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『ブレードランナー 2049』感想(ネタバレ)…続編でも夢を見るか?

ブレードランナー 2049

続編でも夢を見るか?…映画『ブレードランナー 2049』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Blade Runner 2049
製作国:アメリカ(2017年)
日本公開日:2017年10月27日
監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
恋愛描写
ブレードランナー 2049

ぶれーどらんなー2049
ブレードランナー 2049

『ブレードランナー 2049』物語 簡単紹介

2049年、荒廃して変わり果てた管理社会となったカリフォルニア。人間と見分けのつかないレプリカントを取り締まる捜査官「ブレードランナー」である「K」は、いつもの捜査中に、ある秘密を知る。それはこの世界のシステムの根幹に関わるような真実の裏側であった。レプリカント開発に力を注ぐウォレス社の陰謀を目にしていくと共に、その闇を暴く鍵となる男にたどり着く。その先に何が待つかは知らない。
この記事は「シネマンドレイク」執筆による『ブレードランナー 2049』の感想です。

『ブレードランナー 2049』感想(ネタバレなし)

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不安と期待入り混じる続編

「カルト・ムービー」という言葉があります。一部のマニアが熱狂的に支持する映画のことです。“一部”であるため、当然、万人が見て面白いと思う作品ではないし、興行的にも失敗することがほとんどなのですが、映画史に残る傑作もたびたび生まれます。決して「傑作=興行的成功 or 一般受けの良さ」ではないということですね。

しかし、1982年に公開された『ブレードランナー』は、単に映画的な評価以上に特筆すべき点がある稀有なカルト・ムービーでした。というのも、まるで未来を予知するかのように現実的な未来世界を描いて見せたわけですから。当時はフィクションで描かれる未来世界といえば、ハイテクな技術に囲まれた明るく楽しい感じでしたが、『ブレードランナー』のそれは真逆。それは衝撃を受けるのも無理ない話です。

『ブレードランナー』の監督“リドリー・スコット”は『エイリアン』でも“暗い科学”を描いてきましたが、たぶん「未来はこうだ!」と予想するつもりでこれら作品を創造したわけでなく、単に「SFとノワール」が趣味だったんでしょう。でも結果論的には私たちの未来はこのSFに近くなっているのであり、凄いやら恐ろしいやら…。

観てない人のために一応言っておくと『ブレードランナー』自体、基本はそこまで難解な話じゃないと私は思います。ようは刑事モノです。“ブレードランナー”という刑事の男が“レプリカント”という人工疑似人間を取り締まって殺す仕事中に、なんやかんやあって情が移ってしまい、“レプリカント”の女性と逃避行する…雑なあらすじはそんな感じ。ただオタクが喜びそうなビジュアルと考察しがいのある世界観がたっぷりだったのがカルト化した要因でしょう。だから、難しそうだな…と避けている人がいたら、そこまで警戒するほどじゃないよと言っておきます。

そんな『ブレードランナー』の続編映画が製作される!というニュースを聞いて私含め映画好きなら誰もが「大丈夫か…」と不安になったはず。

まず第1作公開当時から30年以上が経過し、リアルがだいぶ『ブレードランナー』の世界に近づいてしまったぶん、どうしたって映画の世界観で衝撃を受けることが難しくなります。次は何を見せればいいんだっていう…。

また、そもそも映画企画が通るの?と…。第1作でさえ興行的にはコケてしまい、カルト化に終わったわけで、続編が上手くいくわけないと思うのは普通の反応。第1作の製作も大揉めだったことが、2007年のドキュメンタリー作品『デンジャラス・デイズ/メイキング・オブ・ブレードランナー』を観るとわかりますが、きっと続編も難航しまくるのだろうなと…。

良くてファン向けのサービス作品に終わる…最悪、ファンの怒りを買う。最近だとハリウッド実写化された『ゴースト・イン・ザ・シェル』がありましたが、あんな感じじゃないか…そう思ってました。

そして実際どうだったのか。本作『ブレードランナー 2049』を観て、私はどう思ったのか。結論から言えば、土下座しないといけない。もう杞憂だった。いや、舐めてた。私なんか目潰しの刑に処されるべきだった(やっぱりそれは嫌です…)。

