ベネディクト・カンバーバッチが離脱派の参謀を熱演…映画『ブレクジット EU離脱』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:イギリス(2019年)
日本では劇場未公開:2019年にスターチャンネルで放送
監督:トビー・ヘインズ
ブレクジット EU離脱
ぶれくじっと いーゆーりだつ
『ブレクジット EU離脱』あらすじ
『ブレクジット EU離脱』感想(ネタバレなし)
1月31日、イギリスは変わった…
「1月31日」はイギリスにとっては特別な日。自国の歴史が転換点を迎えた日です。まあ、祝っているのかは微妙ですが…。
この日に何が起きたのか。
2020年1月31日、イギリスは欧州連合(EU)から正式に離脱したのです。いわゆる「ブレグジット」。正確にはその離脱が決定したのは、2016年6月23日に行われた国民投票の結果なのですが、時間はかかったものの、もう離脱はしてしまいました。無かったことにはできない現実です。
さすがに「EU」の説明はもういいですよね。わからない人は調べてください。
その離脱後にイギリスはどうなったのか。残念ながらそれを客観的に評価できる現状にはなっていません。というのもEU離脱直後にまさかの新型コロナウイルスによる世界的パンデミックで、世界中の国々が分断されてしまいましたからね。奇遇というか、不運というか…。ともかくイギリスのEU離脱の影響は今後じっくり現れてくるでしょう。
それはそうとそもそもどうしてイギリスはEUを離脱することになったのか。なぜ離脱を推進する勢力は国民投票という大一番の勝負で勝ち、国家の歴史を変えるような出来事を成し遂げたのか。
その裏側を知りたいのならば、真っ先にこの映画を観るべきです。それが本作『ブレクジット EU離脱』。
本作はそのタイトルのとおり、まさにイギリスのEU離脱が決定した2016年6月23日に行われた国民投票…その内幕を、とくに離脱派のキャンペーン・グループを中心に描いています。
その離脱派の戦略を中心的に考えだしたと言われているのがドミニク・カミングスという男でした。1971年にイングランド北東部のダラムで生まれたこのカミングスは変わり者として仲間内でも奇異の目で見られていました。保守党のイアン・スミス元党首の戦術顧問を務めたり、マイケル・ゴーヴ議員の特別顧問に就任したり、イギリスの政治にも関与していたのですが、とにかく言動がイチイチ強烈で、そのせいもあって嫌われてしまい、政治から遠ざかります。
カミングスは典型的なアナーキストであり、既存のルールやシステムを壊すことに生きがいを感じている人間なのでした。だから協調性とかも気にしません。
そんな変人とみなされていたカミングスというたったひとりの人間が、イギリスのEU離脱の転換点になってしまった…というのがこの映画『ブレクジット EU離脱』で主に描かれるところです。
その主人公であるドミニク・カミングスを演じるのは、あの“ベネディクト・カンバーバッチ”。2006年の『アメイジング・グレイス』ではウィリアム・ピットを、2013年の『フィフス・エステート/世界から狙われた男』ではウィキリークスの創始者ジュリアン・アサンジを、2014年の『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』ではアラン・チューリングを、2017年の『エジソンズ・ゲーム』ではトーマス・エジソンを…と実在の人物を熱演し続けています。『ドクター・ストレンジ』などのエンタメ作品の活躍も最近は目立ちますが、やはり伝記モノに強い俳優なのは間違いないです。
この『ブレクジット EU離脱』でもドミニク・カミングスになりきっており、相変わらずの演技の上手さです。今回はエキセントリック度が強めですけど…。
監督は『M.I. High』『ユートピア 〜悪のウイルス〜』を手がけた“トビー・ヘインズ”。
そんな有名俳優が出ている話題性じゅうぶんな題材の映画なのに多くの日本映画ファンの間で知られていない本作。それもそのはずで、この『ブレクジット EU離脱』はテレビ映画であり、イギリスでは「Channel 4」で放送されただけだからです。日本での鑑賞の機会は「スターチャンネル」での放送&配信のみで、ほとんど目に触れることもなく、もったいない状況です(Amazonビデオでも単品購入で視聴できると思いますけど)。
政治喜劇として笑える部分もあれば、政治の本質を見てしまいゾッとする部分もある。何よりも「これが2010年代以降の新時代の選挙のあり方なのか…」とその内情に震撼しますし…。
なにより大半の人は選挙と無縁ではないはずです。選挙に行く人もいれば、選挙に行けるのに行かない人もいるし、選挙に行きたいのに行けない人もいる。そんな私たちがこの現代の選挙の実態を知っておくのはとても大切なことだと思います。イギリスの話ですけど、日本でも起きている(もしかしたらこれから起きるかもしれない)ことですから。
