映画の感想も湧き上がるといいな…映画『サイダーのように言葉が湧き上がる』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:日本(2021年)
日本公開日:2021年7月22日
監督:イシグロキョウヘイ
恋愛描写
サイダーのように言葉が湧き上がる
さいだーのようにことばがわきあがる
『サイダーのように言葉が湧き上がる』あらすじ
俳句以外では思ったことをなかなか口に出せずにヘッドホンで外部との接触を遮断している少年・チェリー。ネット配信で人気を集めるも見た目のコンプレックスをマスクで隠す少女・スマイル。2人は賑やかなショッピングモールで出会い、SNSを通じて少しずつ言葉を交わすようになる。そんな中、バイト先で出会った老人フジヤマが思い出のレコードを探し回る理由を知った2人は、その願いを叶えるために協力していくが…。
『サイダーのように言葉が湧き上がる』感想(ネタバレなし)
ネットの自分の安全圏から踏み出す勇気
日本の若者たちは“中立”を理想と考えているような傾向が目立つ気がします。どちらにも組せず、間をとることを良しとする考え。実際に中立に位置するには相当な知識やスキルが必要であり、高度な専門家でないかぎり簡単なことじゃないのですが、本当に中立であるかはどうでもいいのです。なんとなく中立っぽくあればいい。
そういう傾向が定着しているのはSNSなどのネット社会の影響が大きいのでしょう。SNSなんかではとくに顕著ですが、何かしらの目立つ主張をしてしまえば叩かれてしまいます。そこで目立たずその場の空気に馴染むように佇むのが穏便であり、それなら中立風の言動が一番ベター。そんな思考に終着してしまうのもやむを得ないのではないでしょうか。
結局、多くの日本の若い世代は「みんなと繋がる!」とか「世界を変える!」とかそんな大それたリスクをとる気持ちはなく、あくまで寂しさを感じない程度の最低限の緩い繋がり、争いに巻き込まれて嫌な気分にならない程度の最小限のコミュニティを求めている…。そんな感じもします。
実際、多くのネットサービスがそういう需要に答えるようにできています。私もブログやSNSで映画の感想を発信して、とてもゆる~く赤の他人と繋がっています。それ以上の深い繋がりは求めていません。今はこういう時代なんでしょうね。
でもそういう態度ばかりでは人生は乗り切れないもので…。どこかでその最低限&最小限の緩い世界から踏み出して新しい一歩を進めないといけないときがくる。それはわかってはいるのだけど…というのがありがちなモヤモヤ。
そんな現代の若者が抱えてそうな「ライフ with インターネット」の日常をそっくりそのまま切り取りしたようなアニメ映画が公開されました。それが本作『サイダーのように言葉が湧き上がる』です。
同時期には同じく「ライフ with インターネット」なアニメ映画が公開されていて、それが細田守監督の『竜とそばかすの姫』。でもそちらはかなり壮大で、私に言わせればややすでに古風さも感じるインターネット描写かなと思ったのですが、この『サイダーのように言葉が湧き上がる』はそちらとは色合いがガラっと変わる、なんともパーソナルでミニマムな物語です。いわゆる「スライス・オブ・ライフ」…日常モノですね。
主人公はとも10代の若者男女2人であり、このネットの世界で自己表現するのを日課としている男女が出会い、恋に落ちていく、王道のロマンチック・ストーリーになっています。もちろん定番でありつつ、インターネットのなかった時代とのクロスオーバーなど、独自の仕掛けがあったりするのですが…。
そんな主人公の男子の声を演じるのは、歌舞伎役者の“市川染五郎”。作中で歌舞伎っぽいシーンはないのですが、自然体の演技がハマってます。年齢が近いのがいいのかな。
もうひとりの主人公である女子を演じるのは、“杉咲花”。すでに『メアリと魔女の花』で主役の声を演じたことがありますが、こちらも上手いですね。
他のキャラクターは、“潘めぐみ”、“花江夏樹”、“梅原裕一郎”、“中島愛”、“諸星すみれ”、“神谷浩史“、“坂本真綾”、“山寺宏一”など声優陣が勢揃い。
監督は“イシグロキョウヘイ”。アニメシリーズ『四月は君の嘘』や『クジラの子らは砂上に歌う』を手がけてきましたが、本作で長編映画監督デビュー。
『サイダーのように言葉が湧き上がる』自体は、アニメ音楽レーベル「フライングドッグ」の設立10周年記念作品となっているようです。ただ、本来の公開は2020年5月を予定していたのですが、コロナ禍で大幅に延期となり、結局は2021年7月にズレこんでしまいました。でもとても夏っぽい映画なので、この時期の公開はベストタイミングだったと思います。
あと実は本作は海外では日本の劇場公開日と同時にNetflixで配信されています(日本では配信されていないので勘違いしないでくださいね)。私としては日本のアニメは海外でもオタク層以外にももっと広く届ける方法を取得するべきだと思っているので、こういう最速のネット配信展開はいいんじゃないかなと。コロナ禍ゆえに日本&世界同時Netflix配信に踏み切った2020年のアニメ映画『泣きたい私は猫をかぶる』もなんだかんだで海外の人々にたくさん観てもらえたようですし。やっぱり観てくれる人がいないと始まらないですしね。
猛暑の日々ですが、爽やかな映画で涼んでください(映画館は涼しいよ!)