本作の監督は、つい去年も文系SF映画『メッセージ』でアカデミー賞に名を残したクレイジー・カナダ人“ドゥニ・ヴィルヌーヴ”。『メッセージ』の私の感想で「ちょっとくらい駄作を作ってくれるほうが安心する」って書きましたが、今回もやってくれるのだもん。あれかな、この人、レプリカント一号機とかじゃないの…。

なお、本作を観る前に気になるのは、実は前日譚となる3本の短編が事前に製作され、公開されていたこと。1本目は『ブレードランナー ブラックアウト 2022』で渡辺信一郎監督が手がけたアニメーションです。2本目『2036:ネクサス・ドーン』と3本目『2048:ノーウェア・トゥ・ラン』はリドリー・スコットの息子のルーク・スコット監督が手がけた実写。ハッキリ言ってどれも必ず見ておくべきものではないです。一応、以下に動画と簡単なあらすじを載せておきます。本作の致命的なネタバレになる要素はゼロです。ただ、本作の衝撃を最大に味わいたいなら、本作『2049』を観てから短編を観るほうがいいかも。

『ブレードランナー ブラックアウト 2022』

2022年。レプリカント・ネクサス6型は4年の寿命を終え絶滅した。しかし、タイレル社は、より寿命の長いネクサス8型の製造を開始した。一方、各地で人間至上主義運動が勃発していた。そして、起きたブラックアウト(大停電)事件。この後、レプリカントの製造は禁止されタイレル社は崩壊した。ウォレス社によって新たなレプリカントが作られるには10年以上を待たなければならなかった。

アニメが独特で魅入る作品。単体でも面白いです。

『2036:ネクサス・ドーン』

2036年。レプリカントの新たな創造主となる科学者ウォレスが、巨大な陰謀を目論んでいた。全く新しいレプリカントを披露するウォレス。そして、不敵にこう言葉を投げかける。「ここで下される決定は、世界の命運を左右する。さて、どうする?」

ウォレスがドヤ顔で新レプリカントをお披露目するだけの話です。

『2048:ノーウェア・トゥ・ラン』

2048年。ロサンゼルス市警は“ブレードランナー”組織を強化し、違法な旧型レプリカントの処分を徹底していた。軍から逃げ出し、この街にたどり着いた旧型の違法レプリカントであるサッパーは、トラブルを避け静かな暮らしを送っていたが、女性を助けたことで居場所がばれてしまう。

『ブレードランナー 2049』直前の話。サッパーの運命やいかに?続きは本編で。

163分という2時間半超えの長時間ですけど、他のエンタメ映画では絶対にありえない見ごたえがある作品です。間違いなく今年を代表する1本になるでしょう。

↓ここからネタバレが含まれます↓

『ブレードランナー 2049』感想(ネタバレあり)

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よく続編つくりました!

私がこんなことを言うのも何様だという感じですが、やっぱり褒めるべきは“ドゥニ・ヴィルヌーヴ”監督でしょう。何度言っても言葉が足りないのですけど、彼は本当に凄いと思います。

まず「続編を手がける」という勇気に拍手です。誰だって「ブレードランナーの続編はちょっと…」と後ずさりするような作品ですよ。絶対に荒れることは避けられないし、“触らぬ神に祟りなし”です。当初は“ドゥニ・ヴィルヌーヴ”監督でさえ続編には難色を示していたらしいですが、よく決断しましたよ。

企画初期は“リドリー・スコット”が監督をする予定であり、創造者本人が続編をやるなら「好きにして」と言えますが、スケジュールの都合ですぐにとりかかれず。ここでリドリー待ちするのでなく、他者にバトンタッチするという判断が暴投で…。たぶん“リドリー・スコット”以外の関係者はハラハラだったんじゃないだろうか…。

しかし、ここで運命の出会いが起こるわけで。選ばれたのは“ドゥニ・ヴィルヌーヴ”。監督に決まったと発表されたのは2015年初頭、つまり『メッセージ』はおろか『ボーダーライン』さえ公開されていない。『静かなる叫び』『灼熱の魂』『プリズナーズ』『複製された男』など高評価作品は手がけていましたが、一般の世間的にはそこまで有名ではない。その人物に任せる勇気。

