どんつこつこつこ、わっしょいわっしょい!…アニメシリーズ『ONI ~ 神々山のおなり』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ・日本(2022年)
日本では劇場未公開:2022年にNetflixで配信
監督:堤大介
人種差別描写
ONI 神々山のおなり
おに かみがみやまのおなり
『ONI 神々山のおなり』あらすじ
『ONI 神々山のおなり』感想(ネタバレなし)
「Tonko House」祭り、開催!
日本とアメリカのアニメを対比的に語って、まるで対立を煽るような論調に持っていこうとする人が一部で散見されるのですが、そんなのはナンセンスだと思っています。とくに今は非常に制作体制もグローバルになりつつあり、多くの国々が関与することも増えました。こんな状況では、アニメに国籍を付与するみたいな前提の議論は成り立ちません。「日本アニメ」「アメリカのアニメーション」といったカテゴリも意味をなさなくなりつつあるでしょう。
そんな中、以前から日本とアメリカを橋渡しするように活動し、国境にとらわれない創作活動をし続けてきたひとりのアニメーション・アーティストがいました。
その人とは“堤大介”。または「Daisuke “Dice” Tsutsumi」の名で表記されます。
“堤大介”は日本の東京出身。しかし、アメリカで芸術を学び、2000年からはブルースカイ・スタジオで働き、2010年からはピクサー・アニメーション・スタジオに入社していくつかの作品に参加しました。
そんな“堤大介”の名が業界に大きく知れ渡ったのは、2014年、“ロバート・コンドウ”共同監督との短編アニメ映画『ダム・キーパー』がアカデミー短編アニメ賞にノミネートされたときです。この作品は批評家からも絶賛され、“堤大介”監督の独自性を貫くクリエイティブな道が開かれていきます。
“堤大介”監督は“ロバート・コンドウ”と共に2014年に「Tonko House(トンコハウス)」を立ち上げ、インディペンデントなアニメーション・スタジオとしての1歩を踏みだしました。
そして2022年、ついにこのスタジオのゆっくりした歩みが大作として結実しました。
それが本作『ONI 神々山のおなり』です。
『ONI 神々山のおなり』は、「Tonko House」の“堤大介”監督による全4話、1話あたり約40分なので、総計約160分と、1本の長編映画に相当するボリュームのあるアニメーション作品です。これまでの短編とは違う大きな規模となりました。
けれども作品の魅力はこれまでどおり。いや、これまで以上の魅力を発揮してくれています。ストップモーション風のCGハイブリットな作品ですが、実に“堤大介”監督らしいユーモアと愛嬌のあるキャラクターたち、そしてほんの少しダークな心象描写を重ねつつ、オリジナリティ溢れる世界観を見せてくれています。
もう完全に私の偏愛ですが、個人的には2022年に鑑賞してきたあらゆる作品の中でもベスト・オブ・ベストですね。満点をあげたい。それくらいに私は夢中になりました。
今回の『ONI 神々山のおなり』はNetflixがタッグとしてついてくれたので、完成にこぎつけたのだと思いますが、“堤大介”監督にはおカネをじゃんじゃん与えるべきですよ。絶対に最高の作品を作ってくれるから。
『ONI 神々山のおなり』は、日本の妖怪や鬼などの民俗風習を題材にした世界観で、ひとりの子どもが「自分は何者なのか」と向き合う物語です。子どもも大人も楽しめる愛らしいキャラクターがわんさか登場しつつ、ストーリー面ではしっかり心を動かす興奮をもたらしてくれます。
今作は、脚本に『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』『心が叫びたがってるんだ。』『空の青さを知る人よ』などのシナリオを手がけ、2018年には『さよならの朝に約束の花をかざろう』で監督も務めた“岡田麿里”が起用されており、その持ち味をとても上手く活かしています。
これは私の評価ですけど、たぶん脚本家“岡田麿里”としての才能だけだど、ややシリアスでエモみ強めの心象的な描写に頼りすぎになりがちなところを、“堤大介”監督の得意分野であるユーモアと演出センスできっちり無駄なくまとめあげており、今回は完全にチーム技の勝利だったなと…そう思います。
『ONI 神々山のおなり』は思いっきり日本が舞台ですが、制作としては日本・アメリカの合作。日本語で鑑賞すれば、当然日本の吹き替え陣で物語を堪能でき、こちらのクオリティもじゅうぶん。一方で、英語音声のクオリティも負けていません。
主人公の声を担当するのは、ドラマ『ベビー・シッターズ・クラブ』でおなじみの“モモナ・タマダ”。
さらに主人公の大親友である「かっぱ」の声を担うのは、『ジョジョ・ラビット』や『ホーム・スイート・ホーム・アローン』でみんなをメロメロにした“アーチー・イェーツ”。この“アーチー・イェーツ”の「かっぱ」が“アーチー・イェーツ”そのまんますぎて笑っちゃうので、ぜひ英語音声でも観てみてください。
『ONI 神々山のおなり』はNetflixで独占配信中です。
『ONI 神々山のおなり』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :2022年の傑作のひとつ |
友人 | :アニメ好き同士で |
恋人 | :気軽に見れる |
キッズ | :子どもも大満足 |
『ONI 神々山のおなり』感想(ネタバレあり)
あらすじ(序盤):鬼を退治したい!