オススメ度のチェック
ひとり | :青春アニメ好きなら |
友人 | :アニメ好き同士で |
恋人 | :恋愛モノで気分もあげる |
キッズ | :関心があるなら |
『サイダーのように言葉が湧き上がる』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):上を向く、ものの多きよ、夏来る
自作の俳句をSNSに投稿する男子。チェリーと友人には呼ばれている佐倉結以にとってはそれが日課。愛用のヘッドホンと季語集つきの手帳型スマホケースのスマホが必須アイテム。
一方、鏡で歯を気にする女子。星野ユキは幼い頃から姉のジュリと妹のマリと一緒に「キュリオ・ライブ」で動画配信をしていましたが、今はひとりで「スマイル」としてJKキュリオスで活動中。出っ歯が嫌になり、現在は矯正中でそれを隠すためのマスクが必須アイテム。
チェリーは道端でフジヤマさんという老人に声をかけ、「戻りましょう」と促します。向かうのはショッピングモール。チェリーはそこにある福祉施設「陽だまり」で働いていました。
スマイルはショッピングモールの歯科医院で「また次の定期健診」を言い渡されます。それが終わったスマイルはマスクのままテンションを切り替えて元気いっぱいに動画配信を始めます。「スマイル・フォー・ミー!」「今日も私が見つけた“可愛い”を紹介していくね」
そんな中、ショッピングモールではひと騒動が起きていました。天及川ヒカル(通称 ヒカルン)というキャラクターのスタンディを持ち去っていった問題児ビーバーが警備員と追いかけっこを繰り広げ、ビーバーはモールの広場でハイハイレースをたまたま見ていたチェリーとスマイルに激突。転倒する2人。そのときスマイルのマスクがとれて矯正器が見えてしまいます。スマイルは落ちたスマホを拾い上げ、マスクを忘れたまま一目散に立ち去りました。
そんなことがありつつ、福祉施設「陽だまり」に帰ってくるチェリーとフジヤマ。フジヤマは思い出のレコードを探しているようです。そのとき、タフボーイがビーバーに車に「タフホーイ 参下」と落書きをされて怒りながら入ってきます。
ところかわってスマイルは自分の持っているスマホが自分のものではなく、あの少年のスマホと入れ替わったことに気づきました。そしてチェリーもその事態に気づきます。
とりあえずスマホを返し合い、一件落着。その後の別の日、スマイルはチェリーがモール内の俳句の読み合わせに参加しているのを目撃。人前で喋るのは苦手なようです。「ショッピングモール、夕焼けに溶けてゆく」と早口の大焦りで俳句を読み上げるチェリー。
覗いていたことがバレたスマイルはチェリーと外で並んで歩きます。2人ともネットで自分の表現を発信している共通点があることがわかり、「ネットの方がみんな見てくれる感じでしょ、すっごいわかる」とスマイルは大共感。「今 俳句を作ってみて」と頼んできます。
焦りながらもチェリーは一句を考案。目の前で発表。
「夕暮れの、フライングめく、夏灯(ともし)」
それを聞いたスマイルの反応は…「可愛い!」「どこが?」「声!」
こうして2人に接点が生まれ、フォローし合う関係に…。
俳句とSNSはポップにシンクロする
『サイダーのように言葉が湧き上がる』はSNSと動画配信という今や世界中ほとんどの若者が親しんでいるであろうコミュニケーションを題材にした物語であり、その点で言えばありきたりなお話です。
しかし、そこに俳句という要素を加えることで、とても日本らしいアプローチで再解釈しています。思えば俳句というのは今では英語圏などでも普通に「HAIKU」として定着しているのですが、実際のところかなり日本語特有の構造がある文化ですよね。英語の俳句を聴いても向こうの人たちはどう思っているのかは知りませんが、日本人感覚ではあんまり俳句っぽくないというか。やはり日本語の音の響きを楽しむものであり、だからこその「5・7・5」です(英語圏の人の反応を見ると「なぜ“5・7・5”なの?」と疑問に持つ人もいるようでやっぱりそこはわからないんでしょうね)。
本作も俳句が物語のキーワード。チェリーは俳句をSNSに投稿するのが趣味ですが、確かにTwitterなどの短文投稿SNSは俳句の最新版のようなもので、部分的に共通性があります。ここにひとつ「今」と「昔」がリンクする要素があり、それが後のフジヤマ絡みの思い出ストーリーへと重なる伏線になっていきます。