この2つの勇気が素晴らしいなと思います。

でもこれはひねくれた言い方をするなら、映画が上手くいかなかったときでも作品を褒める口実に使える常套手段です。

そして、『ブレードランナー 2049』がずば抜けて凄いのが、その勇気が無謀に終わるのでなく、これ以上ない完璧な形で成就したことです。

“リドリー・スコット”から受け継いだ“ドゥニ・ヴィルヌーヴ”監督は、変に今の大衆に受けやすいようにアレンジしたりすることなく、ちゃんと『ブレードランナー』を引き継いだんですね。例えば、本作にもアクションシーンはありますが、昨今のド派手もしくはリアル系アクションとは全く違います。恋愛もありますが、イマドキのエモーションなラブストーリーでもありません。映像は非常に作りこんでいますが、実はこれ見よがしなCG満載では構成されていません。うん、『ブレードランナー』なんですよ(バカみたいに繰り返し)。

『スター・ウォーズ フォースの覚醒』はファン受けと大衆受けのバランスが良かったと思いますが、『ブレードランナー 2049』はそのオリジナルの性質上、ファン受けと大衆受けがどうしても共生しない部分があるわけで、そこで迷わず大衆受けを捨てる英断、凄いなぁと。もちろん、本作が新規層を全く考えていないわけではないし、本作からこのシリーズのファンになる人がいてもおかしくないですけどね。

加えて、本作はファン受けといっても、ファンを喜ばせる接待サービスばかりになることもなく、ましてや新キャラで満足させることもしないのがまたいいですよね。上手く言葉にできないですけど、オリジナル・リスペクト以上の“さらなる洗練”を実現した作品じゃないでしょうか。そういう意味では『スター・ウォーズ フォースの覚醒』以上にはるかにレベルの高い目標をクリアしている、とんでもない化け物な続編映画でした。

こういう映画が今の映画業界で作れるというだけで私は感動です。

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洗練された映像と予言性

『ブレードランナー 2049』で洗練された要素。まず映像です。

「ブレードランナー」といえば、暗い未来を予知させてくれた予言性が魅力のひとつでしたが、続編となる本作ではそこは期待できません。1作目から世界観設定が30年の経過をしてきても基本は変わらず、そこまで劇的な変化も起きていないです。相変わらずの街の陰鬱さ、アジアンテイスト、圧倒的力を持つ企業の支配…。

これで大きく変わっちゃってたら、いろいろ賛否あるだろうし、これでいいのだと思いますが。

ただ、これらを描くだけだと1作目の継承です。そして、本作はそれで自己満足せず、洗練しているのが凄いわけで。

陰鬱さでいえば、撮影の“ロジャー・ディーキンス”が得意とする陰影演出が全開で発揮されていて、街だけでなくあらゆるシーンで駆使されているのが良かったですね。前作と比べて今作はフィールドが増えてますから、多彩な暗さ(変な言葉ですけど)が楽しめました。

さらに、劇中に登場する性風俗店や子ども労働施設の異様なまがまがしさなど、底辺労働者層の描き方がよりヘビーになっているのが、地味ですが、この世界の闇が増していることを実感させます。

また、予言性は期待できないといっても、最新の知見や歴史観が反映されているなと思った部分もあって。例えば、前作で多々演出にも使われていた雨と煙(スモーク)は産業発展による大気汚染から着想していることは想像しやすいですが、今作は雪は降ったり、海抜の急上昇から街を守るための防御壁があったり、明らかに地球温暖化の進行をイメージさせる要素がプラスされていました。他にも、序盤の舞台となるサッパーの“農場”で生産されていたのは「昆虫」。実際に食糧難を救うのは昆虫食だと議論されている昨今、そう遠くない未来を身近に感じます。

そういう意味では予言性も洗練されているんですね。

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問いかけの新たな答え

そして、最も重要で最も洗練された要素であり、これを語らずには終われないのが、作品テーマでしょう。
『ブレードランナー』は「人間とレプリカントの区別はどこか」というミステリーをとおして「人間とは?」という哲学的問いを投げかける作品だというのはいまさらですが、非人間の存在を通して描くこのテーマは別に『ブレードランナー』が初ではなく、昔からよくあるものです。例えば古いものは『ピノキオ』とか。最近だと『猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)』なんかはまさにそれでした。

