あの人の実績を知っていますか?…ドキュメンタリー映画『アンソニー・ファウチ パンデミックとの闘い』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2021年)
日本では劇場未公開:2021年にDisney+で配信
監督:ジョン・ホフマン、ジャネット・トビアス
LGBTQ差別描写
アンソニー・ファウチ パンデミックとの闘い
あんそにーふぁうち ぱんでみっくとのたたかい
『アンソニー・ファウチ パンデミックとの闘い』あらすじ
『アンソニー・ファウチ パンデミックとの闘い』感想(ネタバレなし)
ファウチは何もしていない?
「クビにしろ!」「刑務所に入れろ!」「国家の敵だ!」「詐欺師だ!」「あいつは何もしていない!」「仕事をしないなら辞めろ!」
こんな罵詈雑言を浴びせられるなんてよっぽどその人は何か悪いことでもしてしまったのでしょうか。
答えは…NO。その人がやったこと。それは科学に従って黙々と40年以上国民のために仕事をする。それだけでした。ではなぜこんな批判を浴びなければいけないのか。
その批判の集中砲火を受けた人物、「アンソニー・ファウチ」の名前は日本でも耳にして知っている人もいると思います。2020年始めから世界中を未曽有の事態で急変させた新型コロナウイルス(COVID-19)のパンデミック。このコロナ禍で急にスポットがあたるようになったのが医学者、とくに感染症の専門家でした。日本でも、政府の分科会で専門的提言を取り仕切る“尾身茂”会長(地域医療・感染症・国際保健)、感染拡大を統計的に予測した「8割おじさん」こと“西浦博”教授(数理疫学)など、世間に名前が覚えられた人もでました。アンソニー・ファウチはアメリカにおける新型コロナウイルス・パンデミックに対処するホワイトハウス・コロナウイルス・タスクフォースの主要メンバーのひとりであり、問題発生以降ずっと対処を続けており、メディアに頻繁に顔をだし、すっかり著名人になりました。
私たち一般人にしてみればいきなりポっと現れた「お医者さん」くらいに思っているかもしれません。でもこれらの専門家は地域の病院で働く「お医者さん」ではありません。「研究者」です。あまり一般人にはわからないかもしれませんが、お医者さんと研究者はかなり別物であり、ましてや世界レベルで実績のある研究者となると専門性は右に出る者はいないほどになります。
しかし、一般にはその凄さは全然理解できません。なんか専門用語を話すよくわからない人間がメディアにしょっちゅうでてくるようになった…くらいにしか思わないわけです。私たち一般人は普段からテレビになんかよくでている芸能人っぽい活動をしている研究者風の人なら馴染みがあります。それは専門っぽいことを喋るタレントのようなもので、研究実績はあまり問われません。けれどもガチの研究者となってくるとそれは未知との遭遇。どう評価すればいいのかも見当つかないのも無理ありません。
だからアメリカではアンソニー・ファウチは著名人となってしまった一方で、彼を公然と批判…それどころか誹謗中傷する人まで発生する。ただでさえ今回のコロナ禍は近代以降最悪の世界規模のパンデミックですからあらゆる大衆の生活に甚大な影響を与えました。感染症自体だけではない、社会の脆弱性も浮き彫りになりました。不安が不信に連鎖し、憎悪に繋がる。そういう感情も感染症以上に拡大しました。
ではアンソニー・ファウチとは何者なのか? 本当に何もしていないのか? ただ科学の権威にあぐらをかいて踏ん反り返っているジジイなのか? セクシー博士なのか?
