が作成した報告書は皆さんがご覧になるでしょう。証言から痛ましい事実が明らかになるはずです。しかしこれはアルゼンチンの暴力を片面から見たに過ぎません。もうひとつの側面から見れば、悲劇は破壊工作とテロリズムによってアルゼンチンは襲われたことを示しています」
国土安全保障長官のアントニオ・トロッコリがそのように会見しており、テレビを消すフリオ。「こうなることはわかっていた」と苦々しく口にします。これでは独裁政権と何も変わらない…。
結局、逃げきれなくなり、ブルッゾと対面。判事たちの要請で、フリオは断れない立場に追い込まれたことを自覚します。でも茶番劇になるのではないか。裁くなんて無理ではないか。不安が渦巻きますがやるしかありません。
1984年9月25日。軍最高評議会からの通達。それを受け取った控訴裁判所では、残虐行為は部下が勝手に行ったもので被害者側に落ち度があると述べているような文書を見つめ、こんなものは受け入れられないと揉めていました。けれども裁判をしないわけにもいきません。証拠は検事が集めるしかないので、後は検事に託すのみです。
通知がフリオに届きます。「上層部の幹部たちを全員刑務所に送ってやる」と息子に語るフリオ。受理し、覚悟を決めました。
まずはチーム作りです。ツテを利用しようとしましたが、当てとなると思っていた人物には次々と断られ、候補が誰もいないという事態にいきなり直面。
とりあえず初日を迎えますが、ルイス・モレノ・オカンポという男が副検事として補佐でついてくれることになりました。フリオも知らない男で、実績は無いそうです。
被告人が法廷にゾロゾロと入ってきます。
ホルヘ・ラファエル・ビデラ、オルランド・ラモン・アゴスティ、ロベルト・エドゥアルド・ビオラ、オマール・ドミンゴ・ルーベンス・グラフィーニャ、ホルヘ・イサーク・アナヤ、バシリオ・アルトゥーロ・ラミ・ドゾ、アルマンド・ランブルスキニ、レオポルド・フォルトナト・ガルティエリ、エミリオ・エドゥアルド・マセラ…。
みんな軍部の大物ばかり。そして全員が「これは軍法会議が妥当です。不当な法廷です」と口を揃えます。
このかつての権力者を裁くことはできるのか…。
正義と未来は若者が作る
『アルゼンチン1985 歴史を変えた裁判』は後に「フンタス裁判」として歴史に残ることになる重大な裁判を扱っています。ラテンアメリカにおいて独裁政権の権力者たちに対して民主主義政府がこれほど大規模な裁判を行った唯一の事例だそうです。似たような事例としては、第二次世界大戦において連合国によって行われたドイツ・ナチスの戦争犯罪を裁いたニュルンベルク裁判がありましたが、この本作で描かれるフンタス裁判は序盤はなんとも頼りない感じで始まります。
まず主人公のフリオ・ストラセラさえもモチベーションが上がっていないわけです。その背景には政治に対する一種の諦めのような冷めた目線があります。「どうせ自分が頑張ってもこんな社会、変わりっこない…」そんな気持ちは誰しも抱いたことはあるのではないでしょうか。
加えてどこかに後ろめたさもあります。独裁政権時に自分は何をしていたかを考えてしまうと…。それはフリオとタッグを組むことになるルイスも同じで、彼も軍人家族の恩恵の中で育ち、今こそ正しいことをしたいと熱意を燃やすけれども、その過去は消えやしない。
しかし、本作はどんなに加害構造に加担・黙認していたとしても、人は正しくあろうと行動をすることはできると、ストレートに訴えかけます。登場人物は悩み葛藤していますが、映画自体は不安定に揺れたりは絶対にしません。
そこでチームに加わるのはほぼ経験無しの若者たちです。このメンツがまた面白く、本作のシリアスな主軸に少しのユーモアを交えてくれつつ、国の未来は若者が作るのだという核心的な部分にも重なってくる…とても上手いストーリーテリングだなと思いました。
