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『紅き大魚の伝説』感想(ネタバレ)…中国アニメーションの本気

紅き大魚の伝説

中国アニメーションの本気…Netflix映画『紅き大魚の伝説』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

英題:Big Fish & Begonia
製作国:中国(2016年)
日本では劇場未公開:2018年にNetflixで配信
監督:リャン・シュエン、チャン・チュン

紅き大魚の伝説

あかきたいぎょのでんせつ
紅き大魚の伝説

『紅き大魚の伝説』あらすじ

「捕まえてはならない魚がいる。天のものだから」不思議な別世界に暮らす少女は赤いイルカに姿を変え、短い間だけ人間界をさまよう。そこでの男の子との出会いが、運命を決する旅路に少女を駆り立てる。その先に待つのは、犠牲と別れ。

『紅き大魚の伝説』感想(ネタバレなし)

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中国アニメーションが本気を出している

私は普段テレビアニメはほとんど観ないのですが、なんでも昨今の日本のアニメ業界はオーバーワークによって疲弊し、業界の存続が危ぶまれているとか…。労働時間の増大、低賃金、技術継承の不足など問題は山積みで、アニメ大国の看板は大きくぐらついているという話を聞きます。一体、“クールなんちゃら”は何をしているのか。

その一方で勢いを伸ばしているのがお隣の大国・中国のアニメーター。日本からの仕事を受注し、日本アニメを数々手がけて経験を積み、今では日本のアニメを裏で支えている欠かせない“縁の下の力持ち”。私たち日本人は何かと「中国=低品質」だとかいうイメージで下等と見なしがちですが、実際のところはアニメのみならず、家電など製造業や、ITなど先進分野でも負けを喫している事実は無視できないものであり、もう偉そうに上から目線でモノを言える立場じゃないのでしょう。いつか日本は土下座して中国に教えを乞う時代が来る…のかも。

そんななか、中国は何も日本のアニメだけを作っているわけではありません。本国でもアニメを作っています。ではアニメーション映画はどんな感じなのでしょうか。最近、『君の名は。』が中国でも大ヒットしたことを耳にしましたが、まだ日本は優勢の座に陣取って余裕でいられるのでしょうか。

残念なことにそうも言っていられないようです。

中国アニメーションの本気をハッキリ見せつけられる作品が本作『紅き大魚の伝説』です。

私自身、完全に中国アニメーションを舐めていたなと実感させられました。孫悟空ばかり作っているんじゃないんだ…(失礼)…こんなことできるのか! 正直、2018年に鑑賞したアニメーション映画ではベスト級の一作として記憶に刻まれました。

何が凄いのかといえば、まず独創性。本作は中国思想の道家の文献「荘子」からインスピレーションを得ており、それをファンタジーとして巧みに開花させた世界観。雰囲気的には『千と千尋の神隠し』や『バケモノの子』にも似ているような非人間世界を描くものですが、日本にも多大な影響を与えた中国文化を色濃く反映したキャラクターや舞台はどれも新鮮。最近は『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』など地域の伝統や歴史を主題にした芸術性の高いアニメーションが世界で高く評価される傾向にありますが、本作も「ザ・中国」という堂々たる風格。決してカンフーするだけが中国ではないことを見せつけてます。

それに加えて本作は、『君の名は。』のような、若い男女の出会いと別れの愛の物語を、伝統や歴史を主題にした古典に上手く絡ませており、単なる批評家向けのアートな作品で終わらせていないのも巧みです。王道ファンタジーアドベンチャーというエンタメ性を確保しつつ、中国古典へのリスペクトを忘れない、非常に見事なバランス。

個人的には、ジブリ終焉後の日本アニメ映画は、『この世界の片隅に』などを除き、商業映画にシフトしすぎている傾向を強く感じていました。そんな状況での、商業的な匂いがしない本作の出現は衝撃的。あまりこの言葉は使いたくないですがマスメディアがこぞって使う「ポスト宮崎駿」は本作の監督じゃないかと思うくらいです。日本人的には宮崎駿よりも手塚治虫っぽさを感じたりもしました。こんな才能がいるんですね。

