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『Blessed Child』感想(ネタバレ)…私と家族と統一教会

Blessed Child

それらは複雑に絡み合っている…ドキュメンタリー映画『Blessed Child』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:Blessed Child
製作国:アメリカ(2019年)
日本では劇場未公開
監督:キャラ・ジョーンズ
LGBTQ差別描写
Blessed Child

ぶれすどちゃいるど
『Blessed Child』のポスター

『Blessed Child』簡単紹介

韓国の宗教家である文鮮明が創立した世界平和統一家庭連合(旧・統一教会)。その宗教にアメリカのとある家族も傾倒し、家族と信仰は深く交わっていった。そんな家族の娘だったひとりの女性はその宗教から脱会して10年以上が経った。ホームビデオなどの思い出やインタビューを通して、幼少期から身近にあった世間から「カルト」と呼ばれる宗教について、元信者の視点から紐解こうとする。
この記事は「シネマンドレイク」執筆による『Blessed Child』の感想です。

『Blessed Child』感想(ネタバレなし)

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元信徒が語る統一教会と家族の一例

2025年3月25日、「世界平和統一家庭連合」(旧「統一教会」)に東京地裁が解散を命じる決定が下されました日本経済新聞。寄付勧誘に関する民法上の不法行為が解散要件の「法令違反」に当たると判断したかたちです。裁判長は決定理由で、寄付勧誘によって「人数、額ともに類例のない膨大な被害が生じていた」と指摘。2022年の“安倍晋三”元首相銃撃事件で浮き彫りとなって以降、高額献金や霊感商法による被害など、宗教の裏で実際に行われてきた数々の行為の責任が今問われようとしています。

一方、教団側は数日後にすぐさま東京高裁に即時抗告し、報道陣の取材に「(解散は)憲法に違反し、国連勧告を無視し、国際法に違反する結論ありきで不当だ。信徒の信教の自由や生存権などが脅かされかねず、断固として闘っていく」と主張しました朝日新聞

この問題はまだまだ継続するのは間違いないです。

「世界平和統一家庭連合」(旧「統一教会」)は自身に批判を向けられたとき、常に「信徒」を盾に使います。まさに「宗教」という自身が持つカードを最大限に利用しています。常套手段のレトリックです。

しかし、これはいかなる宗教組織であろうと同じですが、宗教組織だとしても、そこには家父長的な男性中心社会があり、儲け優先の資本主義があり、政治への影響力もあり、さまざまな搾取が蔓延ります。それは「宗教だから」という言い訳で払拭できるものではありません。まさに「信徒を盾にする」というのも搾取のいち形態でしょう。

その搾取の影響を今も受け続けている信徒や元信徒の立場は複雑です。

今回紹介するドキュメンタリーは現在に「世界平和統一家庭連合」(旧「統一教会」)と対峙することになっている日本にも密接な作品と言えると思います。

それが本作『Blessed Child』です。

本作はアメリカの2019年製作のドキュメンタリーで、「世界平和統一家庭連合」(旧「統一教会」)を主題にしています。

どうしてもたいていは「カルト」という視点で、その宗教組織の内情を暴き、ゾっとする習慣を映し、社会問題を追及するというようなセンセーショナルでショッキングな方向性になっているドキュメンタリーが多いです(例えば『カルト集団と過激な信仰』など)。

しかし、この『Blessed Child』はそういうドキュメンタリーでは全くありません。

『Blessed Child』は「世界平和統一家庭連合」(旧「統一教会」)の元信徒(英語圏では信徒を創立者の“文鮮明”=Sun Myung Moonに因んで「Moonies “ムーニーズ”」と呼んだりもする)である“キャラ・ジョーンズ”(カーラ・ジョーンズ)が監督して制作したものです。

“キャラ・ジョーンズ”は父が熱心な信徒で、その妻、そして“キャラ・ジョーンズ”含む子どもたちと家族全員が信徒となり、信仰と家族が常に一体化してきた人生でした。しかし、“キャラ・ジョーンズ”は大人になって宗教から離れたのですが、両親はなおも信徒です。

そこで“キャラ・ジョーンズ”は家族史を振り返り、自分たちにとっての「世界平和統一家庭連合」(旧「統一教会」)とは何だったのかを整理するべくこのドキュメンタリーが生まれました。

そのため、非常にプライベートな作品であり、自己対話型の中身になっています。そして、「カルト」という世間の固定観念を揺るがしながら、宗教と家族との関係性を模索する苦闘が丁寧に描かれていきます。壮絶な体験を語るものではなく、反省を強いるものでもなく、ただただアルバムを1枚1枚振り返るような…そんな味わいがあります。