神々山の境界にある橋では、山の守護者である天狗が何かの気配を察知し、臨戦態勢をとっていました。きっと鬼に違いない…。そして暗闇からヌっと現れたのは…赤い体躯の存在。それは手に赤ん坊を抱えていまそた。「お前は鬼じゃないのか、だったら何者だ?」
年月が経過。“おなり”は一緒に暮らす父の“なりどん”と戯れていました。幼い頃からずっと持っている人形も大切な品ですが、“おなり”はヒーローに憧れており、いつか“くし”の力を手にして、鬼を倒す気満々です。そんな“おなり”を優しく見守り育ててきた“なりどん”は今日もご飯を用意。
そこへ“おなり”の友達の“かっぱ”が来て、一緒に学校へ向かいます。“なりどん”の作った弁当を持って“おなり”はかっぱと元気に出発です。
学校では教室にはたくさんの子どもが勢揃い。先生の天狗が教壇に立ち、怪しげな月が空に浮かんだ時、邪悪に支配された鬼が神々を貪り食う災いが起こることを教えます。天狗の娘であるアマテンは優等生で、先生の前でも一生懸命。そんなアマテンは性格が雑な“おなり”に少し敵意を持っていました。
次に野外で能力の使い方を身につける練習。天狗は風の技を見せ、みんなもそれそれの得意技を磨こうとしますが、“おなり”だけは特別なことができずに、周囲の他の子からは馬鹿にされます。
上手くいかずに落ち込む“おなり”。天狗は“おなり”を校長のもとへ連れて行き、校長は声として“おなり”に助言します。
そして“おなり”は何かヒントになるかもしれないと“なりどん”を観察することにします。“なりどん”は“おなり”がいない間でもずいぶんと自由奔放に過ごしているようです。“くし”の力を見せてくれるような気配もありません。一生懸命に学校で頑張る“おなり”ですが、全然実を結ぶこともありませんでした。
母の夢を見てうなされつつ、“おなり”は鬼への憎しみを溜め込みます。“なりどん”は慰めますが、“おなり”にとっては浮いている“なりどん”の存在がしだいに恥ずかしくなり始め、“なりどん”が学校に来てしまった日にはみんなから笑われ、思わず“おなり”は“なりどん”拒絶してしまいます。
マズい態度をとってしまったかもと凹んでいると、“なりどん”が“もりのこ”を吸いこんでいるのを目撃。“おなり”は“なりどん”を追って橋へ向かいます。
その橋の先で、“おなり”は光る眼のようなものを持つ何かが迫ってくるのを目撃。あれが鬼なのか…。
すると“なりどん”に助けられます。なんと“なりどん”は空を飛んでおり、雲に浮かびながら、空で雷を打ち鳴らすことができるのでした。“なりどん”は雷神なのか…。ということは私は雷神の娘なんだ…。
“おなり”の心は弾みます。まだ真実を知らずに…。
贅沢な世界観の中にとびっきりの愛らしさを
『ONI 神々山のおなり』は何と言ってもキャラクターとそのキャラたちが生き生きと過ごす世界観が魅力たっぷりで、この世界をずっと眺めていたくなります。
妖怪たちのデザインは多くの日本人にとっては見慣れた定番のものではあるのですが、「Tonko House」の“堤大介”監督の真心でどのキャラクターも味わい深い存在になっており、雑にモブキャラとして処理されている感じはひとつもしません。
例えば、ドジで泣き虫な“かっぱ”は本当にそのままの河童なのですけど、頭の皿の水が無くなったら力を失うという設定をベタなギャグとして要所要所で多用しつつ、「what the duck」なんていう英語圏ありきなセリフの遊びも入れたり、かなり自由奔放にやっています。この“かっぱ”だけでも主人公になれそうなキャラクターのポテンシャルがあります(実際にヒーリング能力を持っていたり、“かっぱ”なりのドラマがありました)。
非常に脇役なキャラクターたちも面白さとしては粒ぞろいです。大根と人参はあの弁当のワンシーンだけで見ても「どういう関係なんだ」と想像膨らみますし、個人的には頭にタコを乗せた猫(タコネコという名前らしい)も好きですが、ああいうちょっとしたところにも遊び心があります。
そして一番の魅力として全面に現れるのが“なりどん”。なんというか無邪気な大きい子どものような振る舞いはとにかく楽しいです。一挙手一投足すべてが愛らしさの塊で、視聴者の心を完全にゆるゆるにさせてくれます。