オススメ度のチェック
ひとり | :政治の内幕に関心あるなら |
友人 | :政治劇ファン同士で |
恋人 | :ロマンス要素なし |
キッズ | :政治が好きなら |
『ブレクジット EU離脱』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):Take Back Control
「英国からの雑音が実際に聞こえる。不快な音はしばらく続いている。その音は一部の人にしか聞こえず決してやまない…」
ドミニク・カミングスは情報コミッショナー事務局(ICO)の聴取を受けていました。その論点は、4年前の国民投票における実態の調査です。主な目的は国民の個人データを政治運動に利用し民主的プロセスを急速に変え…。
カミングスはあまり話を聞いていません。常に上の空。「分岐した別の歴史では僕はいなくて結果は違ったかも。でも僕はいて、それは起きた。誰もが勝者を知っているがなぜ勝ったかは知らない…」
カミングスはあるイギリスの歴史に残る出来事を実現した人物。なのに誰もその価値さえわかっていない…。
物語は遡ります。2015年秋、投票まで275日。英国独立党のダグラス・カースウェルはロビイストのマシュー・エリオットと密かに落ち合っていました。2015年に行われた総選挙では、保守党と労働党の支持率は拮抗していたこともあり、単独政権は困難との予想が大半でしたが、予想外にも保守党が単独過半数を獲得し、デイヴィッド・キャメロン首相を続投することになっていました。これは2人にとって好都合です。
2人の目的はEU離脱。離脱か残留か、最大の質問をぶつけるチャンスが到来したのでした。
しかし、2人では実現に手がとても届きません。カースウェルは「我々にはリーダーが必要だ」と言い、エリオットは「適任者がいる。危険な賭けだ。変わり物なので」と口にします。
そしてその2人が訪ねたのがカミングスの家。政治はもう関わらないと決めていたカミングスに「戦略を任せたい。今度こそチャンスだ」と説得します。
EU離脱の強硬派は「UKIP(イギリス独立党)」でした。しかし、アーロン・バンクスやナイジェル・ファラージといった過激な奴らに任せるわけにはいかないと3人の考えは一致していました。
とりあえず3人は運営責任者のヴィクトリア・ウッドコックと保守党のダニエル・ハンナンと合流し、党派を超えた離脱派のキャンペーンの事務所を用意。まだ何もありません。カミングスはやる気を出し、壁にデカデカと「OUT」と書きます。目的は明確です。離脱(out)。
「ナポレオン、ビスマルク、アレキサンダー大王…欧州の破壊者から学べ。ソクラテス、孫武、毛沢東…これらもいい」といきなり独創的な指示を出していくカミングス。
すでにカミングスはパブで調査済みでした。「移民は嫌い?」「どの国が嫌い?」と質問をぶつけ、自分たちが選挙キャンペーンで訴えたいことを見い出します。
そして標語を決めました。「主導権を握ろう(Take Control)」
問題は理事会です。労働党支援者のJ・ミルズ、保守党のB・ジェンキン、保守党のビル・キャッシュ。いずれも古いタイプの人間で、目立ちたがりのアナーキストに潰されたくないと考えていましたが、カミングスも彼らが嫌いです。「政治システムをハックする。政治の基盤を変える」と豪語します。
そんな中、UKIPの例の2人、バンクスとファラージが事務所に押しかけてきました。「なぜ一緒にやらない? 新参者が知った口をきくな。カネはあるぞ」とまくしたてる2人ですが、カミングスは組むつもりはありません。
一方、残留派のロビイストのルーシー・トーマス、事務局長のウィル・ストロウ、戦略責任者のライアン・クッツィー…。こちらは優秀な面々が勢揃い。ただ、報道官のクレイグ・オリヴァー。彼だけはカミングスにとっては因縁の相手でした。
カミングスはメディアの取材で「ベルリンの壁以来の政治的混乱になる。これは全面戦争だ」と言ってのけ、首相にまでも遠慮なしのコメント。もう止まりません。
そして、子育て本を何気なく家で読んでいて思いつきます。
急いであの標語を書き換えます。「Take Back Control」…これだ、これでいける。カミングスは勝利に向けて全速力で突っ込みます。社会をひっくり返すために…。
アナーキストに最強の武器を与える
『ブレクジット EU離脱』は結末はみんな知っています。EU離脱派が勝つのです。本作はどうやって勝ったのか、そこに焦点があたります。
本作を観ているとカミングスが主軸となる戦略をひとりで考え抜いて主導したように見え、周りの関係者は正直に言えばかなり頼りなく、「ああ、これはカミングス無しでは勝てなかっただろうな」と思わせます。