作中でも少し言及があるのですが、アメリカでは「世界平和統一家庭連合」(旧「統一教会」)は1970年代に話題になったもので、当時のベトナム戦争によってアイデンティティが揺らいだ比較的若い世代の人たちの心を掴みました。つまり、アメリカにとっては1970年代の社会時事ネタという感じなんですね。

けれども『Blessed Child』はそんなアメリカの「世界平和統一家庭連合」(旧「統一教会」)に対する認識に対して、「いいえ、これは過去の話ではないですよ」と今の信徒や元信徒の素顔を映すことで訴えかけてもいます。

そのため、日本とは社会的な立ち位置がまた違うのですが、日本は現在進行形の関心事なのでより切実に響くかもしれません。

もちろん全ての信徒が本作と同一のドラマを持っているわけではありません。これはあくまで“キャラ・ジョーンズ”の事例にすぎないです。

でも教団側が口にする都合のいい一様な「信徒」という言葉よりは、リアルが見えてくると思います。

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『Blessed Child』を観る前のQ&A

✔『Blessed Child』の見どころ
★家族と信仰の関係性の複雑さを映し出す語り口。
✔『Blessed Child』の欠点
☆日本で鑑賞する機会に乏しい。

鑑賞の案内チェック

基本 同性愛差別(転向療法)の描写が含まれます。
キッズ 2.5
社会勉強の素材になるかもですが、保護者のサポートは必要です。
↓ここからネタバレが含まれます↓

『Blessed Child』感想/考察(ネタバレあり)

ここから『Blessed Child』のネタバレありの感想本文です。

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カルトはときに家族愛に満ち溢れている

一般的に「カルト」というと、常軌を逸した慣習や儀式をしているとか、そういうあからさまな異常性・恐怖・狂乱を大衆は想定します。しかし、この『Blessed Child』はそんな期待で鑑賞すると肩透かしになります。

前半で映し出されるのはホームビデオの延長です。どこにでもいそうな、とある家族の歴史。温かく無邪気な家庭の姿。仲睦まじい夫婦愛。家の内でも外でも自由を満喫する子どもたち。そうしたものです。

ファーリー・ジョーンズベッツィーと出会って結婚し、マットハーベットボウファーリー(ジュニア)、そしてキャラが生まれました。

ファーリーはもともと無神論者で、映像でみるかぎり極めて温厚そうで、常識的かつ知的で、理想的な夫であり、父のように思えます。威圧的だったり、虐待的だったり、そういう顔は一切現れません。言葉や態度による操作的な素振りをみせることもありません。映画に出てくるカルトを牛耳る悪役とは大違いです。

そんなファーリーは「世界平和統一家庭連合」(旧「統一教会」)に身を捧げていき、家族にとってこの宗教は欠かせないものとなりました。宗教も交えた家庭の風景もまた穏やかで、平和です。

なんでしょうね。『ミッドサマー』でいうところの序盤の穏やかなシーンだけという感じ。凄惨な展開の変化は起きないのです。

本作を観ていると、「カルト」のステレオタイプを信じている人は「カルトがこんなはずはない!」と拒絶すると思います。カルトというのはもっと束縛的で愛を否定するような…家族の対極にあるようなものじゃないのか、と。

でもこれもひとつの事実なのでしょう。

別に「統一教会はカルトじゃない!」などと安易な主張を推し進めたいわけではないと思います。私はむしろこれこそ「カルト」なのだとも思いました。つまり、家族というカルトの最小単位といいますか、カルトというのは「家族愛に満ち溢れている」ということがあるのだという現実です。

これはある種の人たちにとっては不都合な事実かもしれません。カルトは家族を引き裂く悪だと定義できるほうが気持ち的にも簡単ですから。

「カルト=家族愛」というのは大袈裟かもしれないですけど、カルトと家族愛は相互作用することがある。だからこそ非常に厄介な問題が起きるし、教団側はその作用を利用してコントロールできてしまうのだなということが伝わってくるドキュメンタリーでした。

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宗教から離れても家族からは離れない

『Blessed Child』において、作り手であり、語り手であるキャラ・ジョーンズは、「宗教から離れても家族から離れないということは可能か?」…もっと別の言い方をするなら「コミュニティの有害な部分から距離を置き、健全な部分だけを高めていくことはできるのか?」という、答えのない人生の問いに直面し、向き合っています。

キャラ・ジョーンズは集団見合い結婚式に参加して(ほぼ見ず知らずの)花婿を得るなど、「世界平和統一家庭連合」(旧「統一教会」)のお手本どおりの生き方をしてきましたが、大学への進学から距離が生じ、今や宗教から離れました。