今作では一般的な1秒24フレームとは違って1秒12フレームにあえて抑えており、わざとコマ撮りに見えるカクカクした作りなのですが、そうやって製作コストを下げつつ、作品の魅力は全く減退していないどころか、むしろこの表現じゃないとダメだと思わせる説得力がある。これはもう“堤大介”監督のクリエイティブなアプローチとしての投げ方が見事な角度と速度で突き刺さっている証明ですね。
そしてキャラクターは人形みたいだけど、背景はとても精密なデザインで凝っていて、そこに光の演出がこれまた絶妙に合わさって、ものすごく贅沢な人形劇を観ているような気分にさせてくれます。
結局、予算が無いからこれくらいしかできません…ではなくて、クリエイティブなパワーを最大級に引き出すノウハウというものが注ぎ込まれて生み出されているというのが全シーンから伝わってくる。「Tonko House」はこのアニメーション業界が飽和状態にある中で、個性を突出させており、これは凄まじいことだなと思います。
反転すると見えてくるテーマを祭りで締める
『ONI 神々山のおなり』はそんな見て癒される空間が序盤から満載ですが、物語はシンプルに進むのかなと思ったら、一気に世界が反転してきます。
とくに第2話のラスト。高圧電線からの日本の都会の街並みが出現してからの「起承転結」の「転」はなかなかにドキっとさせられます。一応は伏線があって、“おなり”が神々山の世界観からやや浮き出るヒーローコミックというアイテムを持っていてグレートヒーローに憧れているというシーンがあり、最初はあくまで現代風刺なのかと思ったら、本当に“おなり”は人間の子だったという設定へと繋げていく。
見せ方しだいでは非常にありきたりな種明かしになりかねないのですが、本作はこのあたりの演出も上手く、視聴者としてまんまと心を乗せられてしまいました。
そして愛くるしいだけに見えた“なりどん”の心の苦しさが垣間見えていく。この「こんな可愛いだけと思っていたキャラにそんな苦悩が!?」と視聴者の意表を突く方法は『オリー』などでも体験したばかりですが、アニメーション的なキャラクターだからこそできる技ですね。
『ONI 神々山のおなり』は妖怪と人間という世界の境界線における「異質な他者の排除と共存」を描いており、自然破壊と重ね合わせるあたりは『平成狸合戦ぽんぽこ』的なまさしくそのフォーマットどおりです。
一方で、『ONI 神々山のおなり』はさらに踏み込んで、カルビンという子どもの視点を投入することで、日本社会における「外人」と呼ばれてしまう「外国人差別」の問題もオーバーラップさせてきます。この問題は最近でも『マイスモールランド』でも題材になっていたりしましたが、やはり今の日本社会における非常に無視できない論点であり、『ONI 神々山のおなり』は安易な日本伝統文化賛美になりかねないところをしっかりそう傾きすぎない気の引き締め方も用意している。抜かりない作品ですね。
どんな世界でも異分子とみなされてしまう存在はいるという共通性が、“おなり”とカルビンの間で共有され、異なるもの同士を挟んで食べると美味しいサンドイッチで少しケアされる…。良いシーンです。
他にも、風太郎の劣等感であったり、アマテンとその父・天狗との関係だったり、有害性を滲ませるマスキュリニティにも触れたり、血縁ではない家族の在り方や、“子には母を”という母性神話を崩したり、他の面でも隙の無さが堅実に用意されていたのも嬉しい点でした。
そしてシリアスになるかと思ったら一気に祭りのムードに持っていくこの荒業。本作は躍動感満載の祭り作品です。2022年の祭り作品の最高の一本なのは間違いなし。多様性賛歌に置き換えつつ、日本らしい祭りの良さを最大限に活かす。この潔いラストに雷に打たれたかのように痺れる。ほんと、良い締め方だった…。
私にとっては『ONI 神々山のおなり』が2022年に出会えて一番嬉しかった作品です。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer –% Audience 100%
IMDb
8.3 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)Netflix
以上、『ONI 神々山のおなり』の感想でした。
Oni: Thunder God’s Tale (2022) [Japanese Review] 『ONI 神々山のおなり』考察・評価レビュー