といっても、本作は2004年のショート・フラッシュ・アニメから始まり、劇場作が公開に至るまで難産でした。まだ中国ではこういうアニメを作る土台が整っていないことを裏付けています。逆に言えば、今後の成長の伸びしろが恐ろしいくらいで、ワクワクします。

2016年の作品ですが、日本では2018年になってNetflixオリジナル作品として公開。劇場で観たかったのが本音ですけど、配信されるだけありがたい方かもしれません。Netflixユーザーはぜひ見逃さずに。

↓ここからネタバレが含まれます↓

『紅き大魚の伝説』感想(ネタバレあり)

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摩訶不思議ワールド

老齢の女性のナレーションで始まる本作。

私たちは何者?
どこから来た?
どこへ行くの?
誰も考えようとしない
毎日仕事に行って
日々笑ったり
文句言って
買い物して
食べて 寝る
一世紀が過ぎた
私は百十七歳になってしまった
いつも言っている
人は皆
海から生まれた大きな魚だと
人生は旅路
海を渡ること
誰も聞かない
老いぼれとあざける
夢は未だに鮮明
大きな魚たちが
天を下る姿
私に呼びかけている
美しい声音が記憶を掘り起こす

これは本作の主人公チュンの声であり、エンディングまで観てからこのナレーションを振り返るとわかるように、本作の物語は全体が回想になっています。ラストであの選択をしたチュンがその後何を思って生きてきたかがわかる、非常に重要な語りです。

とにかく独創的な世界観が広がるので、最初は頭の整理が追い付かなくなりますが、簡単にいえば人間の世界(人間界)は天空と海底の狭間にあることになっており、海底の世界には非人間の存在がたくさん暮らしています。海底といってもアトランティスみたいなところではなく、普通に陸地や草花が広大に続く桃源郷。

この海底の世界で暮らすチュンという少女は、成年式を迎えていました。これは前の年に16歳になった子どもは人間界に送られ、人間界を7日間彷徨い、自然の法則を観察するという経験をする儀式。その間は、赤いイルカの姿に変身し、人間とは接触してはいけないというルールがあります。年齢的に一足先に人間界に行ったことのある青年チウや、家族に見送られながら、海天の門を通ってチュンは赤いイルカの姿で人間界の海へ。

そこで人間と青年とその幼い妹を見かけつつ、チュンは人間の世界を見て回るのですが、最終日、網に捕まって動けなくなったチュンはその青年に助けられます。しかし、助けた青年はそのまま渦潮に飲まれ、溺れ死んでしまい、失意のまま、元の世界に帰ってくるチュン。その後悔を忘れられないチュンは、魂の番人に頼んで寿命の半分と引き換えにあの青年を蘇らせることを決意。青年の魂は小さなイルカになって、クンと名付けてしばらく育てることになります。ところが、それは災いの予兆でもあり…。

物語の導入はこんな感じ。私はまず驚いたのが、ストーリーは基本的に海底世界で進行し、海底世界の存在が主人公になるということ。一般的には、人間が異世界に迷い込むとか、異世界の存在が人間界に迷い込むなどのギャップをストーリーの仕掛けにすることが多いのに、本作はその手を使いません。なので、観客側はとにかくずっと異世界だらけで、脳をダイレクトに刺激し続けます。かなり思い切った構成ですね。

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無為自然を象徴するラスト

その世界観が、とにかく説明不可能な摩訶不思議さ。これだけをずっと見ているだけでも楽しいものです。

見た目は普通だけどもベゴニアの植物を成長させる能力を持つチュンとその一家。他にもこの世界で暮らす者の中には明らかに人間風ではない見た目の存在もいますが、よくわかりません。そもそも彼らが何者なのかも不明です。チュンの語りによれは「私たちは神でも人間でもない。“その他”」とのことで、つかみどころは全くもってゼロ。まあ、理解しなくても全然物語に入れるのですが…。

そんな中でも一際異彩を放つ存在が、まず「魂の番人」。猫しか友人がいないというコイツは最初は憎たらしいキャラで、不気味でもありますが、ラストはまさかの好感度上昇ポイントが用意されているという…。なかなかにズルい奴でした。