一方で、『ブレードランナー 2049』は1作目や他の潮流とはまた違う領域に新たな一歩を踏み出した意義のある作品だったと思います。

本作を観ればわかりますがもはや「人間そっちのけ」なんですね。「人間とレプリカントの区別はどこか」という問いは超越している気がします。なぜなら今作でレプリカントは生命を産めることが判明するのですから、前作で判明した心の存在と合わせれば、もう人間ですよ。

じゃあ、本作では何を問いかけるのか?と言うと、それがよく示されているのが主人公である「K」とそのパートナーとなる「ジョイ」のペアだと思います。

「K」はわりとすぐに明かされますが最新のレプリカントです。対して「ジョイ」はウォレス社によって製造され一般に販売されている「恋愛コンパニオン・ホログラム」なんですね。つまり、“肉体のある”人工の疑似人間と“肉体のない”人工の疑似人間の組み合わせで、この二人の恋模様が描かれます。過去にも人間と非人間のロマンスは『her 世界でひとつの彼女』などいくつもありましたが、非人間と非人間のロマンスですから…人間、蚊帳の外。

「K」がバーチャルな彼女に恋する過程は、正直、現代の2次元に恋するオタクたちにとって他人事じゃないわけですが、それがレプリカントだとなんでこうも切なくなるのか…。しかも、「K」は本作の物語では自分が“レプリカントが生んだ奇跡の子”かもしれないと期待しながら行動していて、あのオチですから…。“ライアン・ゴズリング”は『ラ・ラ・ランド』といい、こういう哀れな役ばかりですね。私は「K」の生き様には共感するし、心を掴まれました。また、「ジョイ」のレプリカントとも違う存在への悩みも、こう、言葉にできないですけど、くるものがある…。

私が思うに、この二人で示される人間論は結局、「大事なのは出自じゃない、人生で何を築くかだ」と言っているような気がします。あの二人はあれだけ愛し合えるんですから、じゅうぶん互いに“特別”ですよ…たとえ出自が普通でも。「人間と非人間の区別はどこか」という問いは突き詰めると出自になってしまいますが、それを否定した本作では哲学を通り越してすごくパーソナルな話になっているのではないでしょうか。現代は出自や組織じゃない、個人に焦点が置かれる…このへんは今のトレンドですよね。出自を追いかけるというと、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督作の『灼熱の魂』も近いものがありました。

無論、“ハリソン・フォード”演じるデッカードも忘れてはいけません。劇中時間で1時間40分くらいまで登場しないので全体の印象は薄目ですが、「デッカード=レプリカント説」という前作からあるアレを考えると、今回の娘との関係もまた既存のどれにもあてはまらない独自のペアと解釈できて…。娘は夢を見るのに長けていて好きな夢は“誕生日”…。これだけでも…ね。そういえば、なんか『スター・ウォーズ フォースの覚醒』のせいでまたあのオチかとヒヤヒヤして観てました。

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もうひとつのブレードランナー

『ブレードランナー 2049』を観た後は短編を観るも良し、前作を見返すも良しですが、もうひとつ関連性の強い作品があると思います。

本作で中心となる非人間同士の関係性の話。今年公開された映画で全く同じものがありました。それは『エイリアン コヴェナント』です。この映画は、アンドロイドとエイリアンの神妙な共生関係が描かれてました。こちらも『ブレードランナー』と同じ“リドリー・スコット”監督作。当然、これは偶然じゃないでしょう。“リドリー・スコット”は『プロメテウス』以降の『エイリアン』シリーズはアンドロイドを中心とした話にする構想があるようですから、同じく目のカットで始まるこの2017年の2作こそペアで語るべき作品だと思います。『エイリアン コヴェナント』と『ブレードランナー 2049』はほとんど同一世界観じゃないかと言えるぐらいの関係性ですので、ぜひセットで観ると良いですよ。

ところで“ドゥニ・ヴィルヌーヴ”監督、次のSFは『Dune』だと言うじゃないですか。いや~、楽しみ過ぎるなぁ。その公開の前に世界が荒廃しないことを祈るばかりです。

『ブレードランナー 2049』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 88% Audience 81%
IMDb
8.0 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 9/10 ★★★★★★★★★

©Sony Pictures Entertainment, Inc

以上、『ブレードランナー 2049』の感想でした。

Blade Runner 2049 (2017) [Japanese Review] 『ブレードランナー 2049』考察・評価レビュー