一方で、キャラ・ジョーンズは家族と絶縁したわけではありません。元信徒の中には家族と絶縁する人も少なくはないでしょうけど、キャラ・ジョーンズは違いました。

家族とどういうスタンスで接するかというのは個人の自由です。宗教抜きでの家族の在り方を模索するのは最も難しそうな道に思えますが、この取り組みは私たち社会の課題を投影するようなものでもあるかもしれません。

カルトに対して「脱退すればいい」と言い放つのは楽だけど、そう簡単じゃないという現実。スイッチのON/OFFのようにカチカチと切り替えられず、自分と家族と宗教が絡まっているので、解きほぐすだけでも終わりはみえません。そもそもできるのかもわかりません。

本作ではキャラ・ジョーンズ以外に、もうひとりにも焦点があたります。兄弟のボウです。

ボウは自分がゲイであると自覚していて、教団側の転向療法(コンバージョン・セラピー)を受けるため韓国に送られた経験があります(ドキュメンタリー『祈りのもとで:脱同性愛運動がもたらしたもの』で映し出されたような光景と同じ)。

現在のボウは本作の撮影監督を務めていますが、その口ぶりから、なおも同性愛者であることを恥だと思っていることを窺わせ、ゲイでなければよかったという感情をこぼします。教団側に植え付けられた性的指向に対する劣等感を内面化したままで、なかなか振り切ることはできていないようです。

教団は愛を語りながら、実際はその逆のことを平然とし、責任はとらない。全ての苦しさは信徒個人に丸投げされていく…。

こうした解きほぐせなさを抱えたまま、ダメ押しのように突き付けられるのが、あの現在の教団の合同結婚式に取材に行くシーン。“文鮮明”が2012年に亡くなった後も、妻の“韓鶴子”が「世界平和統一家庭連合」(旧「統一教会」)の総裁を引き継ぎ、同じことを繰り返しているわけですが、そのイベントで自分の父親が他の有力者と並んでステージに登場します。比較的穏やかな本作の中では最もギョっとする一瞬だと思います。

あの瞬間をみた後のキャラが感情が押し寄せて涙ながらに佇んでいますが、「私の父はまだこの宗教に献身している」という紛れもない事実がズシンと圧し掛かってきます。父は娘を今も愛してくれているけど、それと同じかそれ以上に、教団を愛しているのだという…。

2017年にハワイ島のコナの両親のもとに訪れ、抱き合い、昔をアルバムで振り返るなど、作中ではその後に温かい家庭の映像がまた繰り返されるのですけども、例のあの後にこの展開を持ってくることで、この「穏やかさ」の裏にある複雑な心情が、信徒でもない観客に少しでも伝わるような演出になっていたのが印象的。

よくキャラは平常を表向きは保てるなと私としてはびっくりしてしまいましたよ。でもこれが元信徒の現実かと思うと…。

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本作の視点の問題点

そんな感じで非常に同情心をくすぐられる『Blessed Child』ではあるのですが、ひとつ注意しないといけないと思うこともあります。

本作はあくまでキャラ・ジョーンズの事例にすぎないと何度も繰り返しておきましたが、このジョーンズ家は少なくともこのドキュメンタリーを観るかぎりでもじゅうぶん推測できる点だとは思いますが、わりと経済的に恵まれている信徒なのでしょう

そもそも父のファーリーがあれほど教団内で有力者になれている(だからこそキャラもあんなに取材できるのでしょうし)というのは、それだけの献金をしたか、信徒を集めるなどの貢献をした実績が評価されてのことのはずです。見返りも相当に貰っているのかもしれません。

それは裏を返せば、他の多くの(経済的にもより苦境にある)家庭を搾取する加害者側としてあのジョーンズ家は無自覚に寄与してしまった側面もあるとも言えます。

そのため、このジョーンズ家が信徒の代表のようになってしまうのは、ややバイアスがありますし、それぞれの事情を抱える元信徒の代弁者として快く思わない他の元信徒もいるでしょうね。

「カルト」という言葉では言い表せないほどに複雑なように、「信徒」という言葉で言い表せないほどにその信仰に関わった者たちも複雑な経験の差があります。

『Blessed Child』はまだその全容のひとつまみぐらいしか見えてきませんが、視点のひとつを提供する意義はあったと思いました。

『Blessed Child』
シネマンドレイクの個人的評価
7.0
LGBTQレプリゼンテーション評価
△(平凡)

作品ポスター・画像 (C)Naked Edge Films ブレスド・チャイルド

以上、『Blessed Child』の感想でした。

Blessed Child (2019) [Japanese Review] 『Blessed Child』考察・評価レビュー
#宗教 #カルト #統一教会 #家族 #ゲイ同性愛