おそらく俳句が世界に受け入れられる趣味になっているのも、こういうSNS時代に通じる普遍性があるからなのでしょう。
そんな中、本作では「やまざくら、かくしたその葉、ぼくはすき」という物語上の最重要となる俳句を筆頭に、日本語独自の言葉遊びな仕掛けが最後には炸裂。ここ、英語字幕ではどうやって翻訳するのかな…。一応、日本語が苦手なビーバーの存在によって補助線は引かれているけど。
ともあれシンプルな告白イベント発生というラストながら、俳句のパワー、もとい言葉をリアルで伝えるパワーがよく出ていたと思います。
本作はインターネットのコミュニケーションを全く否定しておらず、嫌味で描くこともなく、ただそれがリアルの出会いや交流へと繋がる連鎖反応になればいいという素朴な応援ストーリー。
今の若い世代ならこれくらいの、背中を押す強さが強すぎない程度のものがちょうどいいかもしれませんね。
その古風な俳句があのカラーパレット原色全開の世界観デザインの中で、主にビーバーの手によってタギングされているというグラフィティな雰囲気がまた独特でした。かなりクセがあるセンスですし、最初は慣れるのに時間がかかりますが、最終的な絵の気持ちよさという意味でもちゃんと効果的だったと思いました。『サイダーのように言葉が湧き上がる』というポップなタイトルとシンクロしますしね。
ジェンダーバランスはあるが、批評視点はない
また、『サイダーのように言葉が湧き上がる』はジェンダーのバランスが程よい収まりだったのも功を奏したかなと思います。どちらかと言えばチェリー視点が多めながら、チェリーはスマイルを一方的に獲得することにこだわる描き方にはなっていませんし、スマイルの幸せもチェリーありきではないですし。あくまであの2人は相互フォローの延長線にある感じです。そういう意味ではフェアです。
もちろんジェンダーのバランスが程よい収まりだというだけで、本作にはジェンダー平等の視点はないのですけど…。もしそこに踏み込むならば、チェリーとスマイルは互いにインターネットの世界で自己表現をしているわけですが、片や完全に匿名の世界で安全を確保し、片や自分の素性を幼い頃から消費して売っていくしかない…そういう男女の非対称性は無視できませんし…。
ただ、スマイルの歯に対するコンプレックスですが、あれも女性に課せられがちなルッキズム的なテーマではあるのですが、歯並びは容姿だけでなく健康にも影響してくると言いますし、まあ、別に矯正すること自体は後ろめたいことでもないでしょうから、そこはいいとは思いますが…。
でも最後のマスクを外すという行動の意味合い、このコロナ時代になると全然違ったものに感じ取れてしまいますね。今の若い世代はマスク装着を当たり前にして他人とコミュニケーションを築いていますし、いつか来るマスクがない時代の方が新しくリスクのある時代として緊張感があったりするのかもと考えると…。いやはや、コロナ禍は価値観を根底から変えているなぁ…。
個人的にはチェリーの家庭環境は描かれるのですから、スマイルの家庭環境も描いてほしかったかな。あの3姉妹とか深掘りする意味はあると思いますし、それによって自分を幼い頃から消費して売っていく状況に追いやられがちな現在のインターネット文化における女性の在り方を批評だってできるでしょうし。それにしてもあの3姉妹の家、妙に異空間なんだけど、なんなんだ、あれ…。
本作や『きみと、波にのれたら』など昨今の日本のアニメ映画は直球な異性愛ロマンスを描くことに関しては気持ちよく突き抜けられるので、ぜひこの調子で異性愛以外のロマンスも素直に「きみがすき」と大声で語れるものを作ってほしいですね。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer –% Audience –%
IMDb
7.0 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)2020 フライングドッグ/サイダーのように言葉が湧き上がる製作委員会
以上、『サイダーのように言葉が湧き上がる』の感想でした。
Words Bubble Up Like Soda Pop (2021) [Japanese Review] 『サイダーのように言葉が湧き上がる』考察・評価レビュー