ストラセラ・チルドレンの大活躍もあって、4カ月ちょっとの短い期間にも関わらず、16冊4000ページ800人以上の膨大な証拠が国中から集約されて用意できたくだりは、なかなかに盛り上がる展開です。
この軽妙さは『シカゴ7裁判』とかを思い出しますね。
なんだか私は日本ともオーバーラップしてしまいました。国の中枢が高齢者ばかりで保守的になってしまったら、自浄作用さえも失ってしまうわけで…。権力に依存しない若い人たちの役割は要になりますよね。
けれども一難去ってまた一難。今度は妨害工作と思われる脅迫が相次ぎ、とくにルイスは精神的に滅入ってきます。作中ではワンシーンだけでしたが、実際は爆発事件が相次いで大統領が非常事態宣言をだすまでに悪化していたそうです。
そこでフリオは職に徹することの重要性を説き、その姿勢を貫きます。職業映画としてのブレなさも、この映画を安心して観られる理由のひとつでした。
言葉を聞け
『アルゼンチン1985 歴史を変えた裁判』の法廷ドラマとしての安心感のもうひとつのポイントは、余計な視覚的映像に頼っていないことです。
どうしてもありがちなのですが、凄惨な事件を取り扱う裁判だと、その事件の部分的な内容が映像として映し出されることがあります。殺人事件だったら殺人の瞬間とか…。これは映画やドラマといった映像作品の持ち味を生かし、観客を飽きさせないためなのはわかります。
でも凄惨な映像が突きつけられるというのは非常にトラウマを煽る負の効果もあり、そもそも題材となった実在の事件がある場合、その被害者や遺族の感情としてもどうなんだという問題点は無視できません。
ドラマ『未成年裁判』とかも面白いですけど、強烈な事件映像にウっとさせられるのは結構ツライなと私も毎回思っていました。
一方でこの『アルゼンチン1985 歴史を変えた裁判』はそうした類の映像がありません。法廷で証言する被害者や目撃者の言葉だけで観客にアプローチします。これが本当に良くて、言葉のパワーは映像よりもはるかに雄弁に人の心を動かすことを証明してくれます。小手先の映像演出なんていらない、当事者の声を聞け!というインパクトはまさに歴史の真実を最大限に尊重した映画の在り方だと思いました。
それが最も映画の見せ場となるのが終盤のフリオの論告のシーン。怒りと正義に満ちた力強い言葉。それは全ての犠牲者を代弁するにふさわしいものであり、だからこそ語り終えたとき聴衆が拍手と歓声をあげる。序盤のあまりにも味気のない国土安全保障長官の特別放送と完全な対比になっています。「二度と再び(Nunca Más)」という言葉を口にするならこれくらいは覚悟を持てという強烈な声明です。
この後に判決がでる前にフリオが「全員終身刑だ」と死にゆく人物に告げる場面がありますが、それは本作の表明でもあるようなもので…。つまり、どういう結果になろうとも(実際は最初の判決では全員が終身刑にならなかったのですが)、犯罪に手を染めた権力者を許しはしないし、ずっと罪を問い続けますからね…という姿勢。フリオの炎を再度燃やすのが本作最年少の息子の言葉だというのまた良い演出です。
何年、何十年経とうとも必ず悪しき権力者を断罪するまで諦めない。「身に覚えがない」「部下がやった」の言葉を隠れ蓑に逃がしはしない。映画の題材にだってしてやる。そういうことです。
聞いてますか? 権力者の皆さん。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 97% Audience 97%
IMDb
8.1 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)Amazon
以上、『アルゼンチン1985 歴史を変えた裁判』の感想でした。
Argentina, 1985 (2022) [Japanese Review] 『アルゼンチン1985 歴史を変えた裁判』考察・評価レビュー