まずあのUKIPのカネがあるだけで分別はない極右連中(バンクスとファラージ)が全くの邪魔者で、離脱派の面々にもウザがられているのが笑ってしまいますが、カースウェルとエリオットも初登場の「アベンジャーズ・アッセンブル」というセリフといい、どこか「大丈夫か、こいつ」という空気を漂わすわけです。態度保留だった保守党の司法相のマイケル・コーヴや、ロンドン市長のボリス・ジョンソンもあからさまなポピュリストで雰囲気で乗っかってきただけだし…。
一方のカミングスの戦略。最初は彼に具体的なものはなく、ビジョンありきなのですが、ここで決定的な手段が手に入ります。それが「アグリゲートIQ」のCEOのザック・マッシンガムとの出会い。ここで有権者データベースよりももっと洗練されたものをゲットしてしまったカミングス。それはあのカミングスさえもちょっと恐れおののくほどの凶悪な切り札でした。
このアルゴリズムによるSNSを駆使したデータ集約解析。これはドキュメンタリー『監視資本主義 デジタル社会がもたらす光と影』でも問題視されていたあれですね。「ケンブリッジ・アナリティカ」の名前も出てきます。
「右左の争いじゃない、新旧の争い。新しい政治だ」と熱弁するマッシンガム。
理想主義者でしかなかったアナーキストに道具を与えたのがこの現代のテクノロジーなのだということがよくわかります。
破壊が招くのは修復不可能な混沌
そのアナーキストとテクノロジーの融合が何を生んだのかというと、終わりのない感情的分断による国家の亀裂でした。国家どころではない、個人の尊厳さえも真っ二つに引き裂いて…。
一見するとカミングスの離脱派の陣営は、これまで無視されてきた選挙人の存在に寄り添い、救い出してくれるかに見えます。実際はそんな不遇な人々を投票数欲しさに狙いをつけているだけで、その人たちの苦しみをどう救うかは考えていないんですね。
とにかくそんな人々をEU離脱派に染め上げたい。そのために徹底的に劣等感を刺激し、その敵意を煽り、投票すれば救われると思わせようとする。トルコが危険と思わせるくだりのバカバカしさは客観的に見るとおかしいと理解できるのですが、もうその術中にハマってしまった人は本気でトルコから7000万人が押し寄せると思い込む。EUを離脱すれば大金が手に入ると錯覚させる。もう何でもありです。
完全に修復不能なまでにバラバラになってしまった様々な立場の国民の姿を目の前で痛感したクレイグ・オリヴァーが悟るように、こんな惨めな状態は嫌だと嘆く離脱女性からもわかるように、これはあまりに尊厳を踏みにじる行為であり、それを選挙というゲームのためにやってしまったこと。それは離脱派にも残留派にも責任があって…。
そしてついに最悪の事態、ジョー・コックス議員の殺害事件が起きてしまい…。犯人はEU離脱派のスローガンや主張に影響を受けたと言われています。
勝ったけど敗北した
結局、カミングスは勝利を手にしますが、『ブレクジット EU離脱』の終盤の姿には全く勝利者の余韻はありません。
投票日。離脱決定となり、大歓声の離脱派事務所。カミングスはみんなの知らぬ間に荷物を持って事務所を去ります。
クレイグ・オリヴァーが「君にも制御できない」と言ったように、勝ったはいいものの、その後の進む道をカミングスはコントロールすることはできません。皮肉なもので「Take Back Control」を掲げておきながら、コントロールを取り戻した後にコントロールする方法までは想定はしていない。
アナーキストらしい「勝ったけど敗北」というパターン。これは『仮想通貨 ビットコイン』でも見たような光景ですね。
カミングスには『バイス』のような権力欲はありません。むしろ既存権力を壊したいと考えている。でもやはり勝っても次の権力者の踏み台にされるだけ。
最後の聴取のシーンで「これは数十年を要するプロジェクトなんだ。ビジョンに不備はない。国のシステムに欠陥があり、だから僕はリセットした。でも君たちは古い政治を再起動した」と語りつつ、その政治の舞台からまたも消えていくカミングス。
実は誰よりも救われない劣等感を抱えているのはカミングスであり、本当の意味で“離脱”してしまったのはカミグスの方だったというオチ。
巨大な政治のボードゲームの盤上で「個人」が駒として消費される。『ブレクジット EU離脱』はその残酷さを痛烈に映し出していました。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 80% Audience 67%
IMDb
7.0 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)Channel 4
以上、『ブレクジット EU離脱』の感想でした。
Brexit: The Uncivil War (2019) [Japanese Review] 『ブレクジット EU離脱』考察・評価レビュー