それを知るためにぜひこのドキュメンタリーをオススメします。それが本作『アンソニー・ファウチ パンデミックとの闘い』です。
本作はナショナルジオグラフィックが2021年に制作したドキュメンタリーであり、その名のとおり、アンソニー・ファウチを主題に、彼の今に至るまでのキャリアと功績、社会への影響をまとめたものです。なんでも当時のドナルド・トランプ大統領に秘密で取材撮影していたらしく、暴走しまくるトランプ政権の最中でアンソニー・ファウチが何を想って過ごしていたのかまでハッキリ映し出されます。
『アンソニー・ファウチ パンデミックとの闘い』は新型コロナウイルス(COVID-19)の時期だけを題材にしているわけではありません。アンソニー・ファウチは1980年代からアメリカで猛威を振るったエイズ危機の際にも専門家として従事した人物であり、そのときの有様も克明に整理されています。なのでLGBTQ歴史に興味がある人も必見の内容です。
医学を志す者であればまず間違いなく観るべきドキュメンタリーですし、医学とは関係のない科学分野の人にとっても科学と社会の関わりを考え、どう乗り越えるかを問ううえで、モデルケースになったりする事例だとも思います。科学への向き合い方が一層引き締まるのではないでしょうか。
『アンソニー・ファウチ パンデミックとの闘い』は日本では「Disney+」で独占配信中です。
オススメ度のチェック
ひとり | :科学に関わる人は必見 |
友人 | :感染症の知識を互いに |
恋人 | :相手の気持ちに寄り添って |
キッズ | :正しい学びとして |
『アンソニー・ファウチ パンデミックとの闘い』予告動画
『アンソニー・ファウチ パンデミックとの闘い』感想(ネタバレあり)
エイズ:偏見や差別と戦いながら
アンソニー・ファウチは1940年にニューヨークのブルックリン生まれました。高校にてイエズス会で奉仕を学び、医大に進学。大学3年の終わりにベトナム戦争があり、全ての医師は徴兵されることになっていたので公衆衛生局を志望。こうして国立衛生研究所(NIH)に立ちます。3年の任期が終わったら病院のチーフマネジメントになるというキャリアアップの王道コースに進もうとしていたファウチでしたが、研究に没頭して研究員という未開の道に突っ走ることに決めます。
NIHでは独身を貫いていましたが看護師のクリスティン・グレイディと出会って(嘘通訳エピソードが面白い)1985年に結婚。そしてファウチは6人の大統領に仕える立場になっていくわけです。
そのキャリアの出発点となったのが1980年代のエイズ危機。このエイズ(HIV)については、ドラマ『IT’S A SIN 哀しみの天使たち』や『テレビが見たLGBTQ』などでも扱われていましたが、もっぱら発症した当事者側の視点ばかりでした。医療側の視点でわかりやすく語られるのは珍しいです。
なにせファウチはエイズ研究の第一線にいたのですから。1981年にMMWR(Morbidity and Mortality Weekly Report)で「ゲイ男性5人がニューモシスチス肺炎という奇妙な肺炎に罹った」という記述を目にし、1月後に「ゲイ男性26名がニューモシスチス肺炎だけでなくカポジ肉腫に加えてガンも発症」と記載され、これは全く新しい病気ではないかと疑ったファウチ。NIHではそのファウチの考えはキャリアを棒に振るだけと否定的でしたが、1981年に1本の記事を書き、「この病気はごく一部の人しかかからず広がらないという考えは非現実的で甘い」と論述。有名な科学雑誌には掲載を断られたものの、ファウチは若い人材に声をかけ、ヘンリー・マズアとクリフ・レーンを仲間に加え、3人で三銃士としてこの未知の病に挑むことにしたのでした。
案の定、ファウチの推測どおりパンデミックが発生。しかし、研究は思うように進みません。目の前で次々と亡くなっていく若い患者。その過去が今もトラウマになっていると辛そうに語る姿が印象的。
原因はウイルスではないかと推察し、ウイルスを特定することに成功。ところが別の問題が立ちはだかります。病気と患者への偏見です。
その酷さは『テレビが見たLGBTQ』でも語られているとおりなのですが、その無根拠な誤情報に対して番組に出演しながら「性交渉か注射器の使い回しが原因です」「同性愛者であろうと麻薬常習者であろうとも人間です」「同性愛と病気には何も関わりはありません。それは差別です」とキッパリ断言していくファウチ。
その姿勢は後の2014年のエボラ危機でも発揮され、アメリカ初の患者となった女性の治療にあたるだけでなく、外で記者会見した際に全快した患者を公で見せ、ファウチ自身が抱きしめてみせることで偏見を払拭する。
誤った情報に最前線で立ち向かうのが科学者の使命だということを身を持って示すそのスタイルは素直にカッコいいです。
エイズ:当事者との対立を乗り越えて
そんなエイズ患者への差別解消のためにその身で尽力したファウチでしたが、『アンソニー・ファウチ パンデミックとの闘い』では当のエイズ活動家たちに敵意を向けられてしまった苦い経験も映し出します。