一方で、大量のネズミ軍団を操る謎のネズミババア(年齢も性別も不明ですけど)のインパクトたるや。

それら個性の強すぎるキャラクターがわんさかいる今作ですが、それでも物語自体はあくまでチュンとチウ、そしてクンという3者の関係性を描くことに徹しているので、そんなに難解ではないんですね。言ってしまえば三角関係的なドラマが繰り広げられます。しかし、エモいようなベタベタな恋愛描写は一切ありません。途中まではロマンス成分も感じるのですが、ラストまで見ると何か違うなと思わせます。

その原因は、本作の物語のもっと大きな根幹には生と死という輪廻の構造があり、非常にスケールが大きい大局的な見方を提示して終わるからでしょう。アジア的なテーマには欠かせない「死」の問題。『KUBO クボ 二本の弦の秘密』では日本の死生観を描くものでしたが、やはりアジアは同じ文化を共有しているなと思わせます。

本作では魂は魚となり、死は終わりではなく、悠久の流れを彷徨う過程にすぎない。結果的に若い男女のラブロマンスなんてものは、そのほんの一部に見えてくるんですね。

それでも作中のチウの叶わぬ思いは切ないものでしたけど。「あなたは兄妹同然」と言われたときの、チウの心境たるや。すでにこの時点では命を捧げてしまった立場ですし、そりゃあ涙ですよ…。ちなみに本作の英題にもある「ベゴニア」。ベゴニアといっても色々種類があるのですが、歴史があり、中国原産であるベゴニアの一種シュウカイドウの花言葉は「自然を愛す、恋の悩み、片思い、未熟」だそうです。

チュンやチウのやってしまったことは、自然の法則を観察するという“その他”の存在の立場から明らかに逸脱したことですが、それさえもやはり自然の成り立ちであったかのように思わせる。まさに本作の土台にある老荘思想の無為自然(あるがままにいること)を体現するようなトーン。それを一番象徴する、ラストカットの大海原の砂浜で目覚める人間のクンと彼に歩み寄り手を伸ばすチュンのセリフ一切なしの引きがまた本作の格調を一気に引き上げています。

いわゆる「セカイ系」とはまた違った印象を与えてくれます。

ここで二人幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたしではないのですから。「犯した罪は永遠に抗えない」という魂の番人の言葉どおり。罪は罪。犠牲は犠牲。冒頭のナレーションと合わせて、私たちはあるがままに流れに身を任せるしかない存在だと悟る。それだけです。

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二つの世界を行き来するアニメ

物語性はこのくらいにして、アニメーション技術の方ですが、『紅き大魚の伝説』は別にトップクラスで絵が素晴らしいというわけではありませんし、それなら邦画でももっと精密な絵を描いている作品はたくさんあります。ただ、本作の場合はそこまで完璧な製作体制のもとで作られた一作ではないことを鑑みると、ここまでのクオリティはじゅうぶん凄いものだと思います。

印象的なのはダイナミックな空間を3次元的に使ったカメラワークでしょうか。成年式の舞台ともなる円形の広場(いわゆる「円楼」)の流れる横移動や、階段による建物の上下移動など、カメラがぐぐっと動くシーンが多いです。また、魂の番人がいる雲が無限に広がる世界や、終盤の大洪水シーンなど、世界の広大さを印象付ける演出も観客を作品にのめり込ませるのに効果的。

その最たる巧みなシーンはやはりラストかな。目覚めるクンを画面に据えて、水中をこちら側に泳いでくる小魚に向き合うように後退するカメラ、そこへフレームインするチュンの姿。カッコいい絵です。

こういう個々の演出がしっかりしているからこそ、物語性も引き立つというものであり、総合的なバランスの高さは才能の証。今後の成長が楽しみです。

そもそもアジア初の長編アニメーション映画は中国発祥であり、それが日本に渡ってきた歴史を考えると、今また日本から中国へアニメが逆流しているのかもしれません。二つの世界を行き来するなんて、本作のストーリーみたいですね。

中国アニメーション、さらにどんな進化を遂げていくのでしょうか。

『紅き大魚の伝説』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 90% Audience 64%
IMDb
7.2 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 8/10 ★★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)Netflix

以上、『紅き大魚の伝説』の感想でした。

Big Fish & Begonia (2016) [Japanese Review] 『紅き大魚の伝説』考察・評価レビュー