エイズ活動家の中心組織だった「Act Up(アクトアップ)」としては、肺炎の治療薬がすぐに欲しかったので、科学の知識が全くない彼らなりの提案を必死にするのですが、科学プロセスを絶対視するファウチ含む医学界にとってはそんな提案は笑止千万。確かにそうです。素人が「これいいんじゃない?」と提唱した薬を「ん~OK!」とお気楽に認可できるわけないし、そんなことしたらカオスですからね。
しかし、ファウチは医学界でも珍しく柔軟な立場を示し、本気で向き合おうとアクトアップ集会に参加。必死で科学的説明をし、舌戦を交わします。NIHの前で大規模デモが起きる中、病気になりながら懸命に生きている当事者の決定権、プロセスへの参加の権利をファウチは理解し、対話を増やします。
NIH内部ではファウチの姿勢に批判もあり、あまりにも研究者が非難を受けるので研究者の間でもエイズ研究が嫌になる人も現れる中、1990年に国際エイズ会議が開催。医学界とエイズ活動家の対立は最高潮に激化していました。
ここでのファウチのスピーチ…医師や科学者と活動家の歩み寄りを語り、「医者も間違える、活動家も間違える。手を取って同じゴールを目指すべきです。世界のHIV患者のために」という演説は、両者の盛大な拍手の中で画期的な転機となるのですが、科学者の理想的な理念だとも思います。どうしても科学の世界は科学者にしかわからない空間になりがちで、傍から見ると排外的です。だからこそ科学外の世界と繋がりを持ちましょう、敬意を持ちましょう…というのは、あらゆる科学分野が肝に銘じるべきことでしょうね。
コロナ:経験したことのない最悪
そのエイズ危機での苦い経験を胸に秘めるファウチにとって、この新型コロナウイルス(COVID-19)はリベンジのチャンスだったことがわかります。
エイズ危機のときはそもそもウイルス特定に時間がかかりましたが、今回はもうパンデミック時点で特定できています。エイズ危機ではワクチン開発に膨大な時間がかかり、何万人も亡くしてしまいましたが、今回は「mRNAワクチン」という最新のワクチン技術開発にもう何年も前から取り組んでおり、65日後にワクチン第I相試験を開始。エイズ危機とは比べ物にならないほどの素早さです。『パンデミック 知られざるインフルエンザの脅威』でも映し出されていたように、研究者はこの事態を予測しているんですよね。後は科学データとエビデンスで粛々と対策を実行に移して…。
しかし、今回は新敵が登場。他ならぬアメリカ大統領です。まさか自分の国の大統領が感染対策の最大の障害になるなんて予想だにしなかった…。
優れた医学知識を持つファウチにとってもドナルド・トランプの頭は理解不能。「インフルエンザのワクチンは新型コロナウイルスに効かないのか?」「抗マラリア薬が効く。私はこのアイディアのファンだ」と言いたいことを言いまくり、記者会見の主導権を握っていたのは科学者ではなく大統領。そしていつもマスコミと対立して喧嘩腰。公衆衛生のメッセージは消滅しました。
作中では「お互い言いたいことを言おうという感じでした」と振り返っていましたが、私が科学者だったらこんなアホと同じ職場で絶対に働きたくないです…。
もちろんファウチも間違うことはあります。2020年3月時点では「マスクは必要ない」と大衆に発信しましたが、当初は無症状の人は感染を広げないという憶測に基づいたものであり、後に誤りを認めます。
しかし、COVID-19パンデミックの社会の酷さはエイズ危機とは比較できないほどに最悪だったとファウチは実感込めて語ります。この分断には共に拍手する仲は存在しない…。
この『アンソニー・ファウチ パンデミックとの闘い』でさえも異常な低評価爆撃(わざとレビューサイトで低評価をつけまくる嫌がらせ)の被害に遭っているくらいですからね。
それにしても陰湿な個人攻撃(大統領主導)を受けるファウチを支えていたのが、かつて対立したエイズ活動家だったという話は感慨深いものがありますね(まさに昨日の敵は今日の友です)。実際、コロナ禍ではエイズ活動家たちが適切な医療対策の普及のためにかつての経験を活かして尽力して協力しています(以下のサイトも参照)。エイズ危機の犠牲を無駄にしないためにも…。
科学のおかげでCOVID-19の安全なワクチンは速やかに開発できました。後は検査・予防・治療の医療体制を持続的に整えるだけ。
日本でもやる気のない政治家のせいで感染が悪化したりしています。科学を安易に否定して都合よく自分の主張をばらまく論客も我が物顔で蔓延っています。一般人もYouTubeやSNSのインフルエンサーにばかり夢中になっています。
作中でアンソニー・ファウチは明言しています。「次のアウトブレイクはきっと起きる」
だったらやるべきことはひとつ。研究者の声を聞きましょう。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 85% Audience 2%
IMDb
6.2 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)National Geographic アンソニーファウチ
以上、『アンソニー・ファウチ パンデミックとの闘い』の感想でした。
Fauci (2021) [Japanese Review] 『アンソニー・ファウチ パンデミックとの闘い』考察